第二百三十四話 強さは優しさ ―Do everything in your power.―
装甲の表層を射貫いている幾本もの矢をアスマは一瞥した。
咄嗟に身体の前で構えた両腕の側面に負った傷は、致命打にはなり得ていない。腕はまだ機能する。
しかし、己が「至高」と謳う機体が明確なダメージを受けたという事実は、アスマのプライドを酷く痛めつけた。
「何してくれるんだよ、プルソン……ッ!」
全く腹立たしい、と少年は眉間に皺を刻む。
彼はプルソンもそうだが、自分自身も許せなかった。これでは魔力残量の少ない【ミカエル】と【ラジエル】を守り切れない。『シールドビット』を呼び戻せばまだ何とかなるだろうが、そちらはテナとニネルをカバーするのに使わなくてはならない。
この戦場でのキーパーソンは『新人』の二人だ。
ミコトが唱える対話の鍵となる彼らをみすみす失うわけにはいかない。アスマ自身も暴れる【異形】たちを「歌」で鎮めたニネルの力を目の前で感じ、その価値を理解している。
「つまり、僕は僕自身の機体を盾に戦わなきゃいけない……そういうことかよ」
そう吐き捨て、アスマは対峙する『レラジェ』を睨んだ。
緑色のケープを纏った射手の【異形】は、背後に魔力によって生成した幾つもの弓矢を浮かべ、円環を描くように並べていた。
アスマを見据えたまま『レラジェ』は動かず、次なる射撃のタイミングを見極めようとしている。
冷や汗を流す少年は白く輝く【破邪の防壁】を展開、攻撃に備えた。
(……矢継ぎ早に撃ってこない。一撃の破壊力が相当な分、連射が利かない? それとも単に出し渋ってるだけ? 後者だとしたら……受け身の戦いは不利か? やはりこちらから攻めるしか――)
盾を広げたまま、【アザゼル】は一歩前に踏み出す。
だが飛び出しきれない。
ユイやシバマルのもとを離れすぎてしまえば、二人を守れなくなる。彼らも今は大切な仲間だ。見捨てられはしない。
「クソッ……!」
銃弾が矢に射貫かれた光景は既に見ている。
遠距離攻撃の魔法を放ったところで、パワーアップしたあの弓矢に射止められれば結果は同じだろう。
見え透いた結末のために魔力を無駄遣い出来るほどの余裕はもう、ないのだ。
(どうする……どうすれば、皆を守りながら敵を倒せる――!?)
敵を倒すか、味方を生かすか。
二者を天秤にかけて少年は葛藤する。
アスマは誰も死なせたくない。自分の力が及ばず、仲間を失う辛さはもう味わいたくない。それを繰り返してしまえばアスマは一生、己を許せなくなる。
『――――』
無言を貫く『レラジェ』の赤い双眸が、アスマを射貫いていた。
一秒一秒が流れるごとに、少年の中の焦燥感が膨張していく。
敵が今にも仕掛けてこないとは限らない。早く決断しなければ。守り続けるか攻めるか、その二択を――。
「アスマ、さん……! わたしたちのことはいいです、あなたは『レラジェ』を……!」
「そうだぜ、アスマ……。お前ならできる。自分を信じろ」
息も切れ切れにユイが言い、シバマルが力なく笑う。
二人の言葉にアスマは顔をくしゃっと歪め、拳を固く握りしめた。
ユイもシバマルも、本当はこんなところで諦めたくないはずだ。死にたくないはずだ。まだまだ将来に向けてやりたいことがあったはずだ。それなのに、二人は未来をアスマに託してくれている。
「どうして、どうして僕なんですか。僕なんか、僕なんか――」
こんな辛い決断を迫られるなら、戦場に出なければ良かった。研究室に引きこもってSAMの設計だけをやっていれば良かった。喪失の痛みから身を守るなら、それが一番だった。
眼前にいる敵が巨人に見える。
視界は奇妙に歪んでいる。
ぽたりと膝の上に雫がこぼれ、アスマはその歪みが涙に濡れて生じたのだと気付いた。
「それは、あなたが優しい人だからですよ、アスマさん」
その声音はどこまでも穏やかで、どこまでも優しかった。
風前の灯火であっても心を凛と輝かせ、ユイはアスマの背中を押さんとする。
「優しい……? この僕が……?」
「自らの危険を顧みず、わたしたちやニネルさんたちを守り続けているあなたの強さ――それこそが優しさなんですよ。それは、きっと……SAMパイロットが持つべき、最も尊いもの。その優しさを抱いているあなただからこそ、わたしたちは全てを託そうと思えるんです」
イオリを失ってからずっと、アスマは自己否定のループに嵌っていた。
SAM制作に傾倒していたのも殆ど現実逃避のためだった。
彼は孤独だった。寄り添ってくれていたイオリは死に、ミユキたち『尊皇派』の研究員たちも解散し、周囲には金とコネ目当ての蠅のような者たちしかいなかった。
その渇き切った心に現在、無償の信頼という名の水が注がれた。
「アスマのSAM」ではなく、「アスマ本人」が求められている。それが何より嬉しかった。
自分が欲していたのはSAMを褒められることでも、メカニックとして認められることでもなかったのだ。
誰かに信頼してもらうこと――それこそがアスマの本当の望み。
「信じてるぜ、アスマ。あとは、お前がお前自身を信じられるかどうかだ」
信じられている。愛されている。だから応えたいと思う。
そう心の底から湧き上がった感情に、アスマは珍しく素直になれた。
ごしごしと濡れた目元を拭い、前を向く。
握った操縦桿を一気に倒し、前進。
「行くぞッ、『レラジェ』!!」
『――――!』
緑衣を翻し、『レラジェ』も動いた。
急発進で肉薄してくる【アザゼル】を躱しながら、円環状に浮かべた弓から矢の連撃を撃ち放つ。
一瞬の間に重なる風切り音。
左腕を振る動作に呼応して展開される【アザゼル】の【破邪の防壁】が、『レラジェ』の矢を弾き飛ばした。
「吹っ切れたな、あいつ……!」
動きに精彩を取り戻したアスマを見て、シバマルが掠れ声を弾ませる。
次なる連撃で弾かれた矢を撃墜しつつ、『レラジェ』は地面を蹴って飛び退った。
「逃がさない!」
近づけさせまいと矢の乱射を浴びせかけてくる『レラジェ』に対し、【アザゼル】は左腕の【破邪の防壁】を構えたまま突き進んでいく。
後退という選択肢はない。敵との間合いをとにかく詰め、接近戦で勝負を終わらせるのだ。
『――――シッ!!』
矢継ぎ早の連撃が防壁の表面を穿ち抜く。
刹那にして蜂の巣となる盾。
しかし、それを一瞥もせず【アザゼル】は走り続ける。
一歩を踏み出すごとに盾が罅割れ、崩れ去ろうとも、彼は足を止めない。
盾を失った装甲に数多の矢が突き刺さり、痛苦が肉体を苛んでも、アスマの進撃は止まらない。
「ああああああああああああああああああッッ!!」
骨格との接合部を破壊された腕の装甲が弾け飛ぶ。露になった『魔力液チューブ』が矢先に切り裂かれ、鮮血が迸る。
肩も、胸も、脚も、ボディの各所が矢に射貫かれて最早まともに機能しない。
それでも、アスマの動きは停止していなかった。
『――――!?』
『レラジェ』の赤眼が限界まで見開かれる。
何故、何故、何故。
この鉄の巨人は倒れないのだ。【アザゼル】の腕や脚といった関節は、一つ残さず魔力の矢をぶつけて粉砕したはずだ。
走れない獣は死を待つほかない。それが自然界の常識である。
だが、少年が生み出したSAMという人智の結晶は、その常識を超えた。
「っ、あいつ……!」
アスマの背中を見つめ、シバマルは瞠目する。
【アザゼル】の全身は真っ白い光に包まれていた。混じり気のない白。純粋なる力。あれは「力属性」のオーラだ。
彼は今、壊れた駆動部に代えて力属性の魔力のみで機体を制御しているのだ。
「はああああああああああああああああああッ!!」
アスマの視界が明滅する。
鼓動が荒れ狂い、叫ぶ喉からはどす黒い血が吐き出される。
少年の華奢な体躯から『コア』は魔力を容赦なく搾り取り、何十トンもの巨体を駆るエネルギーに充てる。
『――――ッッ!!』
足元に光矢の連撃を撃ち込み、生じた衝撃で己を吹き飛ばすことで一気に後退する『レラジェ』。
空中で体勢を立て直しつつ即座に照準を左胸に合わせ、彼は中破している【アザゼル】に止めを刺さんとした。
魔力で動いていようが『コア』を破壊されればそこで終わる。既にダメージを蓄積させている【アザゼル】の最後の砦を突き崩すことは、容易いだろう。
勝負を決定づける一斉射撃。
着地直前にそれを一息で発射した『レラジェ』に対し、アスマは――
「――遅いッ!!」
その刹那に、全力を込めた。
直後、巻き起こったのは爆風とそれに伴う衝撃波。
『レラジェ』が状況を認識する一瞬の間もなく、巨体が彼の視野を黒く埋め尽くし、そして。
断末魔の声を上げることすら許されず、その身は鉄塊に圧し潰された。
「アスマさん……!?」
一部始終を目撃していたユイは、上ずった声で少年の名を呼んだ。
アスマは『レラジェ』が矢を放つのに先んじて、身体を操っていた魔力を総動員させ、背中で爆発させたのだ。
発生した衝撃を推力に変え、機体ごと『レラジェ』に突っ込んだのである。敵が後退に用いた技を、彼は咄嗟に自分のものにしてみせた。
「……ぐッ……」
めちゃめちゃになったコックピットの中、操縦席から投げ出されて壁面に身体を激しく打ち付けたアスマは、左腕を押さえながらそこで崩れ落ちていた。
激痛が走っている。腕の骨が折れたのだ。
頭もぼうっとしている。魔力の全てが尽きたのだ。
「……はーッ、はーッ……」
荒く息を吐きながら少年は天井を仰いだ。
戦場に轟く蛮声が耳朶を打っている。【異形】たちとSAMたちが響かせる震動が、身体を揺さぶる。
『レラジェ』は討てた。『キマリス』もミコトやナギたちの奮闘によって倒された。
残るは【ゼルエル】を葬った『ダンタリオン』と、邪竜を操る『アスタロト』だ。その二体を破った暁に、彼らの首魁たる『プルソン』との対話の好機が待っている。
「やって、やりましたよ……イオリ、さん……」
微かな笑みを浮かべ、少年は密かに――といっても当人にはバレバレだったが――慕っていた先輩に向けて言葉を送るのだった。




