1.猫の人?
「まあ、どうぞ」
「すまぬな」
俺がソファーを勧めると、猫は頷いてひょいっと飛び乗った。
そのままきちんとした姿勢で俺と対峙する。
背筋が伸びているな。
猫の正座って奴?
俺は猫と向かい合って座った。
動揺は何とか押さえ込んだが、非現実感が凄い。
だって猫だよ!
普通、ゴロゴロ言って寝ているだけだろうが!
だが、ニャーとしか聞こえないんだけど、明確な意志というか言葉が伝わってくる。
人間並だ。
初めて会った時のフクロオオカミの長老もそうだったけど、こっちの世界では動物? も歳をとって経験を積むと凄いことになるらしい。
「ところでお名前は?」
「ああ、これは失礼。
わしはニャルーという」
名前も猫だ。
「とんと覚えがないのだが、幼少期にそのような鳴き声だったそうで、いつの間にかそう呼ばれておった」
名前の付け方は、地球とあまり変わらないな。
ていうか、名前って誰がつけるんだ?
まあいい。
「私はヤジママコトです。
よろしくお願いします」
「近衛騎士殿なのであろう。
わしに謙る必要はないよ。
たかが猫だ」
調子が狂うなあ。
物わかりが良すぎるだろう。
ラノベだと、動物や魔物が口をきく時は、もっと横柄だったり高飛車だったりするものだが。
いや、ラノベじゃないけど。
「先ほど、雇って欲しいというような事を言われましたが」
「おお、そうじゃ。
実は……」
ニャルーさんが言いかけた時、ノックの音がした。
「何だ?」
御者の小僧が、お盆を持って入ってきた。
「失礼します。
アドナ・ヨランド様とおっしゃるご婦人がお目通りを願っておりますが、いかがいたしましょうか」
そう言いながら、お盆を差し出す。
お盆の上には、小さな板が載っていた。
手に取ってみると、細かい彫刻が刻まれている。
これはこっちの名刺で、前にも言ったけどかなり高価なものだ。
つまり、これを渡してくるということは持ち主が貴族か、もしくは相当裕福な人ということになる。
でも、約束もなしにいきなりとはなあ。
貴族相手だと、かなり失礼な行為になるぞ。
どうしようかと迷っていると、ニャルーさんが言った。
「アドナはわしの連れじゃ。
わしが急いてしまったせいで、泡くって駆けつけて来たのじゃろうな」
ほっほっほ、と越後のちりめん問屋のご隠居のように笑うニャルーさんを前に、俺は頭を抱えた。
そういうことか。
「いいよ。
こっちに通して。
あ、それから何か飲み物を3人分ね」
「かしこまりました」
さすがこっちの世界の小僧。
猫が話してもまったく動じない。
しかも学習している。
きちんと給仕の仕事が出来ているではないか。
でも、こういう仕事は彼の本来の業務じゃないんだけどな。
やっぱメイドさんみたいな人は雇いたい。
小僧が出て行くと、俺とニャルーさんは会話を再開した。
「アドナはわしの同居人での。
いや、わしがアドナの同居人というべきか。
アドナの物心がついた頃から一緒に暮らしておる」
「アドナさんは何を?」
「学者の卵じゃな。
アドナの祖父は歴史学者で、近衛騎士じゃ」
ほお。
つまりあれか。
ソラージュの学術界における長年の功績を称えて近衛騎士に任じられたという口か。
文化勲章の受章者みたいなものだから、相当お歳を召していらっしゃるわけね。
「もっともアドナの父は貿易商での。
学問にはとんと興味を示さぬもので、アドナが祖父の跡を継ぐことになったわけじゃ」
ああ、そういうのよくあるよね。
でもそれはいい。
問題はニャルーさんだ。
だって猫だよ!
ちょっとでかいけど、見た目は普通の猫なんだよ。
三毛猫だ。
ということは雌か?
「失礼します」
ノックの音がして、返事を待たずにドアを開けて踏み込んできた人がいた。
「ニャルー。
いるの?」
「おるよ。
遅かったの」
平然と応えるニャルーさん。
この落ち着きは見習いたいものだな。
入ってきた人は、その場でほっとため息をつくと、俺を見て慌てて腰を折った。
「ヤジママコト近衛騎士様でいらっしゃいますね?
失礼いたしました。
アドナ・ヨランドと申します。
突然のご訪問をお許しいただき、ありがとうございます」
慌ててはいるらしいけど、口調はおっとりしていて、癒し系だ。
公爵令嬢モードのユマ姫にちょっと似ている。
ユマ閣下の場合は、その裏に怪物が透けて見えるんだけど、アドナさんは見たまんまだ。
こういうタイプの令嬢も初めてかもしれない。
美人だ。
瞳は黒。
栗色の髪を頭の上で結っていて、服はゆったりとした上下のツナギだ。
つまり、女性の仕事着、もしくは外出着だね。
むしろ男っぽい恰好なんだけど、見間違えようもなく女性だ。
二十歳くらいか。
男の娘じゃないよね?
「アドナは女性じゃよ。
ついでにわしも雌じゃ」
こっちの世界では、猫まで読心術を使うのか。
「ヤジママコトです。
ヤジマは家名ですので、マコトとお呼び下さい。
まあ、どうぞ」
「失礼します」
俺の誘導に従って、アドナさんはニャルーさんの隣に腰を下ろした。
「ニャルーがいきなり押し掛けて申し訳ありません。
今日は、お約束だけでもと思って来たのですが、ニャルーが塀を越えて入り込んでしまって」
「そんな悠長なことをしておる暇があるものか。
いつ、わしのお迎えが来るかわからんぞ」
やっぱニャルーさんの先走りか。
猫だからなあ。
塀なんかひとっ飛びだろう。
裏から回り込んで、応接室に直接突入してきたと。
「ニャルーから何か聞かれました?」
「あまり詳しくは。
何でも、雇用して欲しいとおっしゃっておられましたが」
アドナさんはまた頭を下げた。
「重ね重ね失礼を。
ニャルーはとても頭が良いのですが、自己中心で思いついたらすぐに行動してしまうのです」
猫だからな。
いくら頭が良くても、性質までは変えられまい。
「それはアドナも同じじゃろうが。
そもそもマコト殿を訪ねようと言い出したのは、アドナの方じゃぞ」
「私はもっと計画を練ってからにしようと」
いいコンビだな。
どっちかというとお笑いの方だけど。
「まあ、今のところ他に約束もないので、お話をお聞きしますよ」
ただし、聞くだけだけど。
ジェイルくんがいないから、ここでうかつに約束なんかできないからね。
でも正直、興味はあるんだよな。
だって、俺こっちの世界に来てから猫を見たのは初めてなんだよ。
いないのかと思っていたけど、ちゃんと存在していたわけだ。
しかも、人間と同居していると。
飼われているんじゃなさそうだし。
つまり、ボルノさんみたいな奴隷としてじゃなくて、ちゃんと人間と協力体制を築いて生活しているということだよね?
ニャルーさんとは普通に会話できるし、雇って貰いたいなどと言い出すことからして、抽象的な概念も理解できている。
つまり、こっちでは猫にも人権? が認められているのだ。
猫を殺したり虐めたりすると祟るというけど、こっちでは犯罪になってしまうのかもしれないな。
動物愛護とかじゃなくて、知性ある生物への迫害という罪で。
何てこった。
もう、まるきりドリトル先生じゃないか!
これからどうなっちゃうんだ?




