【紫苑視点】夏祭り(後編)
観光客は夏休み中ということもあり、やはり家族連れや学生と思しき男女の集団が目立つ。
近くに高校があるからか、SNSの公式アカウントには放送部の女子が会場放送をしていると記載されていた。
手をつないでる人は……親子が多い。意外にも、カップルらしき男女でもつないでいる人はほとんど見かけなかった。女同士ではしゃいでいる姿もちらほら見かけるが、つなぐことはおろかボディタッチまでいく子たちはさっぱりいない。
みんな、恥ずかしいと思っているのだろうか。当たり前のように繋いでいる自分らは少数派だったことに、じわりと手汗がにじむ。
「うわ、どこもめっちゃ並んでる」
広場は、見るからに人の密度でむせ返りそうな光景が広がっていた。
どこからがどの店の行列なのか、長蛇という言葉通り曲がりくねった並びのためさっぱり分からない。屋台ののれんは人混みで判別が困難だ。
「出店情報くらい書いといてくれればいいんだけどなー。花火の実況よりやることあるでしょうに」
「仕方ない。遠巻きにぐるっと周ってみましょう」
これだけ人があふれていると手をつなぎながら歩くのは難しく、縦一列の形を取らないと進みづらくなってきた。
横一列では、通る人の邪魔になってしまう。芹香と顔を見合わせると、芹香も困ったように苦笑いを浮かべた。
「一時解除しますか」
「……そうね」
名残惜しく、手を離す。ちょうど人混みの向こうに目的のケバブ屋台が見えたため、買い物してくるから待っててと芹香に告げた。ついでに芹香の分も買ってきてあげよう。
「混んでるから少しかかっちゃうかもしれないけど」
「いーよいーよ、ソシャゲのイベントで時間潰してるから」
「蚊に食われないようにね」
「虫除けスプレーしてるから」
「ナンパにも気をつけてね」
「虫除けピアスしてるから」
バカップルみたいなやりとりを交わして、屋台へと急ぐ。
しかし、対策はしているものの蒸し暑いことこの上ない。
もっと大きいお祭りだとこの比ではないのだろうが、人の密と屋台から届く調理の熱気と風のない空間というのは、なかなかしんどいものがある。
こまめにスポーツドリンクを胃へ送り込みながら、スリに合わないように荷物を抱え込んで列が動くのを待った。
「あれ、黒川さん?」
「え」
私のすぐ後ろに並んでいた女の子が馴れ馴れしく背中を叩いてきて、飛び上がりそうになった。声でやっと分かったが、藤原さんだったとは。正直、声をかけられなければ分からなかったかもしれない。
藤原さんはゆるく巻いた髪をアップにまとめ、大胆に牡丹の花飾りをつけていた。
白地の浴衣に咲き誇る撫子は、よく見るとスパンコールの刺繍が施されている。芹香とはまた違った華やかさがあった。
「やっぱり。何人か知り合い見かけたけど、黒川さんも来てたんだね」
「……よ、よく分かったね」
「うん、なんかそれっぽい子いるなーって。この際だから言うけど、何回か外で見かけたこともあったよ」
「そんなに目立つんだ……」
「髪長くて綺麗ってだけで人目引くし、黒川さんすごく可愛い子だし。悪い意味で言ったんじゃないからね」
「ど、どうも」
かわいいとさらりと言われると声が上ずる。
ひとりだけ小学生が紛れているような校内ならともかく、外でも他人から見ると私はわりと特徴的な外見なのか。
「今日はひとり?」
いつも誰かとつるんでいる彼女が、単独で行動している姿は珍しい。私と同じく別行動を取っているだけかもしれないが。
「ううん、デート。まあ今はおつかいだけど。彼氏も向こうの屋台に並んでるよ」
奇しくも私の一緒の状況だった。藤原さんは得意げに、彼氏さんとの実況LINEを見せてくれる。
鮎の塩焼きときゅうりの一本漬けと焼き鳥串、みっつのうちのひとつを今確保したところらしい。チョイスが妙に渋いあたり、彼氏さんは大学生か社会人なのだろうか。
「黒川さんはご家族と来てるの?」
「えっと……」
当然来るその質問に、言うべきか言葉が淀む。
デート、その一言を気軽に言えるというのはなんと羨ましいことか。けれど私が口を開く前に、藤原さんは『あー』と妙に納得した声を漏らして手をぽんと叩いた。
「さっき向こうで清白さん見かけたけど、もしかして一緒に来てた?」
核心を突かれた。芹香とは校内でも行動を共にすることが多いから、そう思われてもおかしくないだろう。芹香も目立つ外見とはいえ、この人混みでよく分かったものだと思う。藤原さん、けっこう普段から観察眼に長けた人なのだろうか。
「そうだね」
「ふーん。正反対のタイプだと思ってたけど、二人って本当仲がいいんだね」
「まあ……小中と一緒だったから」
「えー、そんな前からなんだ。ラブラブで妬けちゃうなあ」
含みのある言い回しに、耳が熱を帯びる。けど、妬けるというのは冷やかしの意味だけではなく、『付き合いが悪い』と取られているかもしれない。とっさに、思いつきの言葉を放つ。
「お、お祭り誘おうか迷ったんだけど、もしかしたら藤原さんは彼氏さんと先約済みかなって思って」
「あはは、その通りだったし気にしなくていいよ。彼氏いると優先順位が難しいんだよね。もちろん、黒川さんたちとは今後ももっと遊びたいからじゃんじゃん誘ってよ」
「う、うん。こっちこそ、最近せ……清白さんとばっかりでごめん」
「いいって。友達は何人いてもいいんだから、そんなバランスとか重く考えなくていいんだよ」
幼馴染って響き、男女だったらラブコメに発展してそうだよね。
そう、藤原さんに言われて喉がつかえる。
男女でなくても藤原さんの言葉通りの関係にはなっているのだが、その想定までは行き着いていないことに安堵と胸の痛みを同時に覚えた。
まだ、大多数のなかでは恋愛は男女でするものというのが共通の認識だ。今はLGBT教育により昔よりは理解が進んでいるものの、当たり前というほどには浸透していない。新たな価値観の刷り込みは、必ず最初は反発を生む。
LGBTというだけでアレルギー反応を起こしている心無い声を耳にするたび、結局は隠し通すのが正解という現状は変わっていないのだ。
「あ、次順番だよ」
話し込んでいる間に列は進んでいて、いつの間にか順番が周ってきていた。
調理は目の前で行われているため、厨房の熱気が一気に強くなる。
ゴチュウモンは、と片言の日本語で告げてきた外国人らしき店主は汗だらだらで、ちゃんと熱中症対策を取っているのか若干心配になった。
屋台にエアコンをつけることは不可能だから、何時間も屋外で肉を焼かないとならないと考えるとしんどいことこの上ないだろう。
くるくると回転する巨大な鶏の肉塊からは、焼けた肉とタレの香ばしい匂いが漂ってきて食後だというのに胃に空腹を覚え始める。
父と芹香のぶんだけ買う予定だったが、肉の魔力に負けて自分の分も追加で注文してしまった。
「マイドあざまーす」
商品を受け取り、ようやく人の洪水から抜け出した私は芹香にLINEを送った。
気温は変わっていないのに、生ぬるいはずだった風が冷房の冷たさのように汗ばんだ身体を通り過ぎていく。タオル、持ってくればよかったかもしれない。
「それじゃ、また学校でね」
「うん。彼氏さんとのデート、楽しんできてね」
なんとなく、会話が中断されたため藤原さんの買い物が終わるまで付近で待っていた。律儀に挨拶を告げてきた藤原さんが、手を振って振り返る。
「黒川さんも。デート、割り込んじゃってごめんね」
頭を下げると、藤原さんは彼氏さんが待っているらしい庁舎の方角へと向かっていった。
踵を返す前に、髪をかき上げて。
なぜか、なにもつけていない自身の左耳を得意げな笑みとともに指差して。
……え?
固まっている私の肩を、誰かが叩く。今度は芹香だった。
「汗すごいよ。ちゃんと水分補給した?」
「う、うん。だいぶ待たせちゃってごめんね」
「無事に帰ってきてくれたんだから気に病まなくていいよ。行こ」
少し強く、手を引かれる。ここから逃げ出したいというように、声も早口気味だ。
ふと視線を感じたので耳を傾けると、明らか芹香狙いと思われる『声かける?』『彼氏いないっぽいしな』みたいな軽い声が聞こえて背筋がぞわっと震える。
これだけ背が高くて足も長くて日本人には珍しく金髪が似合っている美人であったら、私だって二度見するからなあ。
あしらうのは慣れてる芹香とはいえ、怖いと思うのも当然だ。
速歩きでわざと人混みを縫うように広場を抜けると、ナンパを撒けたのかそれ以上足音がついてくることはなかった。
「しーちゃん、今日はツーショット申し出てもおけ?」
不安の気持ちが渦巻く私をよそに、芹香は携帯電話を取り出すと目の前にかざした。
そういえば、撮られたことは数あれど一緒に撮ったのはほんの数回程度だったっけ。
花火も上がっているし、カップルのフォトとしては絶好の機会になるか。
首肯すると、『うしっ』と控えめなガッツポーズが握られた。
大輪の花が弾け散る色とりどりの夜空の下、芹香と並んで顔の横にちょこんとピースサインを添える。
七色の光に照らされる芹香の横顔は、スポットライトを浴びているアイドルのごとき美しさを放っていた。
見惚れているともっとくっついてーと芹香に肩を組まれ、互いの頬が触れそうなほどに近づいた。写真の中の私はきっと、頬がりんごのように染まっているに違いない。
無事撮影を終えたあと、芹香がぼそぼそと耳打ちしてきた。
「実を言うと、ツーショットよりも人混みから連れ出したい気持ちのほうが強かったんだよね」
「え、なんで?」
「だって……しーちゃん、めっちゃかわいいから。色んな人が君にちらほら注目してるんだもの」
「えっ」
「ほんとだって。ナンパっぽい集団の声も聞こえたから逃げ出してきたようなもんだよ」
頬を可愛らしく膨らませて、『君はもっと可愛いことを自覚したほうがいいよ』と眼の前の人に言いたい言葉がそっくりそのまま返ってくる。
それから腰に手を回されて、間髪入れず口吻を受けた。
一瞬の感触で、人混みから離れた場所とはいえ。まさかすると思ってなかったから不意打ちに固まる。
「……手つなぎまでって言ったのに」
「ごめんごめん、安心したら我慢できなくなっちゃった」
もう、そういうところほんとずるい。
今日は幾度となく、内でも外でも花火が上がっている。
ばくばくと高鳴る心臓は祭ばやしよりも強く、じっとしていたら弾けてばらばらになってしまいそうだ。
つないだこの手がかろうじて、夢心地でふわふわ漂う意識を繋ぎ止めている。
「もっかいいい?」
「だめ。……歯止めが効かなくなりそうだから。また次の機会ね」
「へーい」
強引だったけれど、胸のもやもやはいつの間にか霧散していた。口づけひとつが特効薬になるとか、我ながら私も単純だ。
芹香の手を引いて、ステージイベントへと急ぐ。
祭りが終わっても、胸に咲いた花火はしばらく消えることがなさそうだ。




