26.インターミッション~セルミナ・ユベクト~
下の兄から話は聞いていました。
アレスト市に現れた「迷い人」と懇意にしていると。
あ、私はセルミナといってソラージュの外務省で書記官を拝命している者です。
ちなみに女性です。
代々軍人の家系であるユベクト家では下の兄と同じく変わり者で通っていて、あえて軍関係を外して働いております。
ユベクト家は世襲貴族でこそありませんが、先祖に何人も近衛騎士を輩出している由緒ある家柄です。
ユベクト家の者は代々軍に奉職することを旨としていて、というよりは一族ことごとくが何らかの形で軍に関わっております。
戦乱の最中やその後の騒乱時代には兵士や指揮官として手柄を立てて出世することも多かったと聞いておりますが、ここ数世代は平和な時代が続き、出世はともかく叙勲からは遠ざかっております。
それでも代々培ったコネと伝手は強力で、従ってユベクト家の男たちは成人すると軍に志願することが当然のようになっております。
ここ数十年で初めてその習慣に風穴を開けたのが下の兄で、一族すべての反対を無理矢理押し切って司法省配下の騎士団に入団したときは、皆呆れかえったものでした。
軍務省と司法省は犬猿の仲で、それでいて協力関係にあるために入団を可能とする程度のコネはあっても、それ以後は孤立無援になってしまいます。
この社会、コネと伝手がすべてです。
もちろん実力も必須ですが、騎士団のような組織的な行動を重視する職場では、いくら実力があってもおいそれとは発揮できないのは明らかですから。
そういうわけで、下の兄は騎士団に埋没するだろうと思われていたのですが。
突然ララネル公爵家に引き抜かれて衛士になったかと思ったら、数年後には近衛騎士に叙任されるという離れ業をやってのけました。
ここ数世代で久しぶりの快挙です。
これには一族揃って感嘆したものですが、下の兄はすぐにララネル家の係累から妻を娶り、そのまま独立してしまいました。
つまり、もはやユベクト家の一門とは言えなくなってしまったわけです。
これではコネの使いようがありません。
そもそもユベクト家とララネル公爵家とは仕事の面でもほとんど関係がないため、下の兄については話題に上ることもなくなりました。
私を除いては。
私自身も、軍関係一色のユベクト家においては異端です。
下の兄と同じく、あるかないかのコネを無理に駆使して外務省に入省して、以来コツコツと励んで参りました。
幸い、外務省はむしろ個人プレイというか、個々の実力がかなり大きくものを言う職場です。
親や親戚が上にいても、実力がない者に重要な仕事を任せることはありません。
自分自身の出世どころか下手すると国の問題になってしまうわけで、従って上に係累がまったくない私でも順調に出世することが出来ました。
これでも、神童と言われた下の兄と学芸面では競い合える程度の能力はありますので。
体術やその他のアウトドア方面は壊滅なのですが。
職場で地位が上がると、比較的自由に動けるようになります。
下の兄は司法官に任命されたララネル家のご令嬢の副官としてアレスト市に赴任していましたが、ユマ様が王都の司法管理官になられたのに従って戻って参りました。
世の中には最初からすべてを与えられた者もいるわけで、ユマ・ララネル公職令嬢が兄を凌ぐ天才であるという話は伺っておりました。
あの下の兄が、ユベクト家を捨ててまでお仕えしているほどの方です。
久しぶりに会った時は、さぞかしご主人様についての自慢話を聞かされるだろうと覚悟していたのですが。
予想に反して、下の兄の口から出てくるのはヤジママコト近衛騎士様のことばかりでした。
しかも、べた褒めです。
普通に話をしていても、いつの間にか「マコト殿はこう言われた」とか「マコト殿はあの時」とか、そればかりなのです。
妻帯しているいい歳をした男がかなり年下の男について嬉しそうに話す姿は、少し気持ちが悪いほどです。
こんな下の兄を見るのは初めてで、私は当然ヤジママコト近衛騎士様に興味津々でした。
仕事でも私的でもまったく接点がないため、お話することもないとは思いますが。
その後も、お互いに王都にいることもあって下の兄とは定期的に出会っていましたが、あいかわらず話と言えばヤジママコト様のことばかりです。
私も、その頃には下の兄の話を楽しみにするようになっていました。
ヤジママコト様が王都の話題を独占するどころか、トレンドと化していたからです。
地方都市で唐突に叙任された近衛騎士、しかもこれまでの実績がまったくない元平民にも関わらず、アレスト興業舎の立ち上げや野生動物との親睦、帝国の難民の救助、そして傾国姫様との婚約と、本当に一人の人間がやっているのか疑ってしまうほどの大活躍です。
しかも、王都に出てきたかと思ったらたちまち複数の会舎を設立、そのいずれもが大成功を収める。
王太子殿下にラミット勲章を頂き、ヤジマ学園を立ち上げてソラージュ中の貴族や大商人の話題を攫ったかと思えば、これまた唐突な子爵への昇爵。
その間にも野生動物の会舎を設立したり、ヤジマ食堂チェーンでソラージュの食事に革命を起こしたり。
ヤジマ芸能は既に王都の娯楽を支配してしまっています。
ソラージュが文化的に征服される日も遠くないでしょう。
それほどのお方と親しくしているとは。
下の兄と出会うたびに、兄のテンションが上がっていくのが判りました。
それは既に崇拝の域に達しているのではないかと。
もはや、誰に仕えているのかわからないほどです。
この兄を、そこまで心酔させるヤジマ子爵閣下とはどのような方なのか。
好奇心が燃え上がり、何としてでもお近づきになりたい、いやなってみせると決心を固めた時、上司に呼ばれました。
「ヤジマ子爵閣下が親善大使に任命されることになったのだが……使節団の外務官僚担当で一人、派遣要請が来ている。
セルミナくん、どうかね?」
もちろん志願させて頂きましたとも!




