第二百三十三話 絶望と希望の境界で ―mercury shield―
投げられた光の一槍に左胸を刺し貫かれ、【ゼルエル】は仰向けに倒れゆく。
力の天使が敗れた。最強であったはずの生駒センリが、『ダンタリオン』の魔法の前に屈した。
その事実が『レジスタンス』『リジェネレーター』双方のパイロットたちに与えた衝撃は大きかった。
体力も魔力も限界まで消耗した彼らを最後まで支えていた、気力。
それが崩壊していく。いとも簡単に、砂で築いた城のように。
「まさか……! そんな、ことって……!?」
「うそ、だろ……!?」
『レラジェ』と対峙していたユイとシバマルは、罅割れた声を漏らした。
既に力の殆どを消費している二人は、地面に膝をついているのがやっと。
敵を倒したと思ったのも束の間に解放された、真の力。それに追い打ちをかけるように齎された「生駒センリの敗北」という結果は、彼らの希望を真っ二つに圧し折った。
「生駒、中将っ……中将っ、中将、中将ッ……!」
【マトリエル】との装備の交換を果たしたミオは、眼前で倒れた男の名を何度も何度も叫んでいた。
嘘だ。違う。何かの間違いだ。生駒センリが散るわけがない。武を極め、SAMを極め、全てのパイロットの頂点に座していた憧れの彼が、こんなところで終わるはずがない。
認めたくないとミオの心が激しく訴えかけている。だが、視界に映っているのは紛れもなく、左胸から赤々とした『魔力液』を流出させている【ゼルエル】だ。
「中将っ、中将っ!? 嫌ですっ、こんな――まだ、貴方に教わっていないことが、たくさん、あるのに……!」
半狂乱になってミオは頭を振る。眼鏡がずり落ちるのも構わず泣き叫ぶ彼女に対し、シオンは感情を押し殺した声音で言った。
「……生駒中将の思い、無駄にはしないよ。麻木中佐、貴方から受け取った翼で絶対に仇を取る。だから最後まで、勝利を諦めないでいてください」
それからシオンは自分が換装を行っている間、守り続けてくれた三人へ礼を言った。
「アンタたちもありがとう。絶対アイツを捕えて、皆で勝利してやるから」
『反光線塗装』を纏って敵の光線を受け続けたハルとアキト、フユカの機体は、既に装甲の各所が焦げ付いてボロボロだった。
当然だ。魔法で光線に耐性を持たせたとはいえ、彼らの機体は汎用機。【七天使】や【機動天使】でも苦戦する第一級【異形】の攻撃を無傷で防ぎ切れるわけがない。
身体を張って時間を稼いだ三人には、もはや言葉を発する余裕もなかった。
通信を繋げ、モニターの映像で頷きだけを返してくれたハルたちに、シオンは精一杯の笑顔で応える。
「ヒーローなんてなれないし、そんな柄じゃないけど……まあ、信じといてよ」
自分本位の贖罪のためではなく、仲間の思いに報いるその一心で。
毒島シオンは立ち上がる。メイクの崩れて格好のつかない顔に、泥臭い覚悟と戦意を宿して。
「――いくよ、『ダンタリオン』!!」
*
【ガギエル】が掌から放ったジェル状の液体に足元を掬われ、転倒した『キマリス』の騎馬。
落馬した【異形】へミコト、カオル、ナギは時間差での魔法攻撃を三発浴びせ、敵の【防衛魔法】を打ち破ることに成功したが――しかし。
『――――オオオオオオッ!!』
戦闘開始から初めて『キマリス』は叫びを発する。
同時に膨れ上がるのは殺意と、魔力だ。
『プルソン』の加護によって、【異形】の真の力が解放されていく。
「二人とも備えてください!!」
ミコトが鋭く警戒を促したその刹那。
『キマリス』が腕を振るう動作に呼応して、三人の魔法が跳ね返された。
炎と暴風、そして氷の三連撃が、その魔法の主へと反射されていく。
「【リリーフプロテクション】!!」
桃色の輝きを宿す盾を展開し、ミコトは【ウリエル】と【ガギエル】を守り抜かんとした。
盾の表面を襲う衝撃。魔法の威力を殺しきれずに吹き飛ばされ、地面に背中を打ってもなお、ミコトはすぐさま起き上がった。
絶望は戦士にとっての死を意味する。折れた心に身体はついてこない。心身の均衡が取れてこそ、パイロットは本来の実力を発揮できる――生駒センリが部下たちへよく説いていたことだ。
『リジェネレーター』の精神的支柱であると自負するミコトは、ミコトだけは、どれほど絶望的な状況でも心を挫けさせてはならない。
「わたくしは、戦場に咲く華。決して散らず、誰にも手折られることなく、そこに在り続ける者――」
己という人間を誇示するように、ミコトは胸を張って高らかに表明する。
桃色の盾の表面に浮かび上がる不死鳥のエンブレムは、彼女の覚悟そのものだ。
『オオオオオオオッ!!』
敵の戦意を全身で感じ取り、『キマリス』はその筋骨隆々な肉体を震わせながら吼える。
その震えは恐れからくるものではない。武者震いだ。騎士の精神を高揚させるほどの高潔なる意志を、『キマリス』はミコトの内に認めた。
「どうするんだい、ミコトさん?」
「……小細工なしの真っ向勝負を仕掛けます。『キマリス』もそれを望むでしょう」
正面から速さと力をもって捻じ伏せにくるのが『キマリス』という【異形】だ。
戦いを通して彼と「対話」を行うならば、こちらも同じく正々堂々迎え撃つのみ。
『――――』
ミコトが防御を行っていた隙に、『キマリス』は取り落とした槍を拾い上げていたようだった。
二足で大地を踏みしめ、槍を回しながら構える騎士の【異形】は真っ直ぐミコトたち三機を見据える。
――来る!
ナギとカオルが胸中でそう叫んだ瞬間、『キマリス』は行動に出た。
『――コォォオオオオオッ……!!』
息を深く吸い込み、腹の底から闘気を湧き上がらせる『キマリス』。
踏ん張る腿や脹脛、腹筋や胸筋が隆起していくなか、その身は黒い炎のごときオーラを背負う。
これまでと何かが違う。
ミコトがそう思った時には既に、『キマリス』は牙を剝いていた。
槍を振るうと同時、現出するは幾つもの魔力の渦。
その中央から竜巻のようにせり上がった炎や雷、水の一撃がミコトたちへ一斉に襲い掛かっていく。
『――カアアアアアッ!!』
激しくのたうち、地面を削りながら肉薄する魔力の竜巻の威力は尋常ではなかった。
神々しく輝く不死鳥のエンブレムを印した【リリーフプロテクション】が、たちまち罅割れていく。
「――魔法ッ!?」
驚倒するミコトの顔が歪む。
『ゴエティア』には『キマリス』が槍以外の攻撃を仕掛けてくるとの記述はなかった。故にミコトは槍での接近戦に備え、盾の背後に待機させた【ガギエル】のジェルをもって、『キマリス』の動きを封じる策を練っていたのだが――敵はまだ見ぬカードを切ってきたのだ。
「ぐっ!?」
殴打のごとき連撃が防壁を揺さぶる。
衝撃によって、急拵えの胸部と左腕の装甲が弾け飛ぶ。
倒れまいと踏ん張る【ガブリエル】の背中を【ガギエル】が支え、さらに『アイギスシールド』を重ね掛けした。
「――させないッ!」
汗を飛ばしながら顔を上げ、ナギは『キマリス』の顔を睥睨した。
彼の視線と、兜の奥に光る赤い眼に宿る殺意とが激突する。
【異形】は憎むべき敵だというナギのスタンスは変わらない。恋人を【異形】に奪われたその日から一生涯にわたって、彼の怒りは消えないだろう。
それでも【異形】たちとの対話を望むミコトたちをナギは守りたいと思う。
どんな思想を抱えていようが、人は救うべきものだから。人が傷つき、苦しみ、悲しむ姿をナギはもう見たくない。
「『リジェネレーター』の思想を間違いだと断じて潰すなんて……それこそ間違いだった。異なる考えの相手と戦って、取り返しのつかない被害を出して……そうなってからじゃ遅いんだって分かった。過ちは繰り返させない――『リジェネレーター』はもう、敵じゃない!」
青年の意志に応えるように【ガギエル】の身体が蒼く発光する。
『コア』に蓄えた魔力の解放。パイロットを守るために課せられたリミッターの解除。
右腕に帯びるのは銀の水だ。
【ガブリエル】の前に躍り出た【ガギエル】は腕を横に一振りし、溢れる汞のベールを描く。
「【水銀の盾】!!」
――遮断する。
炎、雷、水の三連撃は広がる水銀に呑まれ、その勢いをみるみるうちに弱めていった。
『キマリス』の赤眼が驚愕するように見開かれる。
人間たちは虫の息であるはずだった。しかし、【異形】側と同じく人間側も残された魔力を解き放ち、新たなる力を目覚めさせた。
「ナギ……!」「水無瀬中佐……!」
カオルとミコトは息も絶え絶えに彼の名を呼ぶ。
【ガギエル】が纏う蒼きオーラはまさしく、少女たちにとっての希望の光だった。
彼女らを背に『キマリス』と相対するナギは、眦を吊り上げ、口角を吊り上げて見せる。
「まだまだ、負けちゃあいないよ」
絶望の中にこそ希望を見いだす。
それが、数々の窮地を乗り越えてきた【七天使】としての矜持だ。
『――ォォォオオオオオオオッ!!』
騎士の咆哮がびりびりと空気を震わせる。
掲げる槍に纏いしは、燃え上がる漆黒。『キマリス』の戦意の高まりに呼応するように、周辺の大地からも魔力の流れが湧き起こった。
――大魔法が来る。
ナギは歯を食いしばり、眼前で発動せんとしている攻撃に備えた。
魔法は威力が高ければ高いほど、使用者に代償を強いる。撃った直後、反動で『キマリス』の動きが僅かでも鈍れば――それはナギたちにとっての勝機となるだろう。
その隙を突くためには大前提として、ナギが相手の魔法に耐えなければならない。
気合でどうにかなるとは思えない。勝ちたいと願っても、人はなすすべもなく負けてしまう時もある。
――それでも。
生き残ることを望むなら、立ち向かえ!
「ねえ、【ガギエル】。今なら僕たち、一つになれると思わない!?」
『アーマメントスーツ』の胸部に輝くオーブが熱を放ち、温かく脈打っている。
『コア』の鼓動とパイロットの鼓動が、共鳴していく。
胸に手を当てるナギは湧き上がる高揚感に全身を任せながら、笑っていた。
「気持ちいい……織部くんもこんな気分だったのかな。不思議な気分だよ。自分が自分でなくなっていく……身体を超えて、心と魂とが溶け合っていく。そんな感じ……」
渦巻くほどにどす黒さが増していく『キマリス』の漆黒。
筋力の全てを燃やして引き絞り、そして放たれる至上の一突き。
穂先より解き放たれた黒い爆炎が急迫し、視界を塗り尽くしていく。
巻き込んだものを何もかも溶かすであろう圧倒的な高熱を前に、ナギは雄叫びした。
「遮れッ! 【水銀の盾】!!」
銀の水が広がっていく。
人を守りたいという青年の願いに応えるように、どこまでも、どこまでも。
ナギたちの機体を覆う水銀のドームが守護するのは、もはや彼らに留まらない。
ハルやアキト、フユカたちの汎用機までも取り込んで、第一級【異形】から防衛せんとした。
「何だっ!?」「これは……!」
「冷たい……けど温かい……。ナギ、ナギが守ってくれてる!」
瞳をきらきらと輝かせて声を上げるフユカに、瞠目していたハルたちは頷きを返した。
見上げる水銀から感じるのだ。水無瀬ナギの人を想う心を。一度誤ったが故にその大切さを知っている、彼の優しさを。
(僕が、【ガギエル】だ。僕が【ガギエル】なんだ――)
走馬灯が過っていく。
彼女と笑い合った瑞々しい日々。
先輩と共に上を目指した鍛錬の日々。
そして、後輩たちに囲まれて過ごした団欒の日々――。
幾つもの笑顔と涙とが浮かんでは消えていく。
鮮明だった彼ら彼女らの顔が、次第に、ぼんやりと輪郭を失い始める。
「あとは託したよ」
背後に守るミコトとカオルへ、ナギは微笑んでみせた。
獄炎と水銀の激突は間もなく終わる。
溢れる魔力の光輝が途切れ、全てを溶かす灼熱が徐々に、収まっていく。
やがて訪れる静寂。
対決に勝ったのは――
「水無瀬、中佐っ……!」
消し炭と化した水銀が崩れ去っていくなか、立っていたのは【ガギエル】であった。
盾を構えた体勢のまま仁王立ちしているその機体は、もう微動だにしていない。
水無瀬ナギという青年の心は、『コア』と完全なる同化を果たしたのだ。
彼は自らの魂と引き換えに、『キマリス』の大魔法を凌ぎ切った。
『――――!?』
【異形】は無言の驚愕を発する。
大魔法を撃った直後の反動で、彼はまともに動けない。
魔力欠乏によって今にも倒れそうな身体に鞭打って、ミコトは足を踏み出し、そして右手を持ち上げた。
「ミコトさん……!」
その肩にカオルがそっと触れる。僅かではあるが温かな魔力が、機体内に流れ込んでくる。
開いた掌から放つ魔法――それはカオルから託された天使の御業であった。
「――【ディバイン、ブレイズ】」
呟きと同時、火種が放られる。
落ちたそれはたちまち膨れ上がり、地に膝を突いている『キマリス』の周囲に火焔の壁を張り巡らせていく。
『――――――――ッ!!?』
声なき絶叫が響き渡った。
防衛魔法の発動すら許されなかった『キマリス』の体躯が、天使の炎によって焼かれていく。
炎が弾ける音に耳朶を打たれつつ、ミコトとカオルはその場に崩れ落ちた。
機体との神経接続を遮断し、操縦席に全体重を預けた彼女らは、コックピットに備えてあった魔力補充薬を腕に注射した。
「わたくしにもう一つ、強さがあれば……対話するだけの余裕が、生まれたかもしれなかった……」
勝利の喜びに先んじて生じたのは、己の至らなさに対する後悔だった。
それから彼女は零れる涙を拭うこともせず、胸に手を当て、ナギへの感謝を言葉にする。
「……感謝、いたします。貴方の力があったからこそ、『キマリス』を、破れた……」
声が弱まっていく。精神に反して肉体のほうは、徐々に力を手放してしまう。
限界だ。皇ミコトの戦いは、ここで幕引きとなる。
それを悟ると共に、彼女は聞いた。
荒れ狂う竜の咆哮を。風を切り裂く弓弦の音を。
現状はまだ、一体の第一級を打ち破ったに過ぎないのだ。
【異形】たちとの戦いは未だ、終わってなどいない。




