第二百八十三話 生存欲求 ―Reasons to Fight―
「あれは……理知ある【異形】だ」
香椎マシロのその呟きに【機動天使】も【イェーガー】のパイロットらも一様に息を呑み、瞠目していた。
あれだけ願った理知ある【異形】との邂逅。
その存在と対話する機会が今、ここに訪れたというのに――『リジェネレーター』の戦士たちは満身創痍で、まともに動くことも出来ない。
あの【異形】が僅かでも本気を出せば、自分たちは何も言葉を発せずに殺されるだろう。
『マシロ……まだ、生きていたんだ。プルちゃんが呼んだ他の子たちにやられてくれてたら、嬉しかったんだけど……』
そう言ったのは三つの頭部の一つ、赤い目にあどけなく中性的な容貌の人間の顔だった。
プルちゃん、というのは彼が付けた『プルソン』のあだ名だろう。その口調は【七天使】の「マシロ」そのものであり――香椎マシロの体内に潜んでいたのが彼であるのだと如実に語っていた。
『何を言ってやがる、早く殺せ! あいつらはもうろくに動けねえんだ、殺すなら今だろ!』
『めんどくさ。何でもいいから早く片付けてよ。さっさと帰って寝たい……』
残る二つの頭部――雄牛の顔が粗野な口調で急かし、羊の顔が欠伸を噛み殺しながら言う。
その会話を聞いてミコトは理解した。この三つの顔を持つ【異形】はその見た目通り、人格も三つ宿しているのだ。
『分かってるよ。分かってるんだ。生き残るためにぼくらが何をすべきなのか……それは十分すぎるくらい』
掠れて震えた囁き声で、人間の顔が答えた。
彼は【レリエルN】や【機動天使】たちSAM部隊を静かに見下ろし、少しの間を置いてから名乗る。
『ぼくは「バラム」。君たち人類が理知ある【異形】と呼ぶ者の一人だよ。よろしくね』
マシロとして振る舞っていた頃の無邪気さも天真爛漫さも今は鳴りを潜め、抑揚を殺した密やかな声で彼は言った。
『第一級』の大半は既に討たれ、戦場は静けさを取り戻している。彼の小さな声もミコトたちにはしっかりと聞こえていた。
穏やかに殺意が渦巻く。
膨れ上がる魔力の波動に【レリエルN】が防御魔法を展開した直後――放たれたのは灼熱の光線であった。
「ぐっ――!!」
【機動天使】を覆い隠すように広げた【ブラックオーロラ】が、その輪郭をたちまち失い始める。
魔法最強の【七天使】の防御をも苦にしない、圧倒的な火力。
これが理知ある【異形】の力かとマシロは舌打ちした。想像を優に超えている。彼がカグヤと共に活動していた時代のSAMであったなら、何千機が束になろうが敵わない相手であったのは確実だ。
それでも――今のマシロには【レリエルN】と、『バラム』より授かった能力がある。
「君の力を使おう、『バラム』」
にやり、と香椎マシロは笑った。
自らの中の畏怖と恐怖を笑みの仮面で誤魔化し、己の内に眠る『獣の力』を呼び覚ます。
教えられずとも『バラム』が憑いていた頃の経験を、身体が覚えている。
力の覚醒にはほんの一言の呼びかけで十分だった。
瞳が赤く変じ、黒かった髪の毛が白く染まる。眼前の【異形】の人間の顔と瓜二つになったマシロは、鼓動の荒れ狂う左胸を鷲掴みにしながら歯を剥き出しにした。
「やばっ……胸痛いし、身体、熱いッ……でもっ、なんだろ、この――高揚感!」
無作為に連射される光線が、降ろされた夜の帳を切り裂いていく。
掻き消えていく【ブラックオーロラ】を前にマシロはさらなる魔力を以てもう一度、同じ魔法を発動した。
否――発動しようと、した。
『……!』
驚愕の気配がする。
それもそのはずだ。今、『バラム』の視界は完全に闇に染まってしまっているのだから。
本来必要である量よりも過剰な魔力を込めることで、【ブラックオーロラ】は進化した。
その範囲はより広く。その暗さはさらに深く。
戦場をにわかに暗転させてみせたマシロは『バラム』が驚いているこの隙を突いて、背後に控えている『リジェネレーター』の【イェーガー】兵たちに要請した。
「君たち、【機動天使】を早く下がらせるんだ! 時間は僕が稼ぐ――彼らの補給を済ませ、戦線復帰を全力でサポートして!」
「了解いたしましたわ、【レリエル】のパイロットさん!」
「ああ――頼むよ」
自分の言葉を受けて迅速に動き出すリサへ、マシロは思いを託す。
五機の【機動天使】が回復しきるまでの時間、彼は独りで戦わなければならない。
きっと勝てはしないだろう。たった一機で倒せると豪語できるほど、理知ある【異形】は甘くはない。
だが、それでも。
香椎マシロは戦う道を選び取る。
『あの、司令。……司令はどうして、戦い続けようとするんですか』
ある時、マシロは尋ねたことがあった。
三日月の綺麗な夜だったと記憶している。
『レジスタンス』本部に設けられたカフェ、そのバルコニー席で紅茶の香を楽しみながら、カグヤは膨らみつつあるお腹を慈しむように撫でていた。
『……司令のお腹には赤ちゃんがいる。普通に考えて、今度の調査への参加は取り止めるべきです。たとえ貴女が無事だったとしても、胎児が「カラミティ・メテオ」の放つ魔力に耐えられるとは思えない』
赤子を案じ、マシロは強めた口調でカグヤを説得しようとした。
そんな彼に対し、カグヤは泣き出しそうな顔にも儚げに笑っているようにも見える顔で、囁くように言った。
『馬鹿だとは自分でも思うわ。これでお腹の子が死んでしまったら一生後悔することになるだろうって、分かってもいる。けれど……お腹の子が犠牲になろうとも、今回の作戦には私自身が参戦しなければならないのよ。それが、『レジスタンス』最高司令としての私の責任だから』
『それは……貴女が人類の未来を案じているから、ですか。司令』
問いは『レジスタンス』設立時に掲げられた理想へと翻る。
銀色の前髪が冷たい夜風に吹かれて揺れる。月光を映した海面のごとき瞳でマシロを見据えたカグヤは微笑み、数秒の間を置いてから答えた。
『そうね。もちろん、それもある。だけど……だとしたら私は本部でふんぞり返って指示だけ出していればいい。違わない?』
『は……そ、そうかもしれません』
『怖がらなくていいわ。別に貴方を試すつもりはないの。ちょっとからかいたかっただけ』
もしかして間違った質問をしてしまったのか。
そう身体を強ばらせるマシロに、カグヤはくすくすと笑う。
それから彼女はすっと目を細め、バルコニーから展望できる『新東京市』の夜景を見渡しつつ言った。
『この街には生き残った日本人の殆どが、【異形】の脅威から逃れて暮らしている。彼らは今夜もあの災厄以前と同等の生活水準で日常を過ごしているわ。彼らはここで今日を生きている。けれど……その生存権は自分で勝ち取ったものではない。ただ生かされているだけに過ぎない、そんな存在なのよ』
マシロは何も言わなかった。
彼の沈黙も織り込み済みだったかのように、カグヤは気にせず話を続ける。
『私はそんな生き方をしたくない。自分が生きるための権利は、自分で掴み取りたい。地上の【異形】たちがそうしているようにね。……軽蔑したかしら?』
マシロは激しく首を横に振った。
大学一年の夏、目の前で両親を『巨豚型』に食い殺されたあの日――彼は逃げた。
腹を食い破られながら泣き叫ぶ母の声に耳を塞ぎ、破棄されるペットボトルのように胴を握られ潰されていく父の助けを求める声を、聞かなかったことにした。
彼は恐怖が刺激した本能に忠実に従った。
走って、走って、ひたすらに走って。
気づけば地下シェルターへと雪崩れ込む人々の群れの中に、彼はいた。
『僕も……自分の力で生き残るために、「レジスタンス」に入った。今度は逃げることなく、【異形】という脅威に抗えるようにと……』
『そう。その気持ちを忘れないでね、マシロ』
追憶の中で司令が口にした言葉を、脳裏で反芻する。
深呼吸する彼は目の前の操縦桿を握る手に力を込め、出撃した。
墨にも似たセピア色の機体は闇に溶け込み、不可視の存在と化す。
「隠密」からの「攻撃」。
光の下で生きる命にとって――それはどんな砲撃にも勝る脅威となる。
「【ナイトメア・ホール】」
命中したそばから対象を眠りへと誘う、【レリエルN】の十八番。
防衛魔法を展開して攻撃に備える『バラム』へと、幾つもの漆黒の球が暗黒を縫って迫る。
当たったところで理知ある【異形】の防壁は壊せないだろう。
だが――マシロの狙いはそれではない。
黒き球が弾け、広がった暗黒の穴。その闇が光の壁ごと『バラム』を包み込んでいく。
『その魔法は知ってるよ、マシロ』
「知ってるだろうさ。君は僕の半生に等しい時間を僕の中で生き、【七天使】として【レリエルN】についても頭に入れてるんだから。でもね――」
魔力の球が弾け、闇が対象を包含した後。
本来ならば役目を終えた暗黒は徐々に薄らいで消えていくはずなのに、『バラム』の防壁を取り囲む【ナイトメア・ホール】は残留し続けていた。
「【レリエル】の魔法は、進化する!」
『バラム』は目を見開いた。
先程の【ブラックオーロラ】の強化はまぐれの産物ではなかったのだ。
本来の香椎マシロの実力と『バラム』の『獣の力』、そして【レリエルN】の潜在能力とが掛け合わさって生まれた、未知の化学反応。
九重アスマでさえ想定していなかった【レリエルN】の覚醒が、今ここに巻き起こった。
『へぇ――!』
残留している闇の上に、さらに重なるように弾けて広がっていく漆黒の球。
その黒色は『バラム』の防壁の表面を少しずつ侵食し、そこに流れる魔力を阻害していく。
「力の『停滞』なんて生温い。やるべきは『破壊』だよ」
魔力の流れを失った魔法は、その維持が出来なくなり末梢から消失していく。
そこからの脱出はもはや叶わない。防壁の外に出た瞬間、【ナイトメア・ホール】の効果によって『バラム』は眠りに落ちる。
そうなればマシロの勝ちだ。
――いける。
戦闘開始前、「勝てはしないだろう」と判断した弱気が反転する。
生じたのは勝利への確信。
しかしそれは、翻せば油断ともいえ――。
『【ナイトメア・ホール】の催眠能力。それも知ってる』
理解していた上で『バラム』は防壁を解除し、飛び出した。
身体に粘っこく纏わり付く泥のような闇を突き破り、空へ。
マシロが生み出した夜の世界から抜け出した彼は、視線をちらと左横へと遣った。
『お望み通り、眠ったよ。ぼくの三つ目の人格がねっ!』
にこり、と得意げに目を細める。
不味い、とマシロは唇を噛んだ。
敵を闇の中に閉じ込め、【ナイトメア・ホール】で固めることで動きを封じるのがマシロの用意した策であった。
それが突破された今、状況は逆転した。
自分たちは闇に身を隠している。つまるところ闇の広がる領域こそが、自分たちの居所だということ。
「【機動天使】の補給は――!?」
『もう少しですわ! まだ堪えて!!』
切羽詰まった声が返ってくる。
このままでは袋の鼠だ。
単騎で『バラム』に突っ込み、強引にでも【機動天使】たちから敵を引き剥がすべきか。
それとも集中砲火を浴びることを承知でここに留まり、【機動天使】を守るべきか。
どちらでも駄目だ。前者では【機動天使】を守り切れない。後者では『バラム』を討つことができない。
『もたもたしてたら死んじまうぜ! さぁ、仕掛けて来いよ鉄人形!』
哄笑する雄牛の顔が、焦燥に駆られるマシロを焚きつけんとする。
そうしている間にも『バラム』は閃光の雨を降り注がせ、【レリエルN】の闇を洗い流そうとしていた。
じゅわっ、と気泡と化して端から消えていく魔力の領域。
時間は残されていない。マシロは一刻も早い決断を迫られていた。
と、その時――一人の女性が一縷の望みをかけて、彼に声を投じた。
『香椎マシロ中佐。……あの【異形】との対話の鍵になるのは、貴方です』
グローリア・ルイス中佐。
脱出ポッドで地上へと降りていく短い時間の中で、彼女やミラー大将は少ない情報から状況を整理していた。
この場にいる人間の中で、『バラム』と物質的・精神的な繋がりを持っていた人間は香椎マシロただ一人。
【機動天使】でも他のパイロットたちでもなく、マシロこそが『バラム』の心の扉を開く鍵なのだ。
『【機動天使】は私たちに一任してほしい。パイロットを退いて久しい老いぼれだが、いないよりかはマシだろう』
そう名乗り出たのはミラー大将である。
『リジェネレーター』の【イェーガー】を借り受けた老兵は腕まくりしながら上空の理知ある【異形】を仰ぎ、その頭部の一つ――雄牛の顔を視線で射貫く。
「大将。中佐。――了解しました」
敵を引き離し、同時に仲間を守る。
一機では不可能だとしても、役割を分かち合えば成功の可能性が生まれてくる。
【イェーガー】と理知ある【異形】では能力に天と地の差がある。それでもマシロはミラー大将らに託すのだと決めた。たとえ小数点以下の僅かな可能性だとしても、完全にゼロでない限り試す価値はある。それが科学者の在り方だ。
闇を切り裂いて空へ躍り出た【レリエルN】を見送って、ミラー大将とグローリア中佐は画面越しに視線を交わす。
『若造どもに負けてはいられんぞ、中佐』
『同感です。ベテランの意地を見せてやりましょう』
今このとき、この瞬間、二人の将校は勝利のみを見据えていた。
誰もが時間稼ぎにすらならないと諦観する戦力差であっても、二人は本気だった。
生きるために。生かすために。
無謀ともいえる戦いに、歴戦の将校たちはその身を擲っていく。




