22.貴族名鑑?
仕事が速いジェイルくんは、翌朝にはさっそく募集条件をまとめてきた。
こんな部下がいたら、管理職は出世するぞ。
その前に追い抜かれるだろうけど。
「接待要員が数名に、後は事務処理が出来る人ですね。
秘書役はソラルさんがやれますが、彼女をリーダーとしてこちらも2、3人は揃えましょう。
マコトさんのご希望はありますか?」
書類を広げて説明するジェイルくんに、俺は昨日風呂に入っている時に思いついたことを言った。
「そのことなんだけどさ。
俺が会う人たちって、アレスト市のことには詳しくないんだよね?」
「そうですね。
そもそも、アレスト市の名前は今回のことで初めて聞いた、という方がほとんどでしょう」
「だったら俺がいくら言葉で説明しても、よく判らないんじゃないかな。
だからツアーを組んだらいいんじゃないかと思って」
ジェイルくんは眉を上げた。
ホントにそういう表情ってあるんだ。
イケメンがやると、実に様になる。
韓流のスター見てるみたいだぞ、おい。
「ツアーですか?」
「うん。
俺のいた所では、お客さんに実際に見て貰うために、顧客候補がある程度集まったら、費用こっち持ちで現地に案内するという接待方法があるんだ」
「ほお」
ジェイルくんの顔つきが変わった。
素早く懐からノートと筆記具を取り出すと、凄いスピードでメモする。
それを見ながら俺はしゃべり続けた。
「うちの場合だと、フクロオオカミとかサーカスとか言ってもイメージしにくいだろう。
だから、ちょっと遠いけど遊びがてら視察に行って貰う方法もありなんじゃないかと思ってね。
本当はサーカス団にこっちに来て貰えばいいんだろうけど、今のところ無理だろう?」
「そうですね。
まず現時点では王政府の許可が下りないでしょう。
少なくともこちらでの興業は無理ですね。
それに、野生動物との協定は、地域限定なんです。
王都周辺には、そもそも野生動物がほとんどいませんから」
話しながらもペンは目にも留まらないスピードで動いている。
「なるほど。
確かにそうですね。具体的な証拠がないと、なかなか出資しようなどとまでは決意できませんね……」
何か考えついたみたいだな。
これでよし、と。
俺の場合、周りが優秀すぎて自分で考えなくても話が進むんだよな。
そもそもアレスト興業舎だって、俺が何気なくドリトル先生の話をしただけであんなことになってしまったわけだし。
俺はトリガーなだけで、後は勝手に発展するのだ。
「判りました。
すぐには無理ですが、検討しましょう。
一応アレスト興業舎の物販品などは持ち込んでますし、必要なら取り寄せられますから、何でも言ってください」
「そうだね。
フクロオオカミに来て貰ってもいいんだよね」
ジェイルくんの手が止まった。
「そうか。
興業じゃなくてもいいんだ。
雇用者としてなら!」
ジェイルくんは、興奮してブツブツ呟き始める。
あ、これはもうほっといてもいいかな。
アレスト興業舎って、大体このパターンで話が進んだりでかくなったりするからな。
俺が妄言を吐いて、それを聞いた人が誤解して。
だが、さすがにデキる男であるジェイルくんだった。
すぐに落ち着きを取り戻すと、いい笑顔で俺に言った。
「ありがとうございます。
何とかなりそうです。
で、ヤジマ商会で雇用する人の事ですが」
この切り替えの早さ。
「特に希望はないので、人件費で赤字にならないようにして貰えれば」
「了解です。
では明日の午後、ギルドに行きましょう」
え?
俺が?
「はい。
ヤジマ商会の従業員の募集ですし、これからのことを考えるとギルドとの顔つなぎもしておいた方がいいかと。
マコトさんご自身も王都のギルドの雰囲気に慣れておいた方がいいです。
噂の近衛騎士の商会だというので、ギルドでも興味津々らしく」
何それ。
嫌だなあ。
また好奇の視線に曝されたり、いきなりその場で商談が始まったりするんじゃないの?
まあ、ジェイルくんが奨めるのならいいか。
よく判らないけど、こういうことのプロだしな。
商談についても、いざとなったら昨日みたいにジェイルくんを後詰めにして逃げればいいし。
「判った。
昼飯の後?」
「はい。迎えに来ますのでよろしく」
ジェイルくんは、さっさと出て行ってしまった。
人の三倍は働く男だ。
アレスト興業舎のイケメン彗星と呼ぼう。
俺はというと、朝の体操とジョギングを終えたらもうやることがないんだよね。
こういう時は絵本でも読んで字を覚えるべきなんだが、アレスト興業舎の備品だから全部置いてきてしまった。
それに、正直もう絵本にはうんざりしているというか、飽きた。
結構難しい字も読めるようになっているしな。
そろそろ字だけの本に挑戦してもいいかもしれない。
実を言えば、前にもそう思ってユマ閣下に相談したことがあったんだけどね。
人選を誤った。
小学生が夏休みの自由研究について、東大大学院の教授に相談するようなものだったな。
ソラージュの歴史書とか当代の有名な探検家の旅行記とかを持ち出されて、慌ててもうちょっと簡単なのを、と頼んだら貴族名鑑が出てきたのには参った。
いや、それは簡単と言えば簡単だよ。
貴族の出自とか系譜とかしか載ってないし、同じような単語が繰り返し出てくるだけだし。
でも、読んでいても何のイメージも湧かないんだよね。
俺は貴族のことを何も知らないから。
せめて姿絵や似顔絵でもついていればいいんだけど、まったくなし。
そういう発想がない。
いや、それは地球でも同じだけど。
断りたかったけど、王都では絶対に必要になりますから、と無理矢理持たされてしまった。
困るんだよなあ。
あんな辞書みたいに重くてでかい本は。
物凄く高価で、ユマ閣下の所有物なのでないがしろには出来ないし。
何でもユマ閣下は「学校」時代に退屈しのぎに全部覚えたらしい。
もういらないからと貸してくれたんだけどね。
そんなスーパーマンみたいな人に、俺の気持ちが判ってたまるか!
でも後で、まさしく辞書的に使えばいいことに気がついたんだよね。
ふと思いついてアレスト伯爵閣下を調べてみたら、ちゃんとあった。
やたらに長いので拾い読みしてみたら、アレスト家の系譜も載っていて、係累としてハスィーさんまで記載されている。
こういうたぐいの本って、数年ごとに更新されるんだろうから、載っていないとまずいんだけど。
それでも、貴族というものがどういうものなのかが少し判った。
歴史と伝統なんだよな。
世襲してこその貴族だから、貴族はみんな自分の家の存続を第一義に考えることになる。
家系断絶のリスク回避が最優先だ。
アレスト伯爵閣下の気持ちも今になってみると判る。
ハスィーさんは、まさしく異端児だったわけだ。
ちなみに貴族名鑑には近衛騎士も載っていたので探してみたら、ノール司法補佐官の項目もあった。
あの人、随分前から近衛騎士だったんだな。
前にも聞いたけど、ララネル家の護衛だったノールさんは公爵の薦めで王都の武道大会などに出て、何度も優勝したらしい。
その功をもって近衛騎士に叙任。
ユマ閣下との関係は判らないけど、歳からみておそらくユマ閣下の護衛兼教育係だったのではないかと思える。
というのは、貴族名鑑を読んで初めて知ったけど、ノールさんって王都の中央騎士団出身なのだ。
アレスト興業舎郵便課のロッドさんの先輩で、つまりはもと国家公務員上級職のエリートだ。
だから文武両道。
ララネル公爵領の騎士団に配属されたところを引っこ抜かれ、以来ララネル家のために、ということか。
そういう径路で近衛騎士になった人はほとんどいないそうで、だから一部では有名らしい。
凄いな。
そんな人に同僚とか言われた俺ってどうよ?




