第百八十四話 自由を求む者 ―Rewrite a script.―
『ミコトさまの「お気持ち」について、これはどう捉えますか、葉山さん』
『憲法では皇族が政治に関われないと明確に定義されているんですね。今回のミコト殿下の発言は、明確に選挙がどうとか蓮見氏やバザロヴァ氏がどうとか言っていませんが、それにしても誰が聞いたって分かるんですよ、選挙のこと言ってるっていうのは』
『ですよねぇ。これはやはり問題になりますか』
『いや、それがですね……あくまで「お気持ち」に過ぎないと言い逃れされたらそれまでなんですよ。法が照らし合わせるのはあくまで文面ですから。その文面が100パーセント選挙について言っていると判断できない限りは、問題とは言えないんですね』
『うーん……まあ、それが問題かどうかは置いておいて。ミコトさまがバザロヴァ元帥を支持するような発言にはどういった意図があったんでしょう? 皇族なら『尊皇派』に付くものなんじゃないかと、私は思ってしまうんですけれども』
『それはですね、私の憶測に過ぎないんですが――』
選挙前、最後の安息日。
スマホでお昼のワイドショーを見ていたレイは、的を射てもいないコメンテーターの発言に溜息を吐いていた。
ミコトの『新人』との関わりはまだ公になっていないため、彼らが真実に辿り着けないのは仕方のない話ではあるのだが――それにしてもあることないことよく好き勝手に言えたものだ、とレイは爪を噛む。
「れ、レイ……こっ、こんなの見ないほうがいいよ。ま、マスコミは、ミコトさんの悪口ばっかだ」
「都合のいい話だとは思いませんか? 『胡蝶の歌姫』と祭り上げられていた人が、今じゃ『軍国主義の権化』扱いされているんですよ。実際は誰よりも終戦を願い、平和を目指している人なのに」
蓮見タカネはミコトが利用できないと見るやいなや、彼女を悪役とする脚本を書き始めた。
今、世間に出回っている情報はタカネのシナリオに忠実に沿ったものだ。
戦場で権力を振るうことに目覚めた皇女は、軍の力が弱まることを恐れてマトヴェイに肩入れしようとしている――それが最初の筋書き。
「ありもしない情報がこの小さな世界に飛び交い、事実を歪曲させている。こんなことが許されていいわけがない。ボクは本当のミコトさんを、世間の皆さんに分かってもらいたい」
義憤に駆られるレイは、画面の向こうにいる台本を読むだけの人形たちを睨みつけた。
立ち上がる彼の震える拳を、隣に座るカナタはそっと手で包む。
「お、落ち着いて……きっ、君らしくない。いっ、怒りのままに訴えても、火に油を注ぐだけだよ。そっ、注ぐべきは水だ」
彼の手の温度と澄み切った青い瞳が、苛立ちに囚われていたレイを解き放ってくれた。
すみません、と詫びるレイは静かにベッドへ腰を下ろす。
「そうですね……ボクはエリートですから、いかなる時も冷静でなくてはなりません。それを忘れるなど、恥ずかしい限り……」
「……れ、レイが声を上げれば聞いてくれる人はきっといるよ。さ、早乙女博士だって協力してくれるかもしれない。ぼっ、僕のほうはミユキさんに掛け合ってみるから」
懊悩するレイの負担を少しでも減らそうと、カナタは早口に言った。
そこには彼の、自分が白い目で見られてしまうせいで直接は力になれない負い目もあるのだろう。
君も十分、力になっている。ボクにとっては隣にいてくれるだけで心強いのです――カナタの気持ちを察したレイはそう言いたいところだったが、強烈な羞恥心が胸の奥底から込み上げてきて言葉を飲み下した。
「んんっ……と、とにかくやれるだけのことをやりましょう。ネットへの書き込みだけでは効果が足りない――何か、具体的な行動に出なければ」
早乙女・アレックス・レイが知るミコトの全て。
それを市民たちへ伝え、彼らの誤解を解くのだ。終戦を目指すミコトの進路は、人々に彼女について分かってもらわねば始まらない。
軍人たちが勝手に進めて何とかなる問題ではないのだ。これはヒト全体と【異形】との関係についての話であり、決して誰にとっても他人事ではない。
「こ、行動って……なっ、何をするの?」
訊ねてくるカナタをレイは険しい面持ちで見返した。
自らの考えを今一度胸の中で反芻してから、レイはそれを口にする。
「国営放送局に殴り込みにいきます。無理は承知ですが……ミコトさんのためだと訴えれば、彼らも応じてくれるかもしれません」
*
その日の選挙活動を終えた蓮見タカネは、車に揺られながら腕を組み、目を閉じていた。
『尊皇派』以外の二大野党のトップと会談し、良い答えを得られた。政権を獲った暁には彼らと党を合流させ、一つの与党『尊皇派』が出来上がることになる。
蓮見タカネの出世へのシナリオに曇りはない。既に王手はかけている。
にも拘らず――彼は不安になっていた。
(私の脚本で箱庭は演出される。そのはずだ。なのに……この胸騒ぎは何だ? 何故私は求めるものが近づけば近づくほど、焦燥に駆られるのだ?)
脚本に垂れたインクの染み。
その匂いはかつて嗅いだ煙草のそれと重なった。
(私は完璧だ。マスメディアも警察も私の手の中。脅かす者などいるはずがない。いるとしたならば、それは……)
緩慢な動作で瞼を開き、街灯やネオンが照らす窓の外を眺める。
歩道側から覗けるショーウィンドウの前には、ガラスを鏡替わりに髪型をチェックしている若い男がいた。
「……蓮見さん、あれは……」
運転している秘書の牧村の声に、タカネは窓の外を見回す。
するとすぐに彼も気がついた。若者たちが集う都市最大級のショッピングモール、その壁面に設けられた街頭ビジョンに映っている少年には見覚えがある。
金色の髪を肩の辺りまで伸ばした中性的な少年。『福岡プラント奪還作戦』における英雄の一人、早乙女・アレックス・レイだ。
「制服姿……『レジスタンス』としての登場ではなさそうだな。だとしたら、何を企んでいるのか……」
牧村に車を適当に停めるよう言い、タカネは歩道に下りて巨大モニターを見上げた。
午後七時のニュースのスタジオに急遽現れた若きヒーローの姿に、道行く人々は足を止めてざわめく。
少年のバストアップを撮っていたカメラが引くと、その両隣に立つ二人も露になった。
刘雨萓と犬塚シバマル。いずれもレイと同じく制服姿である。
『ボクは早乙女・アレックス・レイです。今日は市民の皆さんに、『レジスタンス』のパイロットとしてではなく、皇ミコトという少女の一人の友人としてお話をさせていただきたく参りました』
胸に手を当て、レイは静かな口調で画面越しに人々へ話しかけた。
その表情に昨夜、自室でカナタに晒した義憤は窺えない。彼の両脇を固めるユイやシバマルが舌を巻くほどの演技力である。
『では、結論から言います――皇ミコトさんは巷で言われているような、「軍国主義の権化」などではありません。彼女はひたむきに平和を目指し、人々のみならず全ての命の平穏を願う人です。断じて、暴走した月居司令や戦いそれ自体を肯定する人ではないのです』
ほぼ全てのメディアが広めた説をひっくり返す、少年の表明。
彼の発言とこれまでのマスメディアの報道、どちらが正しいのかと聴衆は混乱していた。
「何言ってんだ、あいつ!?」「でも、ミコトさまは確かに平和を願う歌を歌っておられたわ!」「本当なのか、彼の言うことは……?」
タカネは周囲の人々の反応を聞いて唇を引き結んだ。
パイロットとはいえ一学生に過ぎないレイが放送局に乗り込んでまで主張してくるとは、彼も予想していなかった。
頭の切れる子供だと踏んではいたが――想定を上回る大胆さである。
先ほどの嫌な予感はこれだったか? とタカネは胸中で舌打ちする。
「蓮見さん、どうなさいます?」
車の窓から顔を出して訊いてくる牧村に、彼は無言を返した。
ビジョンに映る少年たちは、言葉を続ける。
『刘雨萓といいます。私はあの「遠征」以後ミコトさんと関わってきて、彼女の優しさや皆に対する真心を知っています。彼女は誰よりも他人を愛し、他人を慈しみ、その歌を以て癒し、戦場では勇気づけてくれる人。これは私たちだけでなく、「レジスタンス」の全ての兵士、「学園」で彼女と関わった全ての人が証人です』
それは彼女の歌や言葉を聞いてきた市民たちも、本当は分かっていたことなのだ。
改めてそう言われるまで見失っていたのは、ひとえに周りの大多数がミコトの思想を危険視する報道を信じきってしまっていたから。
違うと感じていても、周りがそう言うなら間違っているのは自分なのではと思い込んでしまう。最初にネット上で上がり始めた声というのは全て『尊皇派』の細工であったが、情報リテラシーに欠ける者たちはそれを鵜呑みにしてSNS等で広めた。結果、テレビや新聞もそれを取り上げ、都市全体にまで波及させてしまったのだ。
集団心理が嘘を現実のように変えてしまう。それが蓮見タカネの操る幻術だ。
『おれは犬塚シバマル。皆さん、目を覚ましてください! テレビやネットで言われているミコトさんの考えはただの憶測であって、事実じゃないんです!』
少年の叫びにはっとする人々。
だが、彼らはすぐに違和感を抱くことになる。
そもそもこの噂話はどこから、なぜ出てきたものなのか?
火のない所に煙は立たない。にも拘らず、煙だけが上がっている。
「どういうこと?」「でも各局でニュースになってるのよ、それが嘘だなんて……」「マスコミが絶対だなんて言えるか?」「えっ待って」「どっちが正しいんだ?」
街頭で、それぞれの家庭で、ネットの世界で、人々は惑った。
寮でスマホやパソコンと睨めっこしているカナタの前ではSNSのタイムラインが目まぐるしくスクロールし、掲示板への新着の書き込みが連鎖していく。
誰もが分からずにいた。一体、なぜミコトはマスメディアに叩かれなければならなかったのか。そう仕向けた者がいるとして、狙いは何なのか。その者がミコトと明確に敵対する者だったとして、どういう事情で対立しているのか。
現状の情報では、人々が真実に辿り着くのは不可能に近かった。
『先日ミコトさんが発した「お気持ち」の言葉は、月居司令の暴走を許したレジスタンスの体制を肯定するものではありません。バザロヴァ元帥は『レジスタンス』の古い体制を大いに反省し、組織系統の改編や各部署のクリアな運用のための指針を打ち出すなど、改革に務めています。おそらくですが、ミコトさんはバザロヴァ元帥へのネガキャンに心を痛め、あの「お気持ち」を発表したのだと思われます』
タカネだけではない。レイも嘘つきだ。
涼しい顔でミコトの「お気持ち」に政治的な意思はなかったと彼は言い切った。
これもミコトを守るためだ。そのために罪悪感を抱けるほど、レイは市民全てを愛してはいない。
『ミコトさんはこの都市に生きる全ての人を、愛しているのです。それだけは揺るぎのない真実なのです。どうか、間違った情報に惑わされず彼女を応援してあげてください。彼女の歩みは、ボクたち全員の平和への歩みなのですから』
そう演説を締めくくり、レイたちはカメラの前で深くお辞儀をした。
街頭ビジョンを眺めていた者たちの中から、一人、また一人と拍手が上がる。彼らは嘘を打ち破らんとする少年たちの勇気ある声と、ミコトの大きな愛を称えた。
「止むを得まい……牧村」
「は。どこへお出しになりますか?」
「STVまでだ。私も嘘を暴かねばならなくなった」
車に乗り込みながらタカネは言った。
打てる手は迅速に打つ、これが彼の政治家としてのモットーである。
もう帰れるはずだった牧村だったが、文句一つ言わず彼に従った。彼女は蓮見タカネという男の底なしの野心に惚れ込み、自ら望んで「狗」となった人間。たとえ地の果てまでも、彼に付いていく所存でいた。
「この都市はよく、箱庭に例えられる。そこに住まう者たちはただ生かされているだけの、自由なき者だと揶揄される。私もかつてはその一人だった。そして私が自由だと羨んだ弟もまた、結局は同じでしかなかった」
弟は血筋という鎖から解き放たれた。
だが、結局は彼もこの小さな箱庭からは逃れられていない。自由を掴んだ気になっているが、自分の意思で世界をどうにかすることもできない。
弟は飛び込んだ環境に合わせて生きているだけなのだ。場所が変わっただけで、そこに本当の自由はない。
「自由とは責任を伴う。無責任で自堕落な自由など、本当の自由ではないのだ。自らの力で全てを掴み、意のままに従える……掴んだものへの責任を背負い、そうしてそれらを見下ろせる者こそ、真に自由な者」
この家に生まれた時点で、タカネは生き方に自由などないと思っていた。
だからずっと、のびのびと育てられてきた弟に憧れていた。
弟に背負うものはなかった。期待もされていなかった。だが、そのくせ彼が何か成し遂げると両親も使用人たちもこぞって褒めた。
タカネがどんな成果を上げても、「当たり前」で済ませるくせに。出来て当然、出来なければ恥。その重圧が幼い日から途切れることなくのし掛かり続けていた。
何の責任も背負わず育った弟が、タカネは憎かった。後に生まれたというだけで自分にはない悠然とした生活を営める彼が、妬ましかった。
昔はそうだった。だが、今は異なる。
「自らを縛る血筋も、両親が押し付けた運命も、私はこの手に制してみせた。もはや私はあの両親が思い描いたシナリオを超越した領域にいる。私は全てを見下せるのだ。それを自由と言わずして何と言う?」
男の野心の源泉。
それはミコトへの愛などではなかった。親が定め、親が押し付けただけの結婚相手など彼にはどうだって良かった。ただ見目麗しく、政治的な利用価値もありそうだからモノにしようとしたまで。
彼が生まれてから渇望してきたもの――それこそが、自由だった。




