第二百三十五話 散華 ―Soldiers refuse to be overrun. The warrior protects his dignity.―
「どこまでも、高く飛べッ! 【ラミエル】の翼!」
天を睨み据え、毒島シオンは鋭く叫んだ。
陸戦型SAM【マトリエル】がその背に背負いしは、空戦型SAM【ラミエル】の翼。
元々装備していた飛行ユニット【アラエル】よりも遥かに高性能なそれをもって、シオンの機体は空を翔ける。
(力を借りるよ、麻木中佐!)
最後の希望をシオンに見出し、ミオは自身の生命線ともいえる翼を託してくれた。
生駒中将が討たれるという最大の絶望を前にしても、シオンならば勝てると信じて。
その思いには何としても報いなければならない。それが毒島シオンの、一人の人間としての矜持だ。
「――【光で覆え、光で隠せ】!」
詠唱コマンドを高らかに唱え、シオンは【ラミエル】が持つステルス機能を発動する。
銀の両翼が虹色の光を纏ったかと思えば、たちまち全身をカバーし、その姿を虚空に溶かしていった。
天空に構える黒ローブの魔術師のごとき【異形】、『ダンタリオン』の赤眼が見開かれる。
(姿は消せても魔力や音を感知されたらバレる! 相手を動揺させたこの一瞬だけがチャンス――!)
そう心中で叫び、シオンは更なる加速を敢行した。
途端に容赦なく圧しかかる高負荷のG。既に魔力消費で弱っている身体が悲鳴を上げるなか、彼女は歯を食いしばって己を鞭打つ。
(今、この瞬間が全て――!)
もっと速く。もっと高く。
贖罪を。清算を。超克を。勝利を。
使命の成就を切に願い、毒島シオンは翔ける。懸ける。
己の命がどうなろうが構わない。ここで敵を倒せればそれでいい。
思考を捨て、正義から目を逸らし、支配者の言いなりになるだけだったシオンには、輝かしい未来を得る資格などない。
戦いの果てにあるものは、弟をはじめとする若い世代に託すのだ。
『――――!』
突如として姿を消した【マトリエル】を前に、『ダンタリオン』はその赤眼を繰り返し明滅させた。
敵が見えなくなろうとも、近くにいれば精神汚染の餌食となる。
先ほど仕留めたあの大型SAMのように、この蜘蛛のごとき機体も沈めてやればいいのだ。
(――――ッ)
女の脳裏に瀕死の弟の血にまみれた顔が浮かぶ。
毒に侵され、姉への呪詛を力なく吐きながら、彼はレンズ越しにシオンを睨む。
『ふざ、けるなッ……ふざけるなっ、ふざけるなッ……! 道連れ、に、してやる……てめえも、こっちに来やがれッ! 姉貴――!!』
それは彼女が確かに一度犯した、罪。
カナタの救助がなければ起こっていたであろう、もう一つの未来。
その時カツミが抱いた怒り、恨み、憎しみが、シオンの脳内に反響する。
『死ねッ、死ねッ、死ねッ……! てめえは、生きてちゃいけねえ……存在だ。人殺しのてめえはッ、ここで、俺と一緒に死ぬんだ……!』
冷たい刃が女の胸に突き刺さった。
しかし、シオンはその痛みから逃げなかった。泣くことも叫ぶこともせず、ただ、弟の言葉に耳を傾けていた。
『死ねっ、死ねっ、死ねっ、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……!』
憎悪と悪罵のループ。それを聞きながらシオンは思う。
確かに自分はカツミから恨まれて当然のことをした。死んで詫びろと言われたら躊躇わず脳天を銃で撃ち抜いてもいい。だが――死という罰を受けるのは、今じゃない。
「死ねとか人殺しだとか、そんなの言われなくても分かってる! わざわざありがと、『ダンタリオン』さん! アンタを撃ったらお望み通り、死んであげるから!」
憎悪も憤怒も受け入れて、シオンは【ラミエル】が遺した魔力の全てを解放した。
翼が青白く輝き、爆発的な推進力が彼女の背を押す。
刹那にして踊り上がったのは『ダンタリオン』の背後。
その体躯を露にした【マトリエル】は飛びながら構えていたガトリング砲を敵へ向け、強毒を込めた弾丸を一気にぶちまけた。
「――ぶっ壊してさようなら!」
獰猛な笑みを口元に刻み、シオンは吼える。
瞬時に展開される【防衛魔法】。緑色に輝く魔力の壁が連撃の炸裂を受け止めた。
「ちっ――」
『――フ』
『第一級』の防壁は、どす黒い毒液に塗れてもなお崩れない。
その硬さを誇示するように、【異形】の赤眼が微かに細められる。
【マトリエル】には最早、余力などない。自分の勝ちだ、と『ダンタリオン』は静かに確信した。
だが、しかし。
「ざーんねん! もう一発!」
止まっていた砲身が再び、動き出す。
撃ち出されたのはたった一発、しかし運命を決定づける弾丸。
風を纏い回転しながら突き進む最後の銃弾が、毒液に染まった防壁に衝突する。
そして、瞬間。
びしりと中心から放射状に亀裂が走ったかと思えば、壁はたちまち崩れ去っていった。
『――――!?』
驚倒する『ダンタリオン』に対し、シオンは腰に佩いた長剣をひと思いに抜き放つ。
全体重を乗せて突き込む、止めの一撃。
【防衛魔法】を張ろうが既に遅い。間合いはもう、詰まっている。
「おらああああああああああああああッッ!!」
新たな防壁が【マトリエル】の胴体を巻き込んで出現するのと、銀の剣が黒ローブの胸元を貫いたのは全くの同時だった。
魔力の板がSAMの身体を真っ二つに遮断する。【異形】の左胸から緑色の血液が溢れだす。
機体と連動した痛覚がシオンに意識を手放させようと強いるなか、それでも彼女は最後の気力を振り絞って刃を捻った。
「あああああああああああああああああああッ!!」
女が失神する寸前、確かに感じたのは柔らかな肉塊を捩じ切る手ごたえだった。
濁った息を吐きながら『ダンタリオン』は己の死を悟る。出血量があまりに多い。魔法で回復しようにも間に合わないだろう。
それでも【異形】はただで死ぬつもりはなかった。残った魔力の全てを注ぎ込み、毒島シオンを道連れにせんとする。
チカッ、と瞬くは赤き光。
解き放たれた炎と光属性の魔力が、爆発を巻き起こし――
「毒島、中佐――――ッ!!」
もはや動かぬ身体で麻木ミオは叫ぶ。
仰ぐ先に輝くのは緋色の輝き。
翼を得た彼女は逝ったのだ。自らと引き換えに、圧倒的な敵の一体を討ち果たした。
悲しむのはまだ先だ。泣くのは全ての戦いが決した後でいい。
理性ではそう分かっていても、感情が言うことを聞いてくれない。
ミオはとめどない涙を流しながら、【マトリエル】と『ダンタリオン』の散った空を見上げ続けた。
*
暴れ狂う竜の勢いはとどまることを知らない。
口から吐いていた瘴気には今や火焔が混じり、触れたものを焼き溶かす更なる脅威へと変貌していた。
隊列を組んで高速で飛び回り、敵を攪乱しようとするカナタ班の体力は既に限界に近い。
僅かな力を振り絞って短期決戦に臨まんとしていた彼らだったが、『プルソン』の魔法によって真の力を解放した『アスタロト』に苦戦を強いられていた。
「呼吸に連動するように吐かれる炎……あれでは近づけないぞ!」
「毒を含んだ炎が壁になって、【メタトロン】の【太陽砲】も通らない。月居中佐、どうすれば!?」
苛立ちを露にするマリウスに、カナタへ指示を仰ぐカズヤ。
速度で勝る彼らが『アスタロト』へ決定打を与えられないのは、ひとえに邪竜が吐き散らす黒き炎に阻まれているためだ。
「いっ今は距離を取って! む、無暗に接近するのは危険だ!」
高まり続ける戦場の熱気に滝のような汗を流しながら、カナタは鋭く促す。
肩で息をする彼の顔色は青ざめていた。いや、彼だけではない。カナタ班の全員が同じ状況に陥っていた。
「は、はいっす、ちゅう、さ……」
ケイタの返事が弱々しくなっていく。
今にも意識を手放しそうなニット帽の青年に、カナタは必死に声を掛けた。
名を呼ぶと辛うじて応答がある。だが倒れるのは時間の問題と思われた。
『オオオオオオオオオオッ!!』
竜の咆哮が大気を震撼させ、その衝撃が機体を激しく揺さぶってくる。
カナタ班の『偃月の陣』が崩れた。「Λ」の形に組まれた陣形の後方、左翼側を担当していたケイタ機がふらつきながら、離れていく。
「けっケイタ君!?」
「ボクがカバーします、カナタは皆と共に後退を!!」
飛び出すレイの声は切羽詰まるあまり、裏返っていた。
落葉の如く落ちていくケイタ機を全速力で追う【メタトロン】。
カナタはレイの指示に従い、皆を引き連れて引き下がろうとするが――
(……身体がっ、重い……!)
鉛を背負ったかのように全身が重く、動作が鈍くなっている。
のみならず、視界がぼやけ、ぐらぐらと眩暈までしてきていた。
【メタトロン】とケイタ機の姿が遠くに霞んで見える。四肢の先から血の気が引き、凍てついていく感覚。
『神経接続を切るわ、カナタ! そうすれば少しは楽になるはず!』
苦しむカナタに対し、マオはヘッドセットによる神経接続を解除することで対応した。
機体の異常がダイレクトに少年に反映されなくなれば、この苦境も少しはマシになる。
五感をSAMから己の身体に戻したカナタはすぐさま操縦桿を握り、機体の進行方向を反転させた。
込み上げる吐き気と押し付けられるGに顔を歪め、懸命に堪えつつ彼は後退する。
充満する瘴気の中、風を切って突き進む【ラファエル】。
『偃月の陣』の先頭を行くカナタに、カズヤをはじめとする班の面々も食らいつくように追随していった。
「月居さんっ、ケイタさんは!?」
「いっ今は気にしないで! 彼はレイに任せ――」
一直線に敵との距離を取っていくカナタは、振り返った一瞬でそれを目にした。
【メタトロン】が手を伸ばした先、あと僅かで届くところにいたケイタ機が、胸元からどす黒い何かに貫かれていくありさまを。
ほどなくして、爆散。
一撃だった。いとも簡単に、呆気なく、ケイタ機は『コア』を穿たれて破壊された。
「けっ、ケイ――」
カナタの時間が止まる。
竜の首元から漆黒の触手が峻烈な勢いで伸び上がり、SAMの左胸に達して貫通するまでの全てを、少年は目撃してしまった。
なんで。なんで。なんで。
現実をにわかには受け止められず、カナタは絶叫するしかなかった。
「ああああああっ、ああああああああああああああッ!!?」
大粒の涙をこぼしながら狂乱するカナタ。
竜が撃ち出す槍衾のごとき幾つもの触手を、【メタトロン】は【太陽砲】をぶち込んで退ける。
「正気を保ちなさい、カナタ! あなたが崩れれば部下も引きずられる!!」
金色の髪を振り乱してレイはカナタを戦いの世界へ引き戻さんとした。
今、彼の脳裏に蘇るのは仲間たちを失った過去。逃げ惑いながら最後に振り返った、姉の機体が引き裂かれる惨劇。
喪う恐怖に戦う意志を挫かされてはダメだ。全てを失ったあの日、レイはもう二度と大切な人を死なせないと誓ったのだ。
「ぁ、ああっ、ああ――」
「――しっかりしたってや、月居さん!!」
その時、恐れに沈もうとしていたカナタを揺さぶったのはスズだった。
班の誰よりもカナタを慕い、尊敬し、追い続けていた彼女は、カナタのそんな姿を見たくなどなかった。
彼には最後までヒーローでいてほしかった。それがスズ自身の思いの押し付けに過ぎずとも、この瞬間だけはその我儘を通したかった。
「泣くなっ、アンタはうちらの班長やねん! 最後まで責任もって戦って!!」
「す、スズ、さん――」
「スズの言う通りです、中佐!」
「貴方は僕たちの誇れるリーダーだ」
「信じてます、中佐」
まだスズは絶望していない。リンも、マリウスも、カズヤも、闘志の灯火を燃やし続けている。
彼らは信じてくれていた。仲間の死を前にしても、カナタが絶望から這い上がってくれることを。
そうして自分たちを率いて、果敢に敵へ抗ってくれることを。
「みんな――」
信頼されている。だから応える。それ以外の理由など、今は要らない。
班は一つの生命だ。班長は脳、部下たちは四肢と胴体。頭であるカナタが機能しなければ動きは停止し、やがて無抵抗な死を迎えるだろう。
兵士は蹂躙を拒む。戦士は尊厳を護る。戦いの果てにある生という希望を求めて。
「――いっ、行くよ!!」
少年は再起する。
翼を広げ、逃げる獲物を猛追する邪竜を迎撃せんと陣形を翻し、そして。
合流したレイと共に、死力の戦いへ臨んでいく。




