第百六十六話 初対面 ―About an archduchess.―
『レジスタンス』第一~第三師団のミッションの期限は、八月末。
行きに三日、帰りにも同じだけの時間を要すると考えて、『プラント』の復興作業に費やせる時間は実質約三週間ほどになる。
月居カグヤがもたらした都市の惨劇を知ったことで兵士たちは一時的にショックを受けたものの、ミコトの言葉で多くの者が奮起できていた。中には憔悴しきってしまった者もいたが、作業の進行が完全に滞るほどの人数ではなかった。
復興作業開始から一週間が経った八月十日。
午前中のリハビリを終えたカナタは、レイに連れられて演習場の一角に足を運んでいた。
訓練の合間の昼休みは普段ならば兵たちも食堂へ集まるのだが、この日は異なる。
大勢集まった兵士たちが見つめる先には簡素な台があり、そこに一人の少女がマイクを持って上がってきていた。
艶めく桃色の髪を流す優しき歌姫、皇ミコトである。
「……れ、レイはいいの?」
「な、何がですか?」
「ほっ、ほら、前にデュエットしてたじゃない。まっ、またやっても……」
「やりませんよ! ミコトさんのキーに合わせるの、ぶっちゃけしんどいんですから……というか、聞こえていたんですね、あの時のボクらの歌」
美しい皇女の登場に会場となった演習場は沸き上がった。
そんな中でカナタと言葉を交わすレイは、恥ずかしさと嬉しさを綯交ぜにした表情を浮かべる。
「ずっ、ずっと眠ってて何を感じることもなかったんだけど……ふ、不思議と、あの時はレイの声が分かったんだ」
「き、聞くに堪えない歌だったでしょう? ミコトさんと比べたら雲泥の差ですし……」
「そっ、そ、そんなことないよ。すっ、すごく、綺麗だったよ」
「ホントですか!? よ、良か」
「あ、始まるみたいだよ」
ぱあっと顔を輝かせるレイ。だが相棒の意識はすぐにミコトへと移ってしまい、彼はがくっと首を折った。
ミコトを一目見ようとカナタは杖を使って立ち上がる。気を取り直したレイは隣でその様子を見守りつつ、皇女の言葉に耳を傾けた。
「皆さま、ごきげんよう。連日の復興作業、感謝しておりますわ。皆さまお疲れになっていることと存じますが、わたくしに何か出来ることはないかと考え、今日、ここで歌わせていただくことになりました。では、聞いてください――『乙女のバーニング♡』」
SAMのスピーカー機能を使って流されるユーロビートのCD音源に乗って、ミコトは歌い出す。
たちまち熱狂に包まれる会場。
桃色の髪を揺らしながら歌う彼女の姿は、まさに舞姫だった。
『♪恋する乙女のバーニング・ハート!
もっともっと熱くさせて♡
愛する乙女のバーニング・ハート!
もっともっと夢を見せて♡
ねえ、ちょっと! こっち見てよ
あたしだけのダーリン♡』
ウインクに投げキッスまで飛ばし、カメラがあったら上目遣いでもしていたであろうサービス精神を発揮するミコト。
「ダーリン♡」のところはファンが「ハニー♡」と合いの手を入れるのがお決まりらしく、ミコトの動画サイトチャンネルをチェックしているようなコア層を中心に物凄い盛り上がり様だった。
その熱気にカナタがタジタジとさせられる中、レイは一人冷や汗を流していた。
「ダーリン」が自分のことを指しているのだとしたら、周りのミコトファンにぶっ殺されかねない。それは言い過ぎだとしても半殺しくらいならおかしくない。
「ちょっと退散しましょうかね、そろりそろり……」
「なーにが『そろり』なのー、レイきゅん?」
忍び足で後退していくレイの前にぬっと現れたのは、毒島シオン中佐だった。
ぎょっとするレイに意地悪な笑みをみせる派手なメイクの彼女は、彼と肩を組みながら言う。
「君のための歌なんだからちゃんと聞いてあげなよ、ダーリン!」
「そ、そうかもしれませんがっ、今はもう知ったことじゃ――」
「知ったことじゃないってどゆこと? まさかレイきゅん、浮気!?」
「ちっ、違いますよ! かっカナタ、そんな目はやめてください! 僕は神様に誓って誠実な人間です!」
レイの言い方が悪かったせいで起こった早とちり。
それを聞いたカナタに割と本気で軽蔑の視線を向けられ、レイは顔を信号機ばりに変色させて弁明した。
そして吹っかけてきたシオンのニヤケ面を見て、これは確信犯なのかとレイの口元が引きつる。
「もう、そこまでにしなさいなシオンちゃん。レイくんがかわいそうでしょ」
「し、シズルお姉さま!? ど、どうしてこんなところに……」
やって来た夜桜シズル大佐はシオンの意地悪に苦笑いする。
年下の中佐に訊ねられたシズルは、「ちょっとした息抜きよ」と壇上のミコトを眺めた。
「彼女、凄いわよね。まだ十六歳だというのに、誰にも弱音を吐かずに皆を鼓舞してる。それって誰にでも出来ることじゃないわ。人の上に立つ者として、私たちも見習わないとね」
その言葉にシオンが頷くなか、レイだけは硬い表情で次の曲を歌いだすミコトを見据えていた。
ミコトの弱さ――彼女が抱える孤独について知っているのは、レイだけだ。彼女という人間を守るためにも、やはり自分が側にいてあげたほうが良かったのではないかと、今更ながら彼は思ってしまう。
傷の舐め合いから始まった関係など、片方の傷が癒えた時点で解消するのが正解なのかもしれない。だが、未だ癒えぬままのもう片方を取り残し、一人だけ呑気に笑っているのも間違いな気がした。
レイはミコトに助けられた。ならば、彼女の孤独が癒えるまで隣にい続けるべきではないのか――そう懊悩する少年に声を掛けたのは、シズルだった。
「責任、感じてるんでしょう?」
「……お見通しですか」
「そういう顔してる部下や後輩からの相談、これまで何度も受けてきたから。分かっちゃうのよ、どうしても」
先ほどのユーロビートから打って変わって、しっとりとしたバラードをミコトは丁寧に歌い上げていく。
殻に閉じこもったレイを救い、レイが曲名を付けた、大切な人との再会を願う歌。
お淑やかで、美しくて、戦場では見違えるように凛々しく、誰にでも等しい愛を注ぐミコトを象徴するような、優しい調べだ。
「ミコトさんは、本当は……一人の、歌うことが好きな女の子でしかないんです。普通に恋だってするし、戦いなんて好まないような、どこにでもいるような女の子なんです。それなのに……」
立場や血筋、そして時代が彼女を縛り付けて離さない。
彼女にはどうすることも出来ない運命。
その鳥籠から彼女を救い出すことが叶うと思えるほど、レイの頭はおめでたくない。だが、何か――何か自分にしてあげられることはないのかと、狂おしいほどに思う。
「ミコト殿下もおっしゃっていたでしょう? 軍人という立場や時代が、私たちに戦い続けることを強いているのだって。そう明瞭に言ってしまえるのが、ミコト殿下という人なのよ。あなたが思っているよりもずっと、殿下は強い。それでも、どんな人にだって折れてしまいそうになる時はある。そんな時に大切な誰かが側にいてくれれば、きっと楽になるわ」
レイの肩にそっと手を置き、悩める彼と目線を合わせてシズルは語った。
これまで多くの部下や後輩たちを導いてきた彼女の言葉に、レイははっとした。
好きな人が近くにいてくれるだけで嬉しいし、癒される。それは彼自身も大いに体感していることだった。
ミコトを普通の女の子と語りながらどこか特別視し、思いに応えてあげなければならないのではないかと思っていたが――違ったのだ。
好きな人が無理しているのを見て喜ぶ者など、余程のサディストでない限りいないだろう。
「あなたはミコト殿下にとって、かけがえのない友人でいればいい。通じ合った親友の存在は、どんな時も心を支えてくれるわ。あなたもカナタくんに、色々と救われてきたでしょう?」
だから、ね? と。
シズルは二曲歌い上げてお辞儀をするミコトを見やり、それからレイとカナタとを見つめた。
レイはカナタのことを友達以上に想っていたのだが、それは置いておいて頷く。
「皆さま、今日は聴いてくださってありがとう存じます。残る二週間、共に力を合わせて復興作業、やり遂げましょう!」
溌剌と呼びかける皇女様に兵たちは奮い立った。
重なり合う彼らの気合のこもった声に、ミコトは深々と一礼して応じる。
短い即席リサイタルを終えた彼女が壇上から降りていくのを遠目に、レイは胸に手を当てて呟いた。
「……かけがえのない、友人。そんなもの、望む資格もないと思っていましたが……」
「と、友達に資格も何もないよ。いっ、一緒にいて居心地が良ければ、それで友達じゃない?」
車椅子から見上げてくるカナタに「そうですね」と微笑むレイ。
シズルたちとその場で別れた二人は、カナタの午後のリハビリのために基地内のトレーニングルームへと向かっていった。
兵たちの多くが『プラント』内で畑や施設の整備に移っていくなか、シバマルらが模擬戦の準備に取り掛かっている演習場を眺めながらカナタは口を開く。
「……ね、ねえ、レイ。かっ、彼らと……し、『新人』たちと、とっ友達になれると思う?」
それはレイにとって思わぬ問いであった。
少し遅れて、彼は何だかおかしく感じて笑みをこぼしてしまう。
ちょっとムッとするカナタに「ごめんなさい」と一言いってから、レイは尊敬の眼差しを相棒へと送った。
「普通、未知の存在は研究や観察の対象として捉えられるものですから……純粋にそう思えるなんて、とてもカナタらしいなと思いまして」
「そ、それはっ、褒めてるの?」
「まあ、感心はしています」
「な、ならいいや」
満足そうに表情を緩めるカナタ。
思えば二人が知り合ったばかりの頃は、カナタはビクビクしっぱなしだったし、レイは常に尖っていた。
あの頃のカナタとレイに余裕などなかった。自分を嫌い、強さを求めて足掻いていた。それが今では、こうして笑みを交わせる間柄になっている。
相反する者同士でも、同じ経験を共有していくことで打ち解けられる――自分たちの関係は、まさにその証左だ。
カナタならば、未知の『新人』とも手を取り合うことも出来るかもしれない。
「バザロヴァ大将に掛け合ってみましょう。君ならきっと……友達になれると思いますよ」
ヒトと【異形】を取り巻く現状も、都市の状況も、いま大きな転換点に位置している。
その中でカナタやミコトといった強く優しい思いを抱えた者が、新たな道を切り開いていくのだろう。
レイには彼らのような眩しさを持ち合わせてはいないが――彼らを懸命に支えていくことは出来る。
過去の罪の贖罪にのみ囚われていた少年期は過ぎた。レイはこれからは一人の青年として、未来も見据えて歩んでいく。
「共に頑張りましょう、カナタ」
相棒の言葉に銀髪の少年は笑顔で頷く。
そうして二人は、また決意を新たにしたのだった。
*
マトヴェイからの『新人』との面会許可は、案外すんなりと出た。
彼としても未知の存在である彼らについて、探りたいところはあったのだろう。
発見から一週間以上が経ってもなおほとんど調査の進んでいない彼らのもとへ、ミコトのリサイタル翌日、カナタたちは足を運ぶことにした。
「……何だか、寒いくらいの涼しさですね。空調が効いているのもあるのでしょうが、何というか……」
「どんよりしてますねー。上着、羽織ってくれば良かったです」
本部の階段を下りて地下牢へ移動しながら、レイとユイが身震いする。
カナタと一緒に来ているのは他にシバマルと、ミコトもいた。ユイやシバマルは最初から同行してもらうつもりでいたが、ミコトに関してはどこからか聞きつけたのか彼女の方から申し入れがあった。
「カナタ、大丈夫ですか? 杖で階段を下りるのは大変でしょう?」
「だっ、だ、大丈夫です、ミコトさま。れっ、レイが、支えてくれてますから」
先に下の階に着いていたミコトが振り返り、階段の中腹あたりで苦戦しているカナタに声を掛ける。
手すりと杖とに頼らないと進めない彼の姿を痛ましく思いながら、皇女は自分も助けになろうと道を戻った。
数分かけ、ゆっくりと無理のないようカナタの歩行をサポートする。
「……エレベータを増設するよう、軍部に要請しなくてはなりませんね。遠征先で身体を満足に動かせなくなる者もいる……もう少しバリアフリー化を推進したほうが良さそうです」
皇女はあくまでも『象徴』。だが、自分の行動で少しでも国や組織をより良いものに出来るなら、彼女は声を上げるのを慎むつもりはない。
蓮見タカネが思い描くような「お飾り」の皇女であるつもりなど、ミコトには微塵もなかった。
「あ、ありがとう、レイ、ミコトさま」
「ふふ、どうも」「当然の助力ですわ」
苦難の時代に求められるのは、人々が助け合うことだ。【異形】の跋扈する世界で生きていくには、「個」としての人はあまりに脆い。
そして、個である人を繋ぎ留めるものの一つが献身だ。
それが互いを知ることにも直結すると、ミコトは信じている。
静まり返った廊下の奥、地下牢への入口にたどり着いた彼らは、看守の兵が渡してきたクリップボードの書類にサインした。
「面会時間は十五分です。それから……危険を感じたならば、即座に銃を抜いてください。それがこの場でのルールです」
看守の説明に異論を唱える者はいなかった。
足音一つがいやに響く冷たい通路を行き、少年たちは鉄格子の向こうにいる「彼ら」と対面する。
「……この者たちが……」
ミコトは初めて目にした彼ら『新人』の姿に息を呑んだ。
彼らの顔立ちや体つきは人間と何ら変わるところはなかった。異なるのは青い肌と、長い爪や牙、個体にもよるが逆立って揺らめく髪。
許可された時間は長くない。だが、ミコトたちは彼らに何を話しかけたら良いのか迷ってしまった。鉄格子越しに見える独房の彼らの目は一様に怯えていて、触れることさえ躊躇われるほどか弱く見えた。
「……あ、あのっ。ぼっ、ぼ、僕、月居カナタっていうんだ。そっ、その……き、君の、名前は?」
けれども、カナタだけは違った。
彼は鉄格子の前にしゃがみこんで、中にいる少女の『新人』に話しかける。
青白い肌とのコントラストが綺麗な、濃紺の長い髪。アーモンド型の大きな瞳は真紅で、左目の下には泣きぼくろがある。少し下に傾けた顔は陰りを帯びていて、儚さの中に美しさを宿していた。
作業服姿の少女はカナタの声に、首を微かに動かす。
彼女の表情には動きがなく、読みづらかった。ただ、【異形】がヒトに向けるような激しい敵意は感じ取れなかった。
「なっ、名前っていうのは……えっと、なっ、なんて言えば……」
「ヒトが仲間を呼び分けるため、或いは事柄や物を他のものと区別するために使う言葉です。理智ある【異形】の側でも、『ベリアル』や『パイモン』といったように固有名詞は用いているようですが」
助け舟を出したのはレイである。きっかけを見つけて飛びついた彼は、カナタの隣にしゃがんで少女へぎこちなくも笑みを見せた。
「ボクは早乙女・アレックス・レイ。ボクらは、あなたたち『新人』を知りたくてここに来ました。痛いことも、怖いこともしません」
努めて穏やかな口調でレイは言った。
しんと静まる地下牢の中、他の『新人』らも自分たちの言葉に耳を傾けている気配を彼は感じた。
「ぼ、僕は……き、君たちと、お話してみたいんだ。とっ、友達になれたらいいなって、思う」
濃紺の髪の少女を真っ直ぐ見つめ、それから周りの独居房の彼らをぐるりと見回してカナタは胸の内を明かす。
静寂が降りた。身じろぎする者さえいなかった。
それでもカナタは待った。長い、長い沈黙の後――零れたのは、小さな声だった。
「……9L」
膝を抱え、そこに顔を埋めたまま、濃紺の髪の少女は確かにそう発音した。
それは少女に与えられた、「名前」だった。




