第二百六十話 真実の告白 ―Into a New Battle―
梅雨を過ぎ、夏を迎えた七月の初旬。
『新東京市』のとあるカフェにて、人を待つ明坂ミユキに橘ヤイチは同伴していた。
中央区画の郊外、その大通りにある一軒。都市のベッドタウンであるだけあって辺りの人通りは多く、昼下がりのこの店も満席になっていた。
郊外であれば政府の関係者と鉢合わせる可能性も低く、これだけの人混みなら上手いこと紛れ込める。騒がしさ故に密談には丁度良い。
(ミユキさん……)
向かい側の席に掛ける黒髪に眼鏡の彼女を、ヤイチは物憂げな表情で見つめる。
『リジェネレーター』壊滅の報が『レジスタンス』より発表されてから、約五か月。
憔悴しきったミユキの頬はこけ、その目に生気はない。
ヤイチに出来ることは、ただ彼女に寄り添うことだけだった。
生きる希望を失った彼女を現世に繋ぎとめる楔となる。いつか『リジェネレーター』の理想の火を再燃させる、その日まで。
「……ミユキちゃん。久しぶりね」
待ち時間はさほどなかった。
ヤイチが顔を上げると、そこには白い薄手のワンピースを纏った黒髪の女性が立っていた。
元『レジスタンス』陸軍の夜桜シズル少将である。
「夜桜さん、お初にお目にかかります。『リジェネレーター』の橘ヤイチといいます。今はミユキさんがこのような状態ですので、僕が同伴しております」
「そう。ありがとう、橘くん。とても心強いわ。本当に……感謝してもしきれない」
その口調には歯痒さが色濃く滲んでいた。
シズルに自由が約束されていなかったことは、ミユキに宛てられた手紙に目を通して分かっている。
挨拶がてらお互いを労わり、それからシズルはヤイチたちの分も一緒に注文を済ませ、来てくれた二人に礼を言った。
「まず、二人ともこの場に来てくれてありがとう。話がしたいとだけ書かれた、差出人も記してない手紙。正直、反応は期待してなかったけど……思いが通じて良かったわ」
「僕としても藁にも縋る思いでしたから。『リジェネレーター』を再起させる糸口になり得るのなら、猫の手でも借りたかったんです」
「その心労は痛み入るわ。――じゃあ、手短に話すわね」
そしてシズルはさっそく本題について語り始めた。
隠匿された『プルソン戦役』における『リジェネレーター』のその後と、九重少年が考える全てを。
長居は避けたいため端折る部分もあったが、それでも話し終える頃にはアイスコーヒーのグラスに浮かぶ氷はすっかり溶けてしまっていた。
「……ミユキさん」
ヤイチはテーブルに身を乗り出して、向かいに座るミユキの手を取る。
絶えたと思っていた灯火。へし折られ、打ち砕かれたと思われた理想。
だが、その灯はまだ消えてなどいなかったのだ。
「みんな、みんな生きてたんですよ、ミユキさん。カナタくんもレイくんも、ミコトさんやシバマルくん、ユイさん、マトヴェイ総指揮官も、みんな……!」
声を震わせてヤイチはミユキの細い手を握りしめる。
「……い、きてる……? ほん、とうに……?」
物言わなかった瞳が潤み、次第に水滴がそこから零れ落ちていく。
子供たちが皆、生きている。地上という過酷な環境下に追いやられながらも、おそらく今も無事でいてくれている。
とても信じられない。けれどシズルが嘘を言うとは思えない。眼鏡を外して濡れた目をごしごしと擦りながら、ミユキは上擦った声で訊ねた。
「本当に、本当に、あの子たちは生きているのね? 死んでなんかいないのね? 今も元気でやっているのね?」
「ええ。彼らは海軍と共に小田原港に向かったと聞いているわ。ミラー大将やグローリア中佐なら、絶対に彼らを見捨てはしないでしょう。物資に関しても小田原港は『プラント』資源の輸送の要を担ってるわ。だから不足はしていないはず」
懐からハンカチを取り出し、それをミユキに手渡してやりつつシズルは落ち着いた声色で言った。
彼らは今も地上で雌伏の時を過ごしている。その間に自分たちもやれることをしなくてはならない。九重少年の勇気に、報いるためにも。
「僕たちに出来ること……主要メンバーが都市に不在の今、起こせる行動なんて……」
「――『リジェネレーター』はまだ解散していない。そうよね?」
当惑するヤイチにシズルは確認する。
彼に代わってミユキが「ええ」と答え、その質問の意図を視線で問うた。
「けれど、実質的に休止状態に陥っているし、都市の人々はもう『終わったもの』として見做している。第一にすべきなのは、その現状を変えることよ。『リジェネレーター』はまだ終わってなんかいない、これから人員や資金を集めて再び立ち上がるんだって市民にアピールするの。風潮を、流れをもう一度変えるのよ。その旗頭になるのは、ミユキちゃん――あなたしかいないと、私は思うわ」
かつてミコトやカナタ、レイたちは結束して『リジェネレーター』を立ち上げ、都市中の人々の議論を巻き起こした。
ヒトと【異形】、両者の関わり方に新たな選択肢を提示する。
敵を滅ぼすまでの果てしない戦いに臨むよりも、お互い傷つけ合わない距離を模索する。
その少年少女たちの平和の精神を再び訴え、人々にもう一度考えてもらうのだ。
「私、しか……」
「そうよ。マトヴェイ総指揮官が不在の今、組織において一番実績があり、発信力の高い人間はあなた。『リジェネレーター』を復活させ、カナタくんたちが帰ってこられる居場所を作ってあげて。――お願い」
平和を願う一人の人間として、子供たちを想う一人の女性として、夜桜シズルは旧友に頼み込んだ。
肩書を失い、監視もされている立場のシズルには託すことしか出来ない。
今日ここでミユキと対面できているのは九重少年の根回しがあってのことだが、少年自身、監視役の買収には限りがあると言っていた。
あとは『リジェネレーター』の者たちの行動次第。
「シズルちゃん。――分かったわ。私が、あの子たちの居場所を守る」
思いを受け取ったミユキは誓う。
『リジェネレーター』の理想に共鳴した者として、月居カナタの名付け親として、今こそ自分が立ち上がるのだと。
*
季節が夏を迎えてもなお、地上の空気は寒々しい。
冷たい海風が港で作業する兵士たちに吹き付ける中、その様子を窓辺で見守っていた銀髪の女性はドアをノックする音に顔を上げた。
「どうぞ」
静かに扉を開き、現れたのは赤髪の将が率いる『リジェネレーター』の面々である。
マトヴェイ・バザロヴァ、皇ミコト、刘雨萱、犬塚シバマル、風縫カオル、毒島カツミ。
総指揮官と【七天使】の面々を迎え、『レジスタンス』海軍のグローリア・ルイス中佐は敬礼する。
「適当に掛けてくれ。まずは一杯、水でも飲もうか」
今回の集まりは定例会議ではない。緊張を帯びる若き面々を見渡し、海軍大将のイーサン・トマス・ミラーは鷹揚な口調で促した。
豊かな顎髭を擦りながら言ってくる黒い肌の大男に一礼し、ミコトたちはそれぞれ用意された席に着いた。
少年少女たちが水を一口含んだのを確認してから、マトヴェイは口火を切る。
「今回の会議はやはり、あの件ですの? 大将」
「うむ……三日前、『レジスタンス』における大規模な軍事演習が丹沢基地周辺で行われたことについてだ。蓮見タカネ司令が近々、大きく動き出すのは確定的となった」
マトヴェイの形の良い眉の間に、深い皺が刻まれる。
大規模作戦はこれまでも『レジスタンス』はやってきた。二度にわたる『福岡プラント奪還作戦』。人類の命脈を繋ぐための『プラント』奪還という大義のもと、多くの【異形】を狩り、多くの人命を犠牲に作戦は完了した。
「演習に参加した人員の規模は如何ほどなのですか」
挙手し、口を開いたのはミコトである。
「リーク元によると、三個師団ほどとのことです。演習でこれですから、実際の作戦ではそこから増える可能性もあるでしょうね」
手元のタブレット端末に視線を遣りつつ、グローリア中佐が回答した。
海軍は現在、『レジスタンス』の陸・空軍とは独立した立場にある。
蓮見司令の行動に異を唱え、無許可で『リジェネレーター』を匿った彼らは『レジスタンス』本部とはほぼ断絶した関係にあり、都市住民のため物資の輸送・供給にのみ協力するというスタンスを取っていた。
その物資供給の折、陸軍のとある人物からもたらされた情報が今回のこれであった。
「三個師団ってことは、『福岡プラント奪還作戦』に匹敵する規模になるのは間違いない、か」
「『プラント奪還作戦』での物資を賄うために増税してから一年。市民の反感を慮ってしばらくは大規模作戦を控えるものかと思っていましたけど……」
神妙な表情でカオルが呟き、囁くように言うユイは眉を顰めた。
ほっそりとした顎に指を添えながら、険しい顔でミコトは言う。
「あの方は……蓮見タカネは確証もなしに行動を起こす人ではありません。確実に成功する、その根拠と自信があるからこそ作戦を始動させようとしているのです」
大規模な戦いの幕開けは、もはや避けられない。
人類と理知ある【異形】たちとの宥和――タカネ率いる『レジスタンス』が【異形】側に大攻勢を仕掛けるのならば、その達成は限りなく困難になるだろう。
「ちょ、ちょっといいっすか?」
と、そこでおずおずと手を挙げたのはシバマルだった。
【機動天使】の一員としてこういう場に何度も顔を出してきている彼ではあるが、未だに慣れていないのか、心なしか青白い顔に見える。
「何だ、坊主」
「っ、えっと……蓮見タカネがなんかやべーことしようとしてるってのは分かったんですけど、それって……『レジスタンス』がおれたちを攻めてくるとか、そういうことではないんですよね……?」
誰もが脳裏に過らせていた懸念。
聞くのも恐ろしいそれを真っ先に問うてくれた彼に、グローリア中佐は首を横に振ってみせた。
「リーカーに拠れば、『レジスタンス』は理知ある【異形】の本拠地に目途をつけ、来る八月の半ばに総攻撃を仕掛けるのだということです。彼の言葉を信じるならば、我々が脅かされることはありません。そこは安心してください」
「とはいえ、何があるか分からん。備えるに越したことはないだろう」
内部情報を元に告げるグローリアに続き、ミラーが念を押す。
唇を引き結び、頷くマトヴェイたちはしばらくの間、無言であった。
「…………『レジスタンス』が理知ある【異形】の拠点を攻める。それが真実であるならば、アタシたちはどうするべきか――」
黙考の末、マトヴェイは立ち上がって円卓の一同を見渡す。
『リジェネレーター』の理想の灯火。それはまだ胸の中に燃えているかと、赤い瞳が問いかけていた。
「んなもん、決まってんだろ」
にやり、と不敵に笑うのはカツミである。
挑戦的な目でマトヴェイを見上げ、彼は威勢よく言ってみせた。
「『レジスタンス』の奴らが【異形】たちを攻めるってんなら、俺らはそれを止めるまでよ。対話する前にその相手を殺されちゃあ、たまったもんじゃねえ」
「馬鹿カツミ。アホ。木偶の坊。……それじゃこの前の二の舞になりかねないし、やり口としてはあのクソ野郎と一緒じゃん」
だがすぐに彼の意見はカオルに否定されてしまう。
浴びせられた悪口は置いておいて「じゃあどうすりゃいいんだよ」と仏頂面で訊くカツミに対し、カオルは返答に代えてミコトに視線を移した。
「タカネが動き出す期日はおおよそ分かっています。ならば、彼らが動き出すより先にわたくしたちが理知ある【異形】の元に辿り着き、対話を果たすまでですわ」
現在は七月の初旬。あと一ヶ月と少し猶予がある。
それまでにやれることをやり、人類と理知ある【異形】とが戦争状態になる前に、共生の道を模索しなければならない。
「アタシもちょうど同じことを考えていたわ、ミコトさん」
マトヴェイも同感であった。
理知ある【異形】の本拠地がどこにあるかは分からない。仮に見つけられたとしても対話が上手くいく保証はない。それが成功したとしても、その後に攻め込んでくる『レジスタンス』との衝突は必至だ。
限りなく困難。だが、それでも――『リジェネレーター』の理想を未来に託した仲間たちを思えば、諦めるわけにはいかない。
「お前たちならそう言うと思っていた。ここまで来たら我々は一蓮托生だ。海軍も出来る限りのサポートを行い、『リジェネレーター』と理知ある【異形】とのコンタクトの実現を図ろう」
腕まくりをしながらミラー大将は豪快な笑みを浮かべた。
グローリア中佐も上官に目配せし、その意思を共有する。
「感謝いたしますわ、大将」
深々と頭を下げるマトヴェイたちにミラーとグローリアも答礼する。
いま、新たなる戦いの幕が開けようとしていた。




