10.ムト子爵?
「まあ、実を言えばそれほど悪い状況というわけではありません」
グレンさんが慌てて言った。
「問題ではないと?」
「ええ。
現時点ではミラスの王妃候補は定まっていませんし、『学校』の成績や貴族社会での立場などを考えても、ハスィーやラナエ以上の者がいるわけでもないですしね。
何年も引き延ばしてきた状況で、殊更すぐに決めなければならないということもない。
だからミラスは焦ってはいません」
そうなのか。
でも王太子殿下ともなれば、色々としがらみがあるのでは。
「そこは『傾国姫』の一件で王政府側にも弱みがありますからね。
ここで強行して、また不和の噂でも立ったら非難されるのは王政府側です。
前の時も、ひとつ間違えばハスィーが悲劇のヒロインとして喧伝されかねなかったわけですし」
「だから、あれはそんなことではないとずっと言っているではありませんか」
ハスィーが怒りに満ちた声で言った。
「わたくしは、あの騒動には文字通りまったく関わっておりません。
マコトさん、わたくしは潔白です」
判ったから。
ハスィーも落ち着いて。
「というわけで、ミラスは今のところ結婚については比較的自由に動けるわけです。
もちろん完全にフリーというわけではありませんがね。
例えば、いきなり平民の娘を連れてきて王太子妃にする、というわけにはいかない」
「でもフレアさんは帝国皇女である、と」
「そうです」
グレンさんは肩を竦めた。
「正直、これほどまでに都合のいい方がいらっしゃるとは、何かの策謀ではないかと疑ってしまうほどです。
帝国の皇女殿下。
しかも前の皇弟殿下の直系で、母親も皇帝家の血を引く有力領主の姫君。
それでいて、次の皇帝の継承争いに加われるほどの重要度はない。
もし帝国から持ち込まれた話でしたら、王政府も即座に了承するほどの良縁です」
「だったらいいのでは?」
何を困っているんだ?
そう返した俺に、グレンさんはため息をついてみせた。
「問題は、ミラスが露骨に恋していることなんですよ。
週に二度くらい、『ニャルーの館』に通い詰めています。
これ、現在の王太子府の忙しさからしたらあり得ない頻度です」
そうなんだろうな。
国のNO.2の立場にある者が、女目当てに遊興施設に通うというのはいただけない。
日本でいったら、副総理がA○B劇場に通っているようなものだ。
もちろん極秘だろうけど、そういう行動はいずれ必ずバレる。
そうなったら言い訳のしようがないぞ。
「しかし、どうして『ニャルーの館』なんですか?
フレアさんに会いたいのなら、ヤジマ商会に来るなり、私を含めて呼びつければいいだけのような気がしますが」
俺の疑問に、グレンさんは苦笑した。
「実はミラスの奴、変にカッコつけているというか、まだ自分の身分を明かすつもりがないみたいなんですよ。
ここではムト子爵と名乗っています」
「ムト子爵閣下ですか」
「偽名というわけではないです。
ミラスは王太子の他にも色々肩書きを持っていますからね。
ムト子爵領は跡継ぎが絶えたことで王家の直轄領になった領地で、その称号を含めてミラスが受け継ぎました。
王太子位に付随する爵位と領地です。
玉座についたら次の王太子に受け継がれますが」
ああ、そういうのってあるよね。
昔読んだ歴史小説に出てきたっけ。
王様とか王子様が身分を隠して行動する時、あえて自分が持っている低い爵位を名乗ることがあるのだ。
例えば某領地を視察する場合なんか、王様として行ったら領主は王様を迎えるための歓迎の儀式をしなければならない。
格式とか色々あって、相手の位が高ければ高いほど無駄に豪華になる。
そういうのを好む王様なら仕方がないけど、面倒くさい事を嫌っていたり、訪問先に負担をかけたくないと考えている王様なら、自分が持っている適当な爵位を名乗って行動することがあるとどっかで読んだな。
例えば伯爵として訪問するのだったら、迎える側も普通の貴族が来た程度の儀式をすればいいわけだし。
地球の王家って、そういう便利な爵位をいくつも持っていると聞いたことがあるなあ。
こっちの世界でも同じなんだろうね。
というよりは、多分地球から転移してきた貴族か誰かがこっちでも同じような制度を作ったと考えた方がいいかも。
地球でも地域によって貴族制度は色々だから、一概には言えないけど。
並行進化かもしれない。
「ということは、ミラスはまだフレア様にご自分の身分を明かしていないと?」
ハスィーの問いに、グレンさんは頷いた。
「ムト子爵と名乗ったから、フレア様はそう思われておられるはずだ。
この特別室を使う客は貴族や大商人が多いから、子爵程度なら当たり前にいるしな。
疑われているご様子はない」
「あんなに若くて当主なのにですか?」
俺の問いにも、グレンさんは丁寧に答えてくれた。
「貴族は早婚で早くに子供を作りますからね。
あるいは、何らかの理由で父親が早期に引退して、嫁探しの最中かもしれない。
あのくらいの年齢でフラフラしている貴族家当主がいても、不思議ではないです」
そういえば、アレスト伯爵家の次期当主であるフロイさんは嫁探しに国外に出たと言っていたっけ。
それで外国貴族の美少女をゲットして跡継ぎを作ったわけで、その順番が逆になってもいいのか。
「そういうわけで、フレア様に会いたさで『ニャルーの館』に通ってはいるものの、勇気が出なくて告白どころかアプローチも出来ない。
実は、猫従業員の純白さんを呼ぶのも、フレア様の事を聞きたいがためなんです。
純白さんはフレア様と親しいそうなので」
それでか!
情報収集の一環だったとは。
猫撫でにハマッたふりをして、フレアちゃん見たさにこんな所に通い詰め、純白さんを呼ぶことでフレアちゃんと間接的に接触する。
何ともいじらしい。
気持ち悪いほどだ。
ストーカー一歩手前じゃないか。
「そうですよね」
グレンさんが暗く呟いた。
「ソラージュの次期国王がやることじゃない」
「それで、これからどうするつもりですの?」
ハスィーが呆れたように言った。
「こんなことを続けていると、いつかは騒ぎになるのではありませんか」
「俺も、何度も忠告しているんだけどな」
グレンさんがぼやく。
「せめて身分を明かせと。
大体、身分を偽って帝国の皇女殿下と接触していること自体、無礼だし」
「それは、フレアさんの方も同じですから別にかまわないと思いますけれど」
不毛な議論だなあ。
で、結局グレンさんは俺たちにどうして欲しいわけ?
「マコトさんから言ってやれば、ミラスも覚悟を決めると思うんですよ」
グレンさんは後ろめたそうだった。
それはそうだ。
俺やハスィーって、この件には何の関係もないもんね。
確かにフレアちゃんは俺の庇護下にあるし、「ニャルーの館」に勤めているのも俺のせいだと言えないこともない。
大体、フレアちゃんに何かあったらシルさんが許してくれないだろうしな。
うん、判った。
何とかするしかあるまい。
その前に聞いておかなくては。
「グレンさんとしては、どうなって欲しいんですか」
「俺としては、ミラスの望みはなるべく叶えてやりたいと思っています」
グレンさんはきっぱりと言った。
「あいつは生まれと育ちで色々と制限が多い人生ですから、恋くらい思い通りにしてやりたいじゃないですか」
いい男だな、やっぱり。
「まあ駄目ならそれはそれで仕方がないとは思いますけれどね。
大体、王族に生まれて惚れた女を嫁にしようなどという贅沢、本来なら許されるはずがないんだし」
前言撤回。
「そうでしょうか」
意外にもハスィーが口を挟んだ。
「王族であるからこそ、そういった些細な問題は早急に解決しておくべきでは。
将来玉座につく者が、基本的なところでうまくいっていないと、国の将来に悪影響を及ぼすかもしれません」
ハスィーもきついなあ。
それに結婚が「些細な」問題なのかよ。
自分の結婚についても、むしろ後回しにしてくるような女だからな。
ラノベとは違う。
いや、むしろラノベに近いと言うべきかもしれない。
そこまで割り切れるって、並の神経じゃないよね。
この辺りが傾国姫と呼ばれて畏れられている理由の一つかも。
「ということで、お願いします。
ミラスの力になってやって下さい」
グレンさんが改めて頭を下げた。
貴族にそこまでさせて、嫌ですとは言えないからなあ。
「判りました。
話してみます」
俺がそう言うと同時に、ドアが開いた。
ミラス殿下が立っている。
「相談はまとまったかな?
というわけで、マコトさんにお願いがあるんですが」
食えない王太子殿下だよね、やっぱり。




