第二百十五話『行こう』 ―I've always wanted to surpass you."―
「チッ――邪魔しやがって!!」
刃が熱に溶かされていく。
原型をなくしたそれを放り捨てた【サハクィエル】は、即座に飛空艇から離れんと飛び退き――直後。
砲撃が、先ほどまでSAMのいた座標を寸分たがわず通過していった。
(アンタの教育の賜物ってやつですか、元帥――!)
脳裏に浮かぶのは憎らしいかつての上官の顔。
向上心のある部下を褒め称え、やる気のない者はボロクソにこき下ろすマトヴェイ・バザロヴァという実力者が、風縫ソラは大好きだった。
誰にも媚びを売らない生き方にはシンパシーを感じていたし、SAMに乗った時の鬼神のごとき強さには心底惚れ惚れさせられていた。
彼が上にいたからソラはもっと強くなろうと思えた。
空軍という組織を更に高め、使命を果たすために皆で邁進していこうと前を向けた。
だが、敬愛していた元帥は組織を離れ、人類の敵となってしまった。
「何で……何で、俺の信じた人たちは、俺のもとから離れていくんだ!?」
御門ミツヒロは植物人間になった。似鳥アキラは裏切ってどこにいるかも知れない。そして宇多田カノンは、ソラの心に呪いを残したまま散った。
戦場では優しさを捨てろという、戦士としては全うな言葉。しかし今の彼を最も苦しめる呪詛。
「アンタを超えてやるってずっと思ってた――でもっ、こんな形で挑みたくなんかなかった!」
飛空艇のCICにいるマトヴェイにその声は届かない。
小柄な男の張り裂けんばかりの叫びが、狭いコックピット内に反響する。
彼は赤い目を血走らせ、操縦桿をぐいと引いて機体を翻させた。
「まずはてめえから片づけてやる、【ミカエル】!!」
取るに足らない相手と侮って【エクソドゥス】を優先したのが誤りだった。
この天使を超えなければ、それ以上に強いマトヴェイを討つなど夢のまた夢。
優しさを削ぎ落し、勝利だけを求めて戦い抜く戦士――あの女が最期までそうあり続けたのならば、ソラもまた、そうあるべきだと自分で思う。
「――死ね」
翼が銀光を放つ。
魔力によって実体化した黒き羽根が刃となり、加速を殺せずに接近せざるを得なくなった【ミカエル】へと急迫した。
*
ぐらりと足元が揺れ、【エクソドゥス】のSAM格納庫に待機していた入野スズは顔を上げた。
身体の奥底まで響きわたる重低音。視界に僅かに瞬く、白い光。
飛空艇のシステムに魔力を吸われて頭を押さえる彼女は、隣に佇む腐れ縁に喘ぐように訊ねた。
「ちょっと、もう出るん……!? 月居さんたち、まだ戻ってへんのに……!」
「仕方ないだろ。いつまでも止まってちゃジリ貧になるだけなんだから」
そう返すリンの横顔にも冷たい汗が滲んでいる。
【ラミエル】が放ったジャミング魔法の残留魔力によって、未だ飛空艇外のSAMとは通信が途絶したままだ。カナタたちパイロットの戦況や状態といった情報は、リンたちのもとには一切入ってきていない。
「マトヴェイ総指揮官どのがそう判断されたんだ。我々はただ、それに従うのみ」
そう淡々と呟くのは新庄マリウスだ。
彼は栗毛色の長髪の毛先を指に巻きつけながら、苦渋に満ちた面持ちでスズたちを一瞥する。
「……くそっ、くそっ……わけ分かんねえよ、こんなの……。確かにマトヴェイさんは俺らが『レジスタンス』に襲われる可能性の話してたけどさぁ……ガチのマジであいつらが攻めてくるなんて思っちゃいねえよ……」
格納庫の床に体育座りしているニット帽の青年、新堂ケイタが口走った譫言は、この場の者たちの総意でもあった。
人類が人類を襲う。それは『レジスタンス』の軍法第三条「SAMの運用目的は【異形】との戦闘行動にのみ認められる」に、真っ向から違反している行為だ。
実際に戦場に【七天使】が現れてもなお、彼らは未だに現実を受け止めきれずにいた。
「……やっぱ、俺たちも出撃するべきなんじゃないか」
「カズヤ――何を」
「馬鹿なことを! まだ何の命令も下されていないんだぞ!」
副班長の思わぬ発言にリンは瞠目し、マリウスは目を剥いた。
唇を噛み、声をわななかせる黒髪の青年は同僚たちの瞳を順に見つめ、言う。
「【機動天使】だけに戦いを任せきりにするわけにはいかないだろ!? 俺たちだって、選ばれてるんだ。戦えるやつが戦わなくて、どうするんだよ!?」
「逸るな、高城! 僕たちの役割は上官の命に従うことだろう!?」
「じゃあお前は、やばい状況だって分かってるのに指を咥えて見物してろっていうのか!? 仲間が苦しんでるところを見過ごすために入隊した――お前だって、そういうわけじゃないんだろ!?」
初めての地上での任務。初めての、生死をかけた戦い。
自分が数時間後に生きていられるかも分からない状況に、彼らは今、人生で初めて遭遇してしまっている。
高城カズヤは自分がどんな戦いでも果敢に乗り越えられる人間だと思っていた。
だが、いざイレギュラーが起こってしまえば、その自信のメッキはいとも容易く剥がれ落ちていった。
「そういうわけではっ……そういうわけでは、ないが――しかし……」
焦燥に衝き動かされるカズヤに反駁するマリウスだったが、彼自身もまた揺らいでいた。
軍人として命令に従うのは絶対の規範。しかし想定外の状況に柔軟に対処する能力も、戦士として求められる資質の一つだ。
誰かに指示を仰ぎたいが、応じてくれる上官は生憎ここにはいない。格納庫に待機している他の士官たちに訊ねても、満足のいく返答は得られないだろう。誰だって困惑と混乱の中にいるのだ。もしかすると、マトヴェイやレイたちCICの将校でさえも。
「ねぇ、カズヤさん……うち、月居さんが死んでしもたら嫌やねん。月居さんに生きて帰ってきてほしいんやねん。あの人が帰ってくるのをただ待っとるくらいなら、死んだほうがマシやねん」
リンの肩を支えに折れまいと立つスズは、縋るような眼差しで副班長を見上げる。
今、全ての瞳がカズヤの方を向いていた。彼の判断を、指示を要請していた。
本当に待機しているだけで良いのか。本当に【機動天使】のみで、攻めてくる【七天使】をはじめとする『レジスタンス』軍に対抗できるのか。
カズヤは既に見てしまっていた。【七天使】の放つ魔法が旧新宿区を一瞬で焦土へと変える、その光景を。
「……っ」
副班長として冷静さを取り戻さんと意識すればするほど、あの魔法の恐ろしさが脳裏に蘇ってくる。圧倒的な力を前にした絶望と無力感に、精神を絡めとられる。
やはりマリウスの言うように、ここで待機していたほうが賢明ではないのか。
言い出しっぺにも関わらず意見を引っ込めたくなってしまって自己嫌悪に駆られるカズヤは、拳を握ったまま俯いてしまった。
――と、その時。
「さっきからウザいんだけど、あんたら!」
少年の声に背中を叩かれ、カズヤは顔を跳ね上げさせた。
振り返るとそこには、黒い『アーマメントスーツ』を纏った赤髪の小柄な男子が立っていた。
長い茶髪の少年を傍らにカズヤたちのもとへつかつかと歩み寄った彼は、カズヤの胸倉を掴んで睨み上げる。
「あのさぁ、ここはごちゃごちゃと喚くための場所じゃないんだけど。格納庫の空気が汚れる」
「貴様ッ――!」
「待てよ、マリウス! こいつ、元【ドミニオン】のパイロットだ」
かっとなって掴みかかろうとしたマリウスの腕をぐいと引き、リンは彼に耳打ちした。
来栖ハルと朽木アキト。二人がこの格納庫へ姿を現した理由を視線で問うリンに対し、アキトは小さく頷いて答える。
「……俺たちは出撃する。ブリッジのレイたちに話は通してある。『交信』で敵全体に停戦を訴えられないか、試してみるつもりだ」
丹沢基地での戦いの際、ニネルはその場の全兵士の脳内へと歌を届けたという。
ニネルらほどの力ではないが同じく『交信』能力を持つ自分たちならば、ニネルの業を再現できるのではないか。そう考え、ハルとアキトは戦場へ出ることにしたのだ。
「『交信』で……!? あいつらの方から攻めてきたんだ、説得に応じるわけが……」
早口に呟くリンの言葉を拾っても、二人が動じることはなかった。
試す前から諦めたくはないと、その真っ直ぐな瞳は語っていた。
「格納庫からSAMを出す、邪魔になるからあんたらは下がっていてくれ」
「っつーわけだ、雑魚は引っ込んでおねんねしてな」
「……気持ちは分かるけど、流石に口が悪いぞ」
既にメカニックたちが整備を済ませている【イェーガー・空戦型】のもとへ歩いていく二人の背中を見送るカズヤたち。
彼らは明確にやるべきことを定めて戦場へ飛ぼうとしている。
では、自分たちはどうしていくべきか? それを考える若者たちが誰からともなく口を開こうとした、その時――格納庫の扉を開く静かな音が、いやに大きく響いた。
「……ハル、アキト。わたしも、いっしょに行かせて」
金色に煌めく髪を肩口まで伸ばした、抜けるように白い肌のアーモンド型の目が綺麗な少女。
最上フユカ。ハル、アキトと共に『第二次福岡プラント奪還作戦』に参加した、元【イェーガー・ドミニオン】パイロットである。
「フユカ……お前、もう大丈夫なのかよ?」
彼女の登場に瞠目するハルが訊ねると、フユカは赤いオーブの埋め込まれた『アーマメントスーツ』の胸元に手を当てながら、小さく首肯した。
「……お友達をまもりたいから」
それがフユカの戦う理由。やるべきこと。
母親と慕っていた月居カグヤが亡くなってから塞ぎ込んでいた彼女だったが、ミコトと出くわして話した時、言われたのだ。
『あなたの大切な人は、あなたの記憶の中に残り続けます。あなたがその人を忘れない限り、その人はずっと見守ってくれるのです』と。
自分にとっての全てであった母親がいなくなったことが、フユカは怖かった。言葉に代えられない悲しみが胸を支配して、彼女を縛った。
ミコトのその言葉は、彼女を得体の知れない恐怖から解放した。ゆっくりと、段階的にではあったが、最上フユカは心の安寧を取り戻していった。
「わたし、戦うよ」
「そうか」
うん、と返し、フユカは足早に自分の機体へ乗り込んでいった。
閉ざした心を徐々に開いていったフユカは、外界からの情報を手に入れる余裕を得た。かつて学園の大浴場で共に温かいひと時を過ごしたユイと交流を再開する中で、彼女は『狂乱事変』で散ったクラスメイトについて聞いた。
皆、仲間のために戦った。彼らの奮戦があったからこそ現在を生きていられている人がたくさんいるのだと、ユイは悲しくも誇らしげに語っていた。
母のためではなく、仲間のために。
フユカはそこで、新たな理由を知った。
「だいじょうぶ。わたしは、もう飛べる」
SAMも戦闘も、怖くないといえば嘘になる。
だが、仲間を助けたいと――守りたいと願った時、己に使えるものは何かと考えればそれしかなかった。
「――いこう、ハル、アキト」
射出機デッキへと徐行していきながら、フユカは二人へ呼びかける。
モニターに映る兄弟同然の少年たちは、どちらも穏やかに笑っている。
その笑みがフユカには心強かった。彼らがいれば、自分はどこまでも行けるような気さえした。もはや寂しくはなかった。
「朽木アキト、来栖ハル、最上フユカ。【イェーガー・空戦型】三機にて、出撃する!」
アキトの号令と同時、ブリッジからの出撃許可を受けた三機は一挙に飛空艇より飛び出す。
久しぶりに感じる地上の冷たい大気を一身に浴びながら虚空を見据える少年少女は、意識を心臓に集中させ――そして、眠る力を覚醒させた。
「『獣』よ――目覚めよ!」




