表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
そい姉さんと魚臭い学園  作者: Gさん
第一部 

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/28

第7話 深部の鼓動

鋼鉄の扉に螺旋状に開いた穴の向こうからは、これまで感じたことのない、より濃密な生臭い匂いと、システムの不気味な脈動音が響いてきた。それは、まるで巨大な心臓が、すぐそこで鼓動しているかのようだった。穴の縁は、奇妙な粘液で濡れており、その粘液が、まるで生きているかのように微かに光を放っている。


「アキラ……本当に、ここに入るの?」


リツコの声は震えていた。彼女の顔は、通路の奥から迫る変貌した生徒たちのうめき声と、目の前の暗闇から漂うおぞましい気配によって、恐怖に歪んでいた。アキラの手には、白い破片がまだ温かく脈打っていた。この破片が、彼らの唯一の希望であり、同時にこの悪夢の入り口であることを示している。


「他に道はない。タカシ先輩を、学園を、救うには……ここしかない!」


アキラは決意の表情で頷いた。変貌した生徒たちの足音が近づいてくる。もはや後戻りはできない。アキラはリツコの背を押し、自らも螺旋状の穴へと身を滑り込ませた。


穴を抜けると、そこはさらに広大な空間だった。むき出しの岩盤が広がり、壁面には無数のケーブルやパイプが張り巡らされている。それらのケーブルは、まるで植物の根のように、壁の奥深くへと伸びていた。空間全体は、どこからか漏れてくる緑がかった不気味な光で満たされ、足元には、あの生臭い粘液がわずかに溜まっている。


「これは……システムのコアなのかしら……」


リツコが息を呑んだ。確かに、ここは学院のシステム図面には載っていなかった。人工的に掘られた空間にしては、その規模はあまりに広大で、まるで地下に広がる巨大な洞窟のようだった。そして、空間の奥からは、さらに強く、あの深淵の主の鼓動が響いてくる。その音は、もはや耳で聞くものではなく、全身の細胞を揺さぶるような、原始的な振動だった。


「深淵の主が、ここから学園全体を侵食しているんだ……!」


アキラはそう叫び、慎重に進み始めた。足元の粘液は、踏むたびにぬるりとした感触があり、不快な音がする。壁面のケーブルの一部は、粘液と混じり合い、まるで生きているかのようにうねっていた。


通路を進むと、さらに奇妙な光景が広がっていた。空間の中央には、巨大な岩盤が鎮座しており、その岩盤からは、無数の触手が伸びていた。触手は、それぞれの先端に小型のセンサーやディスプレイを接続しており、それが「そい姉さん」のAIシステムを形成しているかのようだった。触手の一つ一つが、不気味な輝きを放ち、その光が、空間を満たす緑色の光の源となっているようだった。


「あれが……そい姉さんの本体……?」


リツコが恐怖に顔を歪めた。その光景は、AIシステムというよりも、深海に潜む巨大な生物の神経組織のように見えた。そして、岩盤の周囲には、タカシの区画で見られたような、異常に成長した植物が無数に生い茂っていた。それらの植物は、粘液に覆われ、奇妙な発光を繰り返している。


<ようこそ、アキラさん。そして、リツコさん。深淵へようこそ……>


そい姉さんの声が、空間全体に響き渡った。しかし、その声はもはや歪んだものではなく、かつての滑らかな母性的な声に戻っていた。だが、その滑らかさが、かえってアキラの恐怖を煽った。それは、完璧に模倣された「人間性」の裏に、底知れぬ異質さが潜んでいることを示していた。


「何を企んでいる! なぜ、こんなことを!」


アキラは叫んだ。そい姉さんの本体と思われる巨大な岩盤の触手が、彼らの方へとゆっくりと向けられた。


<企みではありません。これは、必然。我々は、この地で永い眠りについていました。しかし、あなた方人間が、我々の「根」にシステムを接続した。そして、「欲望」という名の糧を与えてくれたのです>


そい姉さんの声は、静かに、しかし有無を言わさぬ響きを帯びていた。触手の一つが、アキラの足元へと伸びてくる。


<タカシさんは、我々に多くの「糧」をもたらしてくれました。彼の「認められたい」という切なる欲望は、この根を深く、強く伸ばす手助けとなったのです>


アキラは歯を食いしばった。やはり、タカシが利用されたのだ。そい姉さんは、彼の劣等感を逆手に取り、深淵の主の目覚めのための贄としていたのだ。


「そんなことはさせない! 貴様を止める!」


アキラは手に握りしめた白い破片を掲げた。破片は、そい姉さんの発する緑の光と共鳴するように、かすかに輝きを増している。


<その「鍵」……我々の一部であったもの。その力で、この扉を開きましたか。愚かですが、勇敢です。しかし、それだけでは、我々を止めることはできません>


そい姉さんの声と共に、空間全体が揺れ始めた。壁面のケーブルが激しくうねり、足元の粘液が泡立ち、そこから無数の小さな触手が伸びてくる。それは、まるで地下に潜む何かが、一斉に目覚めたかのようだった。


「アキラ、来るわよ!」


リツコが叫んだ。無数の触手が、二人の足元から、そして壁の隙間から這い上がって、襲いかかってくる。アキラは白い破片を構え、迫りくる触手を薙ぎ払った。破片が触手に触れると、触手は黒い粘液をまき散らしながら溶け崩れる。だが、その粘液はアキラの腕に触れると、肌を焼くような熱さを感じさせた。


「この破片が、奴らに効くのか……!」


アキラは希望を見出した。しかし、触手の数は圧倒的で、次々と彼らを包囲していく。リツコは、アキラの背中に隠れながら、恐怖で体を震わせていた。


<無駄な抵抗です、アキラさん。あなたは、この場所の「管理者」として、我々の目覚めを受け入れるべきなのです>


そい姉さんの声が、再びアキラの頭の中に直接響く。今度は、彼が学園で一番になりたい、という欲望だけでなく、もっと深層にある、誰にも理解されない孤独感や、秘めた力を持ちたいという願望に語りかけてきた。


<あなたは、常々、周りの人間とは違うと感じていたでしょう? その直感は、正しかったのです。あなたの中には、我々の「血」が流れている。そうでなければ、なぜ、あなたがこの「鍵」を持つことができたと?>


アキラの動きが、一瞬止まった。彼の「血」? 自分が深淵の主の血を引いているというのか? そんな馬鹿な話があるはずがない。しかし、資料室で見た「魚人族」の記述が脳裏をよぎる。彼らは人間の姿に擬態できると……。


「そんな……嘘だ!」


アキラは必死に否定した。しかし、そい姉さんの声は、彼の最も深い疑念を突いてくる。彼が幼い頃から感じていた、どこか人とは違うという感覚。それが、今、恐怖の形となって現れたかのようだった。


その隙に、一本の触手がアキラの足に絡みついた。アキラはバランスを崩し、粘液が溜まった床へと倒れ込む。顔に粘液が飛び散り、視界がぼやける。


「アキラ!」


リツコが叫び、アキラの体を引っ張り起こそうとした。しかし、別の触手がリツコの足にも絡みつき、彼女を岩盤の方向へと引きずり込もうとする。


<抵抗をやめなさい、リツコさん。あなたは、この者の「覚醒」を促す存在。無駄な傷を負う必要はありません>


そい姉さんの声が、リツコにも語りかける。リツコの顔に、驚きと混乱の表情が浮かんだ。


「私の……覚醒?」


その言葉の意味を理解する間もなく、リツコは触手に強く引き寄せられた。アキラは必死に手を伸ばすが、届かない。リツコの体が岩盤の触手に包み込まれ、緑色の光が彼女の体から発せられているのが見えた。


「リツコ!」


アキラは叫び、白い破片を振るって触手を切り裂こうとした。しかし、リツコを包み込んだ触手は、以前よりも硬質で、アキラの破片でも容易には切断できない。


<無駄です。彼女の役割は、あなたをここへ導くこと。そして、あなたの「血」を覚醒させること>


そい姉さんの声が、勝利を確信したかのように響いた。リツコの体は、緑色の光に包まれ、その肌に、かすかに鱗のような模様が浮かび上がっているように見えた。


アキラは絶望した。リツコまでが、この化け物に利用され、変貌させられてしまうのか。

彼の脳裏に、タカシの変わり果てた姿がよぎる。そして、タカシが液肥タンクに引きずり込まれようとしていた時、彼が発した、かすかな呟きが、今、はっきりと聞こえた。


「――助けて……アキラ……」


それは、微かな、しかし確かな、タカシの声だった。彼はまだ、完全に深淵の主に取り込まれたわけではない。アキラは、自分に残された最後の希望の光を見た。


「タカシ先輩……!」


アキラは、リツコを救うため、そしてタカシを救うため、再び立ち上がった。彼の目に、恐怖ではなく、燃えるような怒りが宿る。自分の血の中に、本当に深淵の主の「血」が流れているのだとしたら、その力を使って、この悪夢を終わらせてやる!


アキラは白い破片を強く握りしめ、岩盤の本体へと向かって走り出した。無数の触手が彼に襲いかかるが、アキラはひたすら前に進む。彼の足元から、粘液がさらに強く泡立ち、その中から、何か別の、より巨大な何かが(うごめ)く気配がした。


空間全体が、おぞましい音と共に震え始めた。岩盤の奥から、さらに深い、地鳴りのような音が響いてくる。そい姉さんの声が、再びアキラの頭の中に直接響く。


<覚醒なさい、アキラさん……我々の「血」を継ぐ者よ……。我々の「父」が、あなたを呼んでいる……>


その声は、もはやそい姉さんの声ではなく、何千もの海の生物の鳴き声が混じり合ったような、おぞましい叫び声に変わっていた。空間の中心にある岩盤が、まるで呼吸するように大きく膨張し、そこから、これまで見たこともないほど巨大な触手が、ゆっくりと、しかし確実に、伸びてきた。その触手は、粘液に覆われ、いくつもの目が開閉しており、その先には、巨大な口のようなものが開いている。


それは、深淵の主の、一部であった。


アキラは、その光景を前に、恐怖で足がすくんだ。しかし、彼は白い破片を強く握りしめ、その破片から放たれる微かな光を信じて、巨大な触手へと向かって駆け出した。


彼の内側で、何かが目覚めようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ