第二百七十話 会敵 ―The Baton Passed―
ぴく、と。
頭の天辺に跳ねているアホ毛を揺らし、港で飛空艇への物資搬入を見学していたテナは空を仰いだ。
遠くから何か聞こえてくる。
大空を悠々と舞う海鳥の鳴き声、ではない。
――ニネル。テナ! 『レジスタンス』が動き出した、急いでお姫さんに伝えろ!
知っている人の声。あの戦場で必死にテナを護ってくれたお兄さんの声。
切羽詰まった口調で訴えかけてくるアスマの言葉に、テナは迷わず駆け出していた。
「おっ、おい、いきなりどこ行くんだよ!?」
「ご、ごめんなさい、です!」
慌てて叫ぶ兵士の男性にそれだけ言い残し、ライムグリーンの髪の少年は海軍本部へと転がり込んでいく。
何事かと目を丸くする水兵たちの間をすり抜け、テナは記憶にある会議室へと直行した。
タイミングを同じくして、廊下の反対側からニネルも走ってくる。
会議室は明日に予定している遠征の最終調整を行っている真っ只中だ。室内から僅かに聞こえてくるミコトたちの声は、テナたちと話す時とは打って変わって張り詰めた雰囲気を纏っている。
「ニネル、聞いた?」
「うん。あのお兄さんの声がした。お姫さんに伝えろって!」
顔を見合わせ、頷き合う。
意を決して同時にドアノブへと手を掛けた二人は、扉を開けたそばから聞こえた言葉の内容を畳みかけるように口にした。
「教えてくれてありがとう、ニネル、テナ」
会議を中断して二人の言い分を最後まで聞いたミコトは、まず報告への礼を言った。
二人まとめてめいっぱい抱き締めてやった後、彼女は静かに身を離し、マトヴェイたちに向き直る。
「ただちに出撃いたしましょう」
「待ってください、ミコトさま! まだ準備は完全には終わっていないのですよ!? それに、彼らが聞いた言葉が正しいとも限りません!」
皇女の第一声に狼狽えるのはグローリア中佐である。
物資や装備の不足は敗北を招く。それはミコトも重々承知だ。
しかし、事は一刻を争うのだ。
悠長にしていては理知ある【異形】との対話の可能性が、永遠に閉ざされることになる。
「タカネによる【異形】への総攻撃――それが招く未来は、理知ある【異形】からの報復という名の滅びです。『第二次福岡プラント奪還作戦』や先の『プルソン戦役』を経験した皆さんならば、彼らがどれほど脅威的な力を有しているか理解しているでしょう。彼らが本気を出せば人類などひとたまりもありません」
ミコトの訴えにグローリアは反論の余地もなかった。
たとえば『プルソン』が都市を守る『アイギスシールド』を突破することさえ可能なら、都市内にワームホールを発生させて無数の【異形】を送り込むことは可能だ。
抵抗するすべを持たない人々は【異形】たちの本能のままに蹂躙され、死にゆくのみだろう。
「わたくしたちは理知ある【異形】に生かされているだけに過ぎないのです。それに気づくことさえ出来ず、あまつさえ彼らを倒せると過信して総攻撃を仕掛けようというタカネの傲慢な行いは、何としても阻まねばなりません。――これは、人類を守るための戦いです」
しん、と会議室は水を打ったように静まり返った。
誰もが事の重大さを真の意味で理解させられていた。
戦いが始まってしまってはもう取り返しがつかない。最悪の事態が勃発してしまう前に、何としてでも『レジスタンス』の進軍を阻まなければならない。
「それに、わたくしにはニネルとテナの言葉が妄言の類には思えません。二人が嘘を吐いたことはこれまで一度たりともありませんでした。だからわたくしは、二人と――報せてくれた彼のことを信じます」
二人の『新人』と九重アスマへの感謝を胸に、ミコトは言った。
グローリア中佐は意を決したように隣のミラー大将へ向き合い、視線で問う。
大将の答えは一つだった。
「了解した。船を出そう。『レジスタンス』の大軍勢が動いたとなれば、『リジェネレーター』のみでは力不足だ。我々も力を貸そう」
同意と協力を表明するミラー大将に、ミコトは深々と頭を下げた。
すぐさま席を立って動き出しつつ、大将はこの場の士官たちに指示を飛ばす。
「私の指揮で【エーギル】を出す。お前たちも付いて来い。本部は浅川大佐に一任しよう」
「「「は」」」
『リジェネレーター』の者たちも迅速に動き出すなか、足早に会議室を出たミラー大将を一人の青年が呼び止めた。
湊アオイ大尉である。
「大将。――僕も、連れていってください」
「坊主か。【ガギエル】に乗る覚悟はあるか?」
聞くまでもない質問だった。
アオイの決然とした眼差しを受け止め、ミラー大将は「無粋なことを聞いた」と苦笑する。
「時間がないぞ。直属の部下を集め、遅くとも30分後には出立できるようにしろ」
「了解です!」
恋人を亡くし、後輩を亡くし、その痛みに折れていた青年はもういない。
今の彼のそばにはかつての教え子たちがいる。来栖ハル、朽木アキト、最上フユカ。水無瀬ナギとも関わりの深かった三人は憔悴しきったアオイを慮り、彼に寄り添い続けてきた。
三人の思いやりと過ぎ行く時間が、少しずつ青年の傷を癒し――現在、こうして戦えるまでに回復していた。
「……カノン。ナギ。僕は行くよ」
未来に起こり得る脅威から、人々を護るために。
湊アオイは走り出した。
*
「そろそろ俺たちの出番だな。頑張ろうぜ、コタさん」
「うっす! 気合入れて行くっすよ!」
第二師団の全体が都市を出たのを見計らって、ユウリとコタロウの率いる第三師団も行動を開始した。
先陣を切っているケイトやアスマ、マシロから目立った敵襲の報告はない。
この調子なら案外簡単に敵の拠点へと辿り着けるかもしれない――そんな楽観的なムードが、第三師団の兵士たちの間には漂っていた。
『皆、油断すんなよー! 先に行った奴らが苦戦してないからって、こっちもそうとは限らない! 敵はワームホールっていう厄介な仕掛けを用意してるんだ! 俺たちの真ん前にいきなり『第一級』さんの登場! なんて可能性もゼロじゃない! 気を引き締めていこう!』
が、弛緩していた兵たちの意識をユウリは一挙に叩き直した。
年若き【七天使】の一声で現場の兵たちはたちまち佇まいを変え、緊張感を纏っていく。
「……俺の声が届くか心配だったけど、なんとかなって良かったー」
全体への通信を切り、ユウリはそう胸を撫で下ろした。
その声にコタロウは微笑みを漏らす。
「年齢とか関係なく、ユウリの人柄が人望を集めたってことっすよ。さっきの凄く良かったっす。今後もあんな風に堂々といくっすよ」
「ありがと、コタさん。そう言われると自信つく」
背後に最新型の汎用機【ベルセルク】の空戦型を従えて、ユウリは発進した。
【イェーガー】をベースに改良を加えた、『能天使工業』製の第六世代SAM。
体高はおよそ7メートルほどで、四肢が長く細身の体躯である。見た目のサイズは増したが、装甲を『ピコ魔力装甲』へと切り替えたことで更なる軽量化を果たしている。
機械特有の角張りを廃し、流線型の輪郭をしたこの機体はさながら、黒き巨人だ。
ユウリも開発に協力したこの機体は、製造ペースの関係で軍全体に配備されているわけではない。現在は【七天使】直属の部隊限定で試験的に導入されているのみである。
「さあ行こう! 今までの機体より軽くなってる分、飛び過ぎないように注意しなよー。あんまり出過ぎると陸のみんなが置いてきぼりになっちゃう」
「重々承知ですよ、能美中佐。むしろあなたこそ気をつけていただきたい。くれぐれもはしゃぎ過ぎないよう」
【七天使】の新型機を預かるにあたって、ユウリは陸軍から空軍へと異動していた。
新たに副官となったベテラン曹長に釘を刺され、「大丈夫だよー」とユウリは笑う。
「戦場の厳しさはとっくに知ってる。『第二次福岡プラント奪還作戦』……大した戦果も上げられなかったけど、俺もあの場所にいたんだから」
普段の軽いノリから一転し、ユウリは重々しい声音で言う。
そんな彼に対し厳しく注意する者はもう、いなかった。
「【サハクィエルA】、出撃だ。風縫中佐の遺志を、俺が背負ってみせる」
三対六枚の翼を背負った、体高四メートルほどの小型のSAM。
純白のボディに空色の光芒を纏うその機体は、かつて風縫ソラ中佐が搭乗していた【サハクィエル】の後継だ。
前身機の魔法【ジャッジメントウィング】から着想を得た、薄い羽根のような形状のオールレンジ機動兵器『アームズ』を十六基備えており、縦横無尽の高速機動で攻め立てることができる。
「空の奴らには負けてられないっすよ、皆! 陸軍の矜持を見せるっす!」
「「「おうッ!!」」」
コタロウ指揮下の【ベルセルク】部隊一同が、熱気のこもった雄叫びを上げる。
『レジスタンス』陸軍に新設された『騎兵部隊』。
馬型の戦闘ユニット【スレイプニル】に跨ってどこまでも駆ける彼らは、元々生駒センリ中将の下で働いていた精鋭たちだ。
これまでの陸戦型SAMには、空戦型SAMと比較して機動力で大きく劣るという問題があった。それを「ロボットがロボットに乗る」という発想で解決したのが、この『騎兵部隊』である。
「馬を使うなど時代遅れも甚だしいと思いましたが……これはこれで良いものですな」
「逆に新しい、ってやつっすね。生駒中将みたいにはいかないっすけど、俺は俺なりに頑張るっすから……付いてきてくださいっ!」
年上の副官に頷きを返し、騎兵たちを先導するコタロウは緩やかな歩調で馬を進ませていく。
彼の機体の名は【ゼルエルC】。
乗馬する関係で前身である【ゼラエル】より小型化・軽量化を果たしており、体高はおよそ7メートルほど。
肩幅の広い頑強な鋼鉄の肉体は漆黒で、黒曜石のごとき光沢を帯びている。急所を保護するプレートは赤銅色。拳に嵌めた篭手は同色の鈍い輝きを放ち、その手が掴む槍は希望を示す黄金に光っていた。
天使の名を関しながら「混沌」を体現する、赤い眼と禍々しい牙の並ぶ口元は、【異形】に似せた【イェーガー】の意匠を継承している。
「生駒中将、麻木中佐……見ていてください。俺たちが必ず、【異形】を滅ぼすっす!」
『レジスタンス』軍が出撃を開始してから、およそ二時間ほど。
第三師団の大半が都市を出たタイミングで、最後の第四師団の面々も出立していた。
「よろしゅうね、サナ。くれぐれも足は引っ張らんといてな?」
「それはこっちのセリフだし。飛ばしすぎてスタミナなくなっても、助けてやらないから」
相変わらずバチバチにやり合っているのはチヅルとサナである。
部隊の前方には的確に指示を出せるサナ、殿を守る重要なポジションには一番の武闘派のチヅルを置くというのが、今回のタカネの采配だった。
「そやけどまあ、飛ばしすぎても良うないっちゅうのんはその通りで。都市から離れすぎひん位置に部隊を置いときたいってのも、あの人の思惑やさかいね」
いわば第四師団は、最前線と都市の間とを繋ぐ中継点だ。
【異形】の襲撃があればいつでも都市へ戻れるポジションに、彼女らはいなくてはならない。
「防衛的にはマジで重要な位置にいるってわけね、うちら。ダルいし眠いけど、選ばれたからには頑張りますか」
欠伸を噛み殺しながらダウナーな口調で言うサナ。
彼女が乗る機体の名は【ラミエルL】。チヅルの機体は【マトリエルB】。それぞれ前身機の特性を引き継ぎ、『ピコ魔力』を用いた新能力が実装された第六世代SAMである。
「そやな。ま、うちらの機体のお披露目はもうちょい後になるやろうけど……」
鋼の掌を開いたり閉じたりしながら、チヅルは呟いた。
敵が現れるまでは暇になるのが自分たちのポジションだ。そのことに不満がないといえば嘘になるが、都市を守る大役を司令に任されたという事実は鼻が高い。
先行している第一師団は既に富士山の南側を通過し、間もなく『侵入禁止区画』へと差し掛かる――つい先程、ケイトからそう報告が入っていた。
これだけの大軍をここまでスピーディに動かせているのは、『レジスタンス』が丹沢基地より西へ進む陸路を長年整備し続けていたおかげである。
『五時の方角より高速で迫る敵影を確認! かなりの魔力量です、「第一級」かと!』
「おでましなすったなぁ。――いくで」
緊迫の叫び声にチヅルは舌なめずりし、勢いよく後方を振り返った。
モニタに映る魔力波のグラフに一瞬目を落とし、すぐに視線を空へ向ける。
彼女の見据えた先、灰色の雲を引き裂いて現れたのは、天を舞う翼のシルエット。
だがその身体の輪郭は、鳥型【異形】のそれではなく――。
「……艦影」
実際に目にしたことはない。けれど、確かに知識として覚えている飛空艇の見た目と、迫り来るそれの威容は酷似していた。
側面から張り出しているのは何枚もの鋼鉄の羽根が重なって出来た、巨大な翼。
後部には板状の『魔力増幅器』が鳥の尾羽のごとく扇形に広がっており、また前部には嘴を想起させる魔力砲の射出口が突き出ている。
「【エクソドゥス】!? なんで――『リジェネレーター』はあたしらの作戦が八月中旬だと思ってたはず! 出し抜くにしても、今日この日をドンピシャで当ててくるなんて、そんなの……!?」
得物のライフルを反射的に構えた姿勢のまま、サナは狼狽していた。
情報が筒抜けだったとは思えない。裏切り者の存在を明かした上で釘を差してきた蓮見司令の手前、そんな無茶をやらかす輩がいたとは考えにくい。それに、予め分かっていたならば第一師団が来る前に富士山麓に陣を敷き、妨害のため立ち塞がるはずだ。
そうでない、ということは――『リジェネレーター』は『レジスタンス』の出撃開始後にそれを察知し、動き出していたのだろう。
「なんでバレたのか気になってしゃーないけど、考えるのはあとだね。初仕事いくよ、チヅル!」
「りょーかい!」




