22.本国からの通達?
その日はもう疲れて何もする気にもならなかったので、まっすぐ臨時親善大使館に帰ってシャワーを浴びた。
いや身体はともかく精神的なダメージが酷くて。
ただライラさんを陛下に紹介するだけのつもりだったのに、何であんなことになったんだろう?
身体を拭いても震えが収まらないので、寝室に逃げ込んで寝間着に着替えてベッドに飛び込む。
まだ日中だというのに、すぐに眠ることが出来たようだ。
目が覚めたら日が暮れかかっていた。
さすがにハスィーはいないか。
一人にしておいてくれたらしい。
こういう時はちょっと嫁に甘えたかった気もするけど、興奮した状態でそんなことをしたら、まず間違いなく襲ってしまう。
別にヤるのが嫌だというわけでもないけど、さすがにまだ明るいうちからはなあ。
寝間着を脱ぎ、とりあえずシャワーを浴びに行く。
セルリユの俺の屋敷と違って、臨時親善大使館の風呂にはお湯なんか常備してないので、冷たい水が俺の目を覚まさせてくれた。
それにしても誰にも会わない。
使用人のたぐいは極力絞っているからな。
俺や親善大使随行員のみんなは、全員召使いがいないと生活できないというような甘ちゃんじゃないから、これで十分だ。
「主殿。
もうよろしいのですか」
ハマオルさんがどこからともなく現れた。
俺についていてくれたんだろうけど、この人が凄いのはその気配を微塵も感じさせないことなんだよね。
だから俺もリラックスできるし、しかも万一の場合はハマオルさんが何としてくれると思うから安心だ。
いやー、シルさんもいい人を回してくれたものだ。
別の部署に配属替えになったりしないといいけど。
「私はヤジマ商会から俸給を頂いております。
シルレラ皇女殿下の配下は辞させて頂きました。
従って今の私は、主殿の配下です」
ハマオルさん、さらっと言ったけど、それって大変なことなのではありませんか。
シルさんに仕えるために帝国中央護衛隊を辞めたのでは。
それに、シルさんってハマオルさんたちの恩人だという話だし。
「ああ、失礼しました。
今の話はシルレラ皇女殿下も承認済み、というよりはむしろ薦めて頂いたことです。
護衛する相手以外に仕えてどうするとお叱りを受けました」
ハマオルさんは笑っているけど、いいの?
俺なんかのために人生変わったんじゃ?
「私の人生が変わったというのなら、それは帝国国境の山中で主殿に初めてお目にかかった時でしょうな。
いえ、むしろその時にやっと本道に復帰したというべきなのかもしれません」
またよく判らない話になってきたので、俺は聞き流した。
俺と話している人って、時々いきなり理解不能な事を言い始めるんだよね。
魔素翻訳がバグッているのかもしれない。
別に実害はないんだけど、やっぱちょっと怖いのでスルーすることにしている。
まあ、それでヤバいことになったケースはないからいいか。
「あー。
それはいいとして、みんながどうしているのか判りますか?」
「奥方様とアレナ様はセルリユ興業舎のエリンサ支店にお出かけです。
ヒューリア様とカル様は当地のギルドを尋ねるとおっしゃておられました。
エリンサ犬類連合の会舎登録のためかと」
あいかわらず行動が早いな。
ほっといても大丈夫か。
て、俺が言うことじゃないけど。
「セルミナさんとトニさんは?」
「ソラージュのエリンサ大使館に御用のようです」
なるほど。
ハマオルさんとしては、俺やヤジマ商会関係者の動向についてはきちんと把握するけど、お役人についてはある意味放任なわけね。
確かにあの人達は親善使節団の随員ではあるけど、むしろお目付役であって俺の配下とは言い難いからな。
もちろん護衛対象ではあるからある程度はチェックするけど、俺たちほどじゃないということか。
まあいい。
つまり俺は自由にやっていいということで。
「判りました。
ありがとうございます」
「何の。
主殿のためですので」
何かハマオルさん、はしゃいでない?
返答がいつもより軽くて速いんですが。
「お判りでございますか。
私もまだまだですな。
個人的な感情が出てしまうようでは」
「何かありました?」
ハマオルさんほどの人を動かすんだから、結構でかい事かも。
「何をおっしゃいます。
主殿の偉業以外に、私を感動させることなどあるはずがございません」
「偉業、ですか」
「何と。
お判りにならない。
いや、失礼いたしました。
主殿にとっては、あの程度は予定調和ということですか」
何かますます変な方向に行っているような気がする。
でもこれってアレだよね?
昼間の暴走というか、いや俺じゃなくてライラさんの配下の犬たちの。
どっちにしても俺の偉業じゃないし、むしろ騒動とも言うべきものなんだけどなあ。
でも、みんな判ってくれない。
というよりは俺に賛成してくれない。
もういいや。
「判りました。
みんなは夕食には帰ってくるんですよね?」
「そう伺っております」
「それでは待っていましょうか。
ハマオルさん、久しぶりにお茶をつきあってくれませんか」
「……喜んで」
一瞬、怯んだな。
前に話の流れで「楽園の花」とかに連れて行ったことがあったからな。
いや、別に他意はありませんよ?
たまには気軽に話したいと思っただけです。
俺とハマオルさんは、それからリビングに行って夕食までダラダラと過ごしたのだった。
こういう日をもっと作りたいもんだよね。
「ただいま戻りました」
そろそろ夕食か、という時にトニさんとセルミナさんが戻ってきた。
何か疲れているようだ。
大使館で何かあった?
あ、この「大使館」は臨時親善じゃなくて、正規のソラージュ大使館ね。
エラ王国の首都エリンサにあって、もちろん正規の大使がいる。
今のソラージュとエラの関係は友好的なので、あまり大した活動はしてないらしいけど。
「お疲れ様でした。
何かありましたか?」
俺が何の気なしに言うと、トニさんとセルミナさんが顔を見合わせた。
お互いに「お前が言えよ」と言い合っているような?
「……実は、ございます。
呼び出しを受けまして」
トニさんが重々しく言った。
大使館から呼び出されたのか。
まあ、お二人はソラージュ政府の役人だからな。
ひょっとして昼間の騒ぎの件か?
だとしたら反応が早すぎるだろう。
とても本国政府に伝わったとは思えない。
「いえまあ。
後ほど改めて正式に報告させて頂きますが、実は本国政府から連絡がありました。
その通達を受けて、我々が行ってきたわけなのですが」
「ソラージュから何か言ってきたと?」
何か逆鱗に触れたとか?
思い当たる節は……あるようなないような。
俺は密約だけどルディン陛下に「好きにやれ」と言われているしな。
何かが駄目だとか、そういう命令じゃないと思うけど。
いや、駄目だというのなら止めますよ。
別にやりたくてやっているわけじゃないし。
「はい。
本国政府に北方諸国から要望が届いているそうです。
親善大使閣下はまだか、と」
え?
でも俺が出発してからそんなにたってない気がしますが?
最低でもあと数ヶ月くらいは余裕があると聞いていたんですが。
「エラ王国でのヤジマ大使閣下の活躍が喧伝されているせいかと。
というよりはむしろ、随行のセルリユ興業舎派遣隊の活動ですね」
トニさんに続いて、セルミナさんが付け加えた。
「実を言えば本国政府も混乱しているらしく、矛盾した指示や要請が複数入っているようです。
ひょっとしたら、本国政府も割れているのかもしれません。
派閥ごとに勝手な事を言っている可能性もあります」
それはまずいのでは。
つまり、ソラージュ王政府も一枚岩じゃないってことだね。
それに影響力を持つ貴族の中には俺の「敵」もいるわけで、何かの罠を張ったり、そこまでいかなくても嫌がらせくらいはしてきているのかもしれない。
「もちろんヤジマ大使閣下はそれらの通達や要請に無条件で従う必要はございませんが、かといって無視するのも問題です」
「すると?」
「疑われない程度に動いておくのが良いか、と」
そうか。
だからルディン陛下は「自由にやれ」と言ってくれたのか。
後で俺が言い訳できるように。
陛下も大変だなあ。
じゃなくて、だったら俺はどうすればいいんだよ。
「とりあえず、次の国に向かわれては?」
それでいいの?




