第二百四十一話 絶望の中で愛を叫ぶ ―Because we want to live together.―
その場に跪き、レイはそっとカナタの細い身体を抱き上げた。
無理やり怒鳴った喉がひりつく。少年一人を持ち上げようとしている腕と、体重を担う足腰が軋んでいる。
レイだって満身創痍だ。魔力も体力も、とうに底を尽きている。それでも大切な人を助けるため、彼は己を必死に鞭打った。
「き、君は……ほんとうに、大馬鹿者です、カナタ……!」
背中に感じる熱は、もうほとんどない。
処置を急がねば手遅れになる。コックピットまであと十数メートルの距離が、遠い。
「……頑張れっ、カナタ! 頑張れっ……ボク」
生きて。
生きて、まだ一緒に歩み続けたいから。
レイは自分を懸命に鼓舞して、重すぎる足を一歩ずつ、前へ進めていく。
冷たい雨が『アーマメントスーツ』越しに肌を打つ。目元にへばりつく前髪を払う余裕など、どこにもない。
一心不乱に先を目指していく。
「はッ、はあッ……!」
息が切れる。膝ががくがくと笑っている。それでも己を叱咤して、レイは地面を踏みしめた。
生きたい。まだ生きていたい。どれだけ無駄な足掻きでも、救いがなくとも、レイは最後まで諦めたくなかった。
指先の感覚が薄らいでいく。冷たい外気を吸い込んで感じる鼻腔の痛みも、もはや消えた。ぼんやりと霞み始めた視界に映るのは、木立の向こうに見える大きな箱。
【メタトロン】のコックピットだ。
あそこに戻れれば、非常用の電源を使って暖を取れる。それに、魔力補給用の注射薬だってある。
「がんばれっ、がんばれッ……!」
あと少し。もうちょっとだけ歩けさえすれば、コックピットに辿り着ける。
消え入りそうな声でそう何度も繰り返しながら、レイは自らの足跡を凍てつく大地に刻んでいった。
そして。
最後の一歩を踏み終えて、彼はハッチを肩で押し開けた。
*
いつしか雨音は穏やかになっていた。
目を閉じながら、コックピットの外側を打つ規則的な水音を聞く。
そうしていると幾許かは不安を忘れられた。
この先、どうなるかは分からない。だが、今こうして自分は――自分たちは生きている。それだけで幸せだと思えた。
「……ぅ、ん……」
レイの隣でか細い声を漏らし、わずかに身動ぎするのはカナタだ。
いま二人は裸に毛布だけを羽織った状態で、壁際に背中を預けて座っている。コックピット内でこんな格好なのは妙な気がするが、濡れたままの『アーマメントスーツ』を着ていては体温も戻らない。ゆえに、レイは一枚の毛布を相棒と共有し、肌を寄せて少しでも暖かくなるように努めていた。
――意識が戻ったのか。
顔を上げ、瞼を擦りながらレイはカナタに問いかける。
「……カナタ。気づき、ましたか?」
「……れ、レイ……?」
声を聞いて、それが誰のものか認識できている。
ひとまず脳に致命的な後遺症はなかったと判断して良さそうだ。
レイは安堵に胸を撫で下ろしつつ、魔力回復薬を開発してくれた父に感謝する。
「そうです。君の戦友である早乙女・アレックス・レイです。カナタ……自分が何をしようとしていたか、覚えていますか?」
「…………」
沈黙するカナタに、レイは言葉を急かさなかった。
レイにはカナタの思いが痛いほど理解できてしまうから。
自分のせいで仲間を失い、救おうとさえ出来なかった己を責める気持ちは、過去にレイも抱いてきた。
レイはもう、その忌まわしき記憶との決着をつけている。だがカナタにはまだ、自らの傷と向き合う時間すら与えられていない。
「……なっ、なんで」
震える声で銀髪の少年は問うてくる。
彼は湧き上がった衝動をそのままに、吐き散らした。
「なんでっ、僕を助けたの!? ぼ、ぼっ僕は死のうとした! しっ、し、死ななくちゃいけなかった! ぼっ僕のせいで入野さんも出山くんもマリウスくんも新堂くんも、高城くんもいなくなった! ぜっ、全部、全部僕のせいだ……! ぼっ僕が、僕が作戦を間違えなければ、班の皆は死なずに済んだかもしれなかった……!」
自分が許せない。仲間を死なせて自分だけがのうのうと生き延びてしまっていることが、許せない。
だから死にたいと思った。消えたいと思った。
それが己への罰になると思った。
「ぼっ僕なんか生きていても仕方ないんだ。ぼ、僕のせいで皆死んじゃったんなら、僕も一緒に死ぬべきだったんだ。みっ、みっ、皆で一緒に生きて帰るって約束、したのに……なっ、なんで、僕だけ生きてるんだよ……!」
嗚咽混じりに少年は自罰の言葉を並べ立てていく。
カナタの肩にそっと腕を回しながら、レイは黙って彼の声を聴いていた。
「ぼっ、僕が……ぼ、僕の、せいで……っ!」
そう譫言のように繰り返す。
やがて、カナタは叫び疲れたのか静かになった。声を上げずにすすり泣く彼の背中を擦りつつ、レイはそっと寄り添っていく。
「辛かったですね。悲しかったですね。……苦しかったですね」
「…………」
カナタは何も言わない。
これから彼は、自分の辛い記憶と付き合っていかなくてはならない。それは一人では乗り越えがたい過酷だ。
しかし、一人では無理でも二人なら。レイがカナタに寄り添って思いを聴いてあげられれば、いつの日か歩み出せる日が来るはずだ。
かつてレイが、カナタや仲間たちとの日々の中で、過ちを犯した過去をひっくるめての自分を肯定できるようになったように。
「大丈夫です。ボクが、そばにいますから」
慰めの言葉など薬にはならないだろう。
今のカナタを癒せるのは、温もりだ。
誰かがそばにいて、自分のことを想ってくれる温かさ。信頼、愛情と言い換えてもいい。それがあれば人は、前を向ける。
「……ず、ずっと、一緒にいてくれる?」
そう不安そうに確かめてくるカナタに、レイは力強く頷いてみせた。
膝を抱える彼の手に自分の手を重ね、レイは言う。
「だって、ボクは君のことが好きだから」
いつの日か、レイの心を呪縛から解き放った言葉。
それを今度は、彼がカナタに返す番だ。
「……す、すき……?」
「はい。ボクは君のことが好きなんです、カナタ」
自己否定の奈落に落ちてしまっている少年には、その言葉は信じられないだろう。
だからレイははっきりと言う。
何度でも、何度でも、カナタが自罰の檻から抜け出せるまで。
「……最初はいけ好かない人だと思ってました。才能があるのにどうして、その力を存分に使わないんだって。ですが……一緒に戦って、君の良いところが徐々に見えてきて。気づいたら敵愾心が興味に変わっていました。その気持ちが明確な好意になったのは、一年の頃、前期中間試験を終えた夜。……あのとき君は、ボクのことを好きだって言ってくれましたね。それが本当に、嬉しかった」
過ごした時間を振り返りながら、レイは想いを言葉へと紡いでいく。
「SAMに乗って戦っているときの格好いい顔も、普段のちょっと天然な顔も、『新人』の未来について考える真剣な顔も、彼らと触れ合う子供っぽい顔も、全部が愛おしい」
言いながらレイは微笑んでいた。
恋慕でも友情でもない、ただ「愛しい」という感情のみがそこにあった。
「初めて『新人』と面会する前……君は彼らに対して、『友達になれるかな』と言いましたね。他者への恐怖を乗り越えて、君は誰かに手を差し伸べられるようになった。それはきっと、君の強さの証左です。君は既に一度、自分に打ち克っている。だから絶対、また立ち上がれる。ボクはそう信じています」
カナタの瞳を真っ直ぐ見つめ、レイは柔らかい口調でそう伝える。
長い睫毛を震わせ、カナタは俯いた。
「……ほっ、本当に?」
「ええ」
「……ぼっ、僕のこと、嫌いになってない? こっ、こんな、僕なんかのこと、好きでいてくれるの……?」
「当たり前です」
震える声でカナタは確認してくる。その問いかけにレイは静かに、そして芯の通った口調で答えた。
誰かに愛されることで、自分を愛せるようになる。
レイはそれをカナタから教わった。
自分を愛せるようになれば、自己否定のループから抜けることができ、また胸を張って歩き出せるだろう。
「……あっ、あ、ありが、とう。……レイ」
溢れ出す涙を堪えながら、カナタはレイに感謝を告げる。
好きでいてくれる。隣にいてくれる。居場所を与えてくれる。
そんな大切な存在を前に、銀髪の少年の胸はじんと熱くなった。
「ぼっ、僕も、レイのこと、好きだよ。だっ、だっ、大好きだよ。こっ、これからも、一緒にいよう。いっ一緒に戦おう」
気づけば自然と言葉が零れ出ていた。
膝を抱えていた腕を解いて、カナタは足を投げ出すように伸ばした。
彼の手に自分の手を重ね、レイもまた礼を言う。
「ええ。戦いも、その先の未来も、ボクたち二人ならきっと乗り越えられる」
地上という【異形】の世界に投げ出され、二人きり。
誰が見ても絶望的な状況の中、それでも彼らは互いに結んだ絆を確かめ合い、足掻く決意を固めるのであった。




