18.イザカヤ?
一部、意味不明な言葉が聞こえたけど、とりあえずスルーする。
唖然としたまま、再びソファーに腰を下ろすと、アレスト伯爵家のご家族の方々も思い思いに席についていた。
席といっても、ただソファーに座っただけなんだけどね。
俺の正面にアレスト伯爵夫妻が収まり、その左隣が前アレスト伯爵夫妻、右が次期アレスト伯爵のご一家だ。
なんかもう、ただそれだけで絢爛豪華な王朝絵巻か何かを見ているような気分になってくる。
「アレスト家には、まだハスィーやフロイの姉が2人ほどいるのだが、嫁に行ってしまってね。
現在は王都にいないので、お引き合わせできなかった。
後ほど機会を作るので、勘弁していただきたい」
何を勘弁するのでしょうか。
ていうか、ホントに何の集まりなのこれ?
いや、さっきのアレスト伯爵閣下の言葉から、ある程度は想像がつくんだけど。
聞けない。
それ以前に、俺には全然そういう話が伝わってないんですが。
脂汗をかきながら隣のジェイルくんを見ると、意外にもジェイルくんは平然としていた。
俺に向かって頷いてくるけど、何の意味?
あ、こいつ何か知っているな?
どうしてくれようか。
じゃなくて、教えてくれよ!
「何はともあれ、食事だ。
お祝いはその後ということで」
アレスト伯爵が言うと同時に、ドアが開いてメイドの皆さんが料理を運んできた。
メイドというからには当然だが、全員女性である。
ついでに言うと、全員人間だった。
メイドと言っても、こっちの世界ではみんなピシッとしたツナギのような、活動的な服を着ている。
俺は別にメイド服に関心はないけど、でもやっぱり綺麗な女性が男の恰好で給仕するのはちょっと違和感があるな。
言ってもどうにもならないから、別にいいんだけどね。
中央のテーブルの上に、大皿料理が次々に並んでいく。
各自の前には取り皿まで運ばれてきた。
完全に、居酒屋形式だ。
「いや、こんなやり方で食事が出来るとは思いませんでした」
フロイさんが、妻と息子のために手早く料理を取り分けながら言った。
「妹の手紙を読んだ時には、何を馬鹿な、と思ったんですが、確かにこうやって同じお皿から食べる分だけ取り分ければ、各自が必要なだけ摂れますね。
合理的です」
そういうフロイさんは、家族の摂り分を勝手に決めているみたいですが。
でもまあ、ユリタニアさんはフレロンドくんを抱いていて手が使えないし、フレロンドくんは自分で食い物を選べないんだから、確かに合理的ではありますよね。
「公式のディナーなどでは出来ないがな。
とはいえ、家族や仲間内での食事としては、この方式に勝る物はないだろう。
マコト殿、貴君の国は文化的に随分洗練されているようだな」
フルー・前アレスト伯爵閣下が、自分でサラダをよそおいながら言った。
「はあ。
恐縮です」
「本当に。
他家などにお招きいただいた時には失礼なのですが、この歳になると出されたものをすべて頂くのに苦労することがありますの」
ライネ様が、スープをカップにたっぷりと注ぎつつ言った。
「ですから、この方法はとてもありがたいですわ。
好きなものを、好きなだけ頂けるわけですから」
それ、ひょっとしたら偏食なのではありませんか。
「マコト殿、手が止まっているぞ。
さあ、もっと食べて食べて」
アレスト伯爵閣下に叱咤されて、俺はようやくテーブルに目を向けた。
だって、アレスト伯爵家の皆様は、まさに眼福なのだ。
見ているだけで天国にいるような気分になる。
お腹いっぱい。
でも、とりあえず目の前にあった魚料理を口に入れてみると、これがまたメチャクチャに美味い。
ひょっとしたら、あの『楽園の花』に匹敵するかもしれないぞ。
それもランチじゃなくて、もっと高い料理の方とタメを張るかも。
それからは手が出る手が出る。
片っ端から試してみて、判ったことがある。
アレスト伯爵家の料理人は、神だ。
本物の貴族の屋敷の料理人って、ここまで行くんだなあ。
悪いけど、ハスィーさんの家で料理を作ってくれていたコフさんは、これほどまでの腕はなかったと思う。
まあ、食材も違うのだろうけど、やはり伯爵本邸と別邸とではコックも段違いということだろう。
いや、コフさんの腕が悪いというわけではないんだけどね。
あの人は、時々『楽園の花』で手伝いをしているという話だったから。
でも、例えば『楽園の花』の料理長と、その手伝いとではかなり差があるということだ。
しまった。
こんな飯を食ってしまったら、明日から普通の店には行けなくなってしまうかもしれない。
王都にも『楽園の花』の本店があるという話だから、そっちに入り浸ってエンゲル係数がだだ上がりになってしまうかも。
ふと横を見ると、ジェイルくんも無言で食いまくっていた。
若いからね、お互い。
それで気づいたけど、いつの間にかリビングが静まりかえっている。
あれ?
居酒屋なら、もっと会話が弾むはずだろう?
「いや、いい食べっぷりだな」
「こんなに美味しそうに食べて頂けるなんて、ムアも本望でしょう」
「うむ。
さすがは近衛騎士というところか」
「僕も見習わなければなりませんね」
俺の視線に気づくと、みんなが一斉に話し始めた。
何これ?
観察されていた?
「気を悪くせんでくれ。
貴族というものは、どうも気取ったところが抜けなくてな。
食事をする時は、粛々と儀式のような状態が続くだけなのだ」
「わたくしどもも、イザカヤ形式を導入してから随分食事中のお話しが弾むようになってきたのですが、どうしてもマナー優先……いえ、大人しい食し方になってしまいますの」
恥ずかしい!
田舎者の平民丸出しで食っていたか!
「失礼しました」
「何の。
それが本来のイザカヤ形式というものだろう?
娘の手紙によると、最近ではもと『学校』の仲間たちや帝国の皇女殿下と一緒に、毎晩和気藹々と過ごしているというではないか。
それもすべて、マコト殿が導入されたイザカヤ形式の食事の効果だと書いてあった。
我々も、一刻も早く追いつきたいものだ」
いや、フルー・前アレスト伯爵閣下、そんなものはうかつに導入しない方がいいと思います。
貴族社会でつまはじきにされますよ。
それからは、俺やジェイルくんも食事の速度を緩めて、皆さんの会話にリソースを振り分けた。
俺としたことが、ビジネスの基本を忘れていたぜ。
今の俺は、アレスト伯爵邸で接待されているようなものだが、だからこそ羽目を外してはならない。
円滑な人間関係を構築するためには、まずは相手を不快にさせないことだ。
それがビジネスの基本だ。
いや、仕事じゃなくたって、初めてお会いしてこれから親しくなろうとする方に対しては、最大限のおもてなしの心で接するべきなのだ。
増して、この方々はハスィーさんのご家族だぞ。
今の俺が無事にここにいること自体、ハスィーさんなくしては語れない。
よって、俺は全力を持ってこの人たちを楽しませなければならない。
食事など二の次だ。
なんだけど、やっぱり美味すぎるから、食事を楽しみつつお相手しよう。
大皿の大半が空になり、お茶のお代わりが出た時には、俺達はすっかり寛いでいた。
アレスト伯爵家のご家族が、全員気持ちのいい人たちだったのも大きい。
これほど美形に生まれついたとは思えないほど、皆さん謙虚で気配りができる人たちなんだよね。
この方たちに囲まれて育ったハスィーさんが、素直に真っ直ぐに成長したのも頷ける。
あれほどの美貌を持って生まれてしまったら、家族にもちやほやされて高飛車になっても不思議ではないと思っていたんだけど、そんな所はまったくないからな。
不思議だったんだけど、その謎が解けた。
ご家族も、同レベルの美形だったんだよ。
だから、ハスィーさんは自分が特別だなどとは思っていないのだろう。
「学校」に行った時には、すでにそういった価値観がしっかり根付いていて、美しいというだけで何もかもが許されるわけではないことも悟っていただろうし。
ていうか、ハスィーさんもそうだけど、エルフの人たちってそういう感覚がないのかもしれない。
自分たちが美形過ぎて、美というものに対する感覚が麻痺しているとか。
「ハスィー様は、ギルドの執行委員として立派に務めていらっしゃいます。
それどころか、今回のアレスト興業舎の成功で、大いに株を上げました」
ジェイルくんの話も弾んでいる。
「あの娘がなあ。
昔から、夢のようなことばかり言っていた娘だったが」
「『学校』に行ってから、むしろひどくなったな。
もっとも、変なスキャンダルになってしまったから、我々もあの娘が一人でアレスト市に引きこもることは仕方がないと考えていたのだが」
そうなのか。
そうだよな。
やっぱりどう考えても、未婚の十代の貴族令嬢が一人で故郷に帰ってギルドで働くなどという事態は、よほどの理由がないとあり得ないだろう。
「しかし、結果的には良かったわけです」
アレスト伯爵が、父親である前アレスト伯爵に言った。
「あのまま王都にいても、ハスィーはこの屋敷で腐っていくだけでしたでしょうからね」
「そうだな。
しかもあの噂のせいで、ハスィーに申し込んでくる者と来たら、どいつもこいつも……」
フルーさんが拳を握りしめた。
「ですから、私どもは本当に感謝しておりますのよ、マコトさん」
サエリア様が微笑んでくださった。
眩しい。
ハスィーさんに勝るとも劣らない破壊力だ。
これがアレスト伯爵家か!
「今はまだ内々ですけれど、近いうちに婚約式をしましょうね」
え?
「だが婿入りはならんぞ」
アレスト伯爵閣下が上機嫌で続ける。
「ハスィーは、ヤジマ家で娶って貰いたい。
あの娘もそろそろアレスト家の庇護を離れて、一家の妻として自分の力で夫を盛り立てることを覚えなければいかんのだ」
は?
ヤジマ家?
妻?
なして?




