第二百三十二話 終わらぬ試練 ―mental pollution―
この第二百三十二話は、前話のラスト数百字の展開を変更したうえでの投稿となります。
修正後のお話をまだご覧になっていない方は、お手数ですがそちらに目を通されてから読むのをおすすめ致します。
『アスタロト』と『レラジェ』の防壁が崩れる。
『キマリス』の盾が破れ、『ダンタリオン』は光の奔流に呑み込まれる。
四体の第一級【異形】という、圧倒的な災厄。
それを前にしてSAMパイロットたちは決死の覚悟で抗い、打破した。
「……はぁ、はぁッ……これで、あとは……」
眼鏡の下で血涙を流しながら、麻木ミオ中佐は呟く。
彼女の視界は霞んでいた。低級異形らと『ダンタリオン』を倒すために魔力の全てを注ぎ込んだミオに、もはや余力はない。
指一本すら動かせぬ疲労感に身を包まれる彼女は、操縦席に力なく背中を預け、目を閉じた。
だが、しかし。
『あとは、何かね?』
人よ、自惚れるな。
人よ、勝ち誇るな。
試練は未だ、終わってはいない。
本当の苦難はここからなのだ。
「何――!?」
脳内に反響する理知ある異形の声に、パイロットたちは瞠目する。
そして、瞬間。
解き放たれた魔力の濁流が、人の叡智の象徴を吹き飛ばした。
「ぐあっ!?」
「くっ――!?」
地面に背中を打ちつけられ、アスマやカナタは呻吟する。
止めを刺す寸前に発された斥力が、彼らを【異形】から突き放す。
上体を起こし、体勢を戻そうとした【アザゼル】に対し――放たれたのは十を超す数の矢であった。
避けられない。
「ぐううッ――!?」
真正面からまともに攻撃を食らい、アスマは痛みに顔を歪めた。
『レラジェ』の力は【アザゼル】には及ばない。先程までだったらそう言えた。だが、今は異なる。
力属性と闇属性の魔力を掛け合わせて生み出された幾本もの矢は、【アザゼル】の装甲の表層を刺し貫いていた。
(威力が増した!? それだけじゃない、弓矢の数も増えている! これも『プルソン』の仕業なのか――!)
アスマの分析は当たっていた。
『キマリス』は槍のひと薙ぎで三機のSAMを一網打尽にし、『ダンタリオン』は上空より光の雨を降り注がせ、『アスタロト』は竜の口から火炎を吐かせ。
新たな力、激増した威力。
『プルソン』の一声によって真の能力を開花させた【異形】たちが、牙を剥く。
「みんな【ラミエル】を守ってッ!!」
『ダンタリオン』が撃ち出す光線の乱射に、シオンが悲鳴じみた声で叫んだ。
ハル、アキト、フユカの三名が機体に『反光線塗装』を纏わせ、【ラミエル】に覆い被さるようにして守るなか、センリは呟く。
「毒島中佐、気持ちは分かる。だが……守っていて勝てる戦いではないぞ、これは」
「ですが……!」
それでもシオンは食い下がる。所属部隊こそ違えど、麻木ミオは新兵の頃から共に戦ってきた仲間だ。何としてでも守り抜きたい。
その思いはセンリとて同じ。しかし、戦場では時に非情な決断を下さねばならないこともある。それは誰かを生き残らせるために必要な選択だ。
「毒島中佐……いえ、シオンさん。生駒中将の言う通りです。私にはもう魔力がない。戦略上、使い物にはなりません。そして……そんなお荷物を抱えて戦い抜けるほど、この戦場は甘くはない」
自分の死に場所はここだとミオは見定めていた。
【ラミエル】の前パイロットであった御門ミツヒロのように、麻木ミオはここで散る。
ミオは光の雨で罪なき者たちを押し流した悪人だ。ここで死ぬのが裁きなら、それを受け入れるのが道理。
「……麻木中佐……っ」
「シオンさん、あなたに翼を授けます。これを使って『ダンタリオン』を追い、捕らえ、生駒中将の領域まで引きずり込んでほしい」
それは命令ではなくお願いであった。
ミオはシオンへ、戦友としてこの戦いの結末を託した。
それが彼女の生涯最後の望み。
決意を受け取ったシオンは胸に手を当て、深く頷いて見せた。
「次弾、来るぞ! 俺も守る、毒島中佐――麻木中佐の思い、決して無駄にするなよ」
「――はっ!!」
涙を堪えてシオンは敬礼する。
『対光線塗装』にセンリの『アイギスシールド』も加わり、強固な防御態勢が敷かれる中、【ラミエル】は内部電源を用いての換装シークエンスを開始した。
【マトリエル】の背面バックパックと【ラミエル】の両翼、それぞれを外して交換する。
マニュアルとして理解してはいるが、シオンたちが実戦でそれをやるのは初めてだ。
「分離シークエンス開始。……少々お待ちを」
換装の最中はSAMにとって最大の隙だ。ここを狙われては【ラミエル】のみならず【マトリエル】も共倒れとなり、作戦は潰えてしまう。
所要時間は最速で三分。
満身創痍の状態で味方機を無傷で守り抜くには、あまりに長い時間だ。
背後で静かに、かつ迅速に工程を進めていく二機を信じながら、センリやハルたちは『ダンタリオン』が放つ光線を受け止め続ける。
「……必ず、守る! 勝つのは我々人類だ!」
センリは決意を叫ぶ。
だが、その瞬間――彼の脳内に浮かんできたのは全く真逆の考えであった。
――俺は勝つことを望んでいるわけではない。
湧き上がった思考にセンリは息を詰まらせる。
何故だ。何故、今この時にそのような思考が生まれるのだ。
『ダンタリオン』の眼がせせら笑うように、赤く妖しく揺らめく。
自らの思惟に集中を掻き乱され、センリの『アイギスシールド』は虹色の輝きを弱めていった。
「生駒中将……!?」
アキトたちもその異変にはすぐに気づいた。
しかしセンリが彼の声に返答することはなく、時間だけが過ぎていく。
――僕はずっと死に場所を求めていたんだ。
常に目を背け続けてきた心の声が、囁いてくる。
己の内に巣食う影が、センリを静かに蝕んでいく。
――戦いなんて自殺の手段でしかなかった。僕は死にたかった。死にたくて仕方がなかった。
少年期の弱い自分が、大人になった現在のセンリの傍らに蘇っていた。
『阿修羅』でいるために葬ったはずの過去。それが生死を分ける戦いの最中になってフラッシュバックする。
『ダンタリオン』の赤い眼と、幼いセンリの泣き腫らした目が重なる。
――虚ろだった。僕は中身を失った入れ物でしかなかった。だけど何を注いでも満たされることはなかった。友情も愛情も僕の空虚を埋めるには足りなかった。
【カラミティ・メテオ】が地球に墜落した二十二年前、センリは家族全てを失った。
当たり前にあったはずの日常が跡形もなく消えていったその日から、彼の胸にはぽっかりと大きな穴が開いてしまった。
『新東京市』に逃げ込み、孤児として保護されてからも常に、彼は無気力だった。
同じ施設の子供たちや職員に話しかけられても無反応。常に部屋の隅で膝を抱え、身動きすらせずに黙り込んでいるのが彼という子供だった。
彼は渇いていた。だが、渇いていながらもSOSのサインを発することは出来なかった。
大人たちは全ての子供たちに手が回らない。ただ何もせず座っているだけのセンリは施設の職員にとって、「手のかからない対応が楽な子」としか映っていなかった。
――何もかもが虚しかった。お父さんもお母さんも妹も死んでしまったのに、僕だけが生き残った意味が分からなかった。どうせなら一緒に死にたかった。理由もないのにただ生きているだけの自分が、許せなかった。
センリ、センリ。
父と母が呼んでいる。
お兄ちゃん。
妹が遠くから手を振ってきている。
真っ白い光の彼岸に家族たちが立っていて、闇の此岸に自分がいる。
毎日のように見る夢だ。光を求めて走っても走っても、そこには決して辿り着けない。
――死にたかった。でも死ぬのが怖かった。生きるための理由が必要だった。だから『学園』に入って、戦い方を身に着けた。自分だけ楽に死ぬよりも、家族と同じように【異形】に引き裂かれて無残に食われるほうがいいと思えた。
十六歳になる年を迎えると、孤児院の子供たちは施設から『学園』へと送り出される。
そこで強制的に与えられた「戦い」という手段に、センリはたちまち憑りつかれた。
戦いの間は虚ろさを忘れられる。自分を不幸にした元凶である【異形】への復讐も果たせる。そしてその果てに死ねるのなら、それで良かった。
その為だけにセンリは戦い続けた。『阿修羅』と呼ばれ、畏れられるほどの強さを手にし、父から教わった空手の技も一人で極め――死地まで来た。
――ここで終わりにしよう。お前は十分よくやった。幾百、幾千の【異形】の首を獲った。お父さんもお母さんも妹も、きっとそれで浮かばれる。
少年期の自分がセンリの肩をそっと叩き、囁きかけた。
死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。死ぬ。
最初からそれを望んでいたはずだ。地位と責任という名の十字架から解放されるべき時は今だ。今なら仕方がないと許される。絶望的な戦況、圧倒的な暴威。それを前にすれば誰だって諦める。絶望する。
――さあ、みんなのところへ行こう。あの光の向こう側へ。そこに行けば楽になれる。苦しみから解放される。
マメだらけで汚れたセンリの手を、幼いセンリが引っ張っていく。
足がふわりと浮き上がる。踏み出す一歩。これで終わるのだ。
『不愛想な男だな』
『何か喋ったらどう?』
『あの子、気味が悪い』
『邪魔なんだよ、お前』
『生駒くんって近寄りがたいよね』
『所詮、ガキなんて戦いの道具だよ』
『泣くんじゃない、黙っていろ!』
『成績表? はぁ……そこに置いときなさい』
『生駒くんがやったんです』
『嘘をつかないで!』
『お父さんもお母さんもいないなんて、かわいそう』
不快な記憶が蘇る。忘却の彼方に押し込めたはずの言葉がぐわんぐわんと反響する。
やめろ、とセンリは掠れた声でこぼした。
死の直前くらい幸せな思い出に浸らせてくれ。
両親と妹が生きていたころの、温かい時間を感じさせてくれ。
「いやだっ、いやだっ、こんな記憶掘り起こさないでくれ! こんなの俺じゃない! 俺は『阿修羅』だ、生駒センリ中将だ! 俺こそが最強のパイロットなんだ、そんなっ、そんな弱いガキなんて俺じゃない!!」
生駒センリは最強の【七天使】パイロットなのだ。
誰からも畏れられ、讃えられ、人類の英雄である男。
それがセンリだ。誰にも否定させはしない。
――僕を否定しないで。
「違う。違う! お前なんか要らない! 死んでしまえ!」
――僕を見て。
「俺の前に現れるな! お前なんか知らない、消え失せろ!」
――僕を殺さないで。
「うるさいッ、黙れ! 誰にも求められないお前など――」
目の前に浮かぶ幼い自分の首に手をかける。
少年の柔い肌に骨ばった男の指が、容赦なく食い込んでいく。
まずはお前からだ。弱いお前を殺してから自分も死ぬ。
それでいい。いいはずだ。弱者に生きる意味などないのだから。
その瞬間。
天空より投じられた光の槍が大地へ降り、【ゼルエル】の左胸を貫いた。




