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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第八章 転換の刻

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第百九十七話 鎮魂歌 ―Transient memory―

 ひつぎの中に眠る少年の顔を覗き込んで、茶髪の少年は慟哭していた。

 彼の後ろに立ち尽くす青髪の少女は、唇をきつく引き結んで爪先を睨んでいた。

 金髪の少年はその顔を片手で覆い、乾いた声で一言、神に問うた。


「……なぜ」


 その問答は決して成立するものではない。

 答える者はどこにもおらず、差し伸べられる手も全てを解決する啓示も降りてこない。

 残された彼らは、みっともなく足掻くほかないのだ。

 たとえ他人の怒りに、憎しみに曝されようとも。ヒトと異なる存在であってもヒトと同じ平和を夢見ることが出来るのだと、何度も、何度も訴えていく以外に道はない。


「なんでっ……なんでなんだよっ、エイトン……! 今度、まだ食わせたことのないお菓子いっぱい持ってくるからって、言ったのに……」


 少し先の何でもないような約束さえも、もはや叶わない。

 瞼を閉じた青白く冷たい顔に、熱い雫が数滴、垂れていく。


「……これからどうしていくべきかしらね、アタシたち」


 そう呟いたのはマトヴェイだ。

【ガブリエル】と【ラファエル】の手によって移送された『新人』たちの遺体は現在、柩代わりの箱に収められ、『レジスタンス』本部内の霊安室に横たえられている。

 

(『新人』の肉体は貴重な研究サンプル。それをダメにしないように氷魔法で凍結させてるわけだけど……亡くなってからも寒い思いをさせてしまう真似をするのは、彼らに申し訳ないわね……)


『ナノ魔力装甲』の技術を転用し、内側に魔力を閉じ込める特殊な薄膜を張った柩。

 これを開発したのは明坂ミユキだった。元々はカナタに要請され、睡眠状態にある『バエル』を封印しておくために作られたものである。

 敵が復活しないよう閉じ込めておく道具を、友好的であった『新人』たちに使うなど皮肉なものだが――致し方あるまい。


「立派な葬儀なんて挙げてられる状況じゃないけど……せめて、アタシたちだけでも彼らの冥福を祈りましょう。きっと、それが彼らにとっての救いになる」


 死後の世界を知る生者はいない。

 彼らが何を思って死んでいったのかも、その場に居合わせなかった自分たちが知られることはない。

 出来ることは葬送という儀礼、それだけだ。


「ミコトさん、アンタが鎮魂歌を歌ってあげて」


 柩の前で項垂れたまま微動だにしない桃髪の少女に、マトヴェイは優しく声をかけた。

 この場で最も心を痛めているのはミコトだ。交流を重ね、互いの距離を縮めてきた『新人』たちが無惨に殺害された彼女の精神は、人の憎悪の刃に蹂躙されてしまった。

 理不尽な殺人への憤怒、何も救えなかった己への後悔、友を失った埋め合わせようもない喪失感――それらの感情に雁字搦めにされ、打ちのめされているミコトに「それでも歌え」と強いるのはあまりに過酷だ。

 

「……アンタの歌はこれまで、多くの者を救ってきた。アタシ自身だってそうよ。『第二次プラント奪還作戦』の出撃前の夜、プレッシャーに押しつぶされそうだったアタシを勇気付けてくれたのは、アンタの歌だった」


「歌姫」としての姿がミコトのアイデンティティの一つに数えられるならば。

 歌を通じてコミュニケーションを図った彼女の姿に嘘がないのならば。

 絶望という奈落から這い上がり、凛とした己を取り戻すためには、「歌う」ほかにないのだ。

 彼女が彼女らしく再起するための手段――それこそが「歌」。


「ミコトさん……ボクと一緒に、歌いましょう。『新人』たちが大好きだった、あの歌を」


 ミコトの肩にそっと手を置いて、レイは掠れた声で囁いた。

『新人』たちという友を失って悲嘆に暮れているのは彼も同じだ。それでも彼がそう言えたのは、いつかのシズルの言葉があったから。


 ――『それでも、どんな人にだって折れてしまいそうになる時はある。そんな時に大切な誰かが側にいてくれれば、きっと楽になるわ』


 今がその時だとレイは思う。残酷な運命に打ちひしがれているミコトに寄り添い、支える役割を担うのは自分なのだと。

 皇ミコトのかけがえのない友人として、レイは彼女の手を握ってやった。

 指先で感じる少女の手は常よりも小さい。冷たい指に指を絡め、固く握ったレイは、しばらくそうし続けていた。


「…………レイ」


 長い沈黙の後、ミコトは一言、彼の名を呼んだ。

 触れ合ったレイの手の温度は、絶望という闇に囚われた少女に差した一筋の光となっていた。

 その滑らかな肌の触感は彼女に生の実感を与えてくれた。自分はまだ生きている、誰かと身体の温度を共有することができる――そう意識すると、ミコトの心には再び火が灯った。


「歌いましょう。『新人』たちへのレクイエムを……彼らが大好きだった、あなたの名付けた歌を」


 絡めた指を離し、ミコトはレイと真正面から向き合った。

 上げた顔には涙の跡だけが残り、激しい怒りは流れ落ちていた。

 並べられた柩を一つひとつ、ミコトは見つめていった。

 彼らと紡いだたくさんの思い出が泡沫のように蘇っては、消えていった。

 お風呂が好きな男の子がいた。おしゃべり好きな女の子がいた。折り紙が得意だった男の子がいた。ミコトの髪飾りを欲しがって、あげたら肌身離さず身につけてくれた女の子がいた。SAMの話に興味津々だった男の子がいた。ミコトが焼いてきたクッキーを美味しそうに頬張っていた子供たちがいた。中には焦げたのを引いて微妙な顔をしていた子もいた。

 彼らと過ごした期間は、『第二次プラント奪還作戦』中の八月初頭からの、約四ヶ月弱。

 半年にも満たない時間の中で彼ら彼女らは語彙を増やし、文化を知り、様々な物事への興味を大いに示していた。

 彼らが見たがったもの、知りたがったもの、その殆どは未だ実現できていなかったというのに――希望を叶えていく前に、彼らは逝ってしまった。


「エイトン、テネ、オニィ、フォグ、フィヴェク、セヴェナ、ナイネス、トゥービ、フォウ、ニネム、テンス、オネクス、スリール……あなたたちと共にいられた時間は、わたくしにとって何より代え難いものでしたわ」


 一人ひとりの名を呼ぶたびに、そのあどけない笑顔が過ぎっていく。

 交わした言葉が胸に反響し、光景の残影に重なる。


『ミコトの声、すき』

『紙ひこうき……? ひこうきって何?』

『どうやって作るの、クッキーって!』

『クッキーと「ツッキー」って、にてる』

『やだぁっ、帰らないで、ミコト!』

『おれ、はじめてかんしゅの男の人としゃべったんだよ。こんにちは、って!』

『絵本はもういいよー。もっとむずかしいお話でも、わかるもん』

『文字のこと、教えて! わたし、ミコトたちにお手紙書きたいの!』


 ミコトは胸に手を当て、込み上げてくる感情を飲み下す。

 泣くのは後だ。後で幾らでも、気の済むまで泣けばいい。だから今は、彼ら彼女らが安らかに眠れるように歌を捧げよう。


「――では、歌います」


 並んで立つレイを横目で一瞥し、それから少女は深呼吸した。

 どうか祈りが届きますように――そう願いながら、二人は紡ぐ音に想いを乗せていく。


「♪『あなたと夢を見てた 幼い夢を見てた』……」



 その鎮魂歌を以て、『新人』たちの簡易的な葬式は終えられた。

 墓を作ってやることも出来ない現状を彼らに深く侘び、そして生きていた頃に友好的でいてくれたことへの感謝を述べ、一同を代表してミコトは柩の前で頭を下げた。

 

「……あなたたちの痛みは、無念は、決して繰り返させぬと誓いますわ。罪なき者が憎悪に曝され、血を流す――そのようなことは断じて、わたくしが許しません」


 それだけが彼らに報いるための方法なのだとミコトは思う。

 今ある悲しみを断ち切り、誰もが癒しを得られる世界を目指す――それが自らの使命であると、彼女は改めて胸に刻んだ。


「ミコト殿下、これを」


 霊安室のドアを開き、声を投じてきたのはニネルとテナを助けたあの大尉であった。

 胸に花束を抱えて現れた彼は、ミコトのもとへと静かに歩み寄ってそれを手渡す。


「ありがとう存じます。……その、失礼ですがあなたは……?」

「名乗りが遅れておりましたね。私は矢神キョウヘイ大尉であります」


 明かされた苗字にカナタたちははっとする。

 まさか、と視線で問うてくる少年たちに、キョウヘイ大尉は若干ぼさっとしている黒髪を掻きながら頷いた。


「矢神キョウジは俺の叔父だ。君たちには叔父が世話になったと聞いている」


 矢神キョウヘイという若者の顔には、確かにニヒルな笑みを浮かべていたキョウジの面影があった。キョウジの眼鏡の底にあった鋭い眼差しは、キョウヘイの切れ長の眼と重なる。


「せっ、世話になったのは僕たちのほうですよ。やっ、矢神先生には色々と……戦い以外のことも教わってきました。そっ、それに、先生は最後に僕の母さんも救おうとしてくれた。ぼっ、僕は先生に、すごく感謝しているんです」


 銀髪の少年はキョウヘイに深々と頭を下げて、そう言った。

『狂乱事変』の後、合同葬儀の席でキョウジの親族にも同じことを伝えたが、その時キョウヘイは『丹沢基地』で防衛任務に当たっており不在だった。

 ようやく感謝していると告げることができて安堵しているカナタに、キョウヘイは穏やかな笑みを返す。


「ありがとう。君たちに教えることができて、叔父も本望だったろう」


 それから彼は柩の前で手を合わせ、『新人』たちの安息を祈った。

 瞑目しているキョウヘイの背中を見つめ、ミコトは問いかける。


「ニネルとテナのことを、あなたはどうして、助けたのですか?」

「さあ、何故でしょうかね……。ただ、俺はあいつらに死んでほしくないと咄嗟に思ってしまった。それだけは確かです」


 答えたキョウヘイの口調は芯の通ったものだった。

 彼を見上げてミコトは微笑する。ニネルとテナを除く十三名の『新人』が命を奪われてしまった中、キョウヘイのように『新人』を守ろうとする者が現れたのは不幸中の幸いであった。

 世界すべてが自分たちの敵になったわけではないのだ。『新人』の言葉を、歌を聴き、彼らへ手を差し伸べようとする者はいる。


「キョウヘイ。ニネルとテナは、今どこに?」

「『メディカルルーム』に。どうやら、二人は『交信』で仲間の最後の声を聞いてしまったようで……相当、ショックを受けています。ああいうのは逃げる最中は無我夢中でも、後になってぶり返してくる……ミコト殿下、あなたがケアしてやってください」


 十三の断末魔の声が、幼い心の少年少女に絶大な恐怖を刻み込んだ。

 彼らが『新人』としての力に目覚めたが故に起きた悲劇に、ミコトは痛む胸を押さえる。

 

「嗚呼……どうして、こうも世界は残酷なのですか」


 死者の声は生者を縛って離さない。ミコトの嗄れた呟きをそばで耳にするレイは、それを身を以て知っていた。

 

「ミコトさん……矢神さんの言うように、あなたはニネルとテナのそばに寄り添い続けてください。戦うのは、ボクらだけでいい」


 痛みを癒すには時間が必要だ。ニネルとテナにも、ミコトにも。

 しかし、都市を取り巻く情勢は目まぐるしく変わってしまう。

『新人』を排斥せんとする『尊皇派』から彼らを守り抜くには、誰かが立ち上がって声を上げなければならない。


「そっ、そうだよ。こっ、このままでいいわけがないんだ。にっ、憎しみが罪のない誰かを殺す世界なんて、ぼっ僕は嫌だよ……!」


 頭を振り、目尻に雫を煌めかせる銀髪の少年。

 人の悪意や敵意が誰かを傷つけ、歪めてしまうことによって生まれる不幸――その悲惨さを誰よりも分かっている彼は、憎悪の連鎖を断ち切らんと決意する。

 

「ええ。わたしも共に、戦います」

「おれもだ。おれたちが黙ってちゃ、エイトンたちが浮かばれねえ」


 ユイとシバマルも思いを一つに立ち上がった。

 悲嘆と慟哭を前へ進む動力へと変える――決して簡単ではないそれを実現する第一歩として、彼らは意思を言葉として表明した。


「マトヴェイ元帥。――お話したいことが、あります」


 早乙女・アレックス・レイの申し出に、睫毛を伏せて壁際に佇んでいた赤髪の将は顔を上げた。

 少年の青いまなこは澄んでいた。そこに憂いはあれど、迷いはなかった。

 

「いいわよ。聞かせてもらいましょうか」


 腕組みし、マトヴェイは普段の飄々とした笑みを薄く浮かべる。

 動かねば何も守れない――それを実感させられたのは、彼も同じことだ。



 その夜、蓮見タカネは部下から電話で齎された報告を事務的に処理していた。


「……そうか。承知した。……過ぎたことだ、もはや構わん。……勝手な働きはするなと、現場には命じておけ」


 懐にスマホを収め、男は背もたれに深々と体重を預けて溜息を吐く。

『丹沢基地』での『新人』の虐殺は彼の意思に反したものだった。民の敵意を集中させる良い的である彼らにはまだ、使いどころがあった。


「カードをみすみす捨て札にしてしまうとは……狗どもの躾が甘かったか」


 飴ばかり食わせ、鞭を振るわなかった己の失態だとタカネは省みる。

 都市の完全掌握を目前にして驕った部分は確かにあった。この都市に拘泥こうでいし、外への意識を薄れさせていたのも原因だろう。

 溜息を重ねたところで、懐のバイブレーションが新たな連絡を通知した。

 タカネは緩慢な所作でスマホを取り出し、応じる。


「牧村か。本日の職務は終了したはずだが」

『テレビをご覧になりましたか、蓮見さん』

「……いや、見ていないが……。何かあったのかね?」

『今すぐ国営放送にチャンネルを回してください』


 淡々とした声音から抑えようもなく滲み出ている女の焦燥に、タカネは表情を曇らせた。

 何があったのだ――彼は慌てて通話アプリを落とし、テレビ放送へと繋ぐ。

 そこに映っていたのは大勢の記者の前に立つ、赤髪の政敵だった。


「マトヴェイ・バザロヴァ……! 奴め、一体何を……!?」


 開票日直前のマトヴェイの動向は全てチェックしている。マスメディアに棲む狗たちの報告によれば、この日の夜は二十時の『STV』と二十三時の『テレビ希望』の二局に生出演するのみであるはずだ。

 不意打ち的な放送――それにどうしても嫌な予感を覚えてしまうタカネは、食い入るように手元の画面を覗き込む。

 激しく焚かれるフラッシュが収まってきた頃、ようやくマトヴェイ・バザロヴァは開口した。


『本日は急な申し出にも拘らず、各マスメディアより沢山の記者にお越しいただき、ありがとうございます』


 ――挨拶はいい、早く要件を言え。

 そうこちらを睨むタカネの視線を画面越しに感じたように、マトヴェイは紅の乗った唇を不敵に曲げてみせた。

 そして、言う。


わたくし、マトヴェイ・バザロヴァは――『レジスタンス』司令選挙への出馬を、辞退させていただきます』

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