第二百六十九話 進軍開始 ―A Secret Announcement―
そして、その時がやってきた。
『レジスタンス』本部より地上まで至るエレベータ、『頂の階段』。
『ダウンフォール作戦』の開始日を迎えたいま、七人の天使たち一同はそこに乗り合わせていた。
誰もが口数を減らし、張り詰めた緊張感を身に纏っている。
だがそんな中でも、香椎マシロただ一人だけは普段通りの朗らかさを貫いていた。
「ふんふんふんふーん♪ ふふふふーん♪」
「鼻歌だなんて、相変わらず呑気すぎない? 全く、どんな図太い神経してんだか」
「えー? だって、これからやっと、アスマくんの作った新型機に乗って戦えるんだよ! ぼく、昨日からわくわくしすぎて全然寝れなかったもん!」
肩を竦める韮崎サナ少佐に、マシロは目を弓なりに細めて答える。
まるで遠足前の子供のようなはしゃぎっぷりに、サナは頭痛がしそうになる額を押さえた。
「奇遇やねぇ。うちもちょうど同じ気分やったわぁ。一服中に食べるお菓子ようけ買い込んでけたから、今から食べるんが待ち遠しいわ。……あ、サナはん、あとでお菓子ん交換せん?」
「マジで遠足前のガキみたいじゃん……別に、お菓子とか持ってきてないし」
背後からべたーっとくっついてくる巫チヅル中佐に、呆れ返った顔で溜息を吐くサナ。
その様子にくすりと笑みを漏らし、ケイトは穏やかな口調で言う。
「それくらいのスタンスでいた方がいいのかもしれないわね。アタクシたちが背負っているのはヤマト殿下をはじめとする、【異形】の滅びを願う全ての人々の思い……確かに責任重大だけれど、その重圧に圧し潰されて本来のパフォーマンスを発揮できなかったら意味がないわ」
「まずはリラックス、っすね」
うんうん、とコタロウが頷く。
思いっきり伸びをしたり、深呼吸したりと、エレベータ内の空気はにわかに弛緩した。
「頑張ろうな、アスマくん」
「……ええ」
後輩の肩を軽く叩き、ユウリは白い歯を見せてにっと笑う。
先輩の方を見もせずにぶっきらぼうに返事をするアスマ。
そんな思い詰めた横顔をしばし見つめていたユウリだったが――ふと思い立って、おりゃー! とアスマの両頬を後ろから挟み込むようにぐりぐりした。
「なっ、なにふるんれすか……!?」
「びっくりしただろ?」
「し、しました、けど……」
「なら良かった。マシロみたいに気楽にとは言わんけど、切り替えていこーぜ」
気のいいユウリの笑顔にアスマの胸はきゅっと痛んだ。
これからアスマが行うのは、『レジスタンス』に対する反逆だ。その時が来たら、ユウリとも対立することになるかもしれない。
九重アスマの「裏切り」について、あの軍議の後、タカネは一切触れてこなかった。知っていながら放置されている――そのことへの薄ら寒さはもちろんある。だが、泳がされていると分かっていながらも、アスマには行動を取り止める選択肢などなかった。
何もしなければそれこそタカネの思うつぼだ。誰の妨害もなく、『レジスタンス』の最大戦力を以て【異形】を殲滅する。以前までのアスマであったなら、そこに何の躊躇いも抱かなかっただろう。
しかし――今は。
自分の行動に惑い、その是非に迷い、光明を求めて汚泥の底でもがいてきた今のアスマは、違う。
かつて共闘した『リジェネレーター』の戦士たち。【異形】との『交信』を成功させようと懸命に心の叫びを上げていた『新人』の二人。
命を賭して戦った彼らの理想は、果たして無価値と一蹴できるものであったか。
己の心に今一度そう問いかけ――アスマは決断した。
(僕は……僕は、『リジェネレーター』の人たちを信じてみたい。ロジックも何もない、正しいかどうかさえ分からない。けれど……この心は、彼らの助けになりたいと、確かに叫んでいるんだ)
一か八かの賭けだ。
地上に出た後、既存の魔力通信よりもさらに高周波の『ピコ魔力粒子』による魔力波を発生させる。
現在の魔力探知機の規格では読み取ることのできない魔力波。
だが『新人』の『交信』ならば、それすらも受信できる可能性がある。
何の実証も出来ておらず、確証など当然あるはずもない。それでも一縷の望みをそこに掛け、『リジェネレーター』に『レジスタンス』の行軍開始を報せるのだ。
(お姫さん……あんたのことは正直いけ好かない奴だと思ってたけど、その信念が本物だってことは知ってる。だから……どうか、応えてくれ)
何がなんでも、『リジェネレーター』を先に理知ある【異形】の拠点へ行かせる。
そのためにアスマは「裏切り者」として、最後の役目を果たす。
たとえ味方である者に刃を向けることになろうとも――全てのしがらみを振り払い、自らの願いに素直になりたい。
「ユウリ……ありがとう、ございます。あなたの言葉のおかげで、僕は自分の進むべき道を見定めることができました」
「覚悟決めたか。よしっ、お互い全力でいこうぜ!」
研ぎ澄まされた剣のごとき眼差しのアスマに、ユウリは柔らかい笑みで応えた。
まったく、戦争を直前にしてもこの人は相変わらずだ――。
仄かな苦笑を浮かべて、アスマはエレベータが地上への到達を告げる間際、最後に一言いった。
「死なないでくださいね」
「お前こそ」
*
「アイギスシールド北西区画Bブロック隔壁解除! 第一師団、進軍開始せよ!」
戦況を報せる大モニターが正面に用意された司令室にて。
上座の司令席に掛ける蓮見タカネは、そう高らかに作戦の開始を宣言した。
彼の指揮を受け、並んだコンソールの前でオペレーターたちが都市を守る隔壁の一時解除を指示していく。
晴天の下、隊列を組んだSAMと戦車の大軍勢が続々と凍てつく大地を踏みしめ始めていた。
「第一師団長、赤城ケイト少将。これより【イスラーフィール・FF】にて、出撃するわ」
先陣を切る彼らを率いるのは、【七天使】最年長の赤城ケイト少将だ。
大部隊を任されるにあたって彼女は中佐から少将まで階級を格上げされていた。
搭乗するSAMは【イスラーフィール・FF】。
かつて宇多田カノンが乗っていた機体を純粋に強化したものであり、その流線型の輪郭をした純白のボディは『ピコ魔力装甲』の青い光粒を纏っている。胸部や肘、膝などを守る装甲は銀の差し色だ。
『コア』を複数個詰め込んで張り出した胸部は女性的。握る長槍に頭部を覆うとさか付きの兜、背中に流れるマントもあって、華麗なる女騎士を思わせる。
「『鋼鉄の歌姫』の後継……しっかり演じさせていただくわ。機体の名に恥じぬ戦いを魅せましょう」
通信で届けられるその声に、士官や兵たちがどっと沸き立つ。
堂々たる風格を見せつけるケイトの統率下にある者たちの士気は、全軍の中でも抜群に高い。
美貌とカリスマ、二つを併せ持つ元大女優のもと、彼らの行軍は予定のペースと違わず順調に進んでいった。
第一師団が完全に都市を出立してほどなく、第二師団も続けて動き出した。
彼らの上に立つのは九重アスマ少将だ。
真紅の体躯【アザゼルΧ】を駆る彼は、淡々と進軍の開始を命じていく。
「第二師団、進行開始。九重アスマ、【アザゼルΧ】、発進します」
血飛沫のごとき赤い光の粒子を纏い、六枚の漆黒の翼を背にした機体。
前身たる機体を覆っていた装甲はほとんどが脱ぎ捨てられ、頭部や胸部を除いて『ピコ魔力装甲』へと置き換えられている。
何より特徴的なのは胸元に刻まれたどす黒い傷跡のようなクロスだ。ここには魔力砲の砲口が埋め込まれており、魔法を放つ際に赤々と輝く。
「アスマくんも【アザゼルΧ】もカッコいいー! ぼくも【レリエルN】で出ちゃおっかなー」
魔力を過剰に増幅させてしまう特殊体質のマシロの場合、普段だったら止められているところだ。
だが【レリエルN】はこの問題をクリアしている。彼のために用意された魔力制御システム――パイロットの体内で増幅し続ける魔力を常時吸い上げ、圧縮して機体の『コア』に貯蔵する機構のおかげである。
「大切に使ってくださいね、マシロ。【レリエル】の『ナハトシステム』……魔力の圧縮技術の開発、めちゃくちゃ苦労したんですから」
「ほんとうにありがとー、アスマくん! SAMに乗って作戦に参加できるなんて、夢みたいだよー!」
いつも通りのハイテンションでマシロが礼を言った。
無邪気な彼に「そうですか」と淡々と返し、アスマはすぐに通信を切る。
「もー! アスマくんの塩対応ー! 顔だけイケメンー、才能だけの男ー、えーっとあとはー……」
ぷりぷりと怒るマシロなど、既にアスマの意識の範囲外だった。
これからすべきこと――小田原港へ向けて『新人』にしか感知できないレベルの高周波の魔力波を発信する――のシミュレーションは、脳内で何度も繰り返してきた。
機体に異常はない。周囲には『ピコ魔力』による通信を傍受できるSAMはいない。魔力を遮る障害物も上空のため、存在しない。
条件としてはこれ以上にない好機だ。
(ニネル、テナ……どうか、どうか気づいてくれ。対話の可能性がゼロになってしまうその前に……!)
演習通りに陸路を行く部下たちを空から見下ろしながら、アスマは念じた。
目立った敵もまだ現れていない。積極的に指示を出す局面でもない。
すうっ、と一度深呼吸をする。
閉じた目を開き、そして――今だ、とアスマは流れるような指使いでそのコマンドを入力した。
「よし。……?」
七天使の中では【アザゼルΧ】のみに密かに搭載された、新型の魔力カウンター。
それが画面に表示した波形は、複雑かつ小刻みに波打っていたのだが、ある一点からそのリズムを微かに乱していた。
(これは……他の魔力波と混線した? でも、『ピコ魔力』は通常の魔力通信の影響を受けないほど極小の粒子からなるものだ。他の魔力で混み合っていてもすり抜けていくはずなのに……)
違和感が胸の内に広がっていく。
しかし、少年の目の前のグラフはすぐに元々の波形を描き出した。
しばらく眺めていても、特に変化は見られない。
変わっていたのは先程のわずか数秒のみだった。
(『ピコ魔力』を扱えるのは新【七天使】機だけ……だけど、今はそれによる魔力通信を使う局面じゃない。見たところ何の非常事態も起こってないし、緊急連絡も要らないはず。まさか……【七天使】以外に、『ピコ魔力』を用いる存在が近くにいる……?)
理知ある【異形】ならばあり得なくはない、とアスマは推測した。
敵がいる。どこに? 警告すべきか。いや、そうすれば要らぬ疑念を抱かれるのはアスマだ。本来ならば【七天使】機でも感知できない魔力波に何故気づけたのか、と。
口下手なアスマにそれを上手く誤魔化せる自信はない。
(……現れるならさっさとしてくれ、【異形】。僕の機体なら見てからでも対処が間に合う)
鼓動が早さを増していく胸を押さえながら、アスマは内心で呟いた。
操縦桿に触れる指先が汗を帯びる。滑らぬように『アーマメントスーツ』で手を拭い、いつ来てもおかしくない敵の襲来に独り備える。
が――数十秒、数分が過ぎてもなお、『第一級』に相当する敵はどこにも現れなかった。
いるのはSAMの魔力に引き寄せられて群がってきた、下級の【異形】のみ。
「……何だったんだ、今のは」
呆然と、掠れた声を漏らす。
確かな異変がデータとして残りながらも、何も起こらない矛盾。
その気持ち悪さに顔を顰めるアスマは、戦端が開かれた部隊の前列側を見据えた。
今はただ、待つことしか出来ない。理知ある【異形】の襲来、そして『リジェネレーター』の到着を。




