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56「接待②」


 遠征前日、準備休暇をもらっているヴィエラは、アンブロッシュ公爵家の厨房にお邪魔していた。背後から料理長が様子を見守っている。



「よし、久々に作りますか!」



 エプロンの紐をきゅっと結んで、ヴィエラは鍋に砂糖と少量の水を入れて火にかけた。

 彼女が作ろうとしているのは、ユーベルト領の郷土菓子『クルミのキャラメルタルト』だ。クルミ入りのキャラメルフィリングをクッキー生地で包んで焼き上げたもの。ユーベルト領では秋にたくさんのクルミが収穫できるため、冬の定番として領民に親しまれている。

 けれど料理長はこの菓子を知らなかったらしく、興味津々で見学を申し出てきた。


 そんな視線に緊張しつつ、ヴィエラは砂糖が溶けたタイミングでクルミも鍋に入れた。重くねっとりと絡み合い、なかなかの力作業だ。そこへ生クリームを入れて弱火で煮詰めながら混ぜれば、フィリングの完成だ。

 あとは深さのあるタルト型に敷いていたクッキー生地に流し込み、保冷庫で少し冷やす。それから伸ばしていたクッキー生地を上から重ねて包み込んだ。

 表面に溶かし卵を薄く塗って乾いてから、ナイフで模様をつける。そしてオーブンで焼けば完成となる。


 公爵邸の高性能オーブンの使い方は分からないので、料理長にお任せする。一切れ味見する権利を渡すことで交渉済みだ。

 オーブンから出てきたタルトの表面は艶のあるきつね色で、模様も綺麗に出ている。最高の焼き加減だ。



「料理長、さすがです。ご協力感謝いたします」

「お力になれて良かったです。ルカーシュ様のお帰りが楽しみですね」



 料理長の言葉に、ヴィエラは頷いた。

 遠征前日の今夜、ルカーシュとの時間をたくさん確保しようと、夕食後にふたりで軽くお酒を飲むことになっている。「恋人手作りの菓子は格別」というドレッセル室長の経験談を参考に、自分で軽食をひとつ用意してみたのだ。

 ちなみに栄養価はとんでもなく高く、夜食べるには恐ろしい菓子だが今日くらい良いだろう。


 そうして密かにそわそわしながら過ごした夕食後、ヴィエラは私室にルカーシュを迎えた。

 使用人にアドバイスをもらいながら、ルカーシュが好む銘柄のワインとウィスキー、ハムやチーズなどのつまみもしっかり用意している――が、彼が最初に目を付けたのは、クルミのキャラメルタルトだった。



「これはなんだ? パイ? いや、タルトか」



 料理長と同じく、ルカーシュも知らないらしい。数口で食べられるよう細めに切り分けてあるそれを、興味深そうに見つめた。



「ユーベルト領の郷土菓子です。クルミとキャラメルのタルトで、ウィスキーと相性が良いんですよ。久々に作ってみました」

「ヴィエラが……!」



 ブルーグレーの瞳が、分かりやすくキラリと輝いた。

 上司の経験談は、かなり有効らしい。ウィスキーをグラスに注ぎ、彼に手渡す。それからヴィエラはタルトを一切れ手でつまむと、そのままソファの隣に座るルカーシュの口元に寄せた。



「ルカ様のお口にも合えば良いのですが――はい、あーん!」



 彼は驚いたように、パチリと大きく瞬きした。



「君は先に飲んでいたのか?」

「……素面(しらふ)です」



 ドレッセル室長が「恋人からの『あーん』は最高!」と言っていた。それも実行しようと思ったのだが、これは選択ミスだっただろうかと頭を捻る。



(末っ子気質のルカ様なら喜んでくれると思ったのは、少々軽率だったかしら。これは子ども扱いすぎるかもしれないわね。年上男性としてのプライドもあるでしょうし、引き下がろう)



 そう手を下げようとしたが、ルカーシュがヴィエラの手首を掴んで制止させた。そして彼はタルトの先をかじる。もぐ、とゆっくり咀嚼しながら味を確かめ、ウィスキーを少し口に含むと表情を緩めた。



「お味はいかがですか?」

「ウィスキーとの相性は確かに良いらしいな。ウィスキーの香りとキャラメルの風味がよく合う」

「良かったです!」



 ルカーシュが気に入ったのなら良かった。そして安堵して食べかけのタルトを取り皿に置こうとしたが、ヴィエラの手首は解放されない。

 彼はそのまま、すぐに二口目をかじった。先ほどより、彼の唇がタルトを掴んでいる指先に近い。タルトはさらに小さくなり、残り一口くらいのサイズが残った。

 つまり、このまま三口目に進んでしまったら――ヴィエラは自分が大胆なことをしていると気が付き、口元を引きつらせた。



(だから、さっきルカ様は驚いていたんだ……! フォークで刺して実行すれば良かった)



 羞恥と後悔が混ざり合った婚約者の表情を見たルカーシュは、口角を上げた。



「いつもは逃げ腰なのに、今日は積極的だな?」



 そう言って彼は、ヴィエラの指ごとタルトをパクリと口に含んだ。形の良い唇はもちろん、歯が軽く指先に当たる。最後はペロッと、柔らかい舌も触れたのではないだろうか。

 一瞬の出来事だが、何かもの凄いことが起きた。若干放心状態のヴィエラは、ルカーシュの顔が離れ、手首とともに解放された指先をまじまじと見つめた。



「洗えない?」

「いや、何かのタイミングで洗うか拭くべきだろう」



 ウィスキーのグラスを傾けながら、ルカーシュは機嫌が良さそうに笑った。

 今日の目的は、寂しがりやの婚約者に満足してもらうことだ。楽しい時間を過ごしてもらい、ヴィエラの気持ちはルカーシュにあると実感してもらい、安心感を与えるという狙いがある。

 自分の恥ずかしさは二の次だと、穴に入りたい気持ちを抑えるようにヴィエラもお酒を飲み始めた。



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