第二百十話 天使強襲 ―War by hate―
『対異隊』地上探索作戦の二日目は、一日目から場所を移しての調査任務となった。
今回【エクソドゥス】が降り立ったのは、旧新宿・池袋周辺エリア。
昨日の旧東京駅付近の調査と同様、小規模の班複数での行動となる。
「声は聞こえる……でも、話せない……」
それと並行して、引き続きニネルとテナも『交信』能力を以て理智ある【異形】とのコンタクトを試みていた。
二人の脳内にはこの地に潜む【異形】たちのざわめきが響いていた。
鳴き声とも違う、脳の働きに伴って発生する微細な魔力の波。
ノイズのようなそれを常に感じなくてはならないこの任務は、感覚がヒトよりも過敏な『新人』である二人にはかなりの負担を強いる。
「昨日より、声が……よく聞こえる、です」
『ニネルの方も同じだったようですわ。テナ、そろそろ交代を。昨日より休むペースを早めなければなりません』
【エクソドゥス】のブリッジよりミコトが指示を出し、テナはそれに素直に応じた。
彼の乗る【イェーガー・空戦型】の前には既に来栖ハルが待機しており、機体から降りてきたテナへハイタッチする。
「よっ、お疲れさん」
「お、お疲れ、です」
「や、僕はまだ何もやってないけどね。十五分経ったら交代だから、それまで頭休めとけ」
こくりと頷くテナの額には脂汗が滲んでいた。
それを横目に彼を案じるハルは、頬を叩いて気合を入れる。
(母さんに貰った力の使い道……間違っちゃいないよな、ナツキ)
今もまだ眠ったままの友に、胸中で問いかける。
戦う理由とは何か――『リジェネレーター』に参加してから三ヶ月、ハルたち元『使徒』はずっと考えてきた。
最初は生き残ることだけが目的だった。だが、共同で戦う仲間として『新人』たちと関わるうちに、彼らの中でも『新人』たちは無視できない存在となった。
もはやカナタたちの理想は、ハルにとって他人事ではなくなった。
「ブリッジへ、来栖ハル搭乗完了。これより十五分間の『交信』を始めます」
一丁前に敬語を使える程度にはハルも大人になった。
今の自分を見たらきっとナツキも驚くだろう――そう思ってちょっとニヤリとしつつ、彼は目前の任務へ真摯に向き合っていくのだった。
*
狩人たちの銃声が各所で響いている。
旧新宿エリア周辺で調査に当たっている『対異隊』であったが、昨日と比較して【異形】との遭遇率が上がったことで、探索のペースを落とさざるを得なくなっていた。
『うちの銃撃センス、見せつけたるわ!』
【イェーガー】を操り二丁拳銃を構える少女、入野スズは勝気に叫んだ。
ビルの陰から飛び出してきた『子鬼型』二体に照準を合わせ、すぐさま撃ち抜く。
敵を視認してから一秒。
トリガーに指を掛けるまでに0.5秒。
狙いを定め撃ち抜く一連の動作を、0.5秒。
『――これがうちの実力や!』
計、二秒。
それが、不運にも彼女の前に現れてしまった『子鬼型』が脳漿をぶちまけて死に至るまでの時間であった。
「やっ、やるね入野さん」
『えっへへ、それほどでもないですわ~』
『ちくしょう……こればっかりは文句のつけようがないぞ』
カナタに褒められてスズがはにかみ、出山リンが悔しげに彼女の機体を睨みつける。
入野スズがカナタ班に選ばれた第一の理由こそが、その動体視力と空間認識能力の並外れた高さにあった。
標的を捉えた彼女の目は、決してそれを逃がしはしない。
特に今回のような近距離の銃撃戦は、彼女のポテンシャルを最大限に活かせる戦場だ。都市内の探索では遠距離からの狙撃よりも接近戦が多くなるというカナタの読み通り、スズの快進撃は先程から留まるところを知らない。
『やるじゃないか、入野。騒がしい小娘だと思いきや、案外使えるのだな』
『うわ、超上から目線! あんた、うちと大して年齢違わんくせにー』
『僕は二十歳だぞ! 四つも違うじゃないか』
『四個しか違わないやんけ! それに、軍隊じゃ年齢じゃなくて階級やで。年上やからって偉そうにするなんて、あんた江戸時代の人間なんか?』
資産家を親に持ち、プライドの高い新庄マリウスとはスズは馬が悪い。
このようなやり取りは日常茶飯事だ。決まってカナタがおろおろと戸惑って、副班長の高城カズヤかリンが間に入って場を取り持つ。
栗毛色のロングヘアを指先に巻きつけながら言い返す言葉を探しているマリウスに、黒髪の好青年カズヤが「まあまあ」と声をかけた。
「年齢とか階級とか関係なしに、俺らは実力を認められて月居中佐の班に配属された仲間じゃないか。お互いのいいところをリスペクトして、仲良くやろうぜ。な?」
『む……爽やか気取りが鼻につくが、まあ言い分は分からなくもないな』
『うちもこんなキザ野郎と一緒にされたくないけど、カズヤさんが言うならしゃーないわ』
喧嘩するほど仲がいいとはよく言ったもので、実際、スズたちは言い争うことはあれど何だかんだで上手くやれている。
騒がしい、もとい賑やかな彼らと過ごす時間が、カナタは嫌いではなかった。
レイやユイ、シバマルたちとの穏やかな時間ともまた違う。言いたいことを遠慮なしに言う連中の会話は、傍から聞いているだけでも可笑しくてつい吹き出してしまう。
緊張の糸が張り詰めた戦場において、そんな仲間たちの存在は癒しといって差し支えなかった。
「ま、マリウスくん。き、君のさっきの言い分を聞くなら、僕より君の方が偉いってことになるんだけど」
『ちっ、違います! あれはちょっとした戯れ……いえ、僕の戯言に過ぎませんので! 月居中佐のことは全力で尊敬しているであります!』
「へぇ、言いますね中佐も」
大真面目な口調でカナタに言われ、大慌てで弁明するマリウス。
これまで聞き手に専念してきたカナタの参戦に、ニット帽のスナイパー・新堂ケイタは素直に感心していた。
足元の地衣類を剥ぎ取って袋に入れながら、ケイタは「これ、色が違うっすね」とカナタへ報告する。
「ほ、ほんとだ。茶色いけど枯れてるわけではなさそうだね。さ、さっき採ったのの亜種ってところかな……」
「そうかもっすね。……ところで、こういう植物って食えるんすかね?」
「さ、さあ……? し、調べてみて毒がなさそうだったらいけるだろうけど、問題は味だよね」
「食ってみたら意外と美味かったりして。もしそうだったら新しいビジネスのチャンスっすよ!」
新しい研究テーマや野望が誕生したところで、カナタはふと顔を上げた。
唐突に足を止めた上官の様子を怪訝に思い、ケイタは訊ねる。
「どうしたんすか、中佐?」
「い、いや……なっ、何か、変な気配が……」
『交信』で捉えた魔力の波長の中に、微かな違和感をもたらす何かが混ざり込んでいる。
普通の【異形】とは異なる気配。しかし、これまでに相対してきた【第一級異形】が放つ強烈な威圧感とも違う。
――これは、一体……?
数秒の黙考の後、答えに思い至った少年は鋭く叫んだ。
「えっSAMが――『新人』が乗ったSAMが来る!」
『対異隊』第八班の班長を務める鳥海ナオキ大尉が見たのは、西の空に瞬いた白い光。
それを視界に収めた刹那、彼の右隣にいた班員たちの声はぴたりと止んだ。
何が起こったのか、鳥海大尉にはにわかに理解できなかった。
しかし、自らの脇を横切っていった一条の閃光――それが走った軌跡に刻まれたものが何であるか、すぐに強制的に思い知らされることとなった。
「なっ……嘘だろ、こんな……!?」
光が照射された横十メートル、長さは肉眼で確認しきれないほどの範囲が、一直線に焦土と化していたのだ。
そこに立っていた人も、SAMも、生えていた植物も、佇む鉄筋コンクリートのビルでさえ、圧倒的な熱に溶かされている。
ひしゃげた鉄屑はもはや原型を残さない。辛うじて上部に見えるコックピットの壁だった場所には、そこにいたはずの乗り手の影だけが黒く焼き付けられていた。
「何だよこれっ……何なんだよ、これは!? こんなの……聞いてないぞッ……!?」
上ずった悲鳴を漏らし、男は搭乗していたSAMの操縦桿を震える手で一息に倒す。
あの一撃を食らったらおしまいだ。たった一機で『アイギスシールド』を張ったところで焼け石に水。生き残るには、逃げる以外に方法がない。
光の発射された空中には何の姿も見えない。
姿を消せる【異形】の襲撃か――咄嗟にそう判断した鳥海大尉は、機体を翻して一目散に【エクソドゥス】へと後退していきながらCICへと怒鳴り込んだ。
「こっこちら第八班班長、鳥海大尉であります! げっ現在、『第一級』に相当する敵の攻撃を受け、班は壊滅! 敵は見えない【異形】かと思われます、至急備えを!!」
動転していてもなお推測した状況をそのまま司令部へ伝えられたのは、鳥海大尉という男が『レジスタンス』で培った経験ゆえのことだろう。
骨の髄まで染み込んだ軍人としての意識が彼を突き動かし、司令部に現場の認識を把握させた。
『こ、こちら月居カナタ! 先程の光線はSAMによるものと思われます! く、『交信』した僕の意識が確かなら――』
ブリッジに舞い込んできた少年の意見は、ほぼ同時に入った鳥海大尉の言葉とは異なるものであった。
「どちらにせよ、敵がその辺の雑魚とは比較にならない力を持ってるのは確かね。――総員、敵の二射目に備えて! 『アイギスシールド』を展開するわ!」
オペレーターが上官からの命令を復唱し、即座に展開される女神の防壁。
乗員たちから魔力を吸い上げることで生まれた虹色のバリアが【エクソドゥス】を包み込む中――前方数キロの虚空より、次なる攻撃が放たれる。
無より生まれ、照射される無数の光条。
黄金が降り注ぎ、地上にあったあらゆるものを焦がし、溶かし、葬り去っていく。
その光景はいっそ荘厳ですらあった。地に這う者へと下される、無慈悲な神罰だとさえ思われた。
埒外な火力。強力無比たる光輝の雨。そして――見えざる敵。
元『レジスタンス』空軍のユリーカ・クインシーは、そこに抱いてはいけない既視感を覚えてしまった。
「そんな、なんで……!?」
憧れていたから分かる。尊敬していたから分かる。何度も映像を見返していたから分かる。
あれは、あの輝きは――天使の祝福そのものだ。
「嘘よ、そんな……そんなことが、許されてたまるもんですか」
マトヴェイ・バザロヴァもまた、揺らぎを露にしていた。
見紛うはずはない。「彼」を手塩にかけて育てたマトヴェイが、あの魔法を忘れるわけなどありはしない。
多量の魔力を吸われたために頬に汗を垂らしているミコトは、ユリーカとマトヴェイの反応に怪訝そうな視線を送った。
唇を引き結んでモニターを睨んでいるレイは、元空軍の二人に代わって皇女へ真実を明かす。
「あの光の雨は、【七天使】が一機【ラミエル】によるものです。ボクももしやと思いましたが……お二人の反応を見るに、間違ってはいなかったのでしょう」
ミコトには与えられた答えが呑めなかった。
自分たちを攻撃したのは、かつて御門ミツヒロが乗っていた【ラミエル】。乗り手を失った以後は『コア』に奪われた彼の魂を尊重し、新たなパイロットを付けなかった光の天使――。
それがこの新宿に現れて、自分たち『対異隊』を壊滅させんと超火力の魔法を解き放った。
少女はまずその事実だけを認め、そして僅かに遅れて事の意味を理解させられる。
「……何故。何故、言葉ではなく、そのようなやり方で……」
ミコトは唇を噛み、拳を固く握って声を戦慄かせる。
平和がほしいという願いは同じだったはずなのに。兄も、タカネも、かつては人が傷つけば寄り添い涙するような優しい人であったのに。
「貴方たちが守るべき者とは、戦うべき理由とは何だったのですか。憎しみに飲まれてしまえば、人はこうも似合わぬ刃を平気で振り下ろせるようになってしまうのですか……!」
悔しさと虚しさ、やるせなさに彼女は打ちひしがれた。
【ラミエル】によって『リジェネレーター』への大規模攻撃が行われてしまったこと。
その責任の一端はミコトにもある。彼女がもう少しタカネやヤマトと対話していれば、意見の対立はすれども、殺し合うような事態にはならずに済んだかもしれなかった。
「……御門中佐の機体を人を攻撃するために使うなんて、許せないですです」
「アタシも同感ね。姿を隠してこのエリアごと焼き殺そうとしてくるなんて……パイロットのご尊顔を拝んでみたいものだわ」
普段は底抜けに明るいユリーカの声からは一切の抑揚が失われていた。
マトヴェイ・バザロヴァはその端正な顔を義憤に歪め、モニター越しに虚空を睨み上げる。
「……マトヴェイさん、どうしますか」
レイに問われ、マトヴェイは逃げるように視線をミコトへ向けた。
【ラミエル】が大魔法を撃った反動で次の魔法攻撃に移れない今だけが、決断のための猶予。
それを過ぎてしまえば否応なしに選ばねばならなくなる。
戦って退けるか、この場で耐え抜くか、『都市』まで逃げ切るか。取れる手段は三択だ。
「……っ」
「耐え抜く」選択肢は論外だ。寡兵の軍であり物資も乏しい『対異隊』に、持久戦に勝てるだけの体力はない。
戦うか、逃げるか。
こちらには【機動天使】が7機ある。敵が【ラミエル】だけだとするなら、応戦すれば確実に追い払えるだろう。
しかし敵の立場になって考えれば――この攻撃が蓮見タカネの意思に基づくものだと仮定するならば、遣わした機体が一機のみとは考えにくい。
軍隊を以て『対異隊』を地上で壊滅させ、都市には彼らが任務に失敗し全滅したのだと報告する。そうすればタカネの目論見通り、求心力のある中核を失った『リジェネレーター』はやがて空中分解されるであろう。
残る手段は一つ、殺されないよう逃げることだけ。
「生き残って都市に戻る、その誓いだけは破れないわ。アタシたちは間もなく遭遇するであろう『レジスタンス』部隊と交戦しつつ、撤退する。プランはこれしかないわ」
「待ってください! 撤退って、どこに逃げるんですか。都市にのこのこ戻っていったらボクたち、待ち構えている『レジスタンス』に蜂の巣にされますよ!」
想定される行く末を突きつけてくるレイに、マトヴェイは言葉を詰まらせた。
――都市にはもはや、戻れない。
ミユキたち多くの仲間が待ち、支持者たちが初任務の成功を祈っている『新東京市』に、自分たちは二度と足を踏み入れることが叶わなくなったのかもしれない。
『レジスタンス』による武力介入が行われることは想定していないわけではなかった。だが、タカネがそれを本気で実行に移すとはマトヴェイは思っていなかった。
良識と常識のある国家首脳ならば、武力など使わず対話で問題を解決する。第二次大戦以後、武力は国があくまでも敵への牽制の為に持つものであったはずだった。それが、人類が窮地に陥っている新暦という時代の中で、同じ人間に対し振るわれてしまうとは――。
「わたくしのせいです。わたくしが、タカネやお兄様と真正面から向き合ってさえいれば……」
「ミコトさん……起きたことはもう仕方ありません。自分を責めるより先に、あなたにはまずやるべきことがあるでしょう」
同じ人類からの攻撃というイレギュラーに際し、兵士たちは激しく動揺しているだろう。
それを鎮め、対処のための正確な行動を誘導するのがミコトの役割だ。
戦場でもそのカリスマを以て人を動かしてほしいと、レイの瞳は訴えていた。
「――分かりました。レイ、席の交換を。これよりわたくしが全軍へ事態を伝えます」
頷き、ミコトは迷わずに行動へ移した。
与えられた使命からは逃げない。この悲劇の原因の一端が己にあるならば、事態を解決し、仲間を生き延びさせることがミコトの責務だ。
ミコトとタカネ、互いの立場は変わった。所属も変わった。目指すものも変わった。
皇室全員の密談で決裂して以降、『国民の敵』とされたミコトはタカネに対話を持ちかけることさえ出来なかった。
そう言い出せば危険だと周りに止められた。国民全員へのビデオメッセージで間接的に気持ちを伝えるしかない、と。
だが、それを振り切ってでもタカネに会いに行くべきだったのだ。
自分たちは変わってしまったが、それでも昔は兄妹のように通じ合えた。その時の心が少しでもタカネに残っているのだと、信じていれば良かった。
「……ミコトさん、そこを代わって。まず総指揮官であるアタシが話さなければ、兵たちへの示しが付かない」
深呼吸し、連絡事項を頭に纏めたミコトが口を開こうとしたその時、彼女の肩をマトヴェイが叩いた。
彼もまた、指針を決めたようだった。その目には艱苦の道を進まざるを得ない苦渋と、一縷の望みにかける思いが宿っていた。
「全軍に通達するわ。先程の大規模攻撃魔法を放ったのは、【七天使】の一機【ラミエル】だと断定。我々はこの攻撃を『レジスタンス』によるものだと認め、これより対『レジスタンス』軍撤退戦へ移行する」
息を吸い込み、一拍置く。
それから赤髪の総大将はマイクを固く握り締め、告げた。
「目標は――小田原港よ」




