第二百四十三話 新たなる邂逅 ―Go the Second Way―
出現した青い肌の青年が、自分たちを取り囲まんとしていた【異形】たちを閃光を以て消し炭にした。
一命を取り留めたカナタとレイは、状況をそう理解した。
ただわからないのは、この者が――理知ある【異形】のひとりが、なぜ自分たちを助けたのかということだった。
『……質問が聞こえなかったかな? 君たちがあの鉄人形の持ち主か、と訊いてるんだけど』
青肌の青年は無造作に伸ばした豊かな黒髪を掻き混ぜながら、にこっと笑って繰り返す。
いっそ胡散臭く見える笑顔の彼に対し、まず口を開いたのはカナタだった。
「……そ、そうです」
早鐘を打つ心臓を押さえつつ、カナタは答える。
その回答に『そう』と小さく頷く理知ある【異形】。そんな彼に対し、レイはかけるべき第一声に迷っていた。
下手にこの【異形】の機嫌を損なえば今度こそ終わる。
ではどうするべきか。彼は自分たちに墜ちたSAMの所有者であるか否かを訊ねてきた。それはつまり、彼がSAMに興味を示しているということ。その情報こそが、この【異形】相手に立ち回れるカードだ。
だが、それを切る前に明らかにしておくべきことがある。
「ボクは早乙女・アレックス・レイ。隣の彼は月居カナタといいます。ボクたちは『リジェネレーター』という、人類と【異形】との融和を目指す組織に所属しています」
真っ先に自分たちの立場を明かしたレイに、【異形】は眉をぴくりと動かした。
『「リジェネレーター」……人類と【異形】との融和? へぇ……面白いこと考えるねー、君たち』
くくっと喉を鳴らすように青肌の彼は笑う。
が、すぐにその表情を引っ込めて、刃物のごとく冷たい眼差しを二人の人間に送った。
『……でも、そんなの所詮きれいごとでしょ? 【異形】はヒトを襲う危険な存在だ。俺たち【異端者】の中にもヒトを嫌う奴らは多い。プルソンとかね。歩み寄るのはいいけど、差し伸べた手を噛まれちゃうかもしれないよ? ……いいや、それならまだマシか。首根っこを食い千切られることだって、あるかもしれない』
現にカナタたちは『プルソン』という理知ある【異形】と遭遇しておきながら、まともな対話すら叶わず、多くの同胞を失っている。
大切な班の仲間たちも、理想に殉じる末路となった。
「そっ「それでも」」
少年二人の声が重なる。
互いに視線を交わし、頷き合ったカナタとレイは、胸の中の覚悟をあらわにした。
「ぼっ僕たちは、諦めたくない。えっ絵空事に過ぎないことはわかってる。でっ、でも……いっ嫌なんだ。ひっ、ヒトや【異形】が血を流して苦しむのを放っておくのは」
「理想は唱えることに意味があります。そこに辿り着くまでの過程で犠牲があったとしても、救える命は必ずある。ボクたちはそう信じています」
痛み。悲しみ。苦しみ。戦いが生み出すそれらからヒトや【異形】を解放する。究極的にいえばそれが『リジェネレーター』の理念だ。
誰かを助けたいという純粋な意志。
ぶつけられた言葉を前に、【異形】として彼は瞠目させられた。
『プルソン』の言うようにヒトは同族間で争う愚かな生き物なのかもしれない。だが、いま目の前で理想を語っている少年たちのような者がいるのもまた、確か。
その考えが一組織を生み出すほどに人々の間に波及し、存在感を持っているならば、もう一蹴することはできない。
『その「リジェネレーター」ってのは、どれくらいの規模なんだ?』
「正式な構成員は非戦闘員を含め、一万人を超えています。ボクらに賛同する一般人の数を合算すれば、さらに何倍にも膨れ上がる」
若者を中心に『リジェネレーター』の考えは拡散し続けている。閉塞した都市の空気を変える存在として、彼らは期待を一身に背負っているのだ。
『……ふむ……そうか……それは……』
にやり。白い歯を覗かせて【異形】の青年は掠れた声で呟く。
『なんて、面白い』
絵に描いた餅のような思想に、万を超す人間が夢中になっているという。
その実に滑稽なことか。だが、嫌いではない。
『馬鹿馬鹿しいと思うよ。あり得ないと思うよ。だけど……そんなものを追っかける奴らがいるなんて、本当に面白い』
この少年たちのように純粋に人と【異形】を思い、戦いが果てなく続く現状を変えようと望む者が他にもいるのなら。
その者たちが争いなき未来の可能性として足り得るならば。
一つ、賭けてみたい――と。
彼は思ってしまった。
「……わっ、笑い、ますか」
『あぁ、笑うさ。実に可笑しい。だけど試す価値はある。殺伐とした世界が少しでも住みやすくなるなら、それに越したことはないじゃないか』
【異形】の言葉にカナタとレイは驚き、それから胸を撫で下ろした。
彼は『リジェネレーター』の思想を価値あるものとして認めた。ひとまず、ここで取って食われるようなことはなくなった――そう見て良いだろう。
『申し遅れたな。俺の名は「ザガン」。お前たちが理知ある【異形】と呼ぶうちの一体だよ』
魔導書に綴られし序列六十一番の悪魔の王、ザガン。
自分たちの前に降り立ち、目を細めながら手を差し伸べてくる長身の彼に対し、カナタたちは握手に応じた。
人よりも分厚く硬い肌の、ごつごつとした感触。だが、そこに宿る温もりは自分たちと何ら変わらない。
「よっ、よろしくお願いします」
『あぁ、こちらこそ。……で、俺は君たちに手を貸してやりたいと思ったわけだが、何もボランティアってわけじゃあない。取引をしよう、少年たち』
握手を経ても関係性は揺らがない。
少年二人の生殺与奪の権の一切は、ザガンが握っている。
あくまでも上位者は自分だと告げてくるザガンに、レイは静かに頷きを返した。
『聡い子だ。ここで俺を出し抜いても意味がないということを、ちゃんと分かっている。賢いうえに肝が据わってる奴は嫌いじゃあないよ』
「……ありがとう、ございます」
『加えて礼儀もなっているようだ。……っと、すまないね、本題に入ろうか』
案外喋りたがりな性格らしいザガンは、ごほんと咳払いして雰囲気を切り替える。
弓なりにしていた目を開いた彼は、紅玉のごとき瞳でレイたちを射抜いた。
『君たちの命はこの俺が保証する。衣食住、生きるために必要な全てを与えよう。その代わり、君たちは鉄人形――いや、SAMの技術にまつわる情報を知っている限り、俺たちに明け渡すこと。この条件、呑めるかな?』
生を望むならば、もとより拒否権などない。
だが、それでもレイは逡巡せざるを得なかった。
SAM技術は人類が【異形】に対抗するための要。その情報が【異形】側に筒抜けになってしまえば、敵からの一方的な蹂躙という最悪のシナリオが現実になるだろう。
「SAMには、人を滅ぼせるだけの力があります。その技術を無闇に渡すなど……」
自分たちが助かりたいばかりに、人類の大多数が死に至る選択を取るわけにはいかない。
それだけは譲れないと真っ直ぐな瞳で訴えかけてくるレイに、ザガンは鷹揚に頷いてみせた。
『気持ちは分かる。俺も君たちと同じ立場であったなら、そう言うだろうさ。……だが、信じてほしい。理知ある【異形】も一枚岩じゃなくてね、俺は『中立派』なんだ。技術提供を求めるのはあくまでも侵略ではなく、防衛のため。それだけは確かだ』
地面に膝を突き、少年たちと目線を合わせてザガンは表明する。
命の保証など体の良い嘘かもしれない。情報を引き出しきった後はゴミのように捨てられるだけかもしれない。最悪、人体実験に使われる可能性だってある。
幾つもの「最悪」が脳裏にちらつく。決して目を逸らすことなく向き合ってくる【異形】を前に、レイは懊悩した。
「ぼっ、僕は。……ぼ、僕は、信じます。さっ最初から疑ってかかってたら、僕らはお互いに歩み寄れない。ひっ一人の人間として、ぼっ僕は、あなたを信じてみたい」
だが、カナタは。
「信じる」という簡単に言うのも難しいその言葉を、迷わずに口にしてのけた。
彼は利害などまるで気にせずに、ただ個人と個人の関係を築くことを望んでいた。
「『新人』と友達になれると思う?」と訊いてきた、過日のように。
「ぼっ、僕は知りたいんです。あっ、あなたや他の理知ある【異形】の方たちが何を思い、何を望んで過ごしているのかを。ぼっ僕らはこうして言葉を、意思を通じ合わせることができる。な、なら、お互いに傷つけ合わず、平穏に共存していく未来だって、模索できるはずなんだ」
レイには今のカナタがミコトと重なって見えた。
凛々しく眩しいその姿に、『ザガン』は思わず目を細める。
『まあ、そうだな……仲良しこよしとまではいかなくとも、互いに衝突しないよう配慮することくらいは出来るかもしれない。俺らにも人間側にも過激派はいるようだから、厳しい道のりにはなりそうだが』
月居カナタは優しさと芯の強さを持ち合わせた少年であると、『ザガン』は理解した。
あとはリスクを慮るレイがどう動くかだ。
『ザガン』が静観するなか、カナタはレイの肩に手を置き、相棒の顔を見つめて言う。
「れっレイ。こ、この人は悪意を持ってないよ。くっ『交信』でちゃんと確かめたから、大丈夫だと思う」
感情の発生――脳の働きには微量な魔力の流れが伴う。『交信』でそれを探ったカナタは、『ザガン』からは悪意や敵意の波長が読み取れなかったとレイに伝えた。
一応の根拠を得て、レイは「分かりましたよ」と肩の力を抜く。
『ザガン』が『リジェネレーター』の理想に賭けてみたい、と言ったように、レイも彼を信じる道に賭ける。
姿形が異なろうとも、目指す場所が同じならば共に歩めるのだと、実証したい。
そして何より、レイはカナタの考えを尊重したい。
「……改めてよろしくお願いします。『ザガン』、さん」
『ああ、よろしく。サオトメ……なんだっけ』
「アレックス・レイ。ボクのことは早乙女でもレイでも、好きに呼んでください」
『おお、じゃあレイくんで』
不思議な気分だ、とレイは思った。
これまで敵対関係だった理知ある【異形】が、こうして自分たちと談笑している。それが奇妙でもあり、嬉しくもある。
『リジェネレーター』が思い描いてきた理想への、第一歩だ。
『さて……方針が決まったとなれば、さっそく実行だ。俺は回収したSAMのパーツをアジトへ持って帰る。君たちも付いてきてくれるね?』
「はっ、はい」「もちろんです」
いい子だ、と呟いて『ザガン』は踵を返して歩き出す。
歩幅の大きい彼の後を小走りで追いながら、カナタは目を輝かせて訊いた。
「あっアジトって、どこにあるんですか? ひっ秘密基地みたいな感じですか!?」
『まあ落ちつけ。場所は着いてからのお楽しみだ』
「むっ、むー……」
『不貞腐れるな、秘密基地は秘密だから秘密基地なんだ』
「なっ、なるほど!」
何がなるほどですか、と胸中でこぼすレイ。
確かに秘密だから「秘密基地」ではあるが……秘密がゲシュタルト崩壊しそうだ。
小走りの二人が汗ばんできた頃、『ザガン』は森の奥の小さな横穴の前で足を止めた。
どうやらここに【ラファエル】と【メタトロン】のパーツが保管されているらしい。
「あっ、あった! よっ良かったあ……!」
穴の奥を覗き、そこに赤い瞬きを認めてカナタは声を弾ませる。
中へ駆け込んでいく彼は、壁際に置かれている両手で抱えられるほどの赤い結晶体に頬を寄せた。
仄かに熱を感じる。洞窟の中は日も差さず、冷たいはずなのに、そこに温もりが宿っている。
『コア』は生きているのだ。マオとマナカの魂は、まだそこに存在している。
「まっ、マオさん。マナカさん。ぼっ僕だよ、カナタだよ。ぼっ僕の声、聞こえる? ぼっ僕、ここにいるよ……!」
返ってくる言葉はない。『交信』を使っても脳内には何も響かない。SAMという媒体がなければ、『コア』は所詮エネルギーの塊でしかないのだ。
「……大丈夫です、カナタ。【ラファエル】を作り直せば、必ずまたマオさんとマナカさんに会えます」
「う、うん。……ま、待っててね、マオさん、マナカさん」
カナタの隣にしゃがみ込み、レイが言う。
目元に滲んだ水滴をごしごしと拭ったカナタは、相棒の言葉に笑顔を取り戻した。
パイロットと『コア』の再会を横穴の外からしばし見守っていた『ザガン』は、ややあって開口する。
『残念ながら、俺はベリアルやプルソンのようにワームホールを生成できない。器用貧乏ってやつでね、腕っぷしにも自信はあるけど、魔法特化の連中みたいにすげえ技は出せない。だから、アジトまでの道のりはコイツを使う』
『ザガン』が指をパチンと鳴らした途端、大地がぐらりと揺れる。
天井から落ちてくる砂粒に顔をしかめるカナタたちが見たのは、男の背後にどこからともなく現れた漆黒の巨牛だった。
悪魔のごとく曲がった一対の角に、紅に血走った眼。分厚い布で出来た天幕を背負うその体躯もまた、厚い毛皮に覆われている。足元まで垂れる黒い毛は、死神が纏う襤褸切れのようなローブを思わせた。そして何より特筆すべきなのが、両肩より生えるグリフォンの翼である。
その威容に圧倒されているカナタたちに『ザガン』は語った。
『こいつは俺の使い魔だ。『猛牛型』や『幻獣型』なんかを掛け合わせ続けて生み出したキメラ。「グラシャ=ラボラス」同様、透明化魔法が使えるから、魔力探知にさえ気をつけていれば安全に旅路を楽しめる優れものさ』
使い魔である合成獣の骨ばった肩を軽く叩き、「乗っていきな」と背中の天幕を顎で指す『ザガン』。
彼の手を借りてそこに乗せてもらったカナタとレイは、置かれた毛布や書物を端の方へやってから、後から『ザガン』が運んできた二つの『コア』を一緒に天幕内に引き入れた。
『流石に「コア」まで入れると中は狭いな……。ま、俺は外でも全然構わないから、お二人さんは中でぬくぬくしてな。俺が戯れに書いたノートが何冊もあるから、暇つぶしには困らないはずだから』
合成獣に騎乗しつつ『ザガン』は言う。
彼が書いたというノートをレイが一冊ぱらぱらと捲ってみると、そこには地上で確認された【異形】の記録が、人類がまだ見ぬ種類まで書き連ねられていた。
「ぺ、『翼馬型』、『一角獣型』、『人魚型』……ぼっ、僕たちが知らない【異形】が、いっ、いっぱい……!」
「凄いですね。これらの情報を持ち帰ることができれば、【異形】の研究もより一層――」
『あぁ、そのことなんだけど』
と、『ザガン』はレイの台詞を遮った。
口を閉ざす二人へ向けて、彼ははっきりと告げる。
『俺たちのアジトは本来、人間に決して知られてはならないものだ。故にそこに入ったが最後、君たちは金輪際、人類側に戻ることはできない』
戻れない。それは即ち、都市に住まう全ての人々との永久の別れを意味する。
ミコトにも、ユイやシバマルにも、カオルやカツミ、マトヴェイたち『リジェネレーター』の同志、それにテナやニネルといった『新人』たちにも、今後一切会えなくなる。
「……そん、な……父、さん……」
自分を信じて送り出し、『リジェネレーター』の援助もしてくれた父・早乙女アイゾウ博士の顔を思い浮かべ、レイは項垂れた。
都市に残した家族はカナタにもいる。カグヤ亡き後、母親代わりになってくれたミユキだ。
ミユキと一緒に過ごした時間は長くない。『リジェネレーター』発足後は互いに忙しく、団欒の時を過ごす余裕もなかった。だが、カナタがいなくなれば彼女が大いに悲しむことくらいは分かる。
「でっ、でもっ、僕は……!」
理想を現実に変えるための好機。遂に叶った理知ある【異形】との対話。
自分たちが何のために戦ったのか、班の部下が何のために命を散らしたのか――それを思うと、引き返すわけにはいかない。
「ぼっ僕は……入野さんたちが渡してくれた理想のバトンを、未来に繋ぎたい。そっ、そのためだったら、ぼっ僕は、『死んだ人』になってもいい」
大切な人たちには何度謝っても足りないだろう。それでも、カナタは自らの人間社会での生活を諦めてでも、『ザガン』と手を取り合っていきたい。
「れっ、レイ。いっ、一生に一度のわがまま言わせて」
家族と理想とを天秤に掛けて迷うレイの肩に、カナタは手を置く。
深呼吸した彼は顔を上げるレイの青い瞳を真っ直ぐ見つめ、言った。
「ぼっ、僕と一緒に来てほしい。きっ君が隣にいれば、僕は何だってできるんだ。だから……」
卑怯だ、とカナタは思う。肉親がいないカナタと違ってレイには実父がいる。家族の絆を無理に引き剥がす権利など、カナタにはない。
この誘いは自分の不安を埋めるためのものでしかない。友情も愛情も、その隠れ蓑だ。
「……カナタ」
目の前の彼の手は震えていた。肩に食い込む指先の力は、無意識のうちに強まっている。
その小刻みな振動を肌で感じて、レイは思ってしまった。
――放っておけない、と。
「……ごめんなさい、父さん、母さん。ボクは、彼と……月居カナタと共に、『ザガン』さんのアジトへ行きます」
両親への謝罪の念は尽きない。
それでも相棒と共に第二の人生を送る決意を固めたレイは、家族への感謝を胸中で告げ、前だけを見据えた。
開いた天幕の入り口の先には『ザガン』の背中がある。振り返って親指を立ててみせる【異形】の男に、カナタとレイは力強く頷きを返した。
『さあ、ちょっと揺れるけど我慢してくれよ! 空の旅の始まりだ!』
「はっ、はい!」「了解です」
『ザガン』の号令で合成獣はその翼を羽ばたかせる。
大地を蹴って飛び上がった獣と騎乗者たちは、寒空の下、新しい希望を求めて出立するのであった。




