22.感激?
唐突に発生した休暇というか空き時間を、俺は惰眠を貪ることに費やした。
ハマオルさんに「よほどの事が無ければ俺は留守ということで」とお願いして、ベッドに潜り込む。
ハスィーはリビングの方で何かやっているみたいだけど、夫婦といえども休暇の過ごし方は違っていいよね。
プライバシーだし。
思ったより疲労が溜まっていたらしくて、午前中だというのにぐっすり眠れた。
優しく揺り起こされて目を開けたら、至近距離に壮絶な美貌があった。
心臓に悪いぞ、これ。
「ご、ごめんなさい」
「いや別にハスィーは悪くないから」
俺の心の持ちようだよね。
でも美人は3日で慣れるって絶対嘘だぞ。
慣れるわけがない。
素晴らしい演奏とか、季節・日時によって姿を変える壮大な景色が常に感動を呼ぶのと一緒だ。
ハスィーの美しさって、そのレベルなんだよ。
普通の人なら数メートル離れていても衝撃を受ける美貌に、これだけ近くでいきなり遭遇して何とか意識を保てる俺は、むしろ強者なのでは。
「お昼だそうです。
ここに運ばせましょうか?」
「いや。
食べに行こう」
「はい」
傾国姫は俺に対しては素直だ。
他の人だと、そもそもハスィーに対して何か言う事自体が困難らしいからね。
傾国姫に命令したり指示したりできる人って、あまりいないような。
だからといってハスィーが居丈高というわけでもないんだけど。
むしろ優しくて遠慮がちだと思う。
でも前に誰かが言っていたけど、女神の化身に優しくされてもむしろ居心地が悪いというか。
判る気はする。
起き抜けなのでシャワーを浴びて、頭をしゃっきりさせる。
貴族向けの部屋らしくて、そういう設備がついていて助かった。
この部屋の宿代はどれくらいなのか、とちらっと頭をよぎったが気にしないことにする。
どうせ誰かが払って有耶無耶になるんだろうし。
まさかサラリーマンの俺が金の心配をしなくて良くなるとは思ってもいなかったなあ。
一生ペーペーかと思っていたのに。
借金の額が大きすぎて、生活費やその他の経費なんかどうでも良くなっているんだよ。
日本に居た頃、何億円もの借金を背負った人がむしろ贅沢に暮らしている、という話を聞いたけど本当だな。
貸している方は、そいつが死んだら莫大な債権がチャラになってしまうので死なないように、健康を損ねないように大事にするらしい。
今の俺ってほとんどそれだよね。
ハスィーの方は部屋着からちょっとしゃれたツナギに着替えただけで、すぐに用意が出来たようだった。
女の子の支度って時間がかかるはずなんだが、俺の嫁は化粧の類いをほとんどしないからな。
服にも拘らない。
そもそも傾国姫が着ると、みんな同じような印象になってしまうのだ。
どんな服でも、物凄く高価でセンスがいい服に見える。
ベストドレッサーって服を上手く着ることができる人のことじゃなくて、むしろ何を着てもその服を最高に見せてしまえる人のことなんじゃないかな。
ハスィーの場合は何を着ていても服に対する感想は出てこないんだけどね。
本人が眩しすぎて、印象に残らないから。
何か着ていたな、という程度の感想だ。
何も着てなかったらもっと凄いよ。
俺なんか、一緒にシャワー浴びると絶対襲ってしまうから自粛しているほどだ。
それで愚痴ったら、女神の化身相手に襲う気になれる俺は凄いとか言われたけど。
だって嫁だし。
そんなことを考えながら食堂に行くと、かなり大勢の人が集まっていた。
ユラン公子殿下やララエ公国外務省の人の顔も見える。
アレサ様もユラン公子の隣で居心地悪そうにしていた。
どうやら正騎士ではなく公女として扱われることになったらしい。
それでも騎士服を着ているから、色々複雑な事情があると見た。
内務省の人はいない。
実働部隊の長だからね。
同じく騎士団長や、その配下の皆さんの姿も見えない。
あの人達の立場は「業者」なので下手に目立って粗相でもやったらまずいという判断なんだろうけど。
そもそも実働部隊はこんな所で飯食っているほど暇じゃないはずだからな。
ユラン公子殿下は責任をとるためにここに来ているだけだし、外務省の人はもっぱら俺および親善使節団の相手をするためにいるんだから今のところ動く必要がないのだ。
俺と同じで。
ソラージュ側も揃っていた。
親善使節団は全員いる。
ルリシア殿下主従もいた。
ロロニア嬢は本当なら侍女なんだからこういう席には加われないはずなんだけど、ルリシア殿下自身がエラ王国の男爵令嬢という触れ込みだからね。
だったら子爵令嬢であるロロニア嬢が出席しないのは変だということになったと聞いている。
まあ、こっちにはカールさんもいて、今更身分がどうのという意味がなくなっているしな。
そういうわけで、集まった飯を食うときは無礼講にしましょうということになったんだけど。
尚、セルリユ興業舎の人たちはいない。
一番忙しい人たちだからね。
暇があったとしても、この食堂で俺たちと一緒に食うかどうかは疑問だ。
「マコトさん、ハスィー、こちらへ」
ヒューリアさんがわざわざ立ち上がって手を振ってくれたので、二つ並んで開いている席に向かう。
やばい。
何か、俺を待っていた臭いな。
ていうか、多分そうだ。
別に合図はなかったみたいだけど、俺とハスィーが着席するとほとんど同時に皆さん食事を始めたようだった。
帝国皇子とか王国王女とか公国公子・公女を待たせる子爵夫妻。
何様だよ!
救いを求めて隣を見ても、ハスィーは当然のような顔つきで静かに食事をしているだけだ。
疑問に思わないの?
無理か。
本人が傾国姫として、ソラージュでは散々特別扱いされてきたんだもんなあ。
身分で言えば伯爵令嬢で、貴族社会でそんなに重視される立場じゃないのに。
王太子とのスキャンダルの時なんか、今の俺なんか目じゃないくらい特別扱いされていたはずだ。
腫れ物に触るような対応に終始されて、とうとうアレスト市に逃げ帰ったわけだし。
それでもめげずに頑張り抜いた俺の嫁は偉い!
惚れ直すぜ。
ハスィーが硬直した。
顔が真っ赤だぞ。
「マコトさん。
出来ましたら、そういうことはお二人だけの時にして頂けると」
「ハスィー様。
おめでとうございます」
「素晴らしいです!
理想のご夫婦です!」
ヒューリアさんとアレナさんとルリシア殿下に言われて、俺は初めて気がついた。
またやった?
魔素翻訳で内心ダダ漏れかよ!
「ふむ。
あの支配力は見習いたいものだな」
「公子殿下に他国の親善大使を見習って頂きたくはありませんが、同感です」
「私はどうしたら」
ララエ公国のテーブルからも変な会話が聞こえてくる。
俺は努めて冷静を装うと、淡々と食事にかかった。
無念無想。
何も考えない。
いや、この飯は美味いけど。
この宿のコックさん、なかなかやるな?
「楽園の花」とまではいかないけど、少なくともエラ王宮やセシアラ公爵家の食事には匹敵するぞ。
夢中で食っていたら、いつの間にかそばに人が立っていた。
ハマオルさんが止めなかったということは、安全な人だな。
「ヤジマ大使閣下」
遠慮がちな、震える声がかかったので食事の手を休めて振り向くと、料理人の格好をした人が直立していた。
初老の威厳があるタイプで、地球だったら俺なんか恐れ多くて近寄ることも出来ないだろう。
何か?
俺が向き直ると、その人は深々と頭を下げた。
「当ホテルの料理長、トルラスと申します。
ありがとうございます。
噂に聞こえたヤジマ商会の会長様にそのように評価して頂き、この上もない光栄と存じます」
えええっ!
またやったのか!
俺、口に出しては言わなかったよね?
てことは、飯を褒めちぎった内心の声がまたもや魔素翻訳でダダ漏れだったと。
まずい。
言い訳しとかないと、尾を引きそうだ。
「あー。
勝手に評価してしまって申し訳ない。
私は食通というわけではありませんので、個人的な感想になりますが、お気になさらず」
「とんでもございません。
ソラージュのヤジマ閣下と言えば、我々料理人の間でも関心の的でございます。
ヤジマ食堂チェーンで提供されるクイホーダイや、イザカヤ形式の発案者であられるだけではなく、『楽園の花』をよくご贔屓になさるという話も聞いております。
そのような方にもったいなくも私どもの料理を評価して頂き、感謝の言葉もございません」
俺、そんな風に思われていたの?
いや「楽園の花」は別に贔屓してたんじゃなくて、ロハで食えるからよく行っていただけだし。
大体、あそこを便利に使っていたのはヤジマ商会やセルリユ興業舎の舎員たちであって、俺じゃないんだけど。
しょうがない。
ここは締めておかないとね。
「この食事は見事と思います。
近隣で採れる材料を上手く利用していらっしゃいますね?
下手に輸入物に頼らない工夫は賞賛されるべきと思いますよ」
いや、産地消費はこっちの世界では当たり前なんだけど。
でもソラージュやエラでは出ない食材を上手く使っているのは本当だよ。
美味しいし。
多分、材料費は安く上がっているのではないかと思ったから。
「そこまでお判り頂けるとは。
感激でございます!」
あの。
土下座は止めてね?




