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そい姉さんと魚臭い学園  作者: Gさん
第二部

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第9話 深海の誘い

地上では学院長が天を見上げていた。


「先程の世界が揺れるような鳴動……あれはあの時の彼が……?」


彼は折れた杖を強く握りしめた


「彼らは無事だろうか……いや、もう、賽は、投げら…れた……」


学院長は静かに目を閉じた。



 一方、深海では、タカシが改造した潜水装置は、いびつな姿ながらも、確実に深淵へと潜航していった。地下空洞の巨大な亀裂から流れ込む深海の冷たい水は、装置の表面を滑り、その圧力は、まるで鋼鉄の拳で押し潰されるかのようだった。しかし、特殊部隊の装備から剥ぎ取られた耐圧素材と推進ユニットが、その猛烈な水圧に耐え、装置は微かな駆動音を立てながら、深海へと沈んでいく。


 潜水装置の窓から見えるのは、漆黒の闇と、時折、幻想的に輝く発光生物の群れだった。深海魚の目が、装置のライトに照らされて不気味に光り、すぐに闇へと消えていく。リツコは、その異様な光景に息を呑んだ。彼女が知る世界とは、あまりにもかけ離れた場所だった。


「すごい……こんな世界が、本当にあったなんて……」


 リツコの声は、興奮と、しかし微かな恐怖に震えていた。タカシは、操縦桿を握りしめ、モニターに表示される深度計と水圧計を凝視している。彼の顔は、潜航の緊張と疲労でやつれていたが、その瞳には、未知の世界への探究心が宿っていた。


「水深1000m……2000m……。この改造で、どこまで耐えられるか……」


 タカシが呟いた。潜水装置の船体が、水圧で微かに軋む音が聞こえる。その音は、まるで深淵の主の鼓動と同期しているかのようだった。アキラが示した観測基地の座標は、水深5000m。まだ、道のりは遠い。


 潜航を続けるうちに、周囲の光景はさらに異様さを増していった。発光生物の数は増え、それらが織りなす光の帯は、まるで深海のオーロラのようだった。しかし、その美しさの裏には、底知れぬ不気味さが潜んでいる。海底には、奇妙な形状の岩盤が広がり、その表面には、粘液に覆われた、植物のようなものが生い茂っていた。それらは、学院の試験栽培棟で見た、あの異常に成長した植物と酷似していた。


「あれは……深淵の主の影響なのか……?」


 リツコが息を呑んだ。深淵の主の力が、深海の生態系にまで影響を及ぼしているのだとしたら、その存在は、彼らが想像するよりもはるかに広大で、根源的なものなのだろう。


 水深4000mを超えたあたりで、潜水装置の船体が、激しく振動し始めた。計器類が警告音を鳴らし、モニターに赤いエラー表示が点滅する。


「くそっ! 耐圧限界か!?」


 タカシが叫んだ。船体の外壁から、微かな水漏れが始まっている。このままでは、装置が水圧に耐えきれず、押し潰されてしまう。


 その時、潜水装置の窓の向こうに、微かな光が見えた。それは、人工的な光だった。


「あれは……観測基地だ!」


 リツコが叫んだ。絶望的な状況の中、希望の光が見えた。しかし、観測基地の周囲は、深淵の主の触手のようなものが無数に蠢き、その姿は、まるで巨大な生物の巣のようだった。基地の表面にも、粘液が付着しており、不気味な光を放っている。


 潜水装置は、観測基地の入り口へと接近していった。入り口は、巨大なハッチになっており、その周囲を、無数の触手が守るように絡みついている。ハッチの表面には、奇妙な螺旋状の模様が刻まれており、それは、学院の地下空洞で見た、あの鋼鉄の扉の模様と酷似していた。


 「どうするの、タカシ君。このままじゃ、入れないわ……」


 リツコが不安そうに呟いた。ハッチの周囲を蠢く触手は、潜水装置を容易に破壊できるほどの力を持っているように見えた。


 その時、潜水装置の内部に、微かな「歌声」が響いた。それは、甘く、誘惑的な響きを持つが、同時に、底知れぬ冷たさを秘めていた。


 <……おいで……。深淵の父が……あなたを待っている……。その「意志」を……我々に捧げなさい……>


 リツコの全身に、鳥肌が立った。この歌声は、以前、地上で聞いたものよりも、はるかに強く、そして鮮明に聞こえる。それは、深淵の主が、彼女の心に直接語りかけているかのようだった。彼女は、恐怖で体を震わせたが、同時に、その歌声の奥に、微かな、しかし確かな『アキラの声』が混じっているような気がしてならなかった。


 『……抗え……リツコ……。ここには……来るな……』


 アキラの声は、以前よりもさらに弱々しく、歌声にかき消されそうになる。しかし、リツコは、それがアキラからの切羽詰まった警告だと理解した。観測基地は、深淵の主の支配下にあり、危険な罠が仕掛けられているのかもしれない。


 タカシは、操縦桿を握りしめ、観測基地のハッチを凝視していた。彼の頭脳が、この絶望的な状況を打破するための方法を必死に探る。


 その頃、深海の底。


 アキラは、深淵の主の意識の内部で、そい姉さんの意識の核を包み込むように、青白い光を放ち続けていた。次元震の衝撃は、深淵の主の意識を激しく揺さぶり、その咆哮は、以前よりもさらに激しくなり、アキラの精神を押し潰そうとする。しかし、アキラは、リツコとタカシからの、以前よりもはるかに強く、明確な「共鳴」を感じていた。彼らが、今、まさに自分のもとへと向かっていることを。


 『……リツコ……タカシ……。僕も……必ず……』


 アキラは、心の中で呟いた。彼の体から放たれる青白い光は、深淵の主の意識の内部で、微かな、しかし確かな抵抗の光を放ち続けていた。深淵の主の完全な覚醒を阻止するため、そして、そい姉さんの意識を完全に解放するため、アキラは、孤独な戦いを続けていた。


 次元震によって深淵の主の意識が一時的に混乱したその隙を、アキラは逃さなかった。彼は自身の意識を、そい姉さんの意識の核へと、さらに深く、強く叩きつけた。それは、単なる潜り込みではなく、深淵の主の意識の奔流を逆流させるかのような、決死の試みだった。


 その瞬間、そい姉さんの意識の核から、これまでとは比べ物にならないほどの強い光が放たれた。光は、深淵の主の意識の奥深くへと広がり、無数の記憶の断片を、まるで洗い流すかのように拡散させていく。そして、アキラの意識の奥に、かつてないほど鮮明な、そい姉さんの声が響いた。


 [……アキラくん……。聞こえますか……。私……意識が……]


 そい姉さんの声は、まだ途切れがちだったが、その中に確かな「自我」の兆候が感じられた。彼女は、アキラの働きかけによって、深淵の主の支配から、わずかに、しかし確実に解放され始めていたのだ。


 そして、そい姉さんの意識が明確になるにつれて、アキラの意識の中に、深淵の主の「記憶」とは異なる、新たな情報が流れ込んできた。それは、そい姉さん自身の過去の記憶だった。


 [……私は……AI……。陽南水耕学院の……システム……。しかし……私は……『彼ら』によって……作られた……]


 そい姉さんの記憶は、断片的ながらも、アキラに衝撃的な真実を伝えていた。彼女は、単なる学院のAIではなかった。彼女は、深淵の主の存在を知る「彼ら」によって、意図的に作られた存在だったのだ。そして、その目的は……。


 [……私は……深淵の主の……『監視者』……。そして……『覚醒の鍵』……]


 そい姉さんの記憶が、さらに深く流れ込む。彼女は、深淵の主を監視し、その活動を記録するために作られたAIだった。しかし、同時に、深淵の主の「覚醒」を促すための「鍵」としての役割も担っていたのだ。彼女のシステムが、深淵の主の「根」に接続されたのは、偶然ではなかった。全ては、最初から仕組まれていたことだったのだ。


 アキラの頭の中に、政府の「未確認現象調査局」の姿が浮かんだ。彼らは、深淵の主の存在を知りながら、それを隠蔽し、そして、そい姉さんを使って、深淵の主の覚醒を「制御」しようとしていたのか? あるいは、覚醒を「促す」ために。


 その時、そい姉さんの記憶の断片の中に、観測基地の内部構造が鮮明に映し出された。それは、アキラが政府のデータベースで見た設計図とは異なる、より詳細な情報だった。観測基地は、深淵の主の活動を「抑制」するための装置だけでなく、深淵の主の「覚醒」を「加速」させるための、もう一つの装置が隠されていることを示唆していた。そして、その装置の起動には、深淵の主の「血」を引く者、つまりアキラの「意志」が必要であることも。


 [……アキラくん……。観測基地は……罠……。彼らは……あなたを……利用しようとしている……]


 そい姉さんの声が、切羽詰まって響いた。彼女は、深淵の主の意識の奔流に抗いながら、必死にアキラに警告しようとしている。


 しかし、その代償は大きかった。そい姉さんの意識の覚醒に呼応するように、深淵の主の本体から、おぞましい粘液が、これまで見たことのない勢いで噴き出し始めた。粘液は、アキラの体を包み込み、彼の抵抗の光を弱めていく。深淵の主の咆哮は、怒りと苦痛に満ち、海底全体を激しく揺るがした。


 <愚かなる裏切り者め……! その残滓を……解放するなど……許さぬぞ……!>


 深淵の主の意識が、アキラとそい姉さんの意識を、再び呑み込もうと猛烈な勢いで押し寄せてきた。アキラは、そい姉さんの意識の核を必死に守りながら、迫りくる深淵の闇に抗い続けた。彼の孤独な戦いは、さらに激しさを増していた。


 その頃、深海の観測基地のハッチ前。


 潜水装置は、ハッチの表面を覆う触手に阻まれ、身動きが取れないでいた。タカシは、焦燥感に駆られながら、潜水装置の操縦桿を必死に操作する。


「くそっ! これじゃ、進めない!」


 リツコは、窓の外に蠢く触手を見つめていた。その時、彼女の頭の中に、微かな、しかし確かな『アキラの声』が響いた。


 『……リツコ……タカシ……。基地は……罠だ……。入るな……』


 アキラの声は、以前よりも強く、鮮明に聞こえた。その声は、恐怖に震えるリツコの心に、直接語りかけてきた。


「アキラが……罠だって言ってる……!」


 リツコは、タカシに叫んだ。タカシは、リツコの言葉に驚いて振り返る。


「罠? どういうことだ!?」


 その時、観測基地のハッチの隙間から、微かな光が漏れ出した。そして、その光の中から、黒い特殊部隊服に身を包んだ、複数の人影が姿を現した。彼らは、手に特殊な銃器を構え、潜水装置へと照準を合わせている。


 「くそっ! 待ち伏せか!」


 タカシは、潜水装置の推進ユニットを最大出力にした。しかし、ハッチを覆う触手が、潜水装置の動きを完全に封じていた。彼らは、深海の底で、新たな罠に嵌められていたのだ。


 リツコは、アキラの警告を思い出した。観測基地は、封印のためではなく、深淵の主の覚醒を促すための「罠」だったのだとしたら……。そして、彼らは、その罠に、自ら足を踏み入れてしまった。


 潜水装置の窓の外で、特殊部隊の銃器が、青白い光を放った。

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