第6話 お犬様、浄化する
石神神殿の周辺地理を把握して10日ほど経過した頃、ディラニィの群れは4匹になっていた。
マシロに続く2匹目の加入は三色毛並みからミケと名付けたハネネズミだ。
フクロオキツネというリスのような尾を持つ茶色いキツネから生きたまま献上されたものである。元より食べる気のないディラニィに治療され、群れに加わることとなった。
そして3匹目の加入はハイイログマの仔だ。
親を失ったのかはぐれたのかは不明だが、ディラニィたちの食事風景を物欲しそうにみていたので、餌付けした結果懐かれた。大きさは小型犬程度、名前はコマである。
群れ内では加盟順にヒエラルキーがあるらしい。
ディラニィが動くと後ろにマシロ、ミケ、コマの順番で並ぶ。
食事以外の時間であると、3匹が仲良くじゃれついて遊ぶ姿が普通の光景となってきていた。
草地の上を白と三毛と灰色の小玉がコロコロ転がり回るのだ。思わず動画に保存してその手のサイトに投稿したいところであるが、如何せんこの世界にそんなものはない。微笑ましく見守るしかないディラニィは毎日歯痒さを感じていた。
他にもひとつ現在進行形で困惑していることがある。
「マシロ……、お前なんかデカくなってないか?」
「きゅきゅ?」
木の実を口いっぱいに頬張りつぶらな瞳をディラニィへ向けるマシロ。
横で同じく木の実を食べていたミケと比べてみると明らかに大きさが違う。
ハネネズミは普通ハツカネズミ程度の大きさだが、マシロの場合はミケよりひとまわり大きくなっている。だいたい生後2週間程度の子猫ぐらい。その隣で果物をかじる小型犬サイズのコマに迫る成長をしていた。
「こんな仕様あったか?」
首を捻って自身の仕様説明文やら関連パッシブスキルなどに一通り目を通してみるも、それらしいものはひとつだけだ。
それは【神獣スキル】の中にある【恩恵】だろうと推測する。
説明文には『群れの仲間に神獣の力の一片を分け与える』とあるが、今ひとつ理解しきれていない。 詳しく知るためにはネットのPB攻略掲示板が必要だろう。ディラニィが【神獣スキル】をよく知らないのは、実のところ彼が神獣に成り立てだからだ。
PBを初期からプレイしている古株なディラニィだったが、神獣になったのはPBが配信停止になる3日前という遅さなのだ。勿論ここまで遅くなったのは、彼が「やってればなんとかなるさ」という持論でリセットを一度も使わなかったのが原因である。
お蔭で彼のパートナーNPC一族は、満遍なく全職業を経由したといってもいい波乱万丈な経歴になっていた。その影響でディラニィの持つスキルも、PBにある90%を取得したと言っても過言ではない。
それはそれとしてマシロの急激な成長に、他の2匹も似たようなことになるんじゃないかと心配の尽きないディラニィ。主に餌的な部分で。
最悪の場合ディラニィとほぼ同じサイズのハネネズミが2匹とハイイログマが1匹、森の中に存在することになる。ディラニィのように餌を必要としないのならばいいが、巨体の獣が3匹も満腹状態を保つ為に食べ続けたら、どのような結果になるか想像するだに恐ろしい。
ぶるりと身を震わせたディラニィから疑問の視線を投げかけられた3匹の仲間たちは、揃って首をかしげた。
「くっ……」
もこもこな毛玉具合と3対のつぶらな瞳の愛らしさに負け、がっくりとうなだれるディラニィ。なにかを感じたのか、草地をコロコロと転がったコマがディラニィに寄り添う。
「ん、どうしたコマ?」
「くぅ」
顔を上げたディラニィの首元へ鼻先をすり付けるコマ。短い付き合いであるが、何を言いたいのかはなんとなく理解出来る。
「分かった分かった。なんかあったわけじゃないから、心配するな」
「くぅ~」
「きゅ」
「きゅきゅっ」
「揃いも揃ってまとわりつくなっ。モフりた……って、暑苦しいわっ!」
オレもオレもとじゃれついて来たコマとマシロに、思わず本音が漏れかける。 潰したりしないように立ち上がり掛けたディラニィだったが、ふと風上から流れて来た匂いに体を強張らせた。マシロたちもそれを嗅ぎとったのか全身の毛を逆立てる。
流れてきたのは髪が焼けたような臭気で、ディラニィの脳裏にはけたたましく警鐘が鳴っていた。
茂みの向こうからガサリ、ガサリと此方に敵が近寄って来る。
モノはまだ判別出来ないが、ディラニィは木々の間に浮かび、徐々に接近してくる赤い[ENEMY1]と[ENEMY2]の文字を捉えていた。
「マシロ、ミケ、コマッ! お前たちは石像の後ろに隠れていろっ!」
ディラニィが声を掛けた途端、ミケをくわえたコマとマシロが石神の陰に隠れる。前屈姿勢で迎撃用意をするディラニィの全身から仄かに青い燐光がにじみ出す。
元々石像のある所を中心に、広大なエリア(村も含まれる)には女神が施した清浄化結界が張られていた。似たような場所は各地に幾つかあり、そこを中核として人々は街を築き上げたとも言われている。
しかし今となってはその影響も微々たるもので、現在は石像周辺の僅かな範囲のみ。その辺りもディラニィに前もってインストールされた知識の中にあり、群れとしての寝床をそこに決めていた
不浄なるモノや悪意あるモノは近寄れないため、マシロたちをその場で籠城させるにはもってこいである。それ以外の狩人であるとか探索者であるとかには、また別の対処を考えねばならないが。
ゲームでよく使用していた、ディラニィお得意の水系統魔法【貫衝弾】――貫通攻撃なので集団戦に重宝していた――を、無頼な珍客に放とうとする。しかし、がさりがさりと茂みをかき分けて出て来た敵を見るなり、ディラニィは術を中断した。
それは丸っこい図体を揺らめかせる2体の獣。
「……それでか」
呟きとともに視線は背後の石像に隠れるコマへ。
コマ自身は頭隠して尻隠さずのように、ぷりちーな尾を含む下半身が石像の影よりはみ出ている。
視線を前に戻すと、そこには輪郭だけならクマであったと思われるケモノが2頭。真っ赤な丸いがらんどうな瞳が3つ、こちらに敵意を向けている。その身は黒い粒子が固まって構成されているように見え、おぞましくも体表面をうごめいていた。半開きとなった口からはとめどなく体液が流れ出て、ぽたりポタリと地面を濡らしている。
2頭のうち、やや体躯の小さい方は頭部の右半分が陥没している。おそらく雌雄のどちらかが最初に狂わされ、正常だった片方が子供を守るために果敢に立ち向かったのだろう。なんとか逃げ出したコマはディラニィに保護された。しかし親熊は狂わされた方に倒された片方もあの有様となったようだ。
敵は清浄化の掛けられた範囲には入って来れないようで、境界線ギリギリ辺りをウロウロしている。群れを率いるボスとしては、何時までも敵に好き勝手させる訳にいかない。
特に抵抗らしい抵抗もなく、2匹の熊の成れの果てはディラニィの行使した【光のブレス】をマトモに受け、うごめく闇も何もかもが呆気なく消滅した。
念のため、消失した場所を調べて残滓が無いかを確認する。そこには草地が踏み荒らされた痕跡くらいしか残っていなかった。
「何なんだアレ。ずいぶんと気分悪いもんだったけど……」
呟きながら周囲を見渡し、嗅覚や聴覚も使って危険がないか確認する。少なくとも周辺には仲間たちを害するものはいないらしい。
「くぅ」
「きゅきゅっ!」
ディラニィの足元から、転がりながら前に出たコマに甲高い鳴き声を浴びせるマシロ。
尻尾でぺしぺしとコマの頭を叩く様子から、迂闊な行動を叱ってるようだ。その後ろで頷くミケに表情は無くとも雄弁さがかいま見える。『お前ら実は人間だったんじゃないだろうな?』と思いたくなるディラニィ。
かといっても彼は群れの安全を優先しなければならない。マシロたちのやり取りに心を潤し、前を向くと分身を呼び出した。
何度か分身を呼び出しているうちに慣れたのか、マシロたちも彼らに警戒心を抱かなくなったようだ。新入りのコマはマシロが警戒してないのを察したのか、平然と草地でコロコロ転がって遊んでいる。
3匹を2号と3号に任せ、ディラニィは1&4&5号らと一帯に広がる森林地帯を駆け巡った。探し出すものはハイイログマたちをおぞましいナニカに変えてしまった元凶である。
探し出すこと1時間。
1号が見つけ出したそれは森林の北西部にあった。その場所は大通りの交差点くらいには開けたすり鉢状。周囲には枯れ木が点在し、腐ったような臭気が辺りに立ち込めている。問題のブツは窪みの中央にあった。見た目は黒い一筋の……簡潔にいうならばアホ毛のような形状だ。長さは1メートル弱、緩くカーブを描く黒いアホ毛が生えている。
見た目に騙されるな、とでもいうようにアホ毛の周囲には動物の骨が黒く淀んだ霧をまとわりつかせたままで幾つか転がっていた。
「なんとゆーか、殺生石の伝承を具現化したようなところだな」
『ここ感心するトコやありまへんで、本体』
『ククク、こんな黒骸影響場があったとはな。こちらの世界も中々どうして』
『『…………』』
「…………」
突っ込む5号はともかく、ニヤニヤしながら痛々しいことを呟く4号にその場が静寂に包まれる。なんとなくアホ毛も震え上がった印象を受けたが、まるっと無視だ。
『どうするつもりなんだい?』
『やることなどひとつしかあるまい。聖寂をtぶぎゅるっ』『もうええからお前さんは黙っときぃ!』
最終的に4号が潰されるやりとりをBGMにディラニィが選ぶ手段は【氷の浄化】である。
呪い、或いは汚染の対象を氷塊で包み込み、氷が溶けるごとに対象を浄化するスキルだ。問題点は、対象の汚染度次第で氷塊の大きさと消費MPが増減するところか。こればかりはやってみないと分からない。
分身たちをやや後方に下がらせて何気なく【氷の浄化】を行使したディラニィ。だが突然眼前に現れた白い壁にしこたま顔面を強打し、後方へと弾き飛ばされた。
分身たちも似たようなもので『うわあっ!』とか『なんやてえぇっ!?』だとか『おぶろっ!』などという悲鳴とともに空中を放物線を描くように飛ばされていく。
「あいたたたた。なんなんだよまっ……た、く?」
軽い脳震盪を首を振ることで落ち着かせ、たった今スキルを行使した場所に目を向けたディラニィは絶句した。
そこにはディラニィをもってしても見上げる大きさの氷山があった。
木々の梢をも超え、ちょっとした城のような氷山が出現している。周囲の枯れ木も汚染とされたのか、目を凝らせば氷山の端っこに封入されているのが分かる。中心部のアホ毛などは氷の複雑な屈折もあって何処にあるのやらさっぱり見えない。ディラニィが自身のステータスを確認してみると、MPの3分の2程度がごっそり無くなっていた。
『あたた。酷い目にあいましたわな……』
『こりゃまたとんでもない結果になったもんだね』
5号と1号が唖然と氷山を見上げる中、4号の姿がないのに気付く。
「1匹足りなくないか?」
『4号はんならあれや』
5号が尻尾でビシッと差した先には頭部を氷に包まれじたばたもがく分身4号の姿があった。
『穢れてたと判断されたみたいだね』
『せやな』
「…………見なかったことにしよう」
ディラニィは全力でその光景を記憶から排除した。




