第二百九十二話 兄と弟 ―If we could start over.―
【輝夜】が『コア』を撃ち抜かれた。
月居司令の生み出した最強の機体が、たった一体の理知ある【異形】の前に散った。
伝播する衝撃は兵士たちを沈黙させた。
何度も諦めかけ、その度に持ちこたえてきた彼らの精神が、いよいよもってへし折られる。
絶望。あるのはそれだけだった。
「プルソン――ッッ!!」
瞋恚の炎を燃やすセンリはその身一つで敵のもとへと急迫する。
進行方向を妨害するように出現したワームホールの数々を躱し、躱し、躱し。
視認するより先に魔力の揺らぎを感知して回避しながらの高速機動を以て、『プルソン』へと肉薄した。
上半身をほとんど動かさず放つ回し蹴りが、瞠目する理知ある【異形】の胴を掠める。
『その程度、読めているとも』
黒き裂け目が『プルソン』の背後の虚空に開き、その身を吸い込んだ。
脚が空を切る感触。
だが、それでいい。本命はこの蹴りではなく、【ゼルエル】の魔法なのだから――。
(【アブソリュート・ゾーン】)
無言の詠唱から発動する結界。
青の魔法陣が【ゼルエル】の足下から半径五十メートル圏内の範囲に展開され、そこにいる者の魔法を封印する。
刹那、『プルソン』によって生み出されていたワームホールの全てが消失した。
これでもう瞬間移動は使えない。魔法の使えない理知ある【異形】など、ただのサンドバッグだ。
「はあッ!!」
大穴の霧散した虚空へと背から落ちていく『プルソン』へ、振り切った脚を引き戻して二度目の蹴りを見舞う【ゼルエル】。
鋼鉄の巨躯の大質量が『プルソン』を捉える。
防衛魔法も禁じられている。回避する術はない。
――勝った。
生駒センリはそう確信した。
『――読めていると、言ったはずだ』
しかしその確信を『プルソン』は否定する。
直後、感じたのは後ろ蹴りを浴びせようとしていた踵にかかる反発力であった。
「何――!?」
『私が魔法に頼り切りの脆弱な存在だと思っているのなら、それは大きな間違いだよ』
押し返される。
【ゼルエル】の五分の一にも満たない、たった二メートル弱の痩躯に。
瞠目するセンリは体勢を崩す。掌を突き出した状態で見下ろしてくる『プルソン』は、仰向けで宙に投げ出された【ゼルエル】の胸の上に飛び乗り――
ぐっ、と足でその機体を下へと押しやった。
『驕るな、人間』
推力を上げて落下を逃れようとするが、己の張った結界が魔力の出力上昇を阻んでしまう。
SAMの推進器は内部で属性の異なる魔力と魔力を融合させることで、より大きなエネルギーを生み出している。そのメカニズムは魔法と類似しており、そのために【アブソリュート・ゾーン】の効果に適用されてしまうのだ。
魔法を完全に封じ込める強力さ故の弊害。
身体を動かす最低限の魔力しか使えない結界内であっても、鋼鉄の巨体とセンリ自身の武術があれば敵なしであったが――相手が魔法抜きでも互角以上の力を有しているのなら、話は変わる。
「くっ――!?」
『ご退場願おう、人類最強の戦士よ』
落ちる。落ちる。落ちる。
視界が結界の薄青から太陽光の白へと転じる、その境界にて――生成されたワームホールが【ゼルエル】を呑み込み、この戦場から永久に追放した。
*
永遠に引き延ばされたような時間の中で、彼は見た。
自らの魔法を食らわせられた【輝夜】が、槍衾のごとき茨の蔦に『コア』を貫通される悪夢を。
閃光と爆風に呑まれ、木っ端微塵に散る機体を。
そして、その残骸の中で辛うじて形を保っている銀色の箱を。
「兄さん――!!」
【イェーガー・カーオス】を駆り、黒羽ツグミは全てを擲ってその箱へ飛びついた。
ここで『プルソン』に撃たれようが構わない。どのみち【輝夜】が敵わないようなら【カーオス】でも無理だ。ならばやるべきは己の欲求に従うこと、それだけ。
小さい頃から兄と比べられるのが苦痛だった。
比較される度に兄が嫌いになり、それに劣る自分がもっと嫌いになった。
同じ教育を受けているのに、どうしてこうも違うのか。同じ血を引いているはずなのに、どうして兄に出来ることが自分には出来ないのか。
鬱積していた暗い感情が爆発したのは、忘れもしないあの日だった。
ミコトに学園へ通うことを勧めた日の夜。彼は屋敷の使用人が自分についてこう話しているのを聞いてしまったのだ。
『ツグミ様は所詮、タカネ様のスペアなのだから』
その言葉を聞いた時、彼は自分を構成していた何もかもが崩れ去る音を聞いた。
兄に少しでも追いつこうと努力してきた。いつか同じ場所に立つために必死に頑張ってきた。だが、その悉くは無意味だったのだ。
自分が兄より後に生まれ、兄より劣るとはっきりした時点で、その運命は覆らないものとなっていた。
それが耐えられなかった。一時は兄を殺して全て奪い取ってやろうとさえ思った。しかし、出来なかった。彼は兄を憎むと同時に、たった一人の兄弟として愛してもいたから。
だから彼は出奔した。兄が表の世界で天下を獲るのなら、自分は裏の世界の王者になってやる――そんな意地一つで金と暴力が支配する場所へ飛び込んだ。
「なぁ……兄さん。本当にこれが、望んだ結末だったのか?」
兄弟はそれぞれの生きる社会で頂点を獲った。
そこに立てば満足するものだと思っていた。だがその果てにあったのは都市の滅びと、唯一の兄弟との永劫の離別だった。
「兄さん……なぁ、何か言ってくれよ。兄さんの隣に立つのを諦めて逃げた馬鹿な弟を、罵ってくれよ……」
センリと『プルソン』との戦いも彼の意識の埒外だった。
ツグミは機械の腕で物言わぬ銀色の箱を、力なく叩いて縋る。
もしも、やり直せるならば。
劣等感に潰されず、兄の代役という運命にも屈さずに、兄と肩を並べる将来を目指すことが出来ていたなら、今頃どうなっていただろうか。
裏社会のトップに至った実績はツグミの本来の実力を証明している。彼を追い詰めていたのは置かれた環境、ただそれだけだった。
ツグミがもう少しだけ自分を肯定できていれば、兄に認められるIFもあったのかもしれない。
辣腕の政治家兄弟として、ミコトと共に『新東京市』を牽引する未来もあり得たはずだ。
『……つ、ぐみ……』
ノイズ混じりの掠れた音声が届けられ、ツグミは潤んだ瞳を静かに見開いた。
あの兄とは思えないほど弱々しい声だった。そこから彼は兄の死が間近に迫っているのを悟った。
『お前は……聡い。確かに、やり方は良くなかったかもしれないが……お前は、自由だ』
「だから、何だってんだよ……兄さんがいない世界で自由になっても、意味がない……!」
声を絞り出し、激しく頭を振る。
彼を突き動かしていた子供じみた意地の原動力は、兄への愛憎ただ一つだった。
それがなくなってしまったら、自分は何のために生きていけばいいのか。
『ツグ、ミ……お前が生まれた日、窓辺の木に鶫が留まっていたから、母さんはお前をそう名付けた……。お前は、何処までも……飛び立って、いける。それを、あの日……言えて、いたら……』
代用品ではない。劣化品などでもない。ツグミはツグミだ。タカネが弟についてそう思えるようになったのは、彼が『黒羽組』として頭角を現していると噂になり始めた頃になってからだった。
行き場を無くした人たちのセーフティーネットを作った。違法な手段とはいえ金銭的に支援し、衣食住を保証した。権力者や富裕層にばかり取り入ってきたタカネには、決して出来なかったことだ。居場所を与えてくれた彼に対する人々の信頼は厚い。その人徳もタカネにはないものだ。
「兄さん……死んじゃダメだ、兄さん……!」
一言発するごとに生気を失っていくタカネに、ツグミは懸命に呼びかける。
返ってくるのは浅く不規則な呼吸音のみ。
兄はもう何も言えないだろう――そうツグミが悟ってしまったその時、
『責任を、果たせ……私は、成せなかったが……お前、なら……!』
最期の力を絞りきって、蓮見タカネという男は訴えた。
あの日、あの時、自由のため選択した瞬間にその責任は課せられた。
「ああ……兄さん」
涙を拭い、ツグミは誓う。
兄への幼稚な復讐のために結成した『黒羽組』は、兄亡き後も残るのだ。
末端の者を含めれば千を超す数の構成員たちの人生を、ツグミは背負い続ける。
ツグミは何処へだって飛べる。ならば兄に恥じぬよう、自分で始めた物語を綴り続けよう。
*
ミオは絶叫していた。
戦場から消えた最愛の彼の名を呼びながらステルス機能で姿を眩ませ、胸部のオーブに魔力を溜め始める。
潜伏からの不意打ち。卑怯なやり方であるのは認めよう。だが敵を倒さなければ人類すべてが滅亡する。それだけは命を賭してでも阻止しなければならない。
「夜桜少将……! 感謝いたします」
【レリエル】が打ち上げる【ナイトメア・ホール】が『プルソン』を【ラミエル】の光線射程圏内へ誘導してくれている。
言葉を交わさずとも狙いを理解してくれているシズルに感謝しつつ、ミオは目を眇めて敵の行動を予測した。
照準を合わせ、撃ち放つ。
「センリさんの代わりにッ! 私が、お前を討つ!!」
蒼穹に溶け込むガラス色の光線。
その不可視の熱線を回避するのは不可能だ。
が、その刹那――『プルソン』は身体の周囲を漆黒のオーラで覆い隠した。
球状に広がる暗黒へ、【ラミエル】の【クリスタル・レイ】が激突する。
「打ち消せぇえええええええええッッ!!」
女の咆哮に呼応するように半透明のレーザーの威力は上昇していく。
じゅわっ、と黒きオーラが融解を始めた。
しかしその直後、一転。
光の魔力によって中和されようとしていた闇のベールが、その昏さを深める。
「何っ!?」
「ミオちゃん避けて!! あれは――」
シズルの警告も虚しく、暗闇に吸い込まれた光線が【ラミエル】の背後より襲来し、その右腕を付け根から焼き切った。
間髪入れず出現したワームホールが通過していった光線を飲み込み、別の穴から再び吐き出す。
左腕、右脚、そして左脚。さらに両の翼の付け根まで。穴から穴へと続くレーザーのリレーによって、【ラミエル】はたちまち四肢を失った達磨と化す。
「嫌っ、いやっ、センリさん!? 私はまだ、あなたと――」
死に直面した女は泣き叫ぶ。
恥も外聞もかなぐり捨てて、彼女はその恐怖を拒絶した。
誰もがその運命に目を釘付けにしていた。誰もが助けを間に合わせられない己を呪っていた。それは夜桜シズルでさえ例外ではなかった。
だから、彼女は気づけなかった。
光線のリレーのアンカーに、自らが指名されていたことに。
「――――!?」
声にならない絶叫がシズルの口から溢れ出る。
闇を焼き払う閃光は【レリエル】のもとへと一直線に突き刺さっていく。
重力に引かれ落ちていくミオはその風景を目の当たりにし、ぐちゃぐちゃに潰れた声で嘆く。
「あ、ああ……私が、私がぁぁぁ……!?」
取り返しのつかないことになった。夜桜シズルは自分が殺したようなものだ。
【輝夜】は『コア』を貫通されて大破した。【ゼルエル】は何処かに転送され戻る見込みもなく、ミオ自身の乗る【ラミエル】は四肢と翼を失って墜落するだけの運命。
たった一体の理知ある【異形】を前に最強のパイロットたちが集い、なお敵わなかった。
残る【カーオス】や【ベルセルク】隊だけで戦線を支えられるとは思えない。
人類は、負けたのだ。
*
「……【ディバイン、ブレイズ】」
カツミの守る部隊が都市の方角へ撤退していくのを背後に、カオルは単騎『バエル』に挑み続けていた。
放たれる天使の炎が『死蝿型』たち諸共『バエル』を呑み込み、燃やし尽くす。
しかし灰燼と化して崩れ去ったそばから悪魔の肉体は再生を始め、羽音の不協和音を奏で出す。
『あははははははっ!! 鬱陶しいなァ、鬱陶しいなァ!? お前は俺の受けた痛みの何倍も苦しめて殺してやるからなァ!?』
「……喚いてろ、クソ野郎。アタシは、絶対……お前なんかに、負けない……!」
吐き捨てるカオルの呼吸は荒い。
もう何度『バエル』を殺したか覚えていない。即座に復活する敵をその度に焼き飛ばす、その繰り返しだ。
補給など一切受けられない孤独な戦場で、彼女は文字通り命を削りながら『バエル』と果てなき決闘を演じてきた。
『行けよ眷属たち! この女を犯し尽くせ!!』
「マジ……キモいん、ですけど、アンタ……!」
ヴヴヴウヴヴウヴヴッッ……!!
重なり合う羽音が鼓膜を侵す。光の一閃で蝿たちの第一波を壊滅させるが――矢継ぎ早に放たれた第二波が【ウリエル】に纏わりついた。
「う゛ッ……!?」
体中を虫たちが這いずり回る、肌の粟立つような不快感。
今や【ウリエル】の白い機体は密着した蝿たちによって黒く塗り潰されていた。
『ナノ魔力装甲』の赤い光が徐々にその輝きを弱めていく。
潮時だ。カオルは漠然とそう思った。
『この俺自身が手を下すまでもない。魔力を全て吸い尽くしてやれ、眷属たち! そしてそれを俺に献上しろ!』
――嗚呼、ここで終わる。風縫カオルは蝿たちの手で王への供物に仕立て上げられ、人類を害する糧にされてしまうのだろう。
「……かっちゃん……あとは……頼んだ、よ……ミコトさんを……ヒトと、【異形】の、未来を……」
時間は十分に稼いだ。カツミがミコトたちを都市まで届けてくれれば、戦況を立て直すチャンスは必ず巡ってくる。あとは託すだけだ。
『ナノ魔力装甲』が沈黙する。もがく四肢が軋みながら硬直し、カメラアイが機能停止して視界が暗転する。
そして、どこまでも落ちていくような浮遊感。
機体との神経接続が強制解除される。
兄と同じ死に様を辿ることとなったカオルは力なく微笑み、ただ、目を閉じた。
ぴた、と。
先ほどまで覚えていた浮遊感が消失した。
これが死か、と彼女はぼんやりと思った。
寒い。冷たい。……痛い。
左肩が鈍く痛んでいる。鋭く刺すような頭痛もする。吐き気だって込み上げてきている。そこに加わるのは目眩だ。
生々しい不調の感覚に彼女は目をかっ開いた。
見えるのは暗闇。指先に触れるのは、金属の冷ややかな滑らかさ。
これが死であるわけがない。風縫カオルはまだ生きている。でも、何故――?
そう疑問が湧き出でたその時、彼女は声を聞いた。
『間に合ってよかった。――あとは任せてください、カオルさん』
決して忘れるはずのない少年の声。
もう二度と聞くはずがないと思っていた、戦友の声。
『ボクの名は早乙女・アレックス・レイ。『バエル』さん――ボクはあなたを止める!』




