SO-RA(2)
「はう~……♪ はうはう……っ♪」
「…………」
「はうはう、はう~……っ♪ すりすり、すりすり……♪」
「…………なあ、うさ子……。いくらなんでもくっつきすぎじゃないか? 若干ウザい……」
飛行開始直前のガルガンチュア内部、そのまた大食堂の中でホクトは冷や汗を流していた。ほっぺたをすりすりとホクトの腕にこすりつけるうさ子が先ほどからずっとホクトにべたべたとくっついており、ホクトは身動きも取れない状態であった。漸くヨツンヘイムへの出発準備が終わり、これから一休みしながら気ままな空の旅なのだが……これでは気の休まる気配がない。テーブルを挟んだ向かいの席ではシェルシが紅茶を飲みながら目を瞑っており、その沈黙がまた何とも痛かった。
すりよってくるうさ子の耳を掴み、強引に引っぺがしてポイっと放り投げる。しかしうさ子はまたとことこと戻ってくると、ホクトの腕にくっついてすりすりと頬擦りしていた。いつに無くホクト君にベタベタすることに熱中しているうさ子にホクトは困り果てている。
「ホクト君、また皆で旅が出来てよかったの~っ! うさはねえ……うれしいのっ!」
「そ、そうッスか……。しかしどうした? いつになく往生際悪くひっついてくるな。普段は引っぺがすとへこたれて戻ってこなくなったりするもんだが」
「ホクト君、せっかくまた会えたのに全然うさと遊んでくれないの……っ! うさはねえ、ずっとホクト君とお話したかったし、一緒にごはん食べたかったし、ぺたぺたしたかったの~♪ すりすり……。すりすり……」
「まあ、こっち戻ってからも結構忙しかったしな~」
うさ子の頭を撫でながらホクトは呆れたように笑う。目を瞑り、一生懸命にすりすりしているうさ子……。まあ、たまにはいいかと思い始め紅茶の注がれたマグカップに手を伸ばすが、やはりシェルシはふてくされた様子なのでこのままではいけないと思い直す。別にホクトは何も悪くはないのだが、無言のプレッシャーに冷や汗が止まらなかった。
「そんなに怒るなよシェルシ……やきもちか? やきもちなのか? うさ子がこんな調子なのは今に始まった事じゃねえだろ」
「別に怒ってませんよ? うさ子がそんな調子なのは今に始まった事ではありませんしね」
にっこりと笑顔で答えるシェルシだったが、それが逆に恐ろしかった。うさ子はテーブルの上に置いてあったクッキーを二つ纏めて口に放り込み、キラキラと目を輝かせながら二人を交互に見やった。
「なんだかねえ、うさはとっても懐かしいのです~っ! シェルシちゃんに、ホクト君に……。リフルちゃんが居ないのは寂しいけど……でも、お友達が沢山沢山増えたのっ! これならきっと、ロゼ君も寂しくないの! うさたちはねえ、ロゼ君が寂しくないように頑張るのですっ」
「あー……。そういや、俺たちの妙な運命もこの船から始まったんだよなあ。もう一年以上前の事になるのか……。何だか色々と懐かしいな」
「言われてみるとそうですね……。私がカンタイルに流れ着いて……。ホクトが帝国軍の輸送列車に捕まっていて……」
「そうそう、今思うと数奇な運命だよな……って、そういやうさ子ってガルガンチュアの食料盗みに侵入してとっ捕まったんだったよな」
「はうぅー……。うさはね、本当におなかがすいていてはらぺこさんだったのー……。死んじゃうかもしれなかったのー……。だからね、しょうがなかったと思うの……はう」
「…………。そういえば、それも何だか本当に不思議ですよね。うさ子は本当は帝国のガーディアンだったわけで……ホクトは元々は魔剣狩り……。私たち、もうずっと長い間仲間だったみたいに思えるけど、本当の付き合いはたったの一年程度なんですよね」
しっとりと、想い出に浸るようにシェルシは呟いた。うさ子は耳をぱたぱたと上下させ、ホクトの隣の椅子に座った。そうしてクッキーを頬張りながらホクトへと目を向ける。男は紅茶を飲みながら天井を見つめ、過去を回想していた。
「ああ、あの時の事か~……。そいつは俺たちよりも昴の方が詳しいのかもな。本当の意味での当事者は今となっちゃあいつ一人だ」
「うさはねえ、昴ちゃんと一緒にホクト君と戦ってたの。それでね、ホクト君がガオーってなって、わーってなって、なんかすごくなったの。おっきくて黒かったのっ!!」
「すいません、まだ私うさ語はちょっと理解が追いつかないみたいです……」
遠い目で沈黙するシェルシ。うさ子は小首をかしげながらニコニコ微笑、ホクトはクッキーを齧っていた。そんな三人の所に歩いてきたのは昴であった。ホクトたちと同じく準備を終えて休憩に来たのか、ジューサーからドリンクを紙コップに注ぐとそれを一気に呷り、ホクトたちへと視線を向けた。
「よお昴、お勤めご苦労さん」
「……兄さんも少しは手伝ってよ。積荷を運ぶくらい出来るでしょうに……。メリーベルとハロルドが今後の予定を話し合ってるみたい。ブリッジに居てもロゼの邪魔になるし、こっちに逃げて来たんだ」
「昴、丁度いい所でした。今貴方の話をしていた所なんですよ」
「私の……? まさか兄さん、何か恥ずかしい子供の頃の話とかをしてたんじゃないよね……?」
「いや、そんなんするか……。ほら、俺たちがまだ戦ってた頃の話だよ。そういえば昴はガルガンチュアに乗るのは初めてだっけか」
「この間の脱出の時に一回乗ったけど、じっくり歩くのは初めてだね。見た目より広いし快適だし、過ごしやすいと思うよ」
シェルシの隣に座った昴はクッキーに手を伸ばしたが、次の瞬間うさ子が皿を手に取り、全てを口に流し込んでしまった。沈黙する昴……。満足そうにほっぺたをゆるゆるさせながらクッキーを咀嚼するうさ子だったが、後頭部をホクトが鋭く叩くと目を丸くしてぷるぷる震えていた。
「戦ってた頃の話っていうと……。えーと、ローティスでの戦いあたり?」
「いや、もっと前だ。この肉体の所有権がまだヴァン・ノーレッジにあった頃だな」
「ああ~……。なんか、思い出すと色々あったかも……」
「昴、時間があるのならその話を聞かせてくれませんか? 私も貴方達が私たちと出会う以前に何をしていたのか知りたいですし……」
「ガルガンチュアでもレコンキスタの港までは半日かかるそうだから、時間なら沢山あるよ。そうだね……あんまり面白い話でもないし、大体予想もついてると思うけど……」
片目を瞑り、苦笑する昴。それからテーブルを指先で叩きながら記憶の糸をゆっくりと手繰り寄せ始めた。回想するのは彼女がまだ彼らと手を取り合う事など想像もしていなかった時代……。昴は自らの記憶をホクトやうさ子と照らし合わせるかのようにゆっくりと語り始めた。目撃者の居ない、物語の始まりの物語を――。
SO-RA(2)
魔剣の術式の力を破魔の力で打ち破り、その能力を無力化する――。その作戦の結果が招いたのは大罪の暴走であった。昴とステラによるヴァンへの攻撃はある意味において成功、ある意味においては失敗だったと言える。昴が繰り出した式を破壊する一撃こそ、彼らの物語の始まりとなったのだから。
術式にダメージを負ったガリュウはその時点で完全な状態では無くなってしまった。本来のガリュウという魔剣は他の大罪同様、“完璧”な存在なのである。魔力の過消費で暴走を起したり、所有者に大きな負担をかける事も無い……。大罪の魔剣は当然それ相応の代償を求めるが、現在のガリュウのそれは他の大罪よりも一回り上なのは言うまでも無い。傷を負った術式は莫大な力を制御できなくなり、結果として暴走が大きく引き起こされる事となった。
ガリュウは普段はその形を剣にとどめているが、本来の姿形は所有者をも飲み込む巨大な黒き龍である。その力は正に世界を飲み干す伝説の力の名のままである。“剣”の概念を持ったその龍の力は現在のホクトでは不完全であり、それが本来あるべき大罪の力とは若干ズレ始めているのは言うまでも無い。
昴の攻撃により術式を破壊されたヴァン・ノーレッジは暴走に巻き込まれ、意識を完全にガリュウへと飲み込まれる事となった。同時にその暴走に巻き込まれ、ステラは瀕死……。同様に術式に傷を負い、不完全な自意識であるうさ子が発生するきっかけとなってしまったのである。二人の大罪を持つ者はそれぞれ本来の力を失い、不完全な形で本来あってはならない意思を宿したと言えるのだ。
「えーと、つまり昴が居なかったら……ホクトとうさ子は存在しなかったと言う事になるんでしょうか?」
「そうかもね……。私は今でもヴァンを倒した事を後悔はしていないよ。兄さんの自意識が表に出た事でこの世界の状況は好転したと思うし、うさ子と兄さんが手を取り合えたのもその為だしね」
「まあ結果俺たちの術式……大罪は不完全な形のままだったりするんだけどな。その後俺はどっかで帝国軍にとっ捕まったんだろうか? うさ子も似たようなもんだろ」
「うさはねえ、気がついたらどこだか判らないところをうろうろしてた~。それでね、ガルガンチュアにおいしそうな食材が一杯積み込まれるのを見て……つい」
「…………今思うと、私たちのその戦いがこの世界に大きく影響を与えたのかも知れないね。世界の運命が分岐したっていうか……」
昴が思い返すのは彼女が“二度目”の挑戦をする前の事である。婚姻の儀が行われた時、そこに居たのがもしもホクトではなくヴァンであったならば……この世界の歴史はどう動いていったのだろうか? ヴァンもステラも二度と分かり合う事も手を取り合う事も無く、ミュレイが死んだ後の世界で何が起きたのだろうか……? もしかしたら、それはそれで上手く行っていたのかもしれない。帝国とギルドとの戦いも起こらず、帝国の支配は磐石でこの世界は結果的に危機を回避出来たのかもしれない。
考えても意味のない事だが、もしもあの時ヴァンがミュレイを殺した歴史が正しかったのだとしたら……。ヴァンはその後、どんな世界を望んだのだろうか? 小さく溜息を零し、昴は何とも言えない気分に陥っていた。頭を振ってその思考から逃れる。今更そんな事を考えても何の意味もない事だ。だがしかし……ヴァン・ノーレッジの事が今でも気になっているのは紛れも無い事実である。
「……兄さん、ヴァンは……魔剣狩りは、この世界で何をしようとしていたんだろう」
魔剣狩りと呼ばれ、世界の全てを憎み、魔剣を集め力を求め、あらゆる運命に逆らい続けていた男……。彼が望んでいた物、彼が欲した未来……。今こうして世界の真実に近づいて、漸く今になってヴァンやミラが見ていた景色に追いつこうとしている。もしもこの世界を変える手段があるのだとしたら……それはヴァンやミラやシャナク、過去に生きた人々の成そうとしていた事の中にあるのかもしれない。
「んー、ヴァンのしようとしていた事……か。今なら何となく検討もつくけどな」
あっさりと答えるホクトに思わず昴は驚いてしまう。だがホクトはそれを語るつもりはなかった。恐らくそれは今ここで話をせずとも、自ずと彼らの行く先にて明かされるであろう。推測の域を出ない今、わざわざ語る必要も感じない……。ニヤリと笑うホクトをジト目で見つめ、昴はそっぽを向いた。
「まあいいよ……。これから嫌でもその辺は掘り返す事になるんだろうしね」
「そういえば、これから向かう場所ではヴァンの過去の知り合いが居るんですよね? どんな人なんですか?」
「あー……。ジジイだよ。もう何千年も生きてる爺さんだ。ヴァンにガリュウを継承した男で、元ゼダン……って所だろうな。待て、俺だって今ヴァンの記憶を思い返してみてそうなんだろうなーと思うだけで、実際会うまでわからん!」
じーっとホクトを見つめる二人とよくわかっていない一匹……。別にホクトとてゼダンの話を隠していたわけではないのだ。単純に記憶の混乱……そも彼は最近までゼダンがなんなのかはよくわかっていなかったのだから。そんな頼りないホクトを見やり、昴とシェルシは溜息を漏らした。
「まあ……兄さんがうさんくさいのは今に始まった事じゃないしね……」
「でもねぇ、きっとうさたち皆の力をあわせればなんとかなるのっ!! うさはねえ……がんばりますっ!」
「うさ子の言う通りですね。私たちは元々は互いに争う仲だったりもしましたが、今はこうして世界の為に手を取りあうことができている」
「世界の為……というよりは利害の一致だけどね。私は別に救世主然とするつもりはないし……」
「俺も自分の為に戦ってる。でもいいじゃねえか、それでも俺たちは一緒に進めるんだからな」
四人で頷きあい、何となく話が纏まっているような空気になる。そんな中うさ子が席を立ち、もぞもぞとテーブルの下を潜ってシェルシと昴の間に割って入り、二人の腕を同時に組んでにっこりと微笑んだ。何が楽しいのかご満悦の様子で、左右の二人はそれを朗らかな表情を見つめていた。
「うさたち、仲良しなのっ」
「ええ、仲良しですね」
「仲良しなんだ……。えーと……まあ、いいけどね」
「それでね、ホクト君のお嫁さんになるのっ」
三者三様の表情から一変、うさ子だけがニコニコと微笑みシェルシは唖然、昴は項垂れて笑いを堪えていた。ホクトは丁度紅茶を飲み干した所で、冷静な様子でうさ子が何を言い出したのか見極めようとしていた。
「……えーと、なんでそうなっちゃうのかな」
「うさね、ホクト君のお嫁さんになりたいのーっ! はうはうっ!」
両手をぱたぱたと振り、耳をピーンと立てたままうさ子は宣言した。大よその事情を既に察知した北条兄妹は頷くと同時にシェルシへと目を向けた。そこには顔を真っ赤にしてしどろもどろになっているシェルシの姿があった。
「う、うさ子……急に何を言い出しているんですか……」
「うさねえ、聞いたの~! シェルシちゃんがね、ホクト君のお嫁さんになるってっ!! うさもー……。うさもホクト君のお嫁さんになーるーのーっ」
「ひ、ひぃい……っ! うさ子、それは、ちが……っ! 何で広まっちゃってるんですかそれえええええッ!!!!」
「あー……。そういえば、ミュレイが楽しそうに皆に喋ってたかも……」
ボソっと呟く昴。かく言う彼女もミュレイから聞いたクチである。元を正すと情報流出元はメリーベルであり、何となくミュレイとの話の中でそんな話題になり、それを聞いたミュレイが面白半分で広めているのである。結果、仲間内でその話が広まっている事を知らなかったのはシェルシだけとなっていた。
「“お嫁さん”ってなーにって、ミュレイちゃんに聞いたのっ! そしたらね、お嫁さんになったらね、だんなさんがね、毎日毎日ご飯をおなか一杯食べさせてくれて、毎日毎日一緒ににこにこしてられるって言ってたのっ!! お嫁さんになったら、ホクト君がぎゅーってだっこしてくれるの~っ! はうはうっ!」
「…………抱きしめてくれるって……」
「今日、階段の所でシェルシちゃんとホクト君……」
「いやあああああああああああああっ!!!! 見てたんですか!? 見ていたんですかッ!?」
頭を抱えて泣き出しそうな表情で絶叫するシェルシ。丁度その頃おなかをすかせたうさ子はバテンカイトスの中をうろうろしており、その際にシェルシがホクトに背後から抱きしめられているのを目撃していたのである。とりあえず食欲に負けてその場は去ったものの、その記憶が綺麗サッパリ消えるはずもなく……。
「ホクト君、うさもー。うさもだっこー。だっこしてほしいのー」
「そりゃ、俺は構わんが……」
「ひぃ~ん……。私いきなりこの船の中で上手くやって行けるのか不安になってきました……」
テーブルに突っ伏したままぷるぷると震えるシェルシ。その肩を叩き、昴は真っ直ぐな眼差しで頷いた。顔を上げるシェルシ……そんな彼女に告げた一言。
「愛だからしょうがないと思うんだ、私は」
その言葉は励ましているのか諦めろと諭しているのかよくわからず、というよりそもそもシェルシの問題より昴の問題に対する言葉のような気がした兄であった。ホクトは戻ってきたステラを膝の上に座らせ、背後からうさ子をぎゅっと抱きしめる。うさ子は満足したのか、目をキラキラさせて喜んでいた。
「はううーっ♪ ホクト君、だっこしてくれたのーっ!」
「…………よかったね。そういえばうさ子、お嫁さんの意味本当に判ってる?」
「う? わかってるよ?」
「お嫁さんっていうのはね、相思相愛じゃないとなれないんだよ。それか何か邪な目的があるか」
「おい、変な事を吹き込むな……。ただでさえうさ脳なんだからよ……」
「うさ、ちゃんと結婚のことしってます! うさはねえ……ホクト君の事大好きなのっ! ホクト君、好き好きなの~♪ ホクト君もねえ、うさの事好き?」
「…………まあ、好きだけどな」
「じゃあ、“そうしそうあい”なの~~~~っ♪ はうはうはうはうっ!!」
なんだかそれでいいのだろうか……と思う北条兄妹。相変わらず瀕死でブツブツと何かを呟いているシェルシと嬉しそうに耳を振り回しているうさ子……状況は非常に対照的である。
「ホクト君、ホクト君♪」
「ん?」
首を擡げるホクト。そんなホクトへと振り返り、うさ子はその唇に自らの唇を重ね合わせていた。それから何度もホクトの頬にキスを浴びせ、頬をすりすりとこすりつける。ホクトは何とも微妙そうな表情を浮かべ、昴はじーっとホクトを見つめる。シェルシは気づいていないのか、相変わらず念仏のように何かを唱えていた。
「皆でホクト君のお嫁さんになるの~♪ はうはう♪」
「おお、いいなそれ。俺は大歓迎だぞ」
「…………命がいくつあっても足りないと思うよ、兄さん」
そんなシェルシの言葉で締めくくられ、その場は一旦お開きとなった。それぞれ自室へと戻っていくホクトたち……。一人残されたシェルシは誰も居なくなった食堂の中、ずっとうつ伏せになっていた。数時間後にアクティとロゼがやってくるまでその調子であり、その間彼女が何を後悔していたのかは推して測るべき事柄である――。




