5.高級レストラン?
その後は、何となく疲れてしまってみんな盛り上がらず、解散ということになった。
まだ昼飯も食ってないけど、いいんだよな?
ハスィー様は、俺たちをどこかに招待するつもりだったらしいけど、禁忌の話が出た時点で無理だよね。
ジェイルくんも、あの後上の空だったし。
というわけで、俺たちは早々にハスィー邸を辞して帰った。
仕事の話については、近日中に正式にタスクフォースが発足するので、その時に改めてやるそうだ。
めんどくさいなあ。
それにしても、居心地がいい家だったな。
金持ちが住む屋敷は、こっちでもそれなりだ。
ちなみに、あの家はハスィー様個人の持ち物というわけではなく、アレスト伯爵家が持っている別荘のひとつだそうである。
どうも、領主の館は主人どころかハスィー様以外の家族全員が王都に行ってしまっているせいで、一人きりで住むには広すぎて、現在は大部分を閉鎖してあるらしい。
一部は代官とそのスタッフのために使われているが、ハスィー様がそこにいると、すれ違う度にみんなが最敬礼してきてウザいので、こっちに避難してきているという。
一人暮らしというわけではなく、同居人や一応召使いというか、世話係が何人かいて食事の世話などをしてくれているらしい。
さっき誰もいないように見えたのは、一時的に暇を出していたからだそうだ。
気を遣わせてしまったかな。
キディちゃんが帰り際に話してくれたが、アレスト伯爵家の一族は王都に行ったきりでめったに領地には帰らず、ただ一人残ったハスィー様が式典などにかり出されているらしい。
本来なら、貴族なんだからハスィー様ほどの歳になる前に嫁にやられているはずが、領地に残ってそういう役目をやるということで、何とか許されているということだった。
それでもあれだけの美女でエルフな上に身分が身分なので、結婚の申し込みは降るようにあるという。
「でも、ハスィー様がお嫁に行ってしまったら、アレスト市にはご領主の一族が誰もいなくなってしまうでしょう。
それはやっぱりまずいので、ギルド支部も一丸となってそれを阻止しているのだとかいう噂です。まあ、無責任な戯れ言ですけどね」
貴族も大変ですよね、とキディちゃんこそ無責任に笑って去っていった。
俺も何か疲れたので、ジェイルくんと一緒に帰ろうとしたのだが、彼も用があるといってどこかに行ってしまった。
というわけで、俺は一人でブラブラと歩いている。
真っ直ぐに帰ってもいいんだが、まだ昼飯には時間がある。
今日は出勤扱いになっているため、これから夕食まで何をしていようが自由だ。ところで今日の分の日当って丸々出るんだろうな。
ああ、言い忘れていたけど、こないだから賃金が出ているのだ。
というか、実際には誰が払っているのか判らないが、マルト商会から幾ばくかは貰っている。
やっぱり俺、マルト商会を経由して『栄冠の空』に派遣されている形になっているらしいのだが、給料がどうなっているのかいまいち判らないんだよね。
ひょっとしたら、マルト商会が出しているのかもしれない。
まあ、俺としては貰えるんならどうでもいいんだけど。
実際には、働き出す前に色々と買い込んでいるので、その分の借金が残っていて、出た給料の大部分は返済に充てられているらしい。
この時点で時給が安いとか言えないので、とりあえず現金を貰えていることで満足しているところだ。
だって、買い食いとか出来ないんだぜ、金がないと。
金があればすべて解決とはいかないけど、金がないと即詰む。これは俺が社会人として最初に覚えたことだ。
親に頼ればいいだと? 馬鹿言うな。
下手すれば親の方が頼ってくるぞ。
俺なんか、就職した途端に親から百万寄こせと言われたくらいだ。
そんな金はないというと、きちんとした会社なら借金できるはずだと言われた。何という親なんだ。
万一の時のために、学生時代にバイトして貯めた金があったので、半分に値切って払ったけどダメージが凄かった。
あれ以来、親とは接触を断っている。
いい親離れになったのかもしれない。
まあそれはいい。
とにかく懐にはそれなりの金があったので、ちょっと散財してみようかなと思ったわけだった。
昼飯も、新しいところで食ってみるのもいいかもしれない。
今まではマルト商会の食堂か、さもなければハロワのそばのあの大衆食堂でしか食ったことがなかったからな。
今日は、ちょっと高級な所で食ってみるか。
マナーとか大丈夫かな。
まあ、何とかなるだろう。
いざとなったら、マルトさんの名前を出せばいいや。
お屋敷街は居心地が悪いので、さっさと抜け出して商業地区に入る。
観光して回っている時にざっと見たが、別に商業地区だからといって店しかないというわけではなく、民家も並んでいる。
むしろ民家の方が多いくらいだが、住んでいるのは中流階級だそうで、それなりに裕福な商売人の家が多いらしい。
住居が店と一体化している所も多く、だから商業地区なんだろうな。
まだ昼には早いせいか、開いている店は少ない。
それでも、日本でいう魚屋とか八百屋のたぐいは開店していて、買い物客もそれなりにいた。
なんでそんなに朝から買い物するのだと言いたいが、現代日本の感覚で捉えてはいけない。
こっちの世界、というよりは文明では、冷凍食品もレトルトもないんだぞ。
前にメイドが流行ったとき、俺も漫画読んで覚えたのだが、19世紀の英国では各家(といっても金持ち)が自分の家でパンを焼いたそうだ。
トーストを焼くんじゃない。
パン自体を生地から作るんだ。パン屋と同じ事を自宅で毎朝やっているという。
料理も、毎朝材料から作る。
つまり、その材料は前日か、その朝にどっかから買ってくる必要がある。だって長期保存できないんだから。
日本で言うと、やっぱり江戸時代くらいかな。
こっちの世界は、ちょうどそのくらいの発展段階に思える。動力機関が実用化されていないとかね。
水車や風車くらいはあると思うけど。
だから、実を言えば朝飯を食べる店はもう開いている。だけど、そういう店って労働者向けの、立ち食いなんだよね。
せっかく自腹で食うんだから、もうちょっと高級な所で飯にしたい。ということで、捜しながらぶらぶら歩いていると、良さそうな店があった。
出ている看板も上品で、読めないけど店の名前らしい文字が並んでいる。
絵がついてないのも高級感があった。
ひょっとしたら、乾物屋とか骨董品の店かもしれなかったが、物は試しとドアを開けて入ってみる。
良かった。開いているらしい。
「いらせられませ」
これまで聞いたことがないくらい渋くて低い、上品な声がして、スマートな初老のウェイターらしい人が頭を下げてくれた。
いや、美少女ウェイトレスを期待していたわけじゃないからね?
「お一人様ですか?」
「ああ。昼にはちょっと早いかもしれないけれど」
「大丈夫でございます」
感動だ。
こっちの世界にも、こういう店があったのか。
一瞬、手持ちの金で間に合うのかという不安が頭をよぎったが、もう仕方がない。
覚悟を決めて、ウェイターさんに従う。
窓際のいい席に案内された。
何と、窓ガラスがある!
これはいよいよ、食った後で皿洗いかと思ったけど、もう引き返せない。
ええい!
いざとなったら、マルトさんのツケだ!
ウェイターさんがメニューらしいものを持ってこようとしたが、手を振って断った。
「お勧めのランチとかありますか?」
「はい。本日は○◆△の蒸し焼きと×◇●のソティーでございます」
「それでお願いします」
ウェイターさんは、また頭を下げて去った。
ランチってあるんだ。
それにしても、久しぶりに伏せ字を聞いたな。
料理の固有名詞は翻訳出来なかったわけか。
あのウェイターさんが持っている概念に当てはまるものが、俺の知識の在庫にはなかったんだろうな。
まあ、蒸し焼きとかソティーとかいう単語が聞き取れたので、そんなに変なものは出ないだろう。
高級レストランなんだし。
ぼやっと待っていると、ドアが開いてお客さんが入ってくる気配がした。
ウェイターさんと何か話しているようだが、俺には関係ないからね。
ていうか、今は関係したくない。
さっきの禁忌の話で精神的に疲れているのだ。今になって反動が襲ってきている。
久しぶりに、あの喉切りトカゲを思い出してしまったじゃないか。
今日は一日、ぼんやりしていよう。
「失礼します」
突然、声をかけられた。
ウェイターさんがテーブルの横に立って、申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありませんが、ご相席をご希望されている方がいらっしゃいますが、よろしいでしょうか」
なんで?
店はガラガラだよ?
「あちらの方が、ぜひお客様とお話しされたいということで」
ウェイターさんの指し示す方を見ると、数人の人影が見えた。
え?
俺に何か用なの?
誰?




