9.商売ネタ?
身体を拭いていると、いきなり腹が鳴った。
そういえば昼飯がまだだったと気がついたけど、もうみんなとは別れてしまったし、一人で食いに行くしかない。
再びアレスト興業舎の作業服を着て、財布を持ってとりあえず部屋を出る。
廊下や階段は、豪華というほどではないけど清潔で上品だった。
割といいホテルなんだろうな。
貴族様(笑)が泊まるくらいだし。
こっちのホテルのたぐいは、地球のものとほぼ同じ構造だ。
というより、客を泊める施設はどうしてもそうなるけど、入り口の近くにフロントがある。
そこで聞いてみたが、ホテルでは昼飯は出ないということで、近くのレストランを教えて貰った。
その際、お忍びだしたまにはのんびりしたいので、格式が高い店は避けたい旨を伝えておく。
あの『楽園の花』みたいな高級店にばかり行っていたら、さすがの俺でも破産しそうだし。
そういえば、王都にはあの店の本店があるという話だったっけ。
落ち着いたら、一度は行ってみないとな。
フロントが推薦した店は、何とホテルの真向かいにあった。
御用達のようだ。
店の雰囲気も、高級すぎるわけでも下品でもなく、ちょうど良かったのでそこに決める。
俺の服装や人品は怪しまれることなく、適当な席に案内された。
絵本で鍛えた読解力でメニューを見たけど、まだよく判らなかったのでお勧めを頼む。
値段はそこそこだったから、あまり変なものではなさそうだったし。
俺もこっちの世界に慣れてきたなあ。
料理が来るまでぼやっとしていたら、隣の席の男が話しかけてきた。
「いきなりすまないが、ひょっとしてあのホテルに泊まっているのかい?」
俺と同じくらいの歳に見えたが、今の俺よりは上等な服を着ている。
割と裕福そうだ。
敵意がないのは魔素翻訳で判ったから、俺も落ち着いて返せた。
「今日、着いたばかりだよ」
「ああ、失礼した。
僕はムストと言う。
あのホテルの出入りの商人だ」
とりあえず、握手する。
この習慣は、当たり前というわけではないけど、割と裕福な階級の間では広まっているらしい。
やっぱり昔『迷い人』が広めたのかも。
「僕はマコトだ。
王都には来たばかりだ」
フルネームは言わない。
まだ役所に出頭してないしね。
俺の存在が知られているとも思えないけど、用心はした方がいい。
「商用かい?」
「そんなもんかな。
こっちで仕事を探すというか、まだ未定だけど」
言いにくいよね。
自分でもどうなるか判らないし。
でも、とりあえずはアレスト市には戻れないしな。こっちで何とかするしかない。
「そうなのか?
それにしては、あまり焦ってないようだが」
「一応、当てはあるからね。
ところで、何か用があるのか?」
退屈だったから話しかけてきたわけではなあるまい。
俺の脳は「出入りの商人」と魔素翻訳したけど、つまりは商売のネタを探しているんだろう。
「ああ、聞きたいことがあってね。
良ければだけど」
「ここの食事代を持ってくれるのなら、知っていることは話してもいい」
ふざけ半分で言ったら、ムストは乗ってきた。
「いいよ」
いいのか?
「僕は着いたばかりで、何も知らないぞ」
「それでもいい。
君がホテルから出てきたのを見ていたからね。
あそこはかなり格式が高いし、出所があやふやな者が泊まれるホテルじゃない。
少なくとも、君が人品怪しからぬ人物であることは保証されている。
知り合って損はないだろう」
うーん。
気軽に関わって良かったのかな。
でも、悪い奴じゃなさそうだし、後でジェイルくんに身元調査して貰えばいいか。
今日の所は、当たり障りのない付き合いで止めるとして。
うまくいけば、王都に詳しい知り合いを増やせるしな。
「判った。
何を聞きたい?」
ムストと名乗った男は、ウェイターに合図してからテーブルを移ってきた。
慣れているな。
さすがは王都の商人。
「この店の者から聞き出したんだが、今日あのホテルに貴族か大商人の馬車が来たらしいんだ。
荷物を運び入れていたから、おそらく宿泊予定らしいんだが、何か知っているか?」
「その御仁の予定をか?
知るはずないだろう」
俺だって、俺のスケジュールは知らないんだよ。
全部ジェイルくんとソラルちゃん頼りだ。
「そこまでは求めていない。
何か知っていることはあるか」
「貴族が泊まるのは知っているよ。
近衛騎士だ。
従業員が丁寧に挨拶していたからな」
面白くなってきた。
魔素翻訳で嘘はバレるから、本当のことしか言えないんだけど、どこまで誤魔化せるかテストだ。
いや、本当のことだよ?
あの女の子は貴顕に対する礼をしてくれたし。
「近衛騎士か!
ありがたい。それだけでも飯代にはなる」
「商売のネタになるのか?
その程度で」
「知らなければどうしようもないからな。
それに、領地持ちの貴族だったら出入りの業者がいるから、アプローチしても無駄だ。
大商人でも同じだ。
近衛騎士なら、何とかなるかもしれない」
なるほど。
確かに、普通の貴族だったら家ぐるみで御用商人がいるだろう。
今更王都で新しい商人と取引する必要はない。
あったとしても、その御用商人が紐付きを紹介するだろうし。
大商人なら言わずもがなだな。
近衛騎士は領地持ちじゃないし、一代貴族だから、御用商人がいるかどうか怪しいものだ。
そこまで続いていないからね。
しかし、さすが王都だな。
アレスト市なんかとは、比べものにならないくらい商人たちが逞しい。
俺の再就職、というよりは起業も前途多難だな。
「後は何かないか?」
ふと思いついて聞いてみる。
「そっちは他に何か情報はないのか?
関連して思い出すかもしれない」
「そうだな」
ムストは俺をジロジロ見て言った。
「商売人には見えないし、まあいいか。
この店の者の話では、その御仁にはどこかの地方の商隊が付き従っていたというんだ。
大量の荷を運んできたらしくて、馬車が何台も連なっていたそうだ。
つまり、かなり裕福な御仁である可能性が高い」
「そんな商人が付き従っているんだったら、あんたが割り込む隙なんかないんじゃないのか?」
「そいつらは地方の連中に見えたと言っただろう。
つまり、王都には暗いはずだ。
明るいんだったら、貴族に従ってホテルなんかに寄るはずがないからな。
大方、新しく支店を作るために出てきたというところだろう。
その繋ぎはいい商売になりそうだと思わないか?」
凄い。
ほとんど全部、当てやがった。
このムスト、ひょっとしたら物凄く有能な奴なんじゃないのか?
「なるほどね。
面白いな」
「だろう?
今日、ここにいたのはチャンスと見た。
だから、どうにかしてその御仁とお近づきになりたいんだよ。
どうだ、一口噛まないか?」
面白くなってきたな。
口車に乗せられている気はするけど、これほど出来る奴なら、ジェイルくんに紹介してもいいんじゃないのか。
「いいだろう。
近衛騎士はともかく、その商人には繋いでやれる」
もう繋がっているんだけどね。
そこまでは言わない。
「そう言ってくれると思ったよ」
ムストは、満面の笑みをたたえて言った。
「マコト、君の正体は判っているんだ」
ホント?




