第百七十四話 見えない未来 ―What happens to me?―
夏休み期間をまるまる使って完了した『第二次福岡プラント奪還作戦』の後。
九月を迎え、カナタたちは『学園』生活を再開させた。
担任の矢神キョウジ、そして冬萌ユキエ、石田サキ、七瀬イオリの四名が『狂乱事変』で亡くなり、クラスの空気は暗く澱んでいた。
事変で家族を失った生徒も多くいた。中にはショックのあまり教室に来れなくなった者もいた。
「皆さん、これからは矢神先生に代わって私が担任を務めるわ。どうぞよろしく」
砂木沼ミサト。
黒髪ショートにシャープな銀縁眼鏡、白衣姿の女性教諭である。
元『レジスタンス』研究員で、かつてはキョウジの下で働いていた彼女はメカニックコースのA組の担任も務めている。
『学園』としては本来ならば新たな人材を雇用してキョウジの代役を立てる予定だったのだが、生徒のことを全く知らない者では彼らのケアを行えないとミサトが主張。彼女の意を汲んで、学園長はパイロットコース二年A組の担任も兼任するよう通達したのだ。
「私が受け持つ授業はメカニックコースのみで、あなたたちと関わる機会はホームルームくらいだけれど……相談事があれば何でも申し出て。私に出来ることは可能な限りやるわ」
ミサトの言葉に「はい」と返事をしたのは、レイたち『遠征』組くらいだった。
この雰囲気を払拭しなければ彼らは前に進めない――ミサトが憂慮したその時、立ち上がったのはレイだった。
「顔を上げてください、皆さん! ボクらは幸運にも今、生き残ってここにいます。死んだ者たちに失礼にならないよう、そのありがたさを噛み締めながら前を向いて戦い続ける――それが、ボクらの使命です。それが、軍人のあり方です」
まだ地上に出たことのない少年たちに突きつけられるのは、軍人たちが直面する現実。
都市で起こった災禍は人々を平和ボケから目覚めさせ、彼らがどれだけ不安定な場所にいるかを明らかにした。
理屈では彼らも分かっているのだ。本当の平和が訪れない限り、大切な者が亡くなってしまう現実は変わらないのだと。
だが、それを受け止める覚悟がまだ、高校二年生の彼らには出来ていなかった。
「いいですか? 死んだ者のことをいつまでも考えていては仕方ありません。ボクらは彼らの死を活かし、次に繋げることを最優先に戦わねばならないのです」
「ま、待てよ、早乙女……そ、そんなこと言われても、俺……」
俯いて声を震わせるのは、日野イタルだ。
彼は都市での戦いで、【異形】に操られた味方機が倒されるところを目撃していた。人の死を前に何も出来なかった自分の無力さに、打ちひしがれた。
夏休み中の訓練の際、彼は武器をまともに持てなかった。弱い自分に兵士として戦い続ける資格などあるのか、どうせ戦場に出たところで足手まといになるだけなのではないか……卑屈な思考が負のスパイラルを生成し、彼を雁字搦めにした。
「俺、もう戦える気がしないんだ。俺なんかがいたって、どうせ死体を無駄に増やすだけだ。それに……最初っから、戦いたくなんかなかった」
「ひ、日野っち……! おれたち今まで一緒に頑張ってきたじゃんか! ツッキーも復活したんだ、おれたちまだやれるって! なっ!?」
弱音と本音。吐き出されたイタルのそれに対し、シバマルは思わず立ち上がって訴える。
だが、机を向いた少年の視線が動くことはなかった。
「……お前は強いから、そういうことを言えるんだ。【ラジエル】のパイロットに選ばれて、地上にまで行ったお前に、俺の気持ちなんて分かりっこない」
実力差はそのまま心の障壁となって、少年二人の間に横たわった。
シバマルはそれを壊す術を持たない。
彼はこの場では圧倒的な「強者」だ。弱者に何を言おうと、届きはしない。
「違う、お前の気持ちも分かる! だけど……湊先生も言ってただろ!? 誰かが戦場を離れたら、戦いたくなかった別の誰かが戦いに駆り出されるって!」
「だったら……だったら、何だって言うんだよ! 俺が死んだら俺の人生、そこまでだろうが! 俺は生きたいんだ、死にたくないんだ! 他の奴が戦場に出て死のうが、俺が生きれりゃそれでいい!!」
悲痛なシバマルの叫びに、イタルは己の本心を露にした。
友を睥睨するその両眼は赤く腫れ、声には嗚咽が混じっている。
「笑いたきゃ、笑え。……俺は、弱いから……逃げなきゃ、生きられないんだ」
開き直ったように吐き捨て、自嘲の笑みを浮かべる少年。
「強者」のシバマルらは彼の隣には立てない。隔絶された距離――イタルの心の壁が、差し伸べる手を阻んでしまうから。
沈黙が降りた。カナタたちが何も言えずにいる中、最初に開口したのは砂木沼ミサトだった。
「日野くん。『学園』は、去る者を拒まないわ。あなたが戦いたくないというなら、それでいい。でもね……決断の前に、今一度考えて欲しい。ここにはあなたを支え、助けてくれる仲間がいるってことを。ここで培う技術や経験は、あなたにとってかけがえのない学びになるってことを。それでも降りると言うのなら、私は止めない。親御さんに一筆書いて、あなたを送り届けるわ」
眼鏡の下から真っ直ぐ少年を見て、ミサトは穏やかさの中に固い芯を秘めた声音で言った。
それから、少年の長い髪をヘアバンドで留めた髪型を指して微笑む。
「湊アオイくんに憧れて、その髪型にしてるんでしょう? 彼も一度は戦場を離れた。彼のように一旦辞めて、自分を見つめ直してみるのも間違いじゃないわ。一度辞めて、いつか復学したいと思っても『学園』はあなたを受け入れる。決めるのはあなた自身よ、日野くん」
戦場に出たことのないミサトには、イタルの抱いた恐怖を共有できない。
だが、寄り添うことはできる。『レジスタンス』の夜桜シズル少将やグローリア・ルイス中佐のように、年長の女性として母のごとく見守ることはできる。
「……少し、考える時間をください」
そう言い置いて、イタルは荷物をまとめると足早に教室を去っていった。
憂いを帯びた眼差しで彼の背中を見送ったミサトは胸中で呟く。
――いつだって辛いのは、戦いに直面しなければならない若者たちなのだ、と。
*
日野イタルはそれ以降、数日経っても教室には一度も足を運ばなかった。
二年A組という空間は、常よりも閑散とした様相を呈していた。
イタルのみならず、他にも数名の生徒が顔を見せなくなった。ユキエと仲の良かった少女、真壁ヨリもその一人だった。
「ヨリちゃん来ないなんて、つまんないの」
頬杖を突きながら窓の外を見やる風縫カオルに、彼女のパートナーである毒島カツミが溜め息を吐く。
普段なら乱暴な口調で「一人で遊んでろ」とでも言うカツミだったが、今ばかりは何とも声をかけ難かった。
「……けじめ、付けないといけないかもね」
その儀礼は兄がよく行っていたものだった。
生者が死者を弔い、別れと感謝を告げる場。
何もしないまま気持ちだけを切り替えられるほど、皆は強くない。ならばせめて、亡くなった者たちを見送る時間は持つべきだろう。
「色んな混乱でまだそれどころじゃないって一蹴されるかもしれないけど……『学園』に、なるべく早いうちに葬儀を執り行えないか掛け合ってみる」
【機動天使】と比べて実力は大したことないかもしれないが、コネだけはあるのだ。
自分なりにやれることをやろう――そんなささやかな気遣いをもって、カオルはその日のうちに学園長へ話を持ちかけた。
老婆の学園長も大いに心を痛めていたのだろう。
カオルの申し出は案外簡単に通り、二週間後の9月半ばには合同葬儀が行われることとなった。
矢神キョウジ、七瀬イオリ、冬萌ユキエ、石田サキ、そして【潜伏型異形】に操られやむなく殺さざるを得なくなった三名の生徒の葬送。
制服の黒いブレザー姿で参列した生徒らは、大切な仲間や担任の死に涙を流したり、守りきれなかった悔しさに俯いたりしていた。
「矢神先生……」
養護教諭の沢咲アズサは、教師陣の中でもキョウジと親しくしていた女性だった。
彼女はキョウジに仄かな恋慕の情を抱いていたが、その想いはついぞ伝えられることなく彼に先立たれてしまった。
やるせなさを胸に同僚の名を呟くアズサは、焼香を済ませながら彼の幸福を願った。
(あの世でもきっと、女性を見つけては口説いているんでしょうね、貴方は)
頻繁に別の女と出歩いていたキョウジの姿を脳裏に過ぎらせ、アズサはこんな席であるのに苦笑してしまった。
手で緩んだ口を隠しながら自分の席に戻ったアズサは、参列する少年少女たちの小さな後ろ姿を眺める。
痛ましい、というのが率直な感想だった。
彼らにはまだ早すぎる別れだ。忘れられない、忘れたくない友の生きた声――それを彼らは聞いているのだろう。
「ごめん、なさい……」
普段のボサボサ髪を撫でつけてストレートヘアにしているアスマが、消え入りそうな声で先輩へ頭を下げる。
アスマとイオリが共有した時間は、いま思い返せばひどく短かった。
『尊皇派』の工房からの帰り際、ご飯に誘われた時に付き合っていればよかった。『学園』の廊下ですれ違った時、もっとちゃんと挨拶を返しておけばよかった。
二人が楽しみを分かち合えるSAM談義を時間の許すまでやればよかった。
少年の後悔は尽きない。湧き上がるそれらの幻想が現実に変わる瞬間は、永遠に来ることなどない。
「……まだ、まだ、話したいこと、たくさんあったのに……!」
唇を噛み、遺体すら残らなかった先輩へと叶わぬ願いをぶつける。
穏やかに笑う遺影を睨み据え、アスマは固く握った拳を震わせながら「ちくしょう」と一言の恨み節を絞り出した。
葬式の後。アスマは転がっていた石ころを蹴飛ばしながら、川沿いの道を独りで歩いていた。
黄昏の茜色を背負う彼を振り返る者はいない。
遅々とした足取りの少年の脇を、道行く人々は無言で通過していく。
「…………」
一緒に帰ろうと声をかけてきたミユキに断って、彼は『学園』とは反対方向の道をあてもなく進んでいた。
アスマはいつもの寮に戻る気分にはなれなかった。興味もない同室のクラスメイトと顔を合わせることを考えると、理由のない苛立ちに駆られた。
いっそどこかへ消えてなくなってしまいたいくらいだった。
近くにいる間は「何度も話しかけられてウザい」程度にしか思っていなかったのに、いざいなくなってみると無性に寂しくなった。
「……馬鹿」
呟いて、アスマは先ほどのより一回り大きな石を蹴飛ばそうとする。
だが足は空振り、アスファルトへと遠慮なしにぶつかってしまった。
「っ……! くそっ」
この気持ちを処理できない自分が嫌いになりそうだった。
今の彼に必要なのはただ過ぎていく時間であることを、大切な人との初めての死別を経験したアスマは知らなかった。
靴底を引きずるように少年は歩いていく。
行き場をなくした亡霊のように、俯いて風に髪を揺らめかせながら。
と、そこで――爪先を見つめる少年は、頭上から降り注いだ女性の声に顔を上げる。
「九重アスマくんですね? 少し、話があります」
そこに立っていたのは長い黒髪で眼鏡をかけた、黒いジャケットに同色のタイトスカートの人物だった。
見覚えのないその出で立ちにアスマが首を傾げるなか、その怜悧そうな顔立ちの女性は早口に言った。
「……私は蓮見タカネの秘書を務めている牧村といいます。蓮見さんは、あなたと会って話がしたいとおっしゃられていました」
事変からはもう一ヶ月半が過ぎている。何故いまになって、と視線で問うアスマに、秘書の牧村は彼の心中を察して答えた。
「良い政治家はまず、民と向き合うものです。そして蓮見さんは次の選挙で政権を本気で狙っていますから、相応の根回しが必要になってきます。身内のことが後回しになってしまうのも、致し方ないことでしょう」
政権奪取。つまるところ蓮見タカネという男は、この国の首相の座を勝ち取らんと画策している。
他人に興味を殆ど持たないアスマであっても、それが意味するところの大きさくらいは理解していた。
「……僕が作ったSAMはみんな処分された。今さら話って、何なんですか」
「私に詳細は知らされておりませんので」
真顔でそう口にする牧村にアスマは当惑するしかなかった。
「いつですか」とぶっきらぼうな口調で訊く彼に、秘書の女は淡々と言う。
「来週の日曜日。午後十時にリモートでの会談を行うとのことです」
「いいんすか、直接顔を合わせなくても」
「マスコミが周辺を嗅ぎまわっていますから。これはあなたを守るための考えです」
唸るように訊ねたアスマに、牧村はやはり無機質な声音で答えた。
それから牧村はアスマへ一礼して、足早に路傍に停めていた車へと戻っていった。
その背中を見つめながら、少年は髪をくしゃくしゃにかき混ぜる。彼はいつものボサボサっぷりを取り戻した髪の毛を弄り、溜息を吐いて踵を返した。
「……どうなるのかな、僕は」
少年には見通せていない。
自分が何のために戦い、何のために先輩を亡くさなければならなかったのか、その全てが。




