第二百五十四話「楽土」 ―Paradise of the [Variant].―
時は四か月前に遡る。
『プルソン事変』の後、小田原港への寄港を目指す『リジェネレーター』はその帰路にて、【第一級異形】フェニクスの襲撃を受けた。
その足止めに出撃したカナタとレイであったが、フェニクスの攻撃に呑まれて消息を絶つ。
墜落した二人はマナカとマオの魔力の加護により、一命を取り留めていた。
先の戦いの際、自らの指揮下で初めて部下を失ったカナタはその自責の念から自死を試みるも、レイに引き留められ、未遂に終わる。
生還が絶望的な状況のなか、それでも諦めず最後まで足掻こうと決意する二人。
彼らはマナカとマオの宿る『コア』を求めて地上を歩き、見つけられずに引き返す道程にて、狼人型【異形】の群れに遭遇する。
絶体絶命の危機。そこから二人を救ったのは、青い肌に牛の角を生やした理知ある【異形】が一人、『ザガン』であった。
『ザガン』はカナタたちの生存を保証する代わりに、SAMの技術提供をするよう交渉してきた。
躊躇うレイであったが、カナタは『リジェネレーター』の思想に興味を示した『ザガン』を信じ、その条件を呑む。
人と【異形】。異なる両者が共存・共生する未来を模索するために。
カナタとレイは、『ザガン』とともに理知ある【異形】の拠点へ向かうこととなったのだった。
『もうすぐだ。もうすぐ、俺たちの楽園に辿り着くよ』
天幕の外から鷹揚な口調で『ザガン』は呼びかける。
毛布にくるまっていたカナタとレイは顔を見合わせ、跳ね起きるように天幕の出入り口へと駆け寄った。
垂れ布を少し捲ってそこから顔を出す二人は、見た。
月明かりを反射して淡く光る海に浮き上がった島の中央に口を開く、広大なカルデラを。
「……あっ、あの中に……!」
「理知ある【異形】の、拠点があるのですね」
出立から数時間を経て、時刻はおそらく二十二時を回った頃だろうか。
SAMを失って腕時計も持っていないレイは、体内時計からそう判断した。
グリフォンの翼を有した雄牛の使い魔が演出する空の旅は、小田原エリア近辺を発ち、南下。
『リジェネレーター』の仲間たちがいる小田原港の上空をそのまま通過して、海へと出ていた。
「……伊豆諸島には現在、人の手は一切入っていません。島民たちは『カラミティ・メテオ』の墜ちたその年に全滅……離島民の救助まで手が回らなかった当時の自衛隊が見殺しにせざるを得なかった、悲しき犠牲だったそうです」
やるせない歴史を語るレイに、『ザガン』は淡々とした口調で言う。
『俺たちが根城を探して辿り着いた時、そこは既に廃墟となっていた。盆地の中で独特の進化を遂げていた【異形】たちが跋扈する、カルデラ地形。そこで死んでいったかつての住人たちには申し訳ないと思ったが、防衛の条件としては丁度いい場所だ。ゆえに俺たちはそこを拠点にしようと決めた』
カルデラの穴を蓋するように掛かっている靄のせいで、内部の様子は上空からでは窺えない。
ゆっくりと旋回しながら合成獣はそこへ降下していく。
「……!」
白き靄を通過するその瞬間、カナタは微細な魔力の揺れを感じ取った。
合成獣の蹄が触れたそばから広がる見えざる波紋――何らかの魔法が仕掛けられている。
『気づいたようだな。この大穴を覆うように設置したフィルター……魔力の防護壁だ。俺たちが認可していないものが侵入すると、自動で迎撃システムが発動するようになっている』
少年の心を見透かしたかのように『ザガン』は説明した。
一見すれば雄大なる自然。しかし、一歩そこに踏み込めばシステマチックな魔法の防御が張り巡らされている。
「み、見てよレイ……! いっ【異形】たちが、あんなにいっぱい……!」
「え、ええ……! 『狼人型』、『小鬼型』……よく見かける種ですが、何か違うような……」
思わずテントの隙間から身を乗り出して周囲を見渡すカナタは、隣で首だけ覗かせている相棒と顔を見合わせる。
中央を貫く巨大な大穴の外周――カルデラ地形の縁は回廊の如く内側へと張り出していて、それが何階層にもわたって下へ続いている。
その各階層には未知なる【異形】が点在しており、光沢のない銀色の体躯を薄らと月光のもとに晒していた。
『ここに生息する【異形】たちの多くは鋼鉄を纏い、電脳世界に適応している』
硬質な鬣を背中に流す【狼人型】を指して、ザガンは言う。
電脳世界。まるでSFだ、とカナタたちは目を丸くした。
「【異形】の電脳化……。そんなことが……!」
『この「楽土」の中で【異形】たちが遂げた独自の進化だ。聞きたいことはたくさんあるだろうが、それは追々話そう』
静謐の中に理知ある【異形】と二人の少年の声が響く。
その気配を察知してもなお、回廊に住まう【異形】たちはざわめいていなかった。
「いっ【異形】たちの敵意を感じない……。こ、これって……?」
『彼らはシステムに管理されている。俺たちが認可した者に対しては危害を加えない』
そうですか、とカナタは掠れた声で呟く。
『交信』で伝わってくる【異形】たちの感情は、不気味なほどに穏やかだ。攻撃に移らずとも、見知らぬ者が近づいてきたら警戒したり、緊張したりするのが当然であるはずなのに。
『……「楽土」の最深部まではもう少しだ。他の仲間もそこで待っている』
下層に降りるにつれて、回廊には燐光を帯びた結晶が目立ち始める。
だんだんと強まってくる眩暈、ふらつきのような感覚にカナタは額を押さえた。
カナタほどではないがレイも吐き気まじりの不快感を覚え、相棒の手を引いてテント内に引っ込む。
「何ですか、この感じ……!?」
『このカルデラ地形には魔力の結晶が自生していてね。俺たちが過去に持ち帰った『カラミティ・メテオ』の破片――そいつが拡散した魔力によって、主に「楽土」中層域以下のエリアに結晶が林立しているんだ。常に魔力が充満した状態になっているから、生身の人間には少々きついかもしれないな』
寝袋の上に身体を横たえながら、二人はザガンの言葉を聞いていた。
目を閉じてみるがどうにも落ち着かない。瞼の裏に星が散っているかのような、奇妙な感覚をカナタは抱いた。
『感覚が過敏になったり、多幸感が得られたり、幻覚・幻聴の類がみられたり……過剰な魔力は薬物と同じだ。あとで君たちの身体を守れるような装備を用意しようと思うが、それまでは少々我慢してくれ。死にはしないはずだ』
さらっと言ってくれますね、などと突っ込んでいる余裕も最早ない。
相棒と比べてまだマシな気分のレイは、枕もとを弄って水筒の水を一口飲んだ。
冷たい液体が喉から落ち、食道の壁を下っていくのが常よりもリアルに分かる。それでも多少はふらつきが緩和された気がした。
(しんどい……けれど、ボクたちはもう決めたんです。【異形】の世界をこの目で見て、知って、理解するのだと……!)
まだスタートラインに立ったばかりだ。音を上げるには早すぎる。
『ザガン』の言う防護装備が出来ればまともに活動できるようになる。それまでの辛抱だ。
『そろそろ着くぞ。アジトの中は気休め程度だが、浴びる魔力の量も少ない。しばらくはそこで休んでいろ』
そう『ザガン』が告げてから、一、二分ほど。
着地の振動に上体を起こし、レイは隣で横になるカナタの汗ばんだ顔を見下ろした。
『動けそうか?』
「ボクは何とか。ですが、カナタはかなり辛そうです」
『分かった。彼は俺が運んでいこう。君は自力でついてきたまえ』
カナタを横抱きにして降りた『ザガン』に続いて天幕を出たレイが見上げると、すぐそこがアジトであった。
自分たちが立つ大穴の中心、その広々とした空間をぐるりと囲むように真っ白い外壁が続いている。
この『楽土』を構成する回廊の最下層、と言ってもいいだろう。
『遅いぞッ、ザガン! 一体何時間我を待たせるつもりなのだ!』
と、そこで。
レイたちが向いている正面の鉄扉が開き、何者かが勢いよく姿を現した。
甲冑を纏い、黒いマントを靡かせて悠然と闊歩する、青い肌の大柄な男。
遠目に見ても威圧感を覚える容貌魁偉な怒れる者を前に、レイはごくりと生唾を飲んだ。
『悪いね、ベレト。ちょっと訳アリで』
『訳アリぃ? 相変わらず言い訳ばかり――む? むむっ? この者たちは何だね!?』
『だから訳アリと言っただろう。詳細は中で話すよ』
説明しろと食ってかかる『ベレト』という理知ある【異形】を「まあまあ」と宥めながら、ザガンはレイに扉まで行くよう顎で示す。
苛立っている『ベレト』のそばを歩くのはどうにも気が引けたが、レイは意を決して男の出てきた扉へと歩を進めた。
『先に言っておくと収穫はある。楽土の防衛力強化の一助となるだろう』
胡乱気な目で少年二人を見下ろす『ベレト』に、『ザガン』はそう前置きした。
広いカルデラの最底部を少々歩き、扉まで辿り着くと、そこでレイはあることに気が付いた。
真っ白い外壁の色はその素材のものでも塗装でもなく、純白に光輝く小さな結晶の集まりだったのだ。
神秘的な美しさを宿す壁面を見つめるレイは、その綺麗な結晶に指を触れようとして――背後からがしっと首根っこを掴まれる。
『何をしているのだ!? それは貴様ごときが触れてよいものではない!』
「すっ、すみません……」
鷲掴みにされて強引に壁のそばから引き剥がされたレイは、親猫に咥えられた子猫のような体勢で項垂れる。
分かれば良いのだ、と手を離されて地面に尻もちをついたレイは、痛みに顔をしかめつつ『ベレト』という偉丈夫の【異形】を見上げた。
見た目は厳ついが案外、優しいところもあるのか。
そんなレイの思考を見透かしてか、『ベレト』は整えられた顎髭を擦りながら言う。
『ザガンの言う収穫が貴様らであるならと、助けたまでだ。無論、今後次第では貴様らの首は無いと思え』
威圧してくる『ベレト』にレイは無言で頷いた。
少年から視線を外し、『ベレト』は鉄扉の前に立ち止まる。
数秒して扉が開くと、彼はレイに中へ入るよう促した。
『ここの扉は魔力認証システムが採用されていてね。ある魔法で脳波をスキャンして、そこに含まれる魔力の波形から個人を識別することが出来る』
『それを言う必要がどこにある、ザガン!?』
『そう怒るなって、ベレト。彼らは人類のスパイではないよ。一生人間側に戻らないという覚悟の上で来ているし、そもそも「楽土」のシステムがそれを許しはしない』
二度と大切な人たちのもとに戻れない。それを分かっていたとはいえ、改めてそう言われるとやはり恐ろしさを感じてしまう。
SAMを持たない自分たちはザガンに生かされているだけの、矮小な存在だ。生殺与奪の権は完全に、彼に握られている。
身を擦るレイを一瞥して、『ザガン』はにこりと微笑む。
『怖くなった?』
「……そう、ですね」
『だろうね。でも、その感情は君たちが前に進もうとしている証だ。いつだって未知は不安と恐怖を伴う……それを乗り越える勇気こそ、最も大切なものだとは思わないかい?』
確かにそうかもしれない、とレイは静かに首を縦に振る。
そんな彼に「よろしい」と拍手して、ザガンは慈しむように言った。
『その勇気を君たちはもう持っている。だから大丈夫さ』
建物の内部は理知ある【異形】たちに合わせてか、天井がかなり高い作りになっていた。
無機質な白い廊下はどこまでも先に続いている。
しばらく歩いている最中、レイは先程まで感じていたふらつきがなくなっていることに気づいた。どうやらアジト内では外の魔力がシャットアウトされるというのは本当らしい。
それから数分後、理知ある【異形】二人はある一室の前で足を止めた。
急に立ち止まった『ザガン』の背中に正面からぶつかってしまうレイを他所に、二人は顔を見合わせて呟く。
『女王様がいるとすれば……』
『間違いなく、ここであろう』
がちゃっ、とドアを押し開けた瞬間、鼻腔に流れ込んできたのは香ばしい脂の匂いであった。
ジュージュー、と鉄板の上で肉が焼ける軽やかな音がする。
広々とした一室にはテーブルが幾つも並べられていて、その奥のカウンターの向こうには忙しなく動く人影が見える。
テーブルのうちの一つには料理を盛った皿がこれでもかと並べられており、一人の青い肌の女が貪るようにそれらを食らっていた。
『はむっ、はふっ、はふっ……ううむ、美味じゃ、美味じゃ! 『巨鯨型』の竜田揚げを混ぜ込み、甘ダレがたっぷり染みわたった炒飯……この味がたまらんのじゃ! この紹興酒との相性も格別じゃな!』
羽衣のごとき薄い黒衣を纏った、艶やかな群青のミディアムヘアの女性。
豊満な双丘、極上に整った顔立ち。醸し出す色香は男のみならず、女性でさえ魅了してしまうのではないかと思えるほどの艶やかさである。
しかし、ガツガツと料理を掻き込むその姿は、麗しき印象を損なうに十分すぎるインパクトをもたらしていた。
『嗚呼、美味じゃ美味じゃ! 料理人っ、早く次の料理を持って参れ!』
唖然とするレイの肩にぽんと手を置き、『ザガン』は目の前の青い肌の女性を紹介した。
『ここが食堂で、あそこにいる彼女は『アスモデウス』。見ての通りの健啖家で、「情欲を司る悪魔」と呼ばれている。怒らせると怖いが根は優しい女性だ。君たちにもきっと、よくしてくれるだろう』




