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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
最終章

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第二百六十八話 決行前夜 ―proposal―

「――報告です」


 七月二十四日、午後。

 昼食を終えて次の面談に移ろうとしていたタカネに、ある情報がもたらされた。

 人払いをした上で耳打ちされる報せに彼は小さく頷きを返す。

 

「分かった。よく働いてくれた、と『彼』に伝えておいてくれ。報酬は追って振り込ませる、とも」

「はっ」


 黒いスーツを身に纏い、官僚に紛れて首相官邸を出入りするこの男はタカネの『いぬ』の一人だ。

 癖で敬礼しそうになる右腕をどうにか抑え、男は頭を下げる。


「……これで『ダウンフォール作戦』の具体的な実行日が定まったな」


 速やかに退室していく『狗』を見送りながら、タカネは淡々と呟いた。

 海軍のとある士官から陸軍士官へと告げられ、『狗』を通してタカネが受け取ったのは『リジェネレーター』の作戦の決行日の情報だった。

 アスマが陸軍少尉を使って海軍へリークすることが出来たのなら、その逆も然り。

 海軍はミラー大将に統率されているとはいえ、一枚岩ではない。中には『リジェネレーター』に手を貸すことを良く思わない人間も当然いる。そういう保守派の士官にタカネは予め目を付け、『プルソン戦役』の以前から『狗』どもを使って調略を巡らせてきたのだ。



 その日の内に開かれた軍議にて、『ダウンフォール作戦』の正式な開始日が決定した。

 タカネが提言した七月三十日という日付。

『リジェネレーター』が作戦に打って出る可能性のある最短の日取りの、一日前である。

 これに異論を唱える者はいなかった。

 部隊編成を含め、全ての準備は既に完了している。それが何時いつの開始になろうが彼らは構わなかった。


「臨時国会でも賛成多数で本作戦の許可が下りた。これで完全に憂いなく、『ダウンフォール作戦』に臨むことが出来る」


 そう力強く言って、タカネは今回の軍議を閉じた。

 決めるべきことだけ手短に済ませ、足早に去っていくタカネの背中を見送って郷田コタロウ少佐は呟く。


「これでほんとのほんとに、作戦の実行が決まっちゃったってことっすね。……にしても司令、いつにも増して忙しそうだ」

「それはそうでしょう、司令と首相との二足の草鞋わらじだもの。まあ、最近アタクシたちの前に顔を出す機会が減ってるのは事実だけど」


 冴えない青年の言葉に赤城ケイト中佐がそう返した。

 タカネが『レジスタンス』本部の地下空間へ赴き、【輝夜】との接触を繰り返していること――彼らにそれを知る由はない。

 

「というかコタロウ、作戦前だというのにそんな不安そうな顔でどうするの? 上官の背中を見て部下は育つのよ。もうちょっとしゃんとしなさい」

「あ痛っ!? ケイトさん、力強いっす……!」

「それくらい我慢しなさい! さあ、訓練行くわよ」


 ヘタレな青年の背中を勝気な元女優が思いっきり叩く。

 それを微笑まし気に見つめながら、ユウリは隣の席に座っていたアスマに声を掛けた。


「俺たちもいこっか、アスマくん。作戦まであと一週間もないんだ、気ぃ抜いてらんないぞー」

「……」


 しかし、黒髪の少年は俯いたまま無言だった。

 アスマの様子はここ数日、ずっとそうだ。タカネが理知ある【異形】の拠点を特定したと発表し、『リジェネレーター』に情報を流した裏切者の存在も明かしたあの軍議の日から。

 先輩としてユウリは心配だった。新型機のアイデアが浮かばないスランプに陥っていた頃よりも、今のアスマは憔悴しているように見える。何が彼をそこまで追い詰めてしまっているのか――訊かなければならない、とユウリは思う。

 

「元気出せって。ケイトさんも言ってるだろ、上官の背中を見て部下は云々って。俺たち【七天使】なんだからさ、一緒に頑張ろうぜ」

「……は、はい」


 ぐいっと腕を引っ張ってやると、流石にアスマも応じないわけにはいかずに返事をした。

 この状態では部下たちの教練も流石に難しいか。

 そう判断したユウリは少々考えた後、口を開こうとしたが――。


「行きましょう。作戦までもう間もありませんから」


 力を取り戻した口調でそう言われては、掛けようとした言葉を引っ込めざるを得なくなった。

 それから『VRダイブ室』に場を移し、彼らは作戦前の最終調整を進めていく。



 ベッドの中でもぞもぞと身を動かし、微睡みの中でユイはゆっくりと瞬きを繰り返した。

 窓辺からはカーテン越しに月明かりが差し込んできている。

 彼女の動きに刺激されたのか、すぐ隣で布団を共有しているシバマルがこちら側へ寝返りを打った。

 むにゃむにゃ、と何やら寝言を口にしている彼を眺め、微笑む。

 大事な作戦を明日に控えていることも忘れられるほどの、幸せそうな寝顔だった。

 寝相が悪いせいではだけてしまっている裸の胸板に布団を被せ直してあげながら、ユイは大切な彼のそばに少しだけ寄った。


「ん……ユイ……」


 ぼんやりと名前を呼んでくるシバマルと目が合って、ユイは顔をほんのりと赤らめる。

 そんな彼女の青い髪を慈しむように撫で、シバマルは目を閉じながら穏やかな声音で言った。


「夢……見たんだ。ツッキーと……マナっちと、レイ先生と、ユイと、俺で……都市の自然公園に行く、そんな夢……。みんなで珍しい花とか、虫とか見てさ……お昼には芝生の上にレジャーシート敷いて、手作りのお弁当食べたりして……。楽しかったなあ……ほんとうに……」


 つぅ、と。

 少年の瞼の隙間から、雫が緩やかに流れ落ちていく。

 指を伸ばしてその涙を拭ってあげつつ、ユイは彼の話を静かに聞いていた。


「最近……よく見るんだ、こういう夢。ツッキーとレイ先生がいなくなってからは、特に……。なんで、だろうな。会えなくなってから……皆でやりたかったことばっか、夢に見るんだ」

「私も……叶うのなら、皆ともっと、そういう思い出を作りたかったです」


 もう叶わない夢を口にする。

 喉の奥底から込み上げてくる熱いものを飲み下して、ユイは儚げに笑ってみせた。


「今はいないカナタさんやレイさん、マナカさんの分も……これからも精一杯、頑張りましょう。それがきっと、彼らの思いに報いる唯一の方法だから」


 対話の時が迫ってきている。

 人類と【異形】の未来を左右するかもしれない作戦。『リジェネレーター』の理想を次に繋げるために戦ったカナタたちのためにも、何としても成功させなければならない。

 

「そう……だな。ツッキーたちが望んだ平和な未来、それを絶対に掴み取るんだ」


 覚悟と使命感をシバマルは言葉にして示した。

 それに、と付け加え、彼はユイの一糸まとわぬ身体をそっと抱き寄せる。


「おれはユイとずっと一緒にいたい。今までも、これからも、おれはユイのことが大好きだ。だから……一緒に、生きて帰ろう。そんで、帰ったら……」


 そこまで言ってシバマルは口ごもった。

 彼の腕の中のユイは、上目遣いで問う。


「帰ったら、なんでしょう?」

「え、いや……やっぱ、なんでもない!」

「ちょっと、なんですか。そう言われると余計気になるんですけど」

「あー、あれだよ、あれ。そーいうこと言うとなんか死亡フラグみたいでなんだよ」

「そんなの関係ないでしょう! 軍人は死ぬときは死にます。言いたいことがあるなら、出撃の前に言ってください。でないと――」


 後悔しますよ、と。

 ユイは真剣な眼差しで、シバマルを見据えた。

 いざ言おうとして照れ隠ししてしまったシバマルだったが、その言葉に思い直る。

 そうだ。自分たちはそういう世界にいる。生きるか死ぬか――先の『プルソン戦役』でも自分たちは幸運にも生き残っただけで、少なくない数の部下を亡くしてきた。


「い、一回しか言わないぞ。よく聞いてくれ」

「はい」


 深呼吸して心の準備を整える。

 初めてユイに告白した時より緊張している気がする。

 数度呼吸を繰り返し、自分が落ち着きを取り戻したと確信したそのあと、犬塚シバマルは最愛の彼女へ向けて言った。


「ユイ。生きて帰ったら、おれと結婚しよう」

「――はい」


 即答だった。

 これからの人生を共に歩んでいくとしたら、それが最も妥当な選択だと思うから。

 

「わたしも、あなたが大好きですから。あなたの笑顔も、ちょっと頼りないところも、だけどいざとなると格好いい姿を見せてくれるところも、全部、大好きですから」


 涙声になりながらユイは心からの思いを言葉にした。

 嬉しさのあまりくしゃくしゃになりそうな顔を両手で隠そうとすると、シバマルに手を取られ阻まれる。


「泣き顔も可愛いな、ユイは。隠すのもったいないよ」

「も、もうっ……恥ずかしいですっ……」

「言いたいこと言えって言ったの、ユイだろ?」

「それは、そうですけど! でもこのタイミングで真正面から言うのは反則です! ずるいです! ひどすぎます!」


 言いながら訳が分からなくなってしまうユイであった。

 そんな彼女に苦笑しつつ、シバマルは冗談めかして言う。


「反則か……じゃあ、ペナルティがないとな。罰として何でもして差し上げますよ、ユイ様?」

「じゃ、じゃあ……。…………き、キス、してください」

「仰せのままに」


 恭しく答え、額に軽く口づけするシバマル。

 ユイは顔を赤らめ、頬をむすっと膨らせて彼を睨みつけた。


「に、睨むなって! 分かってるよ……けど、おれ……止まらなくなっちゃうかも」

「いいんです。シバマルさん……来て」


 瞳を閉じて、彼の答えを待つ。

 それから二人は夜が明けるまで、決して忘れられない濃密な時間を過ごすのであった。

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