19.書記官?
何かよく判らない打ち合わせがあるというので、ハスィーとトニさんが執務室を出て行ってしまった。
別にいいよ?
俺の嫁と元領主代行官も、関係を修復する必要があるだろうからね。
長い付き合いなんだし、これからも長そうだし。
ユマさんも何か用があるとかで退出した。
ソファーには俺とセルミナさんだけが残った。
向かい合って座っていると、何か圧迫感を感じる。
じっと見つめてくるんだよ!
「失礼しました。
ヤジマ子爵閣下は何というか『特別』な印象がございますね。
惚れてしまいそうです」
大胆な事を言う人だな。
もちろん本気じゃないだろうけど。
「本気ですが、それは後のことにして、まずはお仕事です。
失礼ですが、ヤジマ子爵閣下は北方諸国についてどれくらいご存じでいらっしゃいますか?」
「全然、です。
ソラージュの事すらよく判っていない状態で」
嘘を言っても始まらない。
実際、ヤジマ商会の仕事が忙しくて勉強してる暇もなかったしな。
ソラージュについてもアレスト市とセルリユくらいしか知らない。
それも「知っている」とは言い難いレベルだ。
こんなんでやっていけるのか。
不安に襲われていると、セルミナさんが言った。
「そういう時のために私が同行させて頂くわけです。
書記官の仕事は大使のあらゆる方面におけるサポートです。
これでも省内では北方諸国の専門家と呼ばれておりますので、遠慮なくお使い下さい」
そうなんですか。
ああ、外務省の書記官と言っていたっけ。
日本の外務省についてすら知らないし、そもそもソラージュのそれが何をする役所なのか判らないんですが。
「国と国との付き合い方にはルールがあります。
まずはそれに従うことですが、ヤジマ子爵閣下はお気になさらずとも結構です。
色々入り組んでいますが、原則的にはそんなに難しいものではありません。
メソッドを取っ払ってしまえば、後は人間同士の付き合いと同じでございます」
そうなのですか。
いや、別に疑うわけではないんですけれど。
そんなに簡単に考えていいのか。
「ヤジマ子爵閣下は、何物にも代え難い素晴らしい特質をお持ちです。
傾国姫様もまた違った圧倒的な特質をお持ちですが、閣下はそれに勝るとも劣らない。
実際、ある意味ではここまで外交官向きの方はおられないと思いますよ」
セルミナさんは自信たっぷりに言うけど、そんなのあり得ないでしょう。
それともあれか?
俺が精神的なノーガード戦法の使い手だということ?
「ただ読まれやすいという方ならいくらでもおられますが、ヤジマ子爵閣下は信じられないくらい裏がありません。
それでいて底知れぬほど深く、見通せない。
しかも相手に対して好意的です。
懐に飛び込まれたら、それだけで相手は圧倒されます。
『誠実』に対抗できる技はありませんから」
よくここまであからさまに言えるな。
ちょっと気になって聞いてみた。
「しかし、最初から悪意を持たれていたらどうしようもないのでは」
「そういった相手は、私やトニ行政官があらかじめ排除しますので。
親善大使のお仕事は、悪意を持つ相手を懐柔することではありません。
そんなのは本国政府や駐在大使に任せておけばよろしい。
ヤジマ大使閣下のお役目は中立な方と親しくなったり、最初から好意を持っておられる方をさらに好意的にすることです」
よし判った。
あれだね。
客寄せのパンダとか、オーストラリアのナマケモノみたいなもんだな。
それなら得意かもしれない。
こっちの世界に来てから、そればっかやってきたような気がするしな。
それにしても何か堅いと思ったら、呼び名か。
「すみません。
ヤジマは家名ですので、マコトと呼んで頂けないでしょうか」
「あら、よろしいのでしょうか。
兄が『マコト殿、マコト殿』と、それは嬉しそうに呼ぶので親しくなった人だけに許される呼び名だとばかり思っていたのですが」
「そんなことないですよ。
子爵位にしても、この間いきなり頂いたものでまだ慣れていなくて。
単純にマコトでお願いします」
「世襲貴族の方に不敬という気はしますが、たってのお願いというのなら従うに吝かではございません。
判りました。
今後ともよろしくお願い致します。
マコト殿」
調子狂うな。
ノールさんの妹君とは思えないほど饒舌だし、あくまで真面目に捲し立てられるので口を挟みにくい。
それでも皮肉や悪意どころか好意が溢れているから、気持ち悪いと言うこともないんだけど。
でも疲れそう。
「ああ、これは失礼いたしました。
最初から飛ばしすぎですね。
時間はたっぷりありますので、出発してからゆっくりとレクチャーさせて頂きます」
「北方諸国までは結構かかるんでしたっけ」
「そうですね。
マコト殿の使節団は陸路を行くということですので、途中で何泊もする必要があります。
船をお勧めしたいところですが、マコト殿の事情では無理でしょうし」
「……ユマさんからお聞きしておられます?」
「ララネル司法管理官閣下と、兄から伺っております。
というよりは、直々に依頼されました。
マコト殿の随行を忌避する者が多いようで。
あまり出世のための実績にはなりそうにもない任務ですのでね。
しかも、受けた時点で明確にヤジマ子爵家側についたと思われる」
そうなんだろうな。
役人としては亜流の仕事だろうし。
さらに言えば、「戦争」している奴に同行したい人がそんなにいるわけがない。
「セルミナさんは良いのですか?」
「兄が保証してくれましたし、私にとってはチャンスですので。
今をときめくヤジマ子爵閣下と親しくなれるかもしれないのですよ?
むしろ、私にこの立場が巡ってきたことに感謝です」
うーん。
権勢欲か、あるいは他の何かか。
まあノールさんの妹というのなら、そうそう間違いはないだろうし。
「そういえば、以前ノールさんからユベクト家は軍人の家系と伺いましたが」
「そうです。
私の父も兄も、ノールを除けばみんな軍人ですね。
兄たちの子供も軍人を目指すようです」
「なのに、セルミナさんはどうして外務省に?」
「コネがありましたもので」
淡々としているな。
「私の人生は、何もしなければ軍人の妻一直線でしたがそれは避けたいと。
ならば仕事を持たねばならないわけです。
女性軍人もいないわけではないのですが、やはり出世等の面で不利ではあります。
それに、私も兄と同じく軍務にそれほど幻想を抱けなかったもので」
何を聞いてもポンポン明確な返事が返ってくる。
相当切れる人のようだ。
外務省の書記官といえば、日本でもエリートだもんな。
こっちでもそんなに違いがあるわけではないのだろう。
ハスィーとトニさんが戻ってこないので、俺はとりあえず色々聞いてみることにした。
「恥ずかしい話ですが、訪問する予定の諸国はおろか、どうやって行くのかすら判っていないんです。
他の外交官や、商人の方たちが外国に行く場合はどのような手段をとるのでしょうか」
「場所によりますね。
遠隔地であれば、とりあえず目的地の近くの港まで船で行きます。
特に商売の場合は、輸送能力の問題で海路以外の選択肢はあまりありません」
「ああ、そうか」
「目的地が内陸の場合でも、もよりの港町まで船舶を利用してから陸路という方法が一般的です。
何にしても、陸上交通は極力避けるのが常識ですね」
「それは、やはり道が悪いせいで?」
アレスト市からセルリユに来たときも馬車で1週間くらいかかったからな。
「はい。
国内の主要街道でも路面が整備されているとは言い難い状態ですので、馬車などでは速度が出ません。
大量輸送には向かないのはもちろんです。
時間がかかれば馬匹の食料なども膨大になるため、費用がかかっても海路で行った方が効率がいいことになります」
「私がセルリユに来た時は馬車を使いましたが」
「ユマ司法管理官閣下から伺っておりますが、あの時はこちらで使用する馬車を運んできたのでしょう。
それに、新任の近衛騎士が手ぶらで王都入りというのはあまり外聞が良いということはありませんから」
確かアレスト興業舎の方たちや教団の荷馬車隊と共においでになったのですわね、とセルミナさん。
凄い。
どこまで俺のことを調べ尽くしているんだよ。
ユマさんの仕込みかな。
考えてみれば、セルミナさんってユマさんの親衛近衛騎士であるノールさんの妹なんだよね。
つまり、身内同然。
言わばノールさんの代理みたいなものか。
そう言うと、セルミナさんはにんまりと笑った。
「そこまではいきませんが、私もララネル公爵家、というよりはユマ様の配下と言って良い立場です。
ララネル家の近衛騎士であるマコト殿の、間接的な配下とお考えになってもよろしいかと」
そうですか。
やっぱユマさん、自分が行けない代わりに腹心の代理を送り込んできたというわけだな。
いやそこまでは行かないか。
まあいい。
とりあえず、セルミナさんは信頼できると思っていいだろう。
それにしても、なんでこう俺に付けられる人って美女が多いのかね?
「あら、光栄です。
兄が聞いたら嫉妬するかもしれませんわよ」
意味不明だよ!




