23.インターミッション~トニ・ローラルト~
ハスィー様は女神だ。
初めてお目にかかったのは、先代のアレスト伯爵閣下がまだアレスト市で執務されておられた時だった。
当時、行政省に奉職したてだった私はアレスト市に赴任した領主代行官に従って伯爵閣下にご挨拶させて頂いた。
伯爵閣下はご一家で出迎えて下さったが、さすがソラージュでも有名なエルフ家だけあって、領主ご夫婦はもちろんお子様方も皆、目もくらむようなお美しさだった。
だが、私はご一家の中でも一番小さかったハスィー様に目を奪われた。
何というか、美しいものの中にあってすら、ひときわ輝いて感じられたのだ。
たとえは悪いが、銀食器の中に一枚だけ黄金のグラスが混じっているかのような印象だった。
当時のハスィー様はまだ、ようやく歩けるようになったくらいでいらしただろうか。
我ながら、そのような幼いご令嬢に目を奪われるとは異常なのではないかと悩んだのだが、そのうちにその悩みは解消された。
当時のアレスト市には、帝国に赴任される貴族家のご一家や、お仕事で訪問される大商人がよく訪れていた。
その方々がアレスト伯爵閣下および領主代行官にご挨拶や表敬訪問される時には、私も御用達として同席させて頂くことも多かった。
多くの場合、その方々は子供連れで、幼い少年少女や乳飲み子すら伴っておられる事もあった。
だが私はどんなに愛らしいお子様方を見ても、まったく興味がわかなかったのだ。
つまり、私にはそのような趣味・嗜好はない。
ついでに言えばアレスト伯爵家の他のお子様方を拝見しても心は動かなかった。
それは主家のご令息・ご令嬢なのだからしかるべき敬意を払いはするが、それだけだ。
ハスィー様だけが違う。
お姿を見かけるだけで、何というか気持ちが高揚し感動すらするのだ。
恋愛でも色欲でもない。
崇拝だ。
なぜ年端もいかない幼い姫君に、そこまで入れ込むのか。
自分でも不思議だったが、そういうものなのだから仕方が無い。
私は領主代行官の随員の中でも一番の下っ端だったから、命じられてよくアレスト伯爵家のお子様方の遊び相手を務めさせて頂いた。
私の名誉に賭けて誓うが、私はハスィー様とその他のお子様方で態度を変えたことはない。
だが、ハスィー様のお相手を務めさせて頂く時は、天にも昇る心良さを感じさせて頂いたものだ。
ハスィー様とは特に親しくお話しさせて頂いたこともない。
ハスィー様からみれば私はよく遊んでくれるお父上の部下の一人でしかなかっただろう。
だが、私はそのときすでにはっきりと確信していた。
私はハスィー様の為なら平気で命すら投げ出すだろうと。
数年後、私は転勤で王都に戻り、アレスト伯爵家との接触も絶えた。
その後アレスト家ご一家が王都にお移りになったことを風の噂で知ったか、一介の下っ端官僚に何がどうできるものでもない。
私は命じられるまま、様々な領地に赴任して領主代行官の部下として働いたり、王都に戻って行政省で事務をとったりしていた。
次第に階級が上がり、領主代行次官の資格を得たとき、王政府が「学校」を発足させた。
ハスィー様も「生徒」の一人として通われるとのこと。
役所にいれば、色々な噂が聞こえてくる。
「学校」の経費がかかりすぎて、王政府や生徒の親である貴族の方々に負担がのし掛かっていることを知って、私はよそ事ながら心配した。
アレスト伯爵家は大丈夫なのだろうか。
ご令嬢方を立て続けに嫁入りさせ、結納金の負担が重くのし掛かっているという話も聞こえてきた。
アレスト市はそんなに豊かな領地ではない上、人口が少ないのに土地はやたらに広く、その管理だけでも大変な負担がかかる。
かつてアレスト市の領主代行官の部下だった私はそのことを知っていた。
だが行政省の一官僚の立場ではどうにもならない。
心配しながらも無為に過ごしている内に、突然噂が王都を駆け回った。
何と、王太子殿下がハスィー様を懸想しているというのだ。
それどころかハスィー様は「傾国姫」と呼ばれて崇拝されておられると。
さもありなん。
かつて私を一瞬で魅了したハスィー様だ。
幼児の頃ですらそうだったのに、ご成長されてどれほどお美しくなられたことか。
だが、事態は悪化の一途を辿った。
ハスィー様はスキャンダルに巻き込まれ、失意の内に王都を去られた。
アレスト市に一人戻り、お労しくもギルドの職員として働かれているという。
そこまで生活に困窮されておられるのか。
私は少しでもお力になれればと、アレスト市への異動を願い出た。
だがアレスト市程度の規模の領地では、領主代行次官を配置する余裕はない。
むしろ、今の私の階級でも領主代行官としてなら赴任できると言われた。
だが明確な理由がないのに現行の領主代行官を交代させることは出来ない。
ならば今の代行官の任期が終了したら代わりに。
私は某侯爵家の領主代行次官への異動の話を蹴って、機会を待つことにした。
栄転だったのにと不思議がられたが、私にとってはハスィー様のお役に立てること以上の栄転はない。
その後、待ったかいあってついに「アレスト市の領主代行官を命ず」との辞令を受け、嬉々として赴任してみると、ハスィー様はアレスト市ギルドの執行委員に昇進されていた。
素晴らしい。
やはり、あの方は普通の人間いやエルフではなかった。
早速拝謁を願い出た私は、ハスィー様と対面するなり卒倒したらしい。
その時の記憶がないのだ。
随分失礼なことをしてしまったが、後で聞いたら私のような体験をする者は少なくないとのことだった。
やはりそうだった。
ハスィー様は女神だったのだ。
お会いするたびに土下座せんばかりの態度をとる私に遠慮してか、ハスィー様は領主館を出て別宅に移ってしまわれたが、私は満足していた。
私の女神のおそばで、お役に立てるのだ。
そういう幸せな生活が続いていたのだが。
ヤジマ某とやらが現れて、ハスィー様は変わってしまわれた。
というより、ハスィー様を中心としたアレスト市自体がどんどん変わっていった。
このままでは、ハスィー様のためにならない。
私は微力ながら、その諸悪の根源を取り除こうと姑息な工作に出て失敗した。
ハスィー様のお怒りに触れて、私はどん底に落ちた。
そのままアレスト市の領主代行官を辞任し、王都行政省の片隅で朽ち果てるものだと思っていたのだが。
ヤジママコト近衛騎士、いやヤジマ子爵閣下の今を見るにつけ、私が間違っていたことをひしひしと思い知らされる。
違うのだ。
すべてはハスィー様なのだ。
「続・傾国姫物語」なる絵本を読んで、私は悟った。
ハスィー様は女神であるが故に、例えソラージュの王太子殿下であろうと普通の人間ではその横に並び立つ事が出来ない。
だがハスィー様もお一人では寂しいだろう。
よってハスィー様は、その者を自ら作り上げたのだ。
どこの者とも知れぬ平民を拾い上げ、手塩にかけて育て上げる。
その平民が近衛騎士に、そして子爵にまで昇爵したのも、すべてハスィー様のお差配だ。
ヤジマ子爵は王都で様々な商売を成功させ、今やソラージュでも有数の大商人として名をはせている。
もちろんハスィー様のパートナーとしてはまだ役者不足だが、女神の従者程度は勤まろう。
そばでお守りするためには、そのくらいがちょうどいいのかもしれない。
私の心配など、最初から不要だったのだ。
だがこんな私にもまだハスィー様のお役に立てることがあるのかもしれない。
私の階級では格落ちの任務である親善使節団の随行員はどうか、という話が来た時、私は躊躇いもなく飛びついた。
これでハスィー様の、私の女神の足下に控えることができる。
何かお役に立てることがあるかもしれない。
ハスィー様。
トニは幸せです。
それと、ええと何といったか子爵。
ハスィー様をきちんと守れよ。
私はいつでも見ているぞ。




