9.小学校?
心底疲れた俺は、エランさんと打ち合わせを首尾良く終えたジェイルくんと一緒に自宅に帰った。
ジェイルくんが心配して色々話しかけてきたが、正直答える気力が沸かない。
精神力を消耗し尽くした。
ララネル公爵家、何て恐ろしい場所!
結局、夕食も食わずにベッドに倒れ込んで寝てしまった。
夜中に腹が減って目が覚めたが、屋敷は静まりかえっている。
真っ暗だ。
手探りで携帯用のランプを灯してキッチンに向かおうとしたら、ドアを開けた所にお盆に載ったサンドイッチのようなものが置いてあった。
ジェイルくんかソラルちゃんか知らないが、本当にありがたい。
寝室で食うのも何なので、ガウンを着込んでお盆を持ち、キッチンに向かう。
いや、誰か知らないけど親切な人が、飲み物を忘れていたようなので。
数日で屋敷の構造は覚えたので危なげなくキッチンにたどり着き、テーブルに水とサンドイッチを置いてさあ食おうとした時、いきなりそばに誰かが立っているのに気がついた。
「!」
「失礼いたします。
主殿」
ハマオルさんだった。
ビビッた。
「驚かせてしまいましたか。
申し訳ありません」
「いえ、いいんですが。
ハマオルさんは、こんな夜中に何を?」
「私はヤジマ商会の警備を任されておりますので。
特に夜間は、侵入者対策や不審な状況が起こった時のために、こちらに常駐しております」
何てことだ。
ハマオルさん一人に、そんな負担を掛けていたのか!
「すみませんでした!
ハマオルさんにだけ苦労を掛けてしまっていたのに、何も知らずに」
「何、帝国中央護衛隊での実戦演習に比べたら楽なものです。
あちらでは、夜警の最中に刃に毒を塗ったナイフを振り回す相手役が本気で襲ってきますからな」
ハマオルさんは面白そうに笑ったが、俺は身体から力が抜けた。
そうか、ハマオルさんはもともとそういう世界の人なのか。
ある意味、ホトウさんより実戦派だし。
本気で命のやり取りをするための訓練を受けているのだ。
ようやく動悸が納まってきたので、俺はハマオルさんに言った。
「腹が減って何か食いに来たんですが。
ハマオルさんもいかがですか?」
「それでは、お茶だけ頂きましょう。
主殿」
俺って主だったのか。
ハマオルさんは、自分で小さなコンロに火をつけてお湯を沸かすと、俺にもお茶を入れてくれた。
俺の方は失礼して、その間にサンドイッチを食っていたけどね。
食う合間に話してみる。
「ハマオルさんは、お一人で警備を?」
「はい。
まあ、フレア様がいらっしゃるまでの間だけです。
サリムが来れば、交代で休めるようになりますので」
ああ、フレアちゃん付きの護衛の人ね。
ハマオルさんと同レベルの手練れだ。
フレアちゃんの行くところ、常にサリムさんありということか。
それでも二人では、短期間ならいいとしても今後は過重労働になりそうだな。
ヤジマ商会も大きくなっていくだろうし。
俺は思いついて言った。
「警備課を作って部下を揃えるというのはどうでしょう。
ハマオルさんとサリムさんが訓練すれば、かなり有能な警備隊が出来るのではないでしょうか」
ハマオルさんは、少し驚いたように俺を見た。
破顔する。
「そうですな。
最初のうちは足手まといでしかないでしょうが、3ケ月もすればそこそこ使えるようになると思います。
もっとも、当人の素質にもよりますが」
「訓練とか、出来ます?」
「帝国中央護衛隊は、それ自体が一つの訓練機関とも言えますので。
従士長に昇進するためには、全般的に師匠の能力を必要とします。
得意不得意はありますが、私もサリムも一通りの教官をこなせますな」
凄い。
そういえば、シルさんはハマオルさんたちに武芸や知識見識を習ったんだっけ。
ちょっと待てよ。
これ、商売にならないか?
それを話すと、ハマオルさんは少し空中を見つめてから頷いてくれた。
「それは、アレスト興業舎でやっていたホトウ殿の教練のようなものと考えてよろしいでしょうか」
「そうですね。
あれを組織的にやるということです」
「ならば、可能です。
ただ、ある程度ものになるまでに時間がかかってしまうため、その間の費用は完全に待ちだしになりますが」
おや、ハマオルさんって、商売にも詳しいのですか?
費用対効果についてご存じで?
「私は帝国中央護衛隊に入る前には冒険者をやっておりました。
冒険者が金について無知ですと、すぐに死にます」
凄い。
こんな人材がすぐそばに埋もれていたなんて。
シルさんのコネは宝庫だね。
だがそんなハマオルさんでも、自分の技術を誰かに伝えることが商売になるとは思っていなかったらしい。
こっちの世界は、基本的に師匠と弟子だからな。
帝国中央護衛隊でも集団訓練をやっていたはずだが、むしろ師匠役の人と弟子役の人がたくさんいたというだけのことなのだろう。
組織的な教育ではないのだ。
「まず、費用はこっちもちで訓練して、役に立つようになったらヤジマ商会で雇うなり、どこかに売り込むなりでお金を稼いで貰うんです。
資本があれば可能です」
「なるほど。
アレスト興業舎では子供達を集めて読み書きを教え、出来るようになった子から採用しておりましたな。
それと同じことですか」
あ、あれってそういうことになるのか。
何だ、もうやっていたんじゃないか。
俺が一人で納得していると、ハマオルさんが躊躇いがちに言った。
「実は、シルレラ様にお仕えしたいと考えている者は中央護衛隊に限定されているわけではありません。
武芸や護衛術だけでなく兵部省で事務をとっていたり、護衛隊の行動計画や物資調達などの手配を専門とする者もおります。
それ以外にも、各省に下っ端ですが実務を専門として勤務している者も多いわけです。
その者たちも、ヤジマ商会で迎え入れるわけには参りませんでしょうか?」
もちろん難しいことは承知しております、と言い訳するハマオルさんを手で制して、俺は頷いた。
「判りました。
ちょっと計画を練ってみます。
ところで、その人たちと連絡はつきますか?」
「既に連絡ルートが出来ておりますので、時間はかかりますが可能です」
うん。
いいね。
俺はサンドイッチの残りを無意識に詰め込んでから、ハマオルさんにお茶の礼を言って寝室に戻った。
気がついたら朝だった。
庭に出て行くと、ハマオルさんが静かに瞑想していた。
凄いよね、この人。
一緒に日課のジョギングと示現流モドキの練習をやってから、シャワーを浴びる。
ちなみに、ハマオルさんには俺の知っている限りの示現流の事を話したが、ハマオルさんが言うには破壊力は抜群でも護衛任務には使えないということだった。
それはそうだよな。
防御を無視して相手を粉砕する剣術だもん。
誰かを守るための武芸としては最低だ。
でも、俺みたいにとりあえず自分の身を守って逃げるための技術としては優れているので、このまま鍛えていけばいいだろうという話になり、訓練を続けている。
前に、試しにハマオルさんにも示現流を真似て貰ったら、一撃でかなり太い木を粉砕したもんね。
訓練する必要ないじゃん。
朝飯を食い終わった頃にジェイルくんが来たので、昨日の事を詫びてから思いついた企画を話す。
名付けて「学校を作ろう」計画。
最初は怪訝な顔をしていたジェイルくんだったが、すぐにその可能性に気がついたようだった。
「つまり、ハスィー様たちが通われた『学校』を民間で立ち上げようということですか」
「王太子を教育しようというんじゃないから、あれほどの規模と密度でやるつもりはないんだ。
最初は基礎訓練レベルでもいいと思う。
まずは、アレスト興業舎でやっていた青空教室やホトウズブートキャンプの再現かな」
ホトウズブートキャンプで判るのかと思ったけど、きちんと伝わったらしい。
凄いぞ魔素翻訳。
「ううむ。
確かに、もう既に実績があるわけですね。
効果も実証されている。
おまけに費用もあまりかからない、と」
「教官の当てもついているしね。
あと、これはハマオルさんから聞いたんだけど、シルさんの配下になりたがっている帝国の官僚の人たちが力になってくれるかもしれない。
文系というか、知識や見識を教えるコースも作れるんじゃないかな」
自分で考えたように俺が言うと、ジェイルくんはニヤリと笑った。
「さすがマコトさんですね。
いつも思うんですが、どうやったらそんな最適な人材をいとも簡単に用意できるんですか?
しかもこんなに短時間で。
いや、ハマオルさんの場合は難民を救助した頃から繋がっているのか……」
遠くに行きそうになったので、俺は無理矢理引き戻した。
「そういうわけで、至急企画を立ててくれない?
民間学校計画とでも銘うって」
「『学校』という名前をそのまま使うのはまずいかもしれません。
莫大な費用がかかることが知れ渡っていますから。
出資者が二の足を踏む恐れが」
「じゃあ、適当な名前でいいから」
ジェイルくんは、ちょっと考えてから膝を打った。
「判りました。
せっかく『学校』というネームバリューがあるのに、使わない手はないですしね。
規模を縮小した学校ということで、『小学校』にしましょう」
いやそれ、ちょっと意味が違ってくる気がするけど。
でもまあ、青空教室がそうだったしなあ。
こっちにはそんなのないんだから、いいか。
「いやあ、楽しみですね。
これは大きな商売になりますよ!
いずれ、中学校、大学校と発展させていきましょう」
それかよ!




