15.クリニック?
郵便班のロッドさんは半日くらいで戻ってきたものの、もちろんそれまでにはツォルの奴は全快していた。
ツォルはほっとくとしてロッドさんの目的の方だけど、いかにフクロオオカミといえどもまだ成長しきっていない若衆では、成人男性を乗せて全行程を走り続けるのは無理だったそうだ。
だがそれが単純に体重の問題だとしたら、子供を使ったウルフライダーは実現可能かもしれない、とロッドさんは力説していた。
狼騎士か。
しかも、乗るのは子供。
厨ニだな。
それはともかく、せっかくフクロオオカミの長老が持たせてくれた薬草は無駄になったわけだが、今後も同じようなことがないとは言えない。
舎長代理権限で、フクロオオカミを診られる医者というか薬剤師をパートタイムで雇うことにした。
ていうか、現状ではそんな人はいないので、これからフクロオオカミ側と相談しながら修行することになるらしい。
もちろん、人間の病気にも対応して貰う。
いずれは医療担当者として常勤にしたいよね。
考えてみれば当たり前だ。
従業員の健康に責任を持つのは、企業の義務だし。
それを言うと、みんなに何か変な目で見られた。
一部は感激してうるうるした目を向けてきたのがウザい。
どうも、こっちの世界では健康は自己責任らしい。
医療関係の考え方も地球とは微妙に違っている。
医者や薬剤師は存在しているが、医者はむしろ外科に特化していて、内科は薬剤師に任されているそうである。
まあ、医者も薬剤師も俺にそう聞こえるというだけで、実態は違うかもしれないけどね。
そういえば、近代以前のヨーロッパでも同じだと聞いたことがあるな。
当時は、医者と言えば外科医で、つまり手足をノコギリで切り落とす役目の者のことだったらしい。
つまり肉屋だ。
そうではない、つまり刃物を持たない医者は「内科医」と呼ばれていて、凄く高給取りだったとか。
診察費も高かったんだろうな。
こっちでは、そうならないように考えないと。
とりあえずジェイルくんが医療班の担当になるということで、ラナエ嬢を交えて話しているうちに、俺はまたしてもドリトル先生の話を思い出してしまった。
ドリトル先生って、動物の医者じゃないか!
すぐに、三番長老のミクスさんに来て貰う。
「フクロオオカミが病気になったり怪我をした時は、どうやって治すんでしょうか」
「病気になった時は、薬草などの知識は代々伝わっておりますから、ある程度は治療できますが。
怪我をしたときは、治るまで引きこもるだけですね」
やっぱりそうか。
野生動物なら当たり前かもしれないが、アレスト興業舎が関わっているのに、それでは駄目だ。
「ミクスさん。もしフクロオオカミが病気になったり怪我したりした時の治療体制があったら、利用しますか?」
「ええ。それはもう、使えるものなら」
よし。
「ラナエ部長。ハスィー様に提案したいことがあるんだけど、案をまとめてくれますか?」
「よろしいですが、どのようなことでしょう」
「クリニックを開設します。
まず、フクロオオカミに聞き取り調査を行って、使える薬草などの情報をまとめ、ある程度備蓄して必要な時にはすぐに提供できる体制を作ります。
外科手術については、骨接ぎやギプスなんかでいいと思いますから、専任の治療者を雇いましょう。
場所は、とりあえずここです。準備が整ったら、峡谷に簡易治療所を開設します。
ゆくゆくは、そこまで来られないフクロオオカミのために、往診や出張手術が出来る体制をつくりたいですね」
将来的には野生動物の死傷率が下がって頭数が増えすぎ、問題になるかもしれないがそんなの知ったことか。
今の問題を解決する方が重要だ。
ジェイルくんが、途中から物凄いスピードで俺の言葉をメモしていた。
ラナエ嬢は食い入るように俺の顔を見つめていたが、ふっと息を吐くとにっこりと微笑んだ。
可憐じゃないか。
「ご命令、了解しましたわ。
すぐに原案を作成いたします。後でお持ちします」
でも口調は鋭いな。
瞳もギラギラ輝いているような。
ラナエ嬢とジェイルくんが出て行ってしまった後、フクロオオカミのミクスさんがいきなり俺の前で寝そべった。
「どうしたんですか」
「申し訳ありません。やっと、私にもマコトさんの事が判ってきました」
それだけ言うと、ぺたんと顔を落としてしまう。
何が判ったって?
いや、俺はドリトル先生のエピソードを思い出して話しただけなんだが。
あの人、ぶっとんでいたからな。
イギリスの田舎町で動物病院を開いているんだけど、南の島から往診依頼が来ただけで、船を自分で仕立てて出航してしまうのだ。
よくそんな金があったもんだ。
動物を救うためなら、何だってする。
でも、その発想は正しい。
アレスト興業舎としても、フクロオオカミを従業員として雇うんだったら、病気や怪我に対する備えをしておくべきだ。
特に、アレスト興業舎の仕事はサーカスだの護衛だの、すぐに怪我しそうなものばかりだし。
万一の場合に備えておくのは当たり前だ。
それに、雇用したフクロオオカミだけではなく、その出身群についても対応してあげたいからね。
今回の計画では、いずれは群からどんどん雇用者が集まってくるらしいから、その母体ごとケアする方が効率がいい。
フクロオオカミの場合は四つ足なので、怪我したら診療所まで来ることが出来るかどうかわからない。
だから、往診および出張治療の体制は整えておくべきだろう。
ドリトル先生なんか、船で診療所ごと持って行ったくらいだし。
凄い金がかかりそうだけどな。
ハスィー様にはご迷惑かもしれないけど、これだけは譲れない。
日本の会社は、ある程度の規模になったら産業医とかがいて、従業員の健康管理のみならず、心理的なケアまでやっているんだぞ。
ていうか、そうするように法律で定めているはずだ。
それをそのままこっちには持ち込めないけど、せめてアレスト興業舎だけでもやりたいからね。
まあ、やるのは俺じゃないけど。
俺は命令するだけで(笑)。
ラナエ嬢とジェイルくんは、その日のうちに俺の思いつきを実現性のあるプランにして持ってきた。
凄すぎるだろう、このコンビ。
ラナエ嬢はともかく、ジェイルくんを手放してしまって大丈夫なのかマルト商会。
まあ俺には関係ないか。
計画案には、俺が話さなかったことまで織り込まれていた。
現在、アレスト興業舎には事務部門を除いて3つの班があるわけだが(シイル率いる予備班とミクス三番長老は除く)、新たに医療班を加えるとしている。
目的は、アレスト興業舎の雇用者のみならず、将来的には友好関係にあるすべての野生動物の病気や傷害の治療やケアを行うことする。
これは慈善事業ではなく、上記の対象に対するサービスを行うことでその野生動物からの好意を勝ち得る他、何らかの対価を得てギルドの収益に繋げるための事業である。
具体的には、野生動物の疾病や傷害の治療が出来る者の雇用と養成、ノウハウの蓄積、緊急治療体制の構築など。
なお、医療班には野生動物自身も参加し、伝統的な治療知識の提供と、緊急治療のための機動力を提供する。
「最後の件は、ミクス三番長老が自ら提案してきました。ご自分が医療班に参加したいということで、その他にもマラライク氏族の薬草に詳しいフクロオオカミを参加させたいそうです」
「そうですか。ありがたいことです」
フクロオオカミについては、やっぱりフクロオオカミ自身が一番良く知っているはずだからね。
それに、いきなりクリニックとかを開いても、普通だったら警戒されてなかなか利用して貰えないと思う。
フクロオオカミ自身が医療班に参加することで、その敷居が低くなることが期待できるだろうし。
「これでいいと思います」
「ありがとうございます。それでは、早速プロジェクトリーダーのもとへ参りましょうか」
「はい。ラナエさん、よろしくお願いします」
「何をおっしゃっておられるのか。これだけの事業案を提出するのは、舎長代理のお仕事ですよ」
俺が?
でも、この提案を作ったのはラナエ嬢たちだし。
「わたくしたちは、舎長代理の提案を形にしただけです。そもそも、アレスト興業舎自体の体制改革なのですから、舎長代理自らがアピールしなくてどうするのです」
おっしゃる通りで(汗)。
でも俺、やっぱりドリトル先生の話をしただけなんだけどね。
はっきり言って思いつき。
小石を投げたつもりが、岩崩になってしまったなあ。
まあ、仕方がない。
どうせ実際にやるのは俺じゃないし。
ジェイルくんには苦労をかけるけど、仕事だからね。
そういうわけで、俺はラナエ嬢やジェイルくんと一緒にギルドに行って、ハスィー様に提案書を渡して説明した。
ハスィー様は、途中からうんうんと頷き始め、最後の方では会津の赤ベコ人形のように首を振っていた。
「素晴らしい提案です! さすがはマコトさんです! すぐに評議会に上げます!」
「はあ。よろしくお願いします」
正直、こんな莫大な支出を伴う提案が簡単に了承されるとは思わなかったんだけどね。
数日後、GOサインが出たという連絡があった。
ギルド、流動資金は大丈夫か?




