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令息はただ令嬢を愛してる

エリザベスが去った後、アンネはすぐさまクリスへと駆け寄った。頬を染めて相手の出方を伺うような素振りだ。


「あ、あの……クリス様」

「……好奇心で聞き耳を立てるなど、淑女のする事ではないと思うが」

「っ……。申し訳ございません、でも、気になってしまって。だって、私、……私、ずっと貴方のことが……!」


クリスはエリザベスの去っていった方向だけを見ていて、声は冷え冷えとしていた。その事に驚きつつも、アンネは夢見心地でクリスの服の裾を握った。


「私がした事は全てエリザベスの為であって、君の事を案じてではない」

「え……?」


……いや、触れかけて、弾かれた。クリスは漸くアンネを見たが、その瞳には先ほどエリザベスに向けていたような熱はない。淡々として事務的で、寧ろ怒りのようなものすら感じ取れた。アンネはわずかに恐怖を感じて数歩後ずさった。


「エリィは君に近付かなかった。極力関わらないようにした。理由は分からない。でも彼女は、何か訳があってそうした」

「なんで、そう思うんですか?私、あの人にいじめられて、それを助けてくれたじゃないですかっ!!」

「エリィは君に何もしてないよ。……君はこれ幸いとエリィを主犯のように私に伝えたけどね。

命を賭けて誓ってもいい。彼女は何もしていない。そして君と話す時、わざと心ない言葉を使っていた」

「そんな事……」


無いと言えない。だって実際、アンネはエリザベスが自分の婚約者と仲良くなりたげなアンネを敵視して細々とした嫌がらせをしていると思っていたが、友人たちにそれは違うと言われて、けれど気を引くためにエリザベスが自分を虐めるからなんとかして欲しいとクリスに掛け合ったのだから。それを話しかけるきっかけにしてしまったのだから。


でも、だからって、普通自分の婚約者に近づいてくる者がいれば、嫉妬や嫌がらせくらいするだろう。あの事務的で突き放すような言葉は本心からに決まっている。


「……お言葉を返すようですが、嫉妬心からあんな風に私と関わりたく無いと言っていたと思います。……クリス様は男性だから、嫉妬する女の子の気持ちは分からな「分かるさ」」


お前如きがエリザベスを語るなと目が、声質が、調子が伝えていた。


「少なくとも、エリザベスの気持ちだけは分かる。私が何年エリィだけを見てきたと思う。あの子は嘘をつくとき、心ない言葉を言うとき、真っ直ぐに人を見てそらすこともせずに優しく笑って、その陰で戒めるように自分の左手首を右手で締めたり、手の甲に爪を立てるんだ。

"力"が無いと言われたとき、彼女の父親は絶望した。けれどエリィを本当に大切に思っているから、権力に群がりたいだけの輩から離すために屋敷に閉じ込めた。私は"力"があろうが無かろうが、どうでも良かった。エリィという人間だけが私の最愛だと確信していたから。だから何年も努力をして、漸く彼女の父親に認められた。その苦労が報われた。そして今も、彼女以外は居ないと思っている」


敵意とは、多分こういう雰囲気なんだろう。そう漠然としながらもアンネは実感した。エリザベスが向けていた瞳にあったのは、嫉妬心を隠す虚無などではない。今思えば悲しみと、耐え忍ぶような強い意志だ。


「君との婚約を打診されたとは言ったが、私はエリィの気持ちを聞きたかっただけ。そして、彼女が苦しみながら嘘をついた事で、私の事を今も変わらず愛していることがわかった。勿論、私も彼女だけを愛している。

何故彼女は、傷が消えなくなってしまう程苦しみながら、君を遠ざけ、私に嘘をついて消えていこうとするのだろうね?

答えは割と簡単だよ。

彼女は"力"を持っていた。何かがあってそれを使った。そして、君や私を自分から遠ざける必要があると思い込んだ。


……まあいい。それを君に話したところでだだ時間を浪費するだけだ。終わりにしよう。

私は、婚約の打診を蹴った。君がどれだけ稀有な力を持っていようが、私の中ではエリィの存在に到底及ばない。友人としても私の大切なエリィに罪を着せた時点で落第点だ。以上。何か言いたい事はあるか」


……ああ、付け入る隙もない。

アンネは諦めがついてしまった。この人は、多分、エリザベス以外は愛せないし愛さない。そう理解して、まだクリスに恋慕しながらも、悟った。


「……それでも、私はクリス様が好きです」

「何度でも言う。私の唯一は、未来永劫エリザベスだ」

「わかって、ます。……わかっちゃいました……!クリス様がエリザベスさんを想う気持ちは、私がクリス様に寄せる想いとは比べ物にならないくらいに強い……!!

だからこそ、羨ましい。あの人が。

知ってたんです。あの人が私を庇ったり、知らないところで守ってくれてた事。でも……、でも私は、どうしても羨ましくて身勝手に嫉妬をして、あの人を貶めた。そんな私を、貴方が見染めてくれる事なんて万に一つもある訳なかったのに……。

……クリス様、申し訳ございませんでした。

エリザベス様にも、後日今までの非礼はお詫びいたします。

早く、エリザベス様を追ってください」


アンネは目に涙を溜めながらも、心はすっきりとしていた。最後にと笑顔で、ごめんなさい。大好きでした。お幸せに。……と心から祝福して、送り出した。


脇目も振らずにエリザベスの家へ向かおうとしたクリスの足を止めたのは、誰かの呼び声ではない。急に鳴り出した魔物の襲来を知らせる鐘と、先に見える街から上がる炎だった。時間と経路的に見て、エリザベスはあの崩壊しかけている街にいる。止める御者を無視して、クリスは馬を一頭拝借し、飛び乗り鞭を打った。


どこにいる。無事でいてくれ。

それだけの思いで馬を走らせる。途中彼女の乗っていた筈の馬車が横倒しになっているのを見た。そこら中に怪我で倒れた人々を見た。だが魔物はいなくて、いても人間を襲わずに何か一箇所へと向かっていた。その先では業火とも、地獄の炎だと言われても納得できるほどの火炎が発生していた。炎がその場で燃え広がる事なくただ強さを増していくなど自然災害ではありえない。誰かが炎系の"力"を使っているのだ。

すぐに思いついたのは彼女の父親だ。しかしそれはあり得ない。彼女の父親は政務官。勤めている城はクリスが警鐘を聴いて飛び出した学園よりもはるかに街から遠い。時間的に不可能だろう。

そうなれば、そこで炎を使っているのは誰かという話になる。確信はない。だが、エリザベスである可能性は非常に高い。彼女はお守りとしてかなり純度と力の高い魔石を御守りにと持たされていた。それを使うだけの"力"は彼女にはない為、本当に形だけのものではあった。……彼女の弟が彼女に同様の理由で魔石を持たせていなければ。

魔石は性質の違うものは互いに反発し合う。性質の違う二つの魔石を直接重ねた場合、それらは互いに互いの魔力を食って発動する。

賢い彼女がそれを知らないはずがない。

彼女の身に何かあった。そして、魔石を使ってこれだけの炎を生み出している。その中心地に彼女がいるなら、無事で済むはずがない。


「エリィ!」


魔物共を切り捨てて進み、漸く炎の中に彼女の姿が見えた。相対しているのは人の形をした魔物。炎に焼かれて命つきかけといった様子になりながらも、彼女に徐々に近づいていっている。炎に塗れたその腕を、彼女に伸ばした。


彼女に、触れるな。


全身の血が沸き立つような、圧倒的な怒り。

彼女に伸ばされるその手が届いてしまう前に、なんとか間に入り、その胴体を切り裂いた。

音を立ててそれは地面に転がり、灰になって消えていった。クリスは背に庇ったエリザベスが倒れている事に気付いた。炎は既に収まり、魔物ももういない。だが何故か、安心できなかった。その理由として、たった今切った敵の手応えがなかったことが挙げられるが、そんな事を思い出す事は出来なかった。


数日後、目を覚ましたエリザベスは、予言を受けた日の翌日以降の記憶を一部失っていた。それも、クリスに関わることだけ。


診察をした医師は、あまりの緊張と混乱に精神が耐えられず一時的に記憶が混濁しており、暫く安静に療養すれば治るだろうと言った。

しかし、それから半年、卒業を間近に控えても、エリザベスの記憶が戻る事はなかった。クリスとエリザベスは卒業後結婚する手筈になっているが、こんな状態では式など行えるはずもない。

エリザベスの父は、エリザベスを守れなかったクリスに怒ってはいたが、この状態の娘の責任を取れだなんていう人間ではなかった。逆に婚約破棄を公爵家へ申し出ていて、クリスの父も申し出を受けて、他の令嬢との婚約の結び直しをクリスに提案し始めていた。

それがクリスの悩みの種になっていた。


「エリィ、エリザベス。今日はリュチェンの花を持ってきたんだ。結婚式に飾る花にどうかと思って」

「あら……スタンフォル様。私などにお構いなく。以前は心の通じ合った婚約者だったのかもしれませんが、今の私は情けないことにその記憶はない。……貴方が幾ら想ってくださっても、私はそれを返せません。

ですから、私のことは忘れて、貴方は貴方の幸せになれる方と「エリィ。本当に忘れてしまったのなら、それでも構わない。

その上で、もう一度私を知って、結婚を考えてくれないだろうか。心が決まらないと言うなら、幾らでも待つ。だから、そんなことをいわないで」」

「……」

「……また、くるね」


……そして、そんな頃である。アンネが"力"を発現させたのは。

消えた筈の話が再度持ち上がるのは状況的にありえない話ではなかった。特に現れた"力"は退魔の力。魔物に怯える今、一族に取り入れて損はない。エリザベスを諦めてもいいのではないか、と言われた。


クリスはその現状を淡々と無視して聞き流しているように見えて、実はかなり、……怒っていた。


「恋愛結婚主義の貴方が、息子には家の為の政略結婚をしろとおっしゃいますか。……そうですか」


その現場を偶然目撃した使用人曰く、怖くなるほど超笑顔のクリスの背後に一族の祖とされている竜が見えた。……らしい。


次で完結!

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