26.インターミッション~ジェイル・クルト~
もともと、大した展望があったわけではなかった。
クルト家の子弟に科せられた義務として幼い頃から商売のことを学んでいたし、一定の年齢になったら他の商人の元で修行するという風習も素直に受け入れた。
次世代のクルト交易のトップを決めるための競争だと言われて、そうなんだろうなと思っていた。
幸い自分はどうやらこの方面に向いていたようで、大抵のことは多少の努力で人並み以上にはこなせたことも大きいと思う。
気がついたら後継者レースではトップ3に入っているらしかった。
このまま行けば多分次の会頭はお前だ、と面と向かって言われたこともある。
だが、それだけだった。
特に感動もなかったし、やる気が出たわけでもない。
そんなもんか、と思っただけだ。
マルト商会では結構危ない橋も渡ったし、ダークサイドの仕事にも多少は関わったけど、それもまた通過儀礼のようなものだった。
特に興奮することもないし、嫌気がさすこともなかった。
マルトさんにも、お前は一体何がしたいのか判らん、と呆れられていたんだけれど。
あの日、初めてマコトさんを見た時の衝撃は忘れられない。
スウォークの遺体を使って禁忌を偽装するという、普通の人ならそれだけで一生のトラウマになりそうな荒事をこなしたというその記憶ですら、マコトさんの前では色褪せる。
見たこともない上等な服を身に纏い、自然体で街道を歩いてきたその人は、僕のすべてを変えてしまった。
『迷い人』。
話には聞いていたけれど、眉唾だと思っていた。
実際、自分の目で見ても信じられなかった。
何と言ったらいいんだろう。
生まれてからずっと暗闇で生活していた人が、突然太陽を見たような状態?
もちろん、マコトさんは太陽ではないし、僕も暗闇で過ごしてきたわけではない。
だけど、本当にマコトさんに遭う前と後とでは、僕の人生の方針がまったく違ってしまったことは事実だ。
これが僕だけなのか、あるいは普遍的な現象なのかどうかは判らない。
だけど、あのマルトさんですら最初からマコトさんに肩入れしていた。
ハスィー様や『栄冠の空』のシル・コット、いや帝国皇女のシルレラ様も、出会った瞬間からマコトさんに夢中だ。
いや、夢中というのは正しくないか。
寝ても覚めても一直線というわけではないのだ。
ただ、何事についても優先順位的に最初に来るというだけだ。
マルトさんの娘のソラルさんも僕と同じらしく、アレスト興業舎に関わるチャンスがあった途端に入舎を希望していた。
マルト商会を継ぐという目的を忘れたわけではないらしいが、そのためにマコトさんから離れるなどということは考えられないのだろう。
僕がそうだから、よく判る。
不思議なことにソラルさんを見ていても、マコトさんに対する恋情というような想いは、あんまり見えないんだよね。
そういった感情とは別の所で、マコトさんに引かれているのだと思う。
僕がそうだから。
引かれている、これが正しい表現なんだろうな。
僕にしてもマコトさんに惚れたとか、いやつまりエロス的にということはまったくない。噂には聞いているが、僕にはその方向性は皆無だし、マコトさんだってそうだろう。
心意気に惚れたというわけでもない。
マコトさん自身は、どちらかというと事なかれ主義で、自分から何かをしようとすることはほとんどない。
基本的にめんどくさがりで、嫌なことからは逃げるタイプだ。
だが、本当に大事な場合は逃げない。
これは男として、いや人間としては一番大切なことだと思うし、僕がマコトさんを好きな理由の一つではある。
でも何度も言うけれど、だからといってマコトさんに心酔したとか、男として惚れたとか、そういうわけではないのだ。
凄い人、という意味でなら例えばマルトさんやレト支部長、あるいはユマ司法官などは本当に凄いと思うし、憧れる。
もっと成長して、近づきたいと思える人たちではあるのだけれど、だからといって引きつけられるというわけではない。
増して、力になりたいとか、目に留めて欲しいというような感情は湧かないんだけれど、マコトさんの場合はどうしようもなく、そうなるのだ。
マコトさんには経営センスや運がどうのという説明をしたけど、例えマコトさんにそんなものがなかったとしたって同じだったと思う。
うまく表現できないけれど、まとめるとこういうことになる。
マコトさんの行く道を均したい。
障害物を排除したい。
楯になりたい。
そういうことだ。
マコトさんが何をするにしても、応援したいだけなのだ。
例えば有りそうにもないけれど、マコトさんがソラージュや帝国を滅ぼして新しい国を作るというのなら、僕はそれに協力する。
表には立たず、裏から世界を支配するというのなら、流通や交易は任せて貰おう。
それともハスィー様とご結婚されて、どこかで静かに暮らしたいということなら、世界のすべての干渉を力の限りシャットアウトしてみせる。
何でもいいのだ。
そうしたいからするだけだ。
だが、そのためにはまず僕自身の力が必要だ。
悩ましい所ではある。
手っ取り早く力をつけるには、クルト交易の会頭の座を手に入れるのが一番なんだけど、そのためにマコトさんのそばから離れるとしたら本末転倒だから。
まだ時間はあるから、ゆっくり考えよう。
僕の野望はただひとつ。
マコトさんについて行きたい。
それだけだ。
間違いなく、僕だけじゃないのがちょっと悔しいけれどね。




