第二百六十四話 打診 ―Fighting with words―
日を跨がずしてミユキは鏑木リッカ女史にアポを取った。
長らく連絡していなかった後輩はワンコールで電話に応じてくれ、その声を聞いた瞬間にミユキは思わず口元を弛ませる。
彼女自身を含めズボラな人間が多かった研究室の中で唯一、几帳面という概念の擬人化ともいえる存在がリッカだった。
『もしもし。鏑木です』
「リッカちゃん? あたしよ、明坂ミユキ」
『ミユキ、先輩……? ……あの、私……』
「リッカちゃん、今日このあと会えないかしら。あなたのお家に行ってもいい? 詳しいことはそこで話すわ」
電話口のリッカは微妙に躊躇う気配を醸していた。
ミユキにとっては貴重な頼みの綱。どうにか了承してほしい――目を瞑ってそう祈る彼女へ、数十秒にもわたる間を置いて答えが返ってくる。
『……分かりました。私なんかに出来ることがあるとは、思えませんが……』
「あなただから頼るのよ、リッカちゃん」
おそらく『狂乱事変』でのこともあって自信を失ってしまっているのだろう。そんなリッカにミユキは力強く言葉を掛け、それから手早く待ち合わせ場所と時間を決めていった。
都市の郊外――の、さらに外れ。
広大な円の外周、その東端にリッカの住まいは位置していた。
降りる者もほとんどいないモノレールの終点。
そこの改札前でリッカは来るかつての先輩を待っていた。
(『リジェネレーター』の勧誘、なのかしら……。先の戦役で『リジェネレーター』の部隊は壊滅して、主要メンバーがいなくなってしまったから……その、穴埋め)
猫の手でも借りたい状況なのだろうとリッカは推察した。
それにしても解せない、と彼女は自嘲的な笑みを浮かべる。
鏑木リッカは犯罪者だ。月居カグヤのテロ行為に手を貸し、少なくない数の人命を奪わせた。あのとき彼女が『レジスタンス』本部内の隔壁を強制稼働させなければ、事態は冬萌大将らの下で速やかに対処され、犠牲は最小限で済んだだろう。
リッカには正義を語る資格などない。
温情で見逃されただけの、罪人なのだ。
「リッカちゃん! ちょうど待ち合わせ時間ね。もしかして結構待った?」
「先輩――いえ。私もさっき来たところです」
先輩に謝らせないための嘘ではなかった。
連絡を貰ってからここに来るまで、本当に迷った。
理想に燃える人々の傍に立つのに、果たして鏑木リッカという人間は相応しいのだろうか、と。
到底、そうは思えない。だが直談判してこようという熱意のあるミユキを門前払いするのも、失礼だと感じた。
話だけでも聞いてみよう。どうするか決めるのはそのあとでいい。
「駅から多少歩くことになりますが……すみません」
「謝る事じゃないわ。あたしも最近身体が鈍ってきてたし、いい運動の機会よ」
リッカはぎこちない笑顔だけを返した。
思えば、人とこうして話すのは久々だ。あの事変のあと、リッカは郊外のさらに辺境の地で他者との関わりを極力避けた生活を送ってきた。
使わない機能は当然落ちる。気の利いた相槌一つも打てないリッカに対し、ミユキは気にせず昔のままの微笑みを浮かべて話しかけてくれた。
「嬉しいわ、あなたとこうやってまた話せて。ずっと心配してたのよ……カグヤのことであなたが思い詰めてしまっているだろうって。たまの手紙以外、何もしてあげられなくてごめんなさい……」
「私は……私は、大丈夫ですので」
「強がりは禁物よ。見たところ、前に会った時より痩せているじゃない。ちゃんとした食事も取れてないんでしょ。……そうだ、今夜はあたしが料理を作ってあげるわ。冷蔵庫の中身、どんな感じよ?」
「……冷凍食品なら」
「んー、じゃあまずはスーパーに寄りましょ。自炊用の食材、買い込んでおかないと」
張り切って白いワイシャツの袖を捲るミユキに、リッカは小さく笑みを漏らす。
その表情を捉えてミユキはウインクしてみせ、それから何が食べたいのかを訊いてきた。
「私……カグヤ先輩のシチューが食べたいです」
「カグヤの? りょーかい。あの味が再現できるかは未知数だけど、チャレンジしてみるわ」
学生の頃、泊りがけで月居博士を補佐していた研究室一同のために、カグヤが料理を振舞ってくれたことがあった。
冷気が肌に突き刺さるような冬の日だった。身体が芯から温まるようにと鍋とシチューで多数決を取ったところ、僅差で後者に決まったのだ。
何気ない日常のワンシーン。世界の未来がこうなるとは誰も予想すらしていなかった、あの頃。
戻りたいと痛烈に思う。月居博士とカグヤ女史、矢神キョウジ、あの災厄で失ってしまった学友たち、彼らが健在する平和なIfを空想してしまう。
「おっといけない。妄想に浸りすぎちゃったわ」
「ふふ……私もです。先輩」
リッカの家に着いたときにはもう、時刻は二十時を回ってしまっていた。
『リジェネレーター』本部には終電で戻ることになるかもしれない。
ヤイチには大目玉食らっちゃうわね、と内心で呟きつつ、ミユキはさっそく夕食の準備に取り掛かった。
「……えっと、レシピレシピっと……」
「もう、ミユキ先輩……。レシピも把握せずに作ろうとしてたんですか?」
呆れ顔のリッカにてへへと舌を出してみせるミユキ。
キッチンに立つミユキの隣まで来たリッカは、レジ袋からじゃがいもや人参、玉ねぎなどの食材を出すのを手伝った。
「確か昔メモを残しておいたはずなんだけど……うーん、見つかんないわね……」
「仕方ないですよ、もう20年近く前のことなんですから。今は記憶を頼りにやってみましょう」
スマホのメモ帳アプリを遡って目を通していくミユキに、リッカは言う。
記憶力には自信があるほうだ。完璧とはいかなくとも、それなりのクオリティには仕上げられるはず。
「野菜の準備は私がやりますから、先輩はお肉、お願いしますね」
「分かったわ。えーと、包丁は……」
「そっちの引き出しです」
先ほどの電話口での憔悴しきった気配は鳴りを潜め、リッカは世話焼きな以前の顔に戻っていた。
先輩として格好いいところを見せたかったミユキだったが、リッカに対してはこれはこれで良かったと思う。
「包丁、気をつけてくださいね。猫の手、ですよ」
「分かってるわよそんくらい! リッカちゃん、あたしのこと小学生のじゃりんこだと思ってない?」
「SAM以外に関してはお子ちゃまみたいなものですよ、ってキョウジ君が昔言ってましたので」
「あの野郎、地獄で後悔しなさいよ……!」
軽口を叩き合う二人は20年前の学生時代と同じだった。
しがらみも何もかも忘れて、調理に没頭する。
そうして出来上がった「カグヤのシチュー」をバゲットと一緒に卓上に並べ、二人はさっそく一口目を食した。
「美味しい……けど、なんか違うわねぇ……」
大きめに切った人参、玉ねぎ、じゃがいも、ブロッコリーなどの野菜に鶏もも肉を合わせ、ホワイトソースで煮込んだ熱々のシチュー。
夏場ということもあり汗をかきつつ野菜のごろっとした食感を楽しむミユキたちだったが、どうもしっくりこなかった。
「煮込み過ぎたのでしょうか……」
「うーん、間違っちゃいないと思うんだけどねえ。やっぱ食材の産地の問題かしら。カグヤ、地元の味を使うんだって拘ってたから」
なるべく地域に貢献したいじゃない? とスーパーで買い物しながら選りすぐっていたカグヤの横顔を思い出す。
地元の味。今はもうなくなってしまった概念だ。都市に住まう全ての人々は『プラント』で生産された、画一的な味で腹を満たしている。
「再現、したかったわね。カグヤの味……」
「できますよ、きっと。いつか人類がもう一度地上で暮らせる時が来れば」
力強い口調でリッカは言ってくる。
彼女の希望はまだ、失われていないのだ。月居博士やカグヤが掲げた理念――それは二十年の時が経った今でも、鏑木リッカの中で生き続けている。
「リッカちゃん。お腹も一杯になったことだし、そろそろ本題に入ってもいいかしら」
「……はい。何でしょう」
何を言われようが真摯に受け止め、考える。彼女の真っ直ぐな瞳からはそんな覚悟が見て取れた。
小さな卓を挟んでリッカと向き合うミユキは一呼吸置いてから、穏やかな声音で語りだした。
「私が昨日、Cエリアのスクランブル交差点で行った演説については、もう知ってるわね? 『リジェネレーター』はこれから再始動する。けれど……人道に反した手段を用いてそれを阻もうとする可能性のある勢力もまた、存在するの」
切れ長の目を見開き、一言、「どういうことですか」とリッカは問うた。
人道に反した手段。『狂乱事変』の前後、黒羽組をはじめとする暴力団の抗争やテロが都市内の平和を脅かしていたが――まさか、彼らがまた動き出そうというのか。
そう危惧し、身を乗り出すリッカにミユキは静かに首を横に振ってみせ、そして告げた。
「その勢力の名は、『尊皇派』……いいえ、そのトップである蓮見タカネ本人であるというほうが適切でしょうね。先の『プルソン事変』の際、秘密裡に『リジェネレーター』討伐部隊が組まれ、奇襲作戦が実行されたこと……。それが蓮見タカネ氏の意思によるものであったと、実際に作戦に参加した夜桜シズル元陸軍少将が明かしてくれたわ」
絶句するリッカを前に、ミユキはシズルが意を決して伝えてくれた真実を知らせた。
『プルソン事変』での過ちを繰り返させないよう、自分たちも精一杯できることをやるのだという意思表示も。
「……だから、リッカちゃん。あなたの力を貸してほしいの。タカネはまた何か行動を起こそうとしている。あたしたちの演説を受けて『リジェネレーター』を潰すための策を打ち出してきてもおかしくはないわ。彼が何をしようとしているのか、その情報を得たい」
必死の形相で縋りつくように要請してくるミユキに対し、リッカはしばし無言を貫いた。
降りる沈黙の中、汗ばんだ手を握り込むミユキは自分の心拍数が徐々に上がっているのを意識しながら、後輩の答えを待つ。
「……結論から言います」
数十秒、あるいは数分にも感じられる静寂を破ってリッカは開口した。
「私は協力できません。私……鏑木リッカは『狂乱事変』における罪人です。先輩たちの隣に立つには相応しくない。それに……先輩が私に『レジスタンス』本部へのクラッキングを仕掛けろというのなら、それは大きな間違いです」
何故、と揺れ動くミユキの瞳を見据え、リッカは真っ向から彼女の頼みを断った。
唇を震わせる先輩に先んじて、彼女は話を続ける。
「何が目的であろうとクラッキングは紛れもない犯罪です。そんなやり方をしていては、あの蓮見司令と同じ穴の狢になってしまいます。先輩はそれでいいんですか? 平和のために新しい正義を掲げる……それが『リジェネレーター』の在り方ではないんですか?」
突きつけられた問いかけにミユキははっとさせられた。
『リジェネレーター』が民衆からの支持を得られた理由は何だ。
平和を願い、ひたむきにその理念を人々に説き続けてきたからではなかったか。
都市で活動するうえでの自分たちの武器は、言葉だ。
「……リッカちゃん。ごめんなさい、あたし、焦るあまり周りが見えてなかった……」
「誰にでも起こりうることです。今は切り替えて、精一杯やれることをやってください」
『リジェネレーター』として活動すること、それ自体が蓮見タカネとの戦いになるのだ。
彼も言っていたではないか。『リジェネレーター』の支持者が増えるならば、彼らを意識した政策を打ち出さなければ政権として生き残れないと。
『リジェネレーター』を守るために、『リジェネレーター』の支持層を拡大していく。それがまず取り掛かるべき課題だろう。
「リッカちゃん……ありがとう。おかげで視界がクリアになったわ。あたしたちで『リジェネレーター』の理念を訴え続ける――あの演説で終わりにせずに、言葉で戦い抜いてみせる」
覚悟を新たにミユキは遠くないであろう未来を見据える。
吹っ切れたように見える彼女に微笑みを返し、頑張ってくださいねと口にしようとしたリッカだったが、そこでミユキにぎゅっと手を握られた。
「あなたが罪の意識を抱えていることは分かってる。けれど……カナタくんのためだと思って力を貸してくれないかしら。月居博士とカグヤの形見であり、あたしの息子でもあるあの子の居場所を、一緒に守ってほしい」
月居博士の穏やかさとカグヤの芯の強さを受け継いだ少年の凛とした顔が、脳裏に蘇る。
彼の名を出されるとリッカは弱かった。思うように乗せられてしまう自分に小さく溜め息を吐き、それから彼女は頷いてみせる。
「分かりました。元ネットワーク部部長として、最大限サポートします。やるからには全力で手厳しくやりますので、覚悟しておいてくださいね」
「もちろんよ。共に頑張りましょう」
凛然とした眼差しでリッカを見つめ、ミユキは彼女へ手を差し出す。
向けられた手を固く握り込んだリッカはもう一度深々と頷き、意志を一つにした。




