2.家庭教師?
とはいえ正式に王政府に挨拶? するまでは、俺は今のホテルから動けない。
屋敷については、ジェイルくんやソラルちゃんが準備しておいてくれることになった。
俺は王政府の召還に応じたその足で、新しい住居に向かうことになる。
当然だが、自分の足でではない。
行きも帰りもアレスト興業舎の豪華な……まあ、貴族としてはむしろ地味らしいんだけど……あの馬車でだ。
ちなみに俺が使う馬車の御者を務めてくれている2人は、そのままあの屋敷に住み込むことになったらしい。
普段はあそこからアレスト興業舎の出張所に通って仕事をして、俺の外出がある時には御者になるというわけだ。
日本だとまだ中学生くらいなのにね。
厳しい世界だ。
でも彼らはそんなこと知らないので、アレスト興業舎のような優良企業に採用されて、近衛騎士とはいえ貴族の配下として働けることをひたすら喜んでいた。
本人達が言うには、今でも信じられないほどの幸運なのだそうだ。
「本当なら俺……私たちは、文盲のままアレスト市を彷徨くか、郊外の畑で来る日も来る日も土を掘り起こしているはずなんです」
「それが、今では見習いとはいえギルド関連団体の職員として働けるだけでなく、マコトさんの馬車の御者ですよ!
王都にまで来られて、僕……私はもう、一生分の幸運を使い果たしたんじゃないかと」
気が滅入るなあ。
何か俺がブラック企業の経営者として、いたいけな中学生を騙しているような気分になってきたじゃないか。
これがこっちの世界の常識なんだってことは判っているんだが、子供に真顔でこんなことを言われると、恥ずかしいというか申し訳ないというか。
でもどうしようもない。
出来ないことに悩んでも仕方がないよね。
考えないようにしよう。
「マコトさん。
来ました」
そうか、やっとか。
「いつですか?」
「明日です」
いきなりかよ。
そういうのが権力者のやり方なんだろうけどね。
まあいい。
これが終われば俺はフリーになり、一息つけるだろう。
色々忙しくて、まだ王都観光もしてないしな。
フレアちゃんに頼んでみるか。
「私もまだよく判らないんです。
でもいい機会なので、王都見物したいです。
ヒューリアに頼んでみますね」
フレアちゃん、何か素直になってないか?
ていうか、こっちが地か。
最初に遭った時はテンパッていたのかもしれない。
敬愛する姉の指示とはいえ会ったこともない男、それも貴族とは名ばかりの平民あがりの近衛騎士と接触しなければならないんだから、その気持ちはわかる。
同じ帝国皇女とは言ってもシルさんとは段違いだ。
それもそうか。
何せ、フレアちゃんは正統の皇女様なのだ。
皇女として生まれ、皇女として育ってきたわけで、ひょっとしたら街に出てきたのはこの機会が初めてかも。
よく思い切ったな。
いや、帝国を離れてほとんど知り合いもいないソラージュなんかに、しかも一人で来るとは。
それだけのシルさんが信頼されているのだろう。
フレアちゃんだけではなくて、その母親にも。
「ヒューリアが言うには、やはり王政府に出頭してからの方がいいらしいです。
ここで何かあったら」
「判った。
大人しくしています」
まあ、いいか。
俺はそれからホテルで、フレアちゃんに字を教わって過ごした。
フレアちゃんは、皇族らしく帝国の公用言語だけではなく、ソラージュや他の国の言葉も一通り習っているそうだ。
魔素翻訳があるので、外国の言葉の習得は必ずしも必須ではないけれど、やはり外国語文盲と思われたら皇族として恥になるらしい。
「といっても、契約書や公用文書をすらすら読み書きできるほどではないのですけれど。
本などは大体読めます」
「それは凄いね。
いずれ教えて欲しいな」
「喜んで」
家庭教師ゲット。
いや、むしろフレアちゃんをアレスト興業舎で雇えないかな?
通訳(読み書き)として。
この思いつきをジェイルくんに相談してみたが、難しいとのことだった。
「能力の有る無しではなくて、帝国皇女というご身分が問題です。
何かあった時に外交問題になってしまうかもしれません」
「それは組織として?」
「そうですね。
いっそ、マコトさん個人が雇ったらいかがですか?
正式雇用というよりは手伝いとかアルバイト感覚で。
貴族同士、そういう形で協力するのはよくあることと聞いています」
こっちにもアルバイトってあるんだ。
じゃなくて。
なるほど。
シルさんの命令でフレアちゃんは俺の庇護下に入ることになるらしいから、むしろそうやって雇用関係にあった方が自然に見えるか。
というより、王国の近衛騎士(婚約中)が、何の関係もないのに若い未婚の帝国皇女を連れ歩いていたら、そっちの方が大問題ではないか。
フレアちゃんは快諾してくれた。
「私もただお世話になっているだけでは心苦しいです。
少しでもお役に立てるなら。
それに」
「それに?」
「お仕事って、一度やってみたかったのです。
シルレラお姉様からお話を聞いてはいるのですが、大変なことでしょう。
その苦労も知らずに、将来お姉様のお役に立つことなどできるはずがありません」
フレアちゃんってシスコン? だったっけ。
しかし「お姉様のお役に立つ」という台詞は考えようによっては不気味だ。
シルさんだからなあ。
やっぱり覇道?
血塗られた道を行ったりする?
怖いから、聞くのを止めた。
フレアちゃんの給料は、本人は辞退したのだがそういうわけにもいかないので、アレスト興行舎の見習い舎員と同じになった。
俺にしてみれば、ほんの小遣い程度なんだけどね。
ヒューリアさんの話では、フレアちゃんは帝国を出る時に一財産持たされているらしく、経済的にはまったく困っていない。
そもそもバレル男爵家がバックについているので、お金のことなんかアウトオブ眼中なんだろうな。
ただ本人は「これはシルレラお姉様が立たれる時の軍資金です」と言い張って使わないので、帝国皇女とは思えない質実剛健な生活をおくっていたらしい。
「まあ、フレアにとってはいい経験だとは思うのです。
好きにさせてやって下さい」
何事も経験だよね。
翌日。
ついに出頭の時が来た。
俺は朝起きると日課のジョギングおよび示現流もどきの練習をこなし、部屋に帰ってきて水を被った。
いつも、お湯を頼むのを忘れるんだよね。
身体を乾かしながらルームサービスの朝飯を食い、昨日のうちにジェイル君が用意してくれたアレスト興業舎の儀礼服(上級職用)を身につけて待つ。
赤い腕章も忘れずに。
俺は、ララネル公爵家の近衛騎士として出頭するので、騎士服の方がいいのではないかと思って聞いてみたのだが、ユマ閣下が言うには「そんなことはない」そうだ。
近衛騎士は自由で、ララネル家から手当が出ていたとしても、別にララネル家に所属しているというわけではないらしい。
従ってララネル家の制服? を着る必要もないわけで、どうしてもというのなら取り寄せますが、と言われたが固辞した。
困ってラナエ嬢に相談したところ、やはりアレスト興業舎の制服が良いでしょうと言われたんだよね。
現時点では、あまりどこかの貴族の色が付いていることを大っぴらにしない方がいいらしい。
もちろんララネル家が叙任したので、どうしても紐付きには見えるんだけど、この時点で完全に取り込まれてしまっているように思われるのは得策ではないとか。
何の得策だよ?
その点、アレスト興業舎は民間企業だから中立で、それどころか俺がアレスト興業舎を支配している、とまではいかなくても少なくともバックにつけていると思われる可能性もある。
少なくとも所属はしているんだし。
孤立無援の寂しい近衛騎士ではないことが示せるので、ちょうどいいでしょうと言われて押しつけられたんだけどね。
俺をどうプロデュースしようとしているのか知らないけど、そんなに上手くいくとは思わないで欲しいな。
ぺーぺーのサラリーマンのヘタレを舐めるな!
「おはようございます。
では行きましょうか」
ジェイルくん、クールだね。
ちなみに、出頭には従者を1名だけ連れて行ってもいいことになっているということで、ジェイルくんに頼んだら快諾してくれた。
秘書という意味だったらソラルちゃんでもいいんだけど、やはり十代の女性を連れて行くのはちょっと。
何か、別の意味で凄い近衛騎士だと思われてしまうかもしれないしな。
例によって俺の馬車がホテルのエントランスに横付けされ、俺とジェイルくんが乗り込む。
ホテルの従業員が頭を下げて見送る中、俺達の馬車はアレスト興行舎のお付きの馬車を従えて出発した。
やだなあ。
でも今日でもう、ここに戻ってこないのかと思うとほっとする。
自分がいかに庶民か、思い知ったもんね。
出会う人全員が頭を下げるんだぜ。
全然落ち着けなかった。
ラノベの主人公たちって、よくこんな状況に耐えられるな。
貴族って気苦労ばっかだぞ。
「そのうち慣れますよ」
だといいけどな!




