6.糾弾?
トニさんの声が残響を残して消えた後、シンと静まりかえった中で、フォムさんが無言で立ち上がった。
ごく自然な動作でスタスタと歩き、ドアを開けて出て行ってしまう。
逃げたな。
俺だって逃げたいよ。
だが、手足が動かない。
口もだ。
あまりにも思いがけない質問だったので、脳が停止してしまったらしい。
そんな俺に対して、トニさんは絶好調だった。
「答えたまえ!
聞くところに寄れば、君は毎晩のようにハスィー様のお宅に通い詰め、夜遅くまで接待を強要しているそうではないか。
そのことが、若い未婚のご令嬢の評判にどう響くか、考えたことはないのかね?」
はあ。
おっしゃる通りです。
ですが。
「しかもだ。最近では、複数の若い未婚の女性を伴っていると聞いたぞ。
その中には、恐れ多くも司法官閣下までいるとか!
賎しくも近衛騎士なら、少しは自重すべきではないのかね?」
その通りです。
すみません。
全然思い当たりませんでした。
上司や部下や主筋の人との夕食会くらいにしか思ってなかったんです。
つい日本と同じように考えてしまって。
私が悪うございました。
俺が思わず土下座しようとした時、シルさんが言った。
「領主代行官殿。
ヤジママコト近衛騎士を侮辱するのは止めていただきたい」
トニさんが、ジロッとシルさんを見る。
「事業部長とか言ったか?
上司を庇っても何にもならんぞ」
「私の名はシルレラ・アライレイ・スミルノ・ホルム。
故あってシル・コットを名乗っているが、ホルム帝国皇女の立場にある」
トニさんが絶句した。
シルさんが続ける。
「こちらはラナエ・ミクファール侯爵公女。
先ほどヤジママコト近衛騎士が紹介したように、我々はアレスト興業舎の職員である。
尚、ラナエ・ミクファール侯爵公女はハスィー・アレスト伯爵公女の『学友』であり、同居人である」
ラナエ嬢は、優雅に頷いた。
扇子か何かで口を隠しているような幻が見えたぜ。
「領主代行官が述べた、ヤジママコト近衛騎士に同行してハスィー・アレスト伯爵公女邸にお邪魔している女性たちとは、私とアレスト市司法官ユマ・ララネル公爵名代である」
トニさんは、凍り付いたように動きを止めていた。
やっぱ脳が停止したんだろうな。
いや、判る気がする。
俺を呼びつけたら、フォムさんはともかく綺麗どころを二人も伴って現れたわけで、激発してしまったのかもしれない。
よほどの女たらしと思われたのか。
でも、代官に呼ばれて女連れでのこのこ出かけますかね?
そんなことも判らないくらい、理性が飛んでしまったんだろうな。
なのに、部下と紹介した女性が二人とも高位貴族(皇族)の姫君だったと。
まあ、普通はそんな立場の人が民間企業で働いているとは思わないよね。
まして、たかが近衛騎士の部下などとは。
だが判ったことがある。
トニさんの立場だと、ハスィー様のことは「アレスト伯爵ご令嬢」という言い方になるはずだ。
だって、自分が領主の代行だとしたら、領主のご令嬢よりは立場が上だからね。
もちろん敬意を忘れてはならないけど、それでも公式の会見で「様」をつけるのは、職務上有り得ない。
でも「ハスィー様」なんだよ。
ハスィー様が言っていたけど、トニさんはアレスト伯爵と昔からの知り合いで、ハスィー様のことも小さい頃からご存知だったと。
しかも、その時の立場は領主代行官の補佐で、アレスト伯爵家は主筋に当たることになる。
幼いハスィー様と遊んであげたこともあったかもしれない。
で、領主代行官になって戻ってきても、その関係は変わっていないんだろうな。
つまり、トニさんの中ではハスィー様はあいかわらずご主人様のご令嬢なのだ。
そんな大切なお嬢様の家に、毎晩男が通っていると聞いたら、それは心配するよなあ。
しかも、複数の女を引っ張り込んでいると。
それだけでも問題なのに、ハスィー様は王都で巻き込まれたスキャンダルのせいで、ご結婚に関しては微妙な立場に立たされている。
もうこれ以上、余計な評判を立てられたくないということで、俺を呼びつけて糾弾したというわけか。
親心だな。
それは判る。
でも、全部誤解なんです。
しかもシルさんのせいで、ますます事態がややこしくなった気がするんですが。
「私、シルレラ・アライレイ・スミルノ・ホルムが保証する。
ヤジママコト近衛騎士は、上司であるアレスト伯爵公女ハスィー・アレストとディナーを供にしているだけである。
ラナエ・ミクファール侯爵公女はもともとハスィー・アレスト伯爵公女と同居している。
私は上司であるハスィー・アレスト伯爵公女のご厚意で、ディナーにお呼ばれすることが多く、たまたまヤジママコト近衛騎士と同席することもある」
「で、ですが司法官閣下は」
「ユマ・ララネル司法官は、わたくしとハスィー・アレストの『学校』の同級生ですわ」
ラナエ嬢が割り込んだ。
「それにユマ・ララネル公爵名代は、ヤジママコト近衛騎士を叙任した方です。
司法官の職務は激務だと聞いております。
たまには、親しい方達とご歓談なされて、日頃の労苦を一時とはいえ忘れたくなるのは当然ではありませんか」
なんか、聞いていると物凄い上流階級の集まりに思えるな。
実際には、女子高生のグループが放課後にファミレスか何かでダベッているのに近いんだけど。
でもまあ、集まった全員が重要な立場で激務をこなしているのは本当だし。
俺以外は。
うーん。あの夕食会って、俺さえいなければしごく真っ当な貴族のサロンになるんだけどなあ。
「以上の事実から、領主代行官の疑念は根拠がなく、これはヤジママコト近衛騎士に対する誹謗中傷であると判断できる。
また、我々に対しても侮辱に当たる。
取り消していただきたい」
シルさん、こういう話し方も平気でできるというか、むしろこっちが本性なんじゃないの?
いや、冒険者のシルさんも本当のシルさんなんだと思うけど。
複雑な人であることは間違いない。
トニさんは、秀でた額に吹き出した汗をハンカチで拭きながら俯いていたが、顔を上げて絞り出すように言った。
「ヤジママコト近衛騎士、今までの暴言を取り消します。申し訳なかった。
シルレラ・アライレイ・スミルノ・ホルム帝国皇女様、およびラナエ・ミクファール侯爵公女殿、重ねて謝罪申し上げる。
つい頭に血が昇って、貴殿たちを侮辱するようなことを言ってしまったようだ。
許していただけるだろうか」
すげえ。
一度聞いただけで、シルさんの皇族名を完璧に覚えたのか。
いやそれはそれとして、その疑念は真っ当なものですから。
俺もこれからは遠慮しないと。
「は、はい。もちろんです。
領主代行官のお言葉、身に染みました。
近衛騎士として、軽率な振る舞いであったことは確かです。
今後は」
ラナエ嬢が割り込んだ。
「ハスィー・アレスト伯爵公女もまた、ギルド・アレスト市支部の執行委員として激務をこなしております。
わたくしからみて、ヤジママコト近衛騎士やわたくしたちとのディナーは、その心労を癒すためには欠かせないものですわ」
続いて、シルさんも皇女モードで主張する。
「ディナーの席上ではしばしば職務上の懸念事項が話題になり、その場で対処の検討が始まることもある。
これによって、問題の対処が迅速に行えたケースも多くある。
そういう点から見ても、ハスィー・アレスト邸でのディナーは今後も欠かせないと見るべきである」
絨毯爆撃って、こういうことだろうか。
何も言えなくなってしまった。
トニさんは、目をしょぼつかせてラナエ嬢とシルさんを交互に見ていたが、がっくりと肩を落として頷いた。
「わかりました。
今後とも、ハスィー様をよろしくお願いします」
ボス、撃破。




