第二百七話 響きだす鈴の音 ―Fine girl in Naniwa―
入野スズという少女が月居カナタという少年のファンになったのは、新暦20年4月5日のことだった。
親に連れられて見に行った、兄の入学式。
そこで行われたエキシビションマッチでの彼の戦いに、スズは痺れた。憧れた。
経験の差を覆した天才的なバトルセンス。相手に破壊された装甲を、全く想定外の方法で利用してみせた発想力。
あの試合を目にした瞬間に、スズの目標は決まった。
いつかあの人のようなパイロットになりたい。『学園』に入ってあの人に師事したい。
それだけを考えて、入学前から全力で勉強してきた。『学園』生となってからも、クラスで一番になれるように毎晩特訓を重ねてきた。
だが――彼とは会えなかった。
『第一次プラント奪還作戦』の後、彼は長い眠りに就いてしまった。それから目覚めた後には、彼は「大罪人の息子」の烙印を押されてしまい、とても近づける状況ではなかった。
しかし、彼がどうであれスズの気持ちは変わらなかった。
ほぼ死語と化した方言を好んで使うほどの頑固者である彼女にとって、入学以前からの憧憬をなかったことにするなど出来るはずがなかった。
月居カナタが犯罪者の息子であっても、【異形】の力が使えるとかいう噂があろうとも、スズにはどうでも良かった。
ただ、彼からSAM操縦の技術を学びたい――思いはそれだけだった。
そして彼女が憧れを抱いてから一年と七ヶ月余りが過ぎた頃。
ようやく、機会は訪れた。
『リジェネレーター』の発足。兵員の募集。これ以上にないチャンスだとスズは飛びついた。
月居カナタは組織内でもなかなかの重要人物で、簡単には会えなかったが――それでもスズは課せられた試験で上位の成績を収め、彼に近づけるポジションまで上がってこられたのだ。
鈴の飾りが付いた髪留めで作った黒髪ツインテールに、ぱっちりと大きな茶色い瞳。そばかすが目立ってはいるが、笑顔が似合う可愛らしい顔立ちをしている。その小柄さも相まって小動物的な魅力がある――と、本人は得意顔でよく言う。
『対異隊』第七調査班所属、入野スズ少尉。
それが彼女の新しい肩書きであった。
*
「月居さん、こんな感じでええのん?」
手元のスマホの画面を指差しながら、スズは憧れのパイロットの端正な顔を見つめた。
さん付けではあるがフレンドリーに話しかけてくる後輩に対し、カナタは真面目な表情で頷いてみせる。
「よ、よく撮れてると思うよ。でっでも、全体的に俯瞰するような画が多いから、も、もうちょっと細かい部分も観察してみて。さっ、採集の方はどう?」
「こっちはこんな感じやで」
腰のポーチを探り、ジッパー付きの袋に入れた植物の葉や地面から削ぎ取ったコケの一部を見せるスズ。
『新東京市』では決して手に入らない植物のサンプルを袋越しに手に取り、カナタは満足げに笑みを浮かべた。
「い、いいね。れっ『レジスタンス』も地上の植生調査はしているけど、だからといって僕たちがやらない理由にはならない。け、研究は常に色んな視点からアップデートしていかなきゃいけないからね」
「なるほどやで。流石は月居さんやね!」
「そ、そんな褒められるほどでもないよ……」
「謙遜せんとってください! うちは本気やで!」
肩をポンと叩き、にまっと笑ってスズは言う。
そんな彼女の腕を後ろから引っ張ったのは、彼女とは中学時代からの腐れ縁である少年であった。
「スズ、馴れ馴れしくしすぎ。相手は上官だぞ」
「だって、もっとお近づきになりたいんだもん。それに、歳だって一個しか違わへんのやで?」
小柄なスズとは対照的に、背が高くて無愛想。適当に切りましたと言わんばかりの、これといって語るところのない黒い短髪。日本人の顔写真のカタログから平均的なパーツを無作為に切り貼りしたような顔。
出山リン。
入野スズと対比になるようなその名前にスズは出会った瞬間に運命を感じ、以来、それを証拠付けるように彼とは毎年同じクラスとなっている。
「すんません、月居さん」
「う、ううん。だっ、大丈夫だよ出山くん。ぼっ、僕、彼女みたいなタイプも別に嫌いじゃないし……」
「きゃー、聞ぃた聞ぃた? いま、月居さんがうちのこと嫌いやないって!」
「ああ、聞いたけど……」
「何、その反応? このうちが月居さんに取られちゃうかもしれへんのよ?」
「アホ」
「はぁ!?」
顔を真っ赤にしてぐぬぬ、とリンを睨むスズ。
彼女とは対照的に涼しい顔でいるリンは、「まあまあ」と割って入ろうとしたカナタに「いいんで」と首を横に振った。
「い、いいの……?」
「はい。あいつただ調子乗ってるだけなんで、これくらいは言わないと……。あ、これ、俺がここ一時間で取ったサンプルです」
バックパックごとカナタに渡し、背の高い少年は上官に確認を求めた。
中には袋詰めされた植物のサンプルが三十余り、それぞれ異なる種が収められている。
「す、すごいね……! い、今のところ君が一番多いよ。で、でも一つアドバイスするなら、同じ種だと思っても幾つか採取しておくともっといいかな。お、同じように見えても実は別種だったって、調べて分かったりすることもあるしね」
「善処します」
後輩にそう伝え、カナタはタブレット端末から護衛のSAMパイロットたちへ移動の指示を出していく。
SAMでは拾いきれない植物のサンプルを採集するのは、彼ら生身の人間たちだ。
アーマメントスーツの上に防寒着を纏った小規模の班にSAM三機が付き、各班で手分けして旧東京駅付近を調査している。
「……どっ、どうしてこんなにコケ植物の種類が多いんだろう……? い、【異形】と混ざったことで多様性が増したにしても、他の植物はそうでもないし……こっコケ植物だけが【異形】の遺伝子と上手く噛み合う理由は何なんだろう……」
スズは苔むしたビル街の奥へと進んでいきながら、指先で顎に触りつつ考え込むカナタを見やった。
カナタはロボットオタクだと聞いていたが、この調査に出てからは何だか学者のような印象も受ける。やはり母親が生物学者でもあったから、その影響で彼も動植物や【異形】に興味を示しているのだろうか。
SAMを降りた憧れの先輩の姿は何をやっていても新鮮で、スズは声をかけたくてウズウズしっぱなしであった。もっとも、すぐ近くで目を光らせている腐れ縁の野郎がいるため雑談などもってのほかであるのだが。
(月居さん、うちのこともうちょい見てくれへんかな。リンの野郎さえいひんかったら、うちももうちょい印象に残るはずやのに)
と、スズが胸中で愚痴っていたその時。
滑りを帯びたコケに足を取られ、ずるんっ、と彼女は転びそうになった。
受身を取ろうと咄嗟に動いた瞬間、銀髪の少年は振り返る。見開かれた目がスズを捉え、即座にその足が地面を蹴った。
「いっ入野さん!」
伸ばされた手がスズの腕を掴み、引き寄せる。
足裏のスパイクを頼りに踏ん張ったことで、カナタはどうにか道連れにならずに済んでいた。
「つ、月居……さん」
助けられたスズは覗き込んでくる先輩の瞳を、直視できなかった。
真っ直ぐ見つめてくる清澄の青の優しさに、身体が仄かな熱を帯びてしまう。
月居カナタという少年が、なぜ多くの人に支えられているのか。その理由を強烈に実感させられた。
「すんません。うちはかまへん、月居さんは怪我とかんのかいな?」
「え、えっと……け、怪我はないよ」
彼の手をそっと振りほどきながら、スズは訊ねた。
返された答えに安堵する。それから彼女はお礼を言おうとしたが――カナタはすぐに前を向いて、皆に「も、問題ない、気にしないで」と声を掛けていた。
(見てほしいとは思ったけど、心配かけたいわけやないのに……)
思うようにいかない自分が焦れったい。
うぅ~っ、と言葉にならない唸り声を出してしまうスズは、リンに冷ややかな視線を送られていることにも気づかずに、しばし頭を抱えてしまうのであった。
*
手元のタブレット端末に視線を落とし、カナタは「上々の成果だね」と心中で呟く。
『対異隊』の指揮官として調査任務に当たる自分が【異形】や彼らと交配した生物たちに対して無知では、部下たちに顔向けできない。
そう思った彼は出撃の二ヶ月前から書物を取り寄せ、勉強に励んでいたのである。
生き物への好奇心旺盛なテナとともに図鑑をめくり、『レジスタンス』が公開しているデータベースも併せて確認する。単純な暗記ではあったが、友達と一緒なら苦ではなかった。
(……理智ある【異形】さんは、地上の植生とかどれくらい把握してるんだろう)
廃ビルの壁面から糸のように長く垂れ下がっている地衣類に顔を近づけ、通常種よりも分厚くなっているのを観察するカナタ。
身体の体積が増すのは【異形】と交雑した生物に多く見られる特徴だ。他にも体表の毛や皮膚、外骨格が硬度を上げたり、爪や牙がより伸びたりする。
爪牙の発達は『獣の力』発動者に共通するところだが、目が赤くなったりはしない。瞳に赤い光が宿るのは魔力の働きによるためであり、【異形】との交雑種は常に魔力を発しているわけではないからだ。
(いつか……彼らに聞いてみたい。話してみたい。この世界を……彼らがやって来て変わってしまった世界を、彼ら自身はどう捉えているのか。彼等の星とは何が同じで、何が違うのか)
もっと知りたい。もっと学びたい。もっと分かりたい。
それが『新人』たちとの交流で触発された、今のカナタの根源にある欲求だった。
理解できれば互いに適切な付き合い方に気づくことが出来る。その相手が好きでも嫌いでも、互いに極力争わずに済む生き方は模索できるはずだ。
マナカと付き合い、マオとぶつかり、レイと絆を紡ぎ、たくさんの人々からの悪意に曝されたカナタだから、言える。
(心を通わせること。心を認知すること。心を、拒絶しないこと……母さんの過ちを繰り返さないためにも、僕らは互いを知ってどうやったら共に生きられるか、考えなくちゃならない)
血族としての責任がある。背負った友からの期待がある。浴びせられる人々の叫びがある。上官や部下たちから向けられる信頼がある。
それら全てを総括し、見つめ直し、月居カナタという少年は進んでいく。
「――っ、なっ何か来るよ!!」
思考を掻き消す本能。
全身が総毛立ち、その足がコケの大地を踏みしめる。
カナタの警告に近くを哨戒していた三機の【イェーガー】たちが一斉に銃を構え、周囲に目を走らせた。
「つ、月居さん……!?」
「何が――どこから!?」
スズが狼狽え、リンが彼女を背中に庇う。
SAMに乗っていない状況での【異形】との遭遇。死亡リスクの極限まで上がる、自殺行為。
怯えるスズや脂汗を流すリンの反応はもっともなものだ。ヒトが住めぬ地に人の足で踏み込んでいるのだから、当たり前だ。
「さっ三機は僕たちから離れて!!」
『なっ――何を言うのでありますか月居中佐!? 中佐の身に何かあったら――』
「いっいいから離れて! こ、これは命令だ!!」
カナタとスズとリンを背に、トライアングルの陣形を敷かんとしていた三機。
しかし銀髪の少年は鋭く言い放ち、彼等の守護を拒んだ。
新米のパイロットたちにはその指示の意図が理解できない。それでも軍隊の鉄則だけは遵守して、彼らは散開した。
その直後――会敵する。




