第8話 お犬様の薬売り
『石神の座』に気絶した村娘を運び込んでから、ディラニィは分身1号を呼び出した。
『本体……、営利誘拐かい?』
「遊ぶな。知ってるだろう」
『ちょっとした冗談じゃないか。それで僕は同席すればいいのかな?』
「ああ。2号は引き続きマシロたちを頼む」
『分かったわ。相手は女の子なんだから穏便にね』
「善処はしよう」
気付け薬に使う香りの強い葉を、アニーサの顔に落とせば効果はすぐに表れる。顔から葉をつまみ上げ、ぼんやりした目でそれを眺めていた瞳が少しして焦点を取り戻した。
慌てたように起き上がったアニーサは、自分を見下ろす白い巨体に気付くとその身を強ばらせた。
『そんなに緊張しなくていいよ。彼は人肉は喰わないからね』
1号がさわやかに緊張を取り払おうと掛けた一言で、ぎょっとなるアニーサ。ディラニィの巨体よりは小さいが、この世界の人間に『石神さま』を2体も前にして緊張するなという方が無茶振りである。
「……っ、えっと……あ、あの、わ……たし、は……」
勝手に森に踏み行った弁明を口にしようとするが、恐怖と緊張で言葉にならない。
それ自体がすでに誤解山盛りなのを彼女は知らない。
2号から事の経緯を聞いているディラニィは首を振った。
「そう怖がるな。お前が森に入ったことを咎めることはせん。病気の母親を救うため、薬草を求めて来たのだろう?」
「は、はい!」
背筋をピンと伸ばしてビシイと硬直するアニーサに「なんでこんなに怖がられてるんだろう?」と疑問MAXなディラニィ。
「だったらこれを持って行くがいい」
アニーサの目の前に、ついさっき作成したばかりの万能薬をアイテムボックスから取り出して置く。もちろん人と違って手でつまめないので、口にくわえてだ。
小さな涙滴型のビンに入った薄水色の液体を目にしたアニーサの表情は、驚愕に染まる。
「……こ、これ、を?」
震える腕で手に取るか否かと躊躇していた。
神から下賜される品だ。きっと対価になるものが必要だろう、という考えが彼女を迷わせていた。
『それをキミの母親に飲ませて目が覚めたなら、再びここへ戻ってくるといい』
どうやって言葉にしようかと悩むディラニィの代わりに、1号が対価を告げた。もちろん1号は本体と異性格同位体なので、ディラニィが口にしようとしていたことは分かる。
それは単に、効果を報告してもらいたいだけであった。
しかし受け取る側にとって、そこまでの説明がない発言は別の意味に変換されたことを2人は理解していなかった。
アニーサにとっては雷に撃たれたような絶望と、蜘蛛の糸で救い上げられたような希望となる言葉だった。
分身1号の言葉を誤解して受け取り、自分に出来ることなどたかがしれてる事を思い知る。それらと母親の命を天秤に掛ければ、自ずと結果は見えてくる。
首肯だけで了承し、表情の抜け落ちた顔で薬を受け取ると、ディラニィに「有り難く頂戴致します」と一礼してから村への道を歩き始める。
その足取りは誰が見ても危なっかしい。
「……なんだかふらふらしてるな。1号、ついて行ってやれ」
『はいはい』
それさえも逃げられないための監視なのかと誤解してしまう。
一連の顛末を第三者的な視点で見ていた2号は、あちゃーと頭を抱えていた。
◇
「アニーサ! 無事だったか」
「森へいったい何をしに……っ!?」
モトフ村では森から戻って来たアニーサを見付けて大騒ぎになっていた。
理由の半分くらいは、村の入り口まで威風堂々とやってきた石神さまのせいでもある。
「なんだって石神さまがこの村に?」
「アニーサに付いて来たようだぞ!」
「……まさか石神さまの怒りを買ったんじゃないだろうな?」
男衆が勝手な憶測を口にする中、村長の妻を筆頭にしたパワフルな女衆がアニーサをかっさらう。
「ほらアンタたち! 何時までもこの子を足止めさせてんじゃないよ」
「早いとこメルマの所へ行っておやりよ。石神さまがいるってことは何か手立てを見付けてきたんだろう?」
会釈だけして自宅へ駆けて行くアニーサを見送った大人たちは、村の入り口より森側に佇む石神さまに畏怖のこもった視線を向ける。
「まさか生きている内に石神さまの実物が拝めるとはねえ……」
信心深い年寄りたちの中には 跪いて拝み始める者もいる。
世界の不穏な空気の中、目にした神の眷属の降臨に対して、何かが起きる前触れじゃないかと邪推する者も出ていた。
「お母さんっ!」
自宅に駆け込んだアニーサを迎えたのは、未だ眠ったままの母の姿だった。涙ながらに駆け寄ったアニーサは、メルマの看病をしていた村長の娘ラナルに抱き締められる。
「無事だったんだねアニーサ!」
「ラナルさん……。すみません」
モトフ村では比較的年が近いため姉妹のような関係にある2人。ラナルは妹分の無事を確かめるため、きつめに抱き締めて自分のことのように喜んだ。
「いいのよあなたが無事なら。いてもたってもいられなくて薬を採りに行ったんでしょう? お願いだから次があれば誰かに相談してからにしてね」
目尻の涙を拭い、嬉しそうな姉代わりに気まずそうに頷くアニーサであった。
寝ている者に対してどうやって飲ませるかで悩んだが、唇を少しずつ湿らせるようにする方法をとった。使い終わった途端に、きらめきを残しつつ容器が消えてしまったのには2人とも驚いていた。
ゲームであった頃は飲む以外にも投げつけたりして使用していた物だが、処方箋までは聞いていないので仕方のないことだろう。
ほどなくしてメルマは目を覚まし、アニーサとラナルは抱き合って号泣する。騒ぎを聞きつけた村人たちも集まって来て村全体に歓声が広がった。
村の入り口でそれを聞いた1号は『問題なく使えたようだね』とひとり静かに頷いていた。
彼の予想外の問題が起こったのはこの後である。
アニーサの自宅に集まった村人たちが突然静かになり、アニーサと村長を先頭にした一団が現れると、前触れもなく1号に向かってひれ伏したのだ。どういうことかと戸惑う1号に構わず、他の村人たちも村長にならって次々と地面に膝を付いていく。
数分もしないうちに1号の前には某世直しご隠居が印籠を掲げた番組の最終場面のような風景が出来ていた。
むしろ1号がこの状況に戸惑った。この世界では『石神さま』はこんな場面に出会うのが常識なのか? と勘違いするほどに。
「おそれながら……」
『しばし待て』
しかし彼はあくまでも分身に過ぎないため、このような事態にいるのは分不相応だと考えた。村長がなにか言おうとしたのを遮ると、普段は閉じているチャンネルを開いた。
本来このスキルは本体から分身側への一方通行で発動し、本体へ光景だけを届けるものである。現在はゲームと違い自由度が上がり、分身の五感を通した双方向通信が可能となった。
『どうした1号?』
『僕には荷が重い状況だよ。代わってくれないかな』
『なにがどうしてそうなった? だが了解した。ちょっと待ってろ』
本体との通話が切れた途端、1号の背後にディラニィの姿が現れる。これもゲームであれば本体と分身を入れ替えるスキルだったものが、双方の居る場所への行き来が可能になったのだ。
不意に出現したディラニィの巨体を見た村人たちは息を飲み、小さな悲鳴を漏らす。腰が引けてる者や顔色を青くして卒倒する者までいる。1号は事情説明のために本体に戻り、些細な経緯をディラニィは受け取った。
見下ろして話をするのも何だかと思い、伏せの姿勢で前足を重ねる。それでも人が直立したよりも高い位置に頭があるのだから、村人たちが受ける威圧感が半端ない。ディラニィに威圧を掛けているという自覚はないが。
「話の腰を折って済まないな。言いたいことがあるなら、聞こう」
重厚感のある声を掛けられた村長は全身から脂汗を垂らしながら震える体に心で叱咤して言葉を紡ぐ。
「お、おそれながらも、申し上げ、ます……」
「どうした。具合が悪いなら後日にするが?」
「い、いいえ! お気遣いありがとうございます。ここでしか、言えぬことも、ございますので」
もの凄く緊張してる村人を見て、内心首を傾げる。
これはあれか、石神さまってそんなに恐ろしい存在として伝わっているのか、とか。
「ご覧の通り我々の村は至極小さな村です。村の者たちも隣同士助け合って生きるので精一杯でございます。だからこそ、母ひとり子ひとりで肩を寄せ合っている家族から幼子を奪うのはお許し願えますでしょうか? 代わりにこの老いぼれの命でよろしければ……」
「待て待てっ! 何の話だ、意味が判らんぞ!」
何やら不穏なことを口にしかけた村長を遮る。
ディラニィが大声を張り上げたことで村人をさらに怯えさせてしまう。しかし自分が生け贄を要求する悪魔のような誤認は解いておかねばならない。
混乱するディラニィの様子に、激怒していると誤解した村長が「自分の身を糧にお怒りをお鎮め下さいませ」「ひとを食人狂みたいに決め付けるな!」といったやりとりもあり。
不毛な押し問答の末、ディラニィの石神ロールプレイも剥がれ落ちたころになって村人たち側の誤解もようやく解けることとなった。
「それでは……、本当に、薬を、下賜された、だけだと……?」
「病人が助かったのだろう。何故命を対価に求めねばならん」
ここまでの経過に内心ぐったりとしながら答えるディラニィ。
対する村人たちは、親切心で高価な薬をポンと与えられたことに呆然としている。ディラニィからすると、価値観の違いに叫びたいと気持ちもあった。実行したとしても村人たちが怯えるだけなのでやらないが。
とりあえず一件落着かと溜息を吐いたところ、薬師の母子が前に進み出て深々と頭を下げた。
「今回は娘の命を助けて頂いたばかりか、貴重な薬を分けて頂いて誠に申し訳なく。おそれながら石神さまにお聞きしたいことが……」
「まあ、俺……私で分かることならいいぞ」
「あ、ありがとうございます!」
懇願に耳を傾ければ、母子は今回の眠り病を治療した薬の出所が知りたいのだという。
「ああ、それなら私が作った」
「「作ったっ!?」」
母子揃って素っ頓狂な悲鳴を上げる。
きっと四足獣の身で繊細なポーションを作ることなど想像できないと思っていたに違いない。
「この森にある材料だけで事足りたしな」
「「えええええええっ!?」」
なんでそこまで驚くのだろうと首を傾げるディラニィ。
「私の数年はいったい……」と打ちひしがれる母親。
「しっかりしてお母さん!」と懸命に母を元気づける娘。
ディラニィが「レシピくらいなら教えてやるが?」と持ち掛ければ、母子揃って目を輝かせ「「ホントですか!?」」と瞬時に反応を返す。
しかし、それこそ対価が必要なのではと村長が青い顔をしていたので、ディラニィは一般常識を教えてくれることで手を打った。
そうしてようやく彼は動物以外の相手と出会うことができたのであった。




