第二百八十話 閃光 ―sacrifice―
轟音が鳴り響いた。
大気を揺るがすその衝撃に振り返ろうとしたニネルとテナだったが、ひび割れた声で叫ぶハルの声に回しかけた首を止める。
「振り向くな、進めッ! もう……進むしかないんだよ、僕たちは!」
「そうだ――理知ある【異形】に辿り着く、それ以外に道はない」
激しく波立つ心を懸命に静めながら、アキトも諭す。
【エクソドゥス】は散った。『ヴァプラ』を倒すのと引き換えに、マトヴェイ・バザロヴァの命を犠牲として。
あの総指揮官の思いを無駄にしないためにも、ハルたちは全身全霊で二人の『新人』を守り切り、理知ある【異形】のもとに届けなければならない。
「でもっ……でもっ、マトヴェイさんが!!」
「でもじゃない!! お前たち二人は『交信』することだけ考えろ!」
嗚呼、駄目だ、と。
ハルは頭を掻きむしりたい衝動に駆られた。
成人していない自分たちが言えたことではないが、ニネルもテナもまだまだ子供だ。戦場で大切な仲間を失う経験に慣れていない。ましてやそれが、これまで手厚く保護してくれたマトヴェイという大きすぎる存在であれば、取り乱すのも無理はない。
「……悲しい、それは分かる。わたしだって悲しい。マトヴェイさんはとても眩しく、わたしたちを導いてくれた、すごい人だったから……だけど、だからこそ……マトヴェイさんのために、わたしたちは理知ある【異形】さんたちに会わなきゃいけない」
流れそうな涙を必死に堪え、フユカは言った。
背後からは第一級【異形】たちの咆哮が聞こえてくる。【機動天使】や【七天使】たちの戦いはまだ、続いている。
彼らが時間を稼いでくれている今だけが好機だ。
『ガアアアアアアアアアアッッ!!』
太く響く烏の声が追いかけてくる。
それを一瞥したハルは舌打ちし、機体を翻した。
「アキト、フユカ! あいつは僕がなんとかする! 二人を任せたぞ!」
「――了解」「分かった」
短い返答。
頼もしい兄妹に『新人』たちを預け、ハルは単騎、烏の悪魔『イポス』に立ち向かっていく。
その姿を背後に見送った、少し後。
ニネルとテナはほぼ同時に、遠く離れた地で発現した魔力の波動を感じ取った。
「……!!」「この魔力、知ってる……!」
『交信』で求め続けた者。かつて相まみえ、自分たちの考えを否定してきた者。
『プルソン』。
その者の魔力が、今――殺意と敵意を誇示するように、芽吹いた。
「方角は!?」
アキトの問いにニネルがわななく声で答える。
「ひ、東……!」
*
「一体……何人、死んだんだ……?」
狼の悪魔『マルコシアス』の首を獲ったユウリは、血みどろになった羽根型の『アームズ』を機体の周囲に浮かせたまま呟いた。
辺りに転がっているのは屍の山だ。
【異形】のものではない。屑鉄と化したSAMの残骸が無数に散らばっている。
もはやどこの所属かも判別できない【イェーガー】たちの亡骸を踏み越えて、ユウリは他の【七天使】との合流を果たそうとした。
「ああ、くそっ……マジで、魔力ねぇ……。『アームズ』乱発しすぎちゃうとか、ほんと、おバカちゃんだな、俺……」
ここまで『第一級』を五体討つ間に、『アームズ』十六基と魔力量の九十パーセントを失った。
もうまともに飛行することすら叶わないほど満身創痍となった【サハクィエルA】は、魔力液と【異形】の血液が混じり合ってどす黒く染まった身体を引きずるように動かし、仲間を求めて彷徨っていく。
心臓が痛い。目が霞んでいる。歩く脚が軋んで今にも壊れそうだ。
それでも、ユウリは止まらなかった。
だって、アスマと約束したから。この戦場に発つ直前、互いに死ぬなよと誓い合ったから。
「ア、スマ……あいつ……すげえ、繊細なやつだから……俺が、ついて……守って、やんねぇと……友達も、ろくに……いねぇから、俺がいて、やんねぇと……」
ぼんやりとする視界の中、ユウリはすぐ目の前に馬に乗った機影が現れたのに気づいた。
コタロウの【ゼルエルC】が、ユウリのピンチに駆けつけてくれたのだ。
「コタ、さん……!」
最後の力を振り絞って、縋るように名を呼ぶ。
しかし手を伸ばした先にいたのは同僚などではなく、超然とした微笑みを浮かべる女性の悪魔であった。
駱駝に騎乗した女の【異形】が両手をユウリへと差し出す。
彼がその手を取った瞬間――沸々と湧き上がった黒い魔力が一気に【サハクィエルA】に流れ込んだ。
*
「随分、よくやったと思わない……アタシら?」
「そやな……帰ったら、ご褒美にお高いお酒でももらいたい気分やわ」
背中合わせに立つサナとチヅルは、息も切れ切れにそう言葉を交わした。
円陣を組むように彼女らを取り囲んでいるのは、八体もの第一級【異形】たちだ。
既に【マトリエルB】の『対異形ミサイル』や『対異形ライフル』の残弾は尽きており、魔力残量も二割を切っている。【ラミエルL】も翼に手痛い一撃をもらい、飛行不可能な状態まで追い詰められていた。
「チヅル……アタシの【アラエル】はまだ機能してる。大して魔力の残ってないアタシが持ってるより、アンタに渡した方がマシだとは思わない?」
「はぁ? 年下のガキに助け船出されるくらいなら、この場で腹切って死んだ方マシやわ」
『アイギスシールド』を展開して二機を包み込みながら、チヅルはサナの提案を一蹴した。
「は!? 何言ってんの!? そんな意地張ってる局面じゃないっしょ、今は!」
「うっさいわ、アホ。ガキはガキらしゅう、大人に助けられとったらええの」
防壁に守られる執行猶予の時間。そこでチヅルは心に決めていた。
サナを守り抜き、可能ならばこの場から離脱させるのだと。
【マトリエルB】の飛行ユニットはサナ自身が言うとおり、まだ生きている。弾丸は尽きているが、魔力の問題さえ解決してしまえば魔法で切り抜けられる。
チヅルが魔力を渡してやれさえすれば、サナは生きられるのだ。
尤も――それを伝えたところでサナが素直に言うことを聞くとも思えなかったが。
「さあ、いくで。いつまでもこうしてはいられへん」
「分かってるし!」
防壁を解除する。
踏み出すと同時に発動するのは【ラミエルL】の光魔法だ。
「【グリッド・ケージ】!」
格子状に展開される光の領域。
円陣を組んでいた【異形】たちを檻のように囲んだ結界は、戦いの火蓋が切られると即座に効果を発揮した。
獲物めがけて一斉に飛びかかる悪魔たち。
彼らが光の格子に僅かでも触れた瞬間――じゅわっ、とその肌が高熱に焼かれる。
「こいつは【七天使】のピコ魔力装甲には効かへん! つまり――」
「敵だけにとって面倒な罠、ってわけね!」
チヅルの魔法によって敵は怯み、その初動を封じることができた。
が、しかし――魔法耐性の強い種は火傷も厭わずに接近してくる。
八体中の三体。牛頭の悪魔『ハーゲンティ』。死神のごとき姿の悪魔『ビフロンス』。そして三つの顔を持つ犬の悪魔『ナベリウス』。
「そらっ――」
チヅルは冷静に硝子色の光線を放って対処せんとする。
牛の頸、死神の心臓、三頭犬の頭の一つにそれぞれ命中。
だが、【異形】たちは止まらない。
「チヅルっ!?」
【マトリエルB】の毒の糸が『ハーゲンティ』と『ナベリウス』の脚を掬い、転倒させる。
けれども『ビフロンス』には効いていなかった。
茫洋とした幽鬼のような【異形】は蜘蛛の糸をすり抜け、二機のSAMへと手を伸ばす。
突き出された掌の前に黒い魔力が炎のごとく燃え上がり、膨れ上がった。
「チッ――」
『アイギスシールド』を展開する。虹色の防壁越しに漆黒の炎の熱を感じながら、チヅルはその時機を窺っていた。
(サナに魔力を渡してやりたい。けど、こうも魔法で攻められてちゃあタイミングがあらへん。うちの魔力も大して残ってへんってのに……)
チヅルの魔力は残り三割というところだ。
【ラミエルL】の大魔法は撃てて一発。だが『第一級』八体を前にしてそれ一発のみで決めるなど不可能だ。
いいや――
「やばい敵を前にして、不可能やら言うてられへんどっしゃろ……!」
ここぞという大勝負で博打を打つのが巫チヅルというパイロットだ。
大丈夫だ。これまでの戦いで賭けに勝ち続けてきたから、チヅルは今ここにいる。
目にかかったぱっつん前髪を払って、彼女は笑った。
一か八かのギャンブル。当たる確率は限りなく低い。それでも0.01パーセントでも勝機があるのなら――わくわくする。
賭けたい。賭けて勝ちたい。己の命とサナの命――賭けに勝てば両方救える。
「サナ。あんたには謝らなあかん。最初はアンタだけを守り切って死ぬつもりやったけど、やめた」
「はっ? 何いって――」
「うちは二人で生き残りたい。あんたとまだまだ一緒に戦うてみたい。そのために賭ける。一撃であいつら八体倒して終わらす」
サナは言葉を失った。
無茶だ。無謀だ。有り得ない――魔法一撃で『第一級』八体を同時に倒すなんて。
そもそも『第一級』を一撃で仕留めるというのが無理な話だ。あの生駒センリでも【絶対領域】を展開した上で拳の波状攻撃を浴びせることでようやく勝てるのが『第一級』。彼の領域に至っていないチヅルにできるはずがない。
「……賭けに負けたら?」
「死ぬな。間違いなく。うちの賭けたいってエゴでアンタは死ぬし、うちも死ぬ」
「……賭けなかったら?」
「二人で八体も相手取るやらどのみちきついさかい、多分そのうちジリ貧になって死ぬ」
【異形】たちの魔法と体当たりによる衝撃が、防壁内の二機を激しく揺り動かす。
じりじりと【ラミエルL】の魔力が減っていく。盾に少しずつ亀裂が刻まれていく。
時間がない。
「――分かった。あんたの魔法にあたしの全部を賭ける。これでいいんでしょ、陰湿京都人」
「京都人陰湿なんて偏見やで。単にうちの性格悪いだけや」
「あぁそう。……マジで頼むから」
この会話が最後になるかもしれない――とは、チヅルには微塵も思えなかった。
隣に守るべき仲間がいる。支えてくれるサナがいる。その存在を感じるだけで不思議と力が湧いてくるのだ。
「うちの翼になって、サナ。力合わせて勝つで」
「もちろん」
防壁を解除した刹那。
【マトリエルB】は片翼の【ラミエルL】を抱え上げ、飛び立つ。
*
槍に上顎と下顎を縫い付けられた鰐の死骸を傍らに、【ゼラエルC】は地面に膝を突いていた。
鋼鉄の筋肉が悲鳴を上げ、乗り手の意思に反して痙攣を繰り返している。
機体はとうに限界を迎えていた。
それでもなおコタロウは腿から脛、足の爪先に至るまで力を込め、立ち上がろうとする。
「ああ……なんで……なんで、動けないっすかね……」
周囲に転がる屍の数は七。
たった一人でこれだけ倒せれば『阿修羅』の後継を名乗っても良いだろうと、コタロウは思う。
だが――それを名乗れたところで聞く者がいなければ意味がない。
このままでは誰に認められることもなく、郷田コタロウという戦士は散るだろう。
「……ユウリ……サナ、チヅルさん、アスマ……みんな……」
視界は赤く染まっていた。
流れる血涙が頬を伝って唇へと至り、塩辛い味を舌先に届ける。
意識は半ば混濁していた。疲労はピークを越え、脳が覚醒していられているのも奇跡といえるほどだった。
遠くから何かが爆発したような音が聞こえた。きっと誰かが死んだのだ。それを確かめる術は今のコタロウにはない。
「ああ……綺麗だ」
空を仰ぐと星が輝いていて、煌めく流星群が降り注いでいるように見えた。
それはまるで花火のようだった。光の雨が弾けては消え、消えては弾けを繰り返す。
その明滅の最中、燦然とした星の前に一つの黒い影が過り――そして。
轟かんばかりの炸裂音と共に、大輪の華が咲き誇った。
「ああ……あははっ……本当に、綺麗だなあ……ねえ? ケイトさん?」
気づけばコタロウの側にはほっそりとした女性の姿があった。
錆び付いたような鋼の頸を動かしてそちらを見つめた彼に『その女』は微笑みかけ、それから。
どす黒い瘴気のような魔力で【ゼラエルC】を抱擁し、己の中へと取り込んでいった。




