第百九十九話 歩み出す者たち ―Rousing―
「マトヴェイ・バザロヴァ……!」
忌々しげにその名を吐き捨て、蓮見タカネは握った拳を机に叩きつけた。
『レジスタンス』をいう枠を越え、『リジェネレーター』なる新たな組織を立ち上げる。
自らの書いた脚本に真っ赤なインクをぶちまけられたタカネは、常の冷静さをかなぐり捨てて髪を掻き毟った。
「ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなッ! このシナリオは私のものだ、この都市は私が統べなくてはならない! 私以外の意思で芽生える組織など、有り得てはならないのだよ!」
あと一歩。あと一歩でタカネの世界は完成するはずだった。彼が自由にできる王国はようやく、生まれようとしていたのだ。
そこに現れた一つの汚点を、どうして許せようか。
これから飲むつもりで入れておいたワイングラスを机上から取り上げ、男はそれを衝動のままに床へ投げつける。
ガラスが散り、赤々とした染みが絨毯に広がっていくのも目に留めず、タカネはスマホを握り締めて部屋を出て行った。
「牧村! 至急『ブルーバード』社にアポを取れ、『リジェネレーター』を支持する書き込みを削除させる!」
『は。……しかし、良いのですか蓮見さん。民意の誘導はともかく、既に書き込まれた意見まで削除させるというのは……いささか横暴ではありませんか』
「君の立場は何だね? それを分かっているならば今すぐに動け。褒美は後で好きなだけくれてやる」
数秒の沈黙の後、秘書の牧村は無言で電話を切った。
舌打ちするタカネは間を置かず、立て続けに自らの事務所や有力な政治家、己の影響下にある各報道機関へと連絡する。
民意が固まるには早くても二日はかかる。それまでに世論をタカネの味方に付けられれば、『レジスタンス』司令の座を掴み取った後も安泰だ。
「そうだ……私は自由を手にする男なのだ。先日の演説を機に人々は【異形】への憎しみをより募らせ、怒りに燃えている。憎悪を塗り替える甘い希望など、存在するものか」
全ての頂点に立ち、支配する者。それこそが真にこの都市で自由を得たもの。
そう信じる男は突き進んでいく。自らを阻む障害の尽くを、「民意」を以て排除せんと。
*
会見を終え、『レジスタンス』本部に戻ったマトヴェイたち。
ニネルたちと共に別室に移ったミコトを除く【機動天使】の面々を会議室に集め、赤髪の将はこの日の総括を始めた。
「レイくんの提案に従って新組織の樹立を宣言したわけだけど……それが実現できるかは現状わからないし、問題はまだまだあるわ」
宣言に対する「突っ込みどころ」は勿論、レイもマトヴェイも想定している。
最初からこの会見は博打にほど近いものだった。運良く民意を味方につけ、政治家たちを説得できて初めてスタートラインに立てる計画。
「まず大前提として、政治は国会が、軍事は『レジスタンス』が行うものという憲法の規定がある。アタシたちの行為は軍事組織を並立させることとなり、それは紛れもなく違憲よ。つまり、法の上での正義はアタシたちにはない」
「えーと……じゃあ、『リジェネレーター』結成イコール『クーデター』ってこと?」
カオルの言葉にマトヴェイは重々しく頷いてみせた。
と、そこで思わず椅子を蹴飛ばすように立ち上がったのはシバマルである。
「く、クーデターって……!?」
「何だよ犬野郎、怖気づいたのか? 最初から分かってたろーが、『新人』どもを守るのは茨の道ってことはよぉ」
世間から見れば自分たちは悪の側にいる事実を受け止めきれず、シバマルは声を震わせる。
そんな彼にカツミは辛辣に言い放ち、俯くその顔を睨み上げた。
「嫌なら帰っていいんだぜ? まぁ、ここまで加担しちまったてめーがどこに逃げようが、世間の目は付き纏うだろうがな」
カツミは粗野な口調で嘲るように現実を突きつける。
今のシバマルに必要なのは、自覚を持つことだ。自分たちが信じた正義が大多数からは悪と見られるのだという、事実を認めることだ。
「っ、おれは……ただ、ニネルたちを助けたくて」
「助けたいからレイの誘いにホイホイ乗った。それで会見が終わった今さら後悔なんざ、馬鹿馬鹿しいにも程があるだろ。……なぁ、犬野郎? 俺は自分らが間違ってるとは思っちゃいねえ。俺は俺の正義を貫く、そう決めてんだよ」
立ち尽くす少年の胸倉を掴み、揺さぶり、カツミは唸る。
シバマルはこれまで、誰かの敵となったことはなかった。誰に対しても気さくで優しい彼は、他人を敵に回したことなどなかった。
それが今は、蓮見タカネと彼を支持する者全てに敵視され、排斥される立場となった。何百、何千という人の目が自分を射抜き、悪意をぶつけてくる――それを思うと怖気が這い上がり、まともに前も向けなくなってしまう。
「なぁ、ツッキー……。ツッキーはいつも、こんな思いに耐えていたのか?」
力ない声で、シバマルはそうこぼした。
銀髪の少年は小さく首肯する。彼は怯えるシバマルを青い瞳で真っ直ぐ見つめて、凪いだ口調で言った。
「こっ、怖いよね。き、気持ちは分かるよ。ぼっ、僕だって初めはどうすればいいのか分からなかった。まっ、周りの人がみんな敵になった気がして、恐ろしかった。でっ、でもね、味方はちゃんといるんだってマナカさんに教えてもらったんだ」
ここにはカナタとレイ、ユイがいる。ミコトやニネル、テナもいる。カオルやカツミ、マトヴェイもいる。彼らは皆、理想を共有する信頼できる仲間なのだ。
「だっ、だから、ね? こ、怖くても僕たちがいるから……お、折れそうな時は僕たちが支えるから」
『そうだよ、シバマルくん。君がにこにこ笑っていなきゃ、私たちだって困るんだから』
励ますカナタにマナカも追随した。
会議室のモニターに映るアバターの少女を見上げ、シバマルは引き結んでいた唇を弓なりに曲げる。
「……悪いな、ツッキー、マナっち、皆。おれ、もうちょっと頑張ってみるよ。ここで投げ出しちゃ、エイトンたちにも顔向けできないしな」
そして少年は奮起する。犬塚シバマルという男をいつだって燃え上がらせるのは、かけがえのない仲間の存在だ。
「アタシたちの行動が偉業になるか愚行と笑われるか、それを決めるのは後世の人間たちよ。だから今はただ、己の信念のままに突き進めばいい。時代の転換点にいた偉人たちも、きっとそうだったはずよ」
天下に迫った武将も、裏切り者の臣下も、生きていた当時は己の正義を信じて戦っていたに違いない。
弱冠十七、八歳で大きな使命を背負い込むこととなった少年たちに、年長者としてマトヴェイはそう優しく説いた。
彼の言葉にカナタたちは一様に頷く。
戦いに荒んだ世界を再生させる――『リジェネレーター』のその信念を、胸に刻んで。
*
一夜が明けてもなお、都市中の話題は昨晩の会見一色であった。
『リジェネレーター』の是非。老若男女が至るところで額を突き合わせ、それについて意見を交換していた。
『新人』とミコトたちの交流を目にして、彼らを保護しようという『リジェネレーター』を支持しようという者。それに対して『新人』はあくまで【異形】の血を引いており、信用ならず、それを守ろうという『リジェネレーター』もまた認められざるものであると主張する者。
世論はきっぱりと、二分していた。
「なあ……ヨリはどう思うよ?」
『学園』の食堂でもその話で持ちきりだった。
二年A組の日野イタルは向かい合って朝食を食べる真壁ヨリに問う。
訊かれたヨリはスクランブルエッグを口に運び、もぐもぐしながら黙考していた。
彼女ら『学園』の生徒にとっては、『リジェネレーター』が出来ようが出来まいが遠い世界のことだ。自分たちはこれまで通り、卒業までひたむきに学業と訓練に励むだけ。その後もエスカレーター式に『レジスタンス』に入り、引退の時まで戦場でSAMを駆り続ける。
だが、それは現状に何の疑いも持たない者に限られる話だ。
「……ユキエちゃんがね、言ってたの。SAMに乗る兵士は都市の人たちの未来を守るのが、第一の使命なんだって。そう考えると……月居くんやミコト殿下の言うことは間違いではないんじゃないかって……」
【異形】はもちろん倒すべき敵だとヨリも思っている。
だが、憎い相手だろうと対話で戦いを終わらせられる可能性があるのなら、それを否定するのも違うと感じるのだ。
「俺は……正直、分かんねえ。あの事変とか、理智ある【異形】だとか、『新人』とか、ここ最近色々わけ分かんねえことばっか増えて……何が何だか……」
世界は変わっている。変わるように動いている。その流れの中で自分たちは何を考え、何をすべきなのか。イタルにとって、それは灯火のない闇の中を彷徨うことと同義だった。
と、そこで――一人の少年が彼らのテーブルの傍で立ち止まって、呟きを落とす。
「……何を信じるか、それを変える必要はありませんよ」
イタルとヨリが顔を上げると、そこにいたのは黒髪で目の細い上級生であった。
「あなたは……?」
「橘ヤイチといいます。隣、いいですか?」
訊かれてヨリは頷いた。
サンドイッチとコーヒーのセットを頼んでいたヤイチは、まず湯気の立つマグカップを口元へ運び、それから話し出す。
「君たちが月居くんたちのクラスメイトだということは知っています。その上で問いますが……君たちに、『リジェネレーター』を支持する気持ちはありますか」
「……あります」
僅かに間を置き、ヨリは決然とした眼差しをヤイチへ向ける。
彼女が敬愛していた冬萌ユキエならば、きっと同じ答えを出す。自分は彼女と比べて未熟だが、その志を継いで頑張りたい――それが、ヨリの意志だった。
「何もしないって選択肢もあるかもしれない……けど、私はもう、そんなふうじゃいられない。私はミコト殿下の歌に救われて……それから辛いことと向き合って、決めたんです」
「そうでしたか。痛みから立ち直れた者は強い。それは君も同じでしょう、日野イタルくん?」
水を向けられたイタルは口ごもった。
はっきりと己の意思を固めているヨリとは異なり、イタルはまだ何も選べていない。
「俺は……」
「迷っている時に必要なのは、道標です。そしてそれは大概の場合、自ら探さなくては手にすることも難しい」
橘ヤイチにとってのそれが、不破ミユキだった。
父を戦場で亡くし、母を末期ガンに奪われたヤイチは一人だった。孤児となってから入った施設には馴染めず、常に孤独な日々を過ごした。
彼の精神の奥底には渇望があった。同じ孤児院の少年らが銀髪の女性から注がれていた、愛。
適性検査で高得点だった少年らとは異なり、ヤイチには才能がなかった。故にその女性から「重大な役割」を与えられることはなく、それどころか目をかけられることさえもなかった。
誰にも気にされない一人ぼっちの自分にも、ゴミ屑以上の価値はあるはずだ。たとえ才能がなくとも、特別ではなくても、何か役割を得られれば――己の渇望は満たせる。
そう信じていたヤイチが『学園』の二年生になった春、出会ったのが不破ミユキという少女だった。
「僕は、不破ミユキさん……いえ、明坂ミユキさんと出会ったことで自らの役割を見定めました。彼女が僕の道標となってくれたんです。それ以来、僕は彼女のために動き続けました。それはこれからも変わることはありません」
ミユキと隣の席になって初めて話した時、ヤイチは彼女から自分と同じ臭いを嗅ぎ取った。
孤独を抱え、且つ何かに飢えた者が漂わせる、乾いた臭い。
ミユキとの距離が縮まるにつれて、最初は素性を語りたがらなかった彼女はヤイチに本心を明かすようになった。
彼女の本名は明坂ミユキであり、月居司令の右腕だった張本人であるということ。腐敗してしまった『レジスタンス』を正すため、『尊皇派』に協力しようと考えていること。最終目標として、月居カグヤとの和解を果たしたいのだということ。
それらの真実を聞いた上で、ヤイチはミユキのために戦おうと決めた。秘密を打ち明けられるほどに信頼され、期待されている――それは彼にとって至上の喜びだった。
「……俺が頼ってた友達は、皆『学園』の外に出ちまった。犬塚も、毒島もカオルの姐御も今はここにいねえ」
イタルは揺れていた。流されるままに動いていいのかという迷いと、友達と対立してしまうことへの恐れとの狭間で。
「あーっ、くそぉ……」
湊アオイを真似して長く伸ばした髪を掻き毟り、イタルは唸った。
そんな彼にヤイチは微笑んでみせ、ポケットを弄ってあるものを取り出す。
「コイン……ですか?」
「ええ。今から僕がコイントスしますから、表だったら僕らの側についてください。踏ん切りがつかないなら、運に任せてみるのも良いでしょう」
そんな決め方で良いものかという躊躇いがないわけではなかったが、このままでも埒があかないと思い、イタルは頷いた。
ヤイチの指が硬貨を弾き、落ちてきたそれに掌が被さる。
「さぁ、どちらでしょう?」
右の手の甲を覆う掌をずらし、糸目の少年は悪戯っぽく笑って言った。
固唾を飲むイタルの視線の先で、露になったコインが光を反射させているのは――オモテ面。
「表です。良かったですね」
「良いかどうかはまだ分かんねえけど……分かんねえばっか言ってても始まらないもんな。……橘さん、ヨリ、俺も一緒に戦うぜ」
示された選択肢を受け、吹っ切れたようにイタルは吐息混じりの声で口にした。
イタルにとっての道標は「友達」。それを信じるべきか迷う心は断ち切られ、彼もまた立ち上がる道を選んだ。
「あの……おれも協力したいんだけど、いいかな?」
と、そこで次なる同志が現れた。
冴えない小太りの少年――メカニックコース二年A組の、宮島タイチである。
二年に上がってからはレイの専属メカニックを務めていた彼もまた、昨日の『リジェネレーター』の会見を見て意志を固めた者の一人であった。
「早乙女が『リジェネレーター』として戦うってんなら、メカニックのおれもついてなきゃダメだと思ってさ」
「いいんじゃねえの。メカニックがいてくれるなら心強いしな!」
「イタルくんったら、すぐ調子づいちゃって……」
「何だよ、別にいいだろー?」
「ふふふ……賑やかなのは結構なことですね」
歓迎するイタルに、苦笑するヨリ。
そのやり取りをヤイチは微笑ましげに見つめながら、『レジスタンス』のミユキへのメールを打っていった。
『上々の結果です』と。
「さて……そうと決めたらすぐにでも動きたいところですが、あいにく僕らにやれることはまだありません。今はただ、待つのみです」
『レジスタンス』司令と国会を司る政権の変わる、その日まで。
覚悟を新たに、少年たちは前を見据えていく。




