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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第六章 覚醒・急

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第百五十六話 死に場所 ―I'd like to live.―

 光の天使が上空の敵どもへと光線を撃ち放つ。

 解き放たれた魔力が虹色の輝きを迸らせ、拡散したそれは蝿たちの身体に触れたそばから効力を発揮していく。


「今です、シバマルさん!!」


 ユイの叫びにシバマルは力強く頷き、そして翼に全力を込めた。

 光の奔流に呑まれ、筋肉を強ばらせて墜落していく巨大蝿たち。黒い雨のごとく降ってくる彼らを横目に、シバマルは上空のたった一点――『バエル』を睨み据える。

 

「行くぜッ!!」


 少女へ再びの告白を果たすために、必ず奴を倒す。

 そう奮起した少年は翼と足底部のブースターの魔力を激しく燃焼させ、飛び立った。

 鉄砲玉の勢いで蝿たちの残骸デブリの合間を掻い潜り、吼え猛る。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」


 接近してくる【ラジエル】に『バエル』はすぐに気づいたようだった。

 青白い肌の魔神はその整った顔に笑みを刻み、てのひらを敵へと向ける。


『案外早く来たねェ。でも、残念。勢いだけじゃ俺にはたどり着けないよ』


 言葉と共に突き出された掌から飛ばされる、漆黒の魔力波。

 波紋を描いて迫るそれに対し、シバマルは抜き放った剣が放つ風で応じた。


 ――【大旋風】。


 月居カナタの十八番である、高威力攻撃魔法。


「決めてやるッ……!」

『決まんないさァ』


 その酷薄な笑みは少年の気合と覚悟を打ち砕いた。

 シバマルの眼前で風が掻き消える。

 直後――ヴヴヴッ!! と不協和音を奏でながら、その魔力波が彼の機体を撫でていった。


「なっ――?」


 瞼を固く瞑ったシバマルだったが、数秒もせずに目を開く。

 痛みも衝撃も感じない。確かに黒い波紋のオーラを真正面から浴びてしまったはずなのに、何も。


「お前っ、何を……!?」


 上昇の勢いに乗せて剣を振り抜き、『バエル』へと肉薄するシバマル。

 魔神は身体を翻してそれを躱し、再度の魔力波で【ラジエル】の剣風を消し飛ばした。

 

『へえ、やっぱ汎用機とは違うんだねぇ』

「何が、言いたい……!?」


 二度の空振りにもめげずに攻め続けるシバマルに、『バエル』は不敵な笑みを贈る。

 こちらを品定めするような無遠慮な視線に苛立ちを露にする少年に対し、魔神は両手から発した魔力の壁で剣撃を受け止めた。


『含みはないよ、素直に褒めているのさ。並みのニンゲンなら、この恐怖に溺れて動くこともままならなくなるのだから』


 敵の言葉を耳にしたシバマルは、即座に後退して距離を取った。

 おそらく『バエル』が先ほど使ったのは精神感応系の魔法――『フラウロス』戦の反省から最大級の警戒を払う彼に、『バエル』は僅かに口元を緩める。


『でも、いつまで持つかなァ?』


 掌より重ね重ね放たれる漆黒のオーラ。

 シバマルは翼の推進器スラスターの魔力を燃やし、高速旋回でそれを回避していく。

【ラジエル】の残像が幾つもの分身を描いていくなか、『バエル』がその酷薄な笑みを崩すことはなかった。

 余裕を湛える敵の表情を忌々しげに睨むシバマル。

 躱してばかりではらちが明かないと天高く一気に飛び上がり、急降下からの剣の振り下ろしを決めようとする彼だったが――


 ――ふっ、と。


 スラスターで燃焼していた魔力が、絶えた。

 加速力を失って慣性でのみ動く【ラジエル】に対し、『バエル』は避けようとすらせずに掌を高々と掲げる。


「このッ――!」

『へぇ?』


 魔神が展開した防壁は【ラジエル】の【白銀剣】の威力を完全に殺してみせた。

 触れたそばからぴたりと動きを凍りつかせる刃を見下ろし、シバマルは瞠目する。

 直後――右手の感覚が消失する。


「なっ……!?」


 掴んでいたはずの剣の感触が、ない。

 全身の汗腺が開いてどっと脂汗が滲んでいるが、それを気にする余裕もなくなった。湧き上がる焦燥、早鐘を打ち始める鼓動。

 それでもにわかにパニックに陥りかける自分に鞭打って、シバマルは敵の防壁を蹴りつけて後退を図った。


『逃すと思う?』


 事態を呑み込めないままに退避せんとしたシバマルを、『バエル』は貪欲な瞳で射抜いた。

 粘っこく獲物にまとわりつく、赤い眼差し。

 投げかけられた黒い波紋のオーラが【ラジエル】を通過していき、その魔力で機体を撫でていく。


『【領域展開】――【絶対捕食】』


 その魔力を浴びた瞬間から、何もかもが彼の「餌食」となる運命を強いられる。

 獲物の苦しみに笑みを深める『バエル』の魔法――その効果は、対象の魔力を「奪う」というものだ。

 それは毒のように魔力液エーテルを通じてSAMの全身へ駆け巡り、時間と共に各機能を蝕んでいく。


「ほ、ほしょ……!?」


 シバマルはその魔法名から最悪の結末を悟ってしまった。

 加速できなくなった【ラジエル】にはもう、先程までの肉眼で追うことも叶わないような速度は出せない。

 指を鳴らした『バエル』が召喚した巨大蝿どもが一斉に襲いかかってくるなか、シバマルはまだ動く左手に剣を持ち替えようとした。

 が、しかし。


「づっ――!?」


 指先を真紅の光線に撃たれ、灼熱の痛みに左手が跳ねる。

 その弾みに【白銀剣】は彼の手からすり抜けて、みるみるうちに彼のもとから離れていった。


「そんな――」


 加速できない。右手は動かず、武器も失った。魔力も残り僅かという、絶対絶命の状況。

 ――ここで終わってしまうのか?

 少年の脳裏にちらつくのは、そんな無慈悲な予感だった。

 無数の蝿たちがSAMに寄ってたかって、何から何まで溶かし尽くす光景が蘇る。

 死んでいった者たちの叫び。お前もこちらに来いと、彼らが手招きしてくる。


「嫌だっ、おれはまだっ……死にたくなんか――!?」


 巨大蝿の角ばった脚が、機体の腕や脚に絡みついた。

 口吻から染み出る溶解液がじわじわと、鋼鉄の装甲を侵食していく。

 肌を犯されるおぞましい感覚に、胃の中のものが逆流しそうになる。

 すぐそばに迫る冷たい死の臭いが、シバマルの鼻腔を満たした。


「死にたくないっ……死にたくない! 嫌だ、やめろっ、溶かすなっ、これはあいつの――」


 月居カナタの、大切な機体だから。

 彼から受け継いで、彼が目覚めるまでその席を守ると決めた機体だから。

 だから――まだ。

 犬塚シバマルは、ここで死ぬわけにはいかない。


「おれはっ、まだッッ――!!」


 魔力はまともに使えない。しかしそれすら構わずに、少年は叫んだ。

 戦う力をなくした彼の残滓は、その意志のみだった。

 最期の時まで足掻き、仲間や想い人のために敵に一矢いっし報わんとするシバマル。

 と、その時だった。


『シバマルくん!!』


 悲痛な女のアリアが鳴り響いた直後、昇る陽光。

 黄金の円環を五つ背負いしは、早乙女・アレックス・レイの【メタトロンmark.Ⅱ】だ。

 シバマルを呼ぶレイは円環型ユニットの一つから純白の光を一筋、【ラジエル】へ照射する。

 暖かく機体を一撫でした浄化の光は、腐臭を漂わせる蝿たちをたちまち消し去っていった。


『【セイクリッド・レイ】』


 落ちゆく【ラジエル】を横抱きに受け止めた【メタトロン】は、上空の『バエル』を睨み据えて【破邪の防壁】を展開する。

 光属性の防御魔法ならば、あの【絶対捕食】にも十分抗えるはずだ。


「た、助かったぜレイ先生……!」

『状況は!? 行動に制限が課せられたように見えましたが』

「お察しのとおりだよ。あいつの魔法を浴びると、魔力がだんだん使えなくなってくる。……正直、だいぶ不味いぜ」


 レイの問いに返答しながら、シバマルは「レイ先生にお姫様抱っこされるなんて変な気分だなあ」と場違いなことを考えてしまった。

 ぶんぶんと頭を振る彼は、額の汗を拭ってモニターに映る『バエル』を睨んで唸るように言う。


「レイ先生……ごめん、おれは一旦離脱する。ろくに動けない奴を守りながらじゃ、お前も満足に戦えないだろ?」

『で、ですが、その魔力では着陸が成功するかどうか――』

「だーいじょうぶだって。ユイや宇多田少佐が下にいるだろ? 蝿どもも殆ど機能停止したし、いけるって」


 努めて弛緩した口調で言い、レイの懸念を払拭しようとするシバマル。

 彼の意見も確かだろう。軍人としての自分とシバマルの友としての自分とがせめぎ合うなか、数秒の葛藤を経てレイは天秤を傾けた。


『分かりました。では敵との距離が離れるまで、ボクが全力で守ります』



『おしゃべりは終わったかなァ? よくも邪魔してくれたねェ、白いの』


 眉間に皺を刻む『バエル』がレイへと声を投げかける。

 律儀に待っていたらしい【異形】に対し、金髪の少年は口を尖らせた。


「白いのじゃありませんよ。ボクはレイ、そしてこの機体は【メタトロン】!」

『あー……レイと【メタトロン】? ふーん、覚えとくよォ』


 敵の注意を自らへ向けさせながら、レイはメッセンジャーでシバマルに合図を送った。

 防壁の後部だけを解除し、斜め上の敵へと円環型ユニットを仕向ける。

 シバマルが降下していったのを気配で感じながら、レイは眼前の『バエル』へ光線を撃ち放った。


「輝け、日輪よ――【太陽砲】ッ!!」


 アキトが身を挺して時間を稼ぎ、カノンが道を切り開いたこの好機。

 無駄には、出来ない。

 レイは眦を吊り上げて鋭く叫び、全砲門より太陽を具現化したかのような灼熱を解き放った。

 彼我の合間にある全てが、真っ白い閃光に呑み込まれていく。


「ここでッ、散れ!! 理智ある【異形】!」


 軍人として正しく在り、そして使命を果たす。

 それが早乙女・アレックス・レイの贖罪。姉と大切な知己を守れなかった己に課した、戦死するまで終わらない罰。

 かつては、それだけだった。そのためだけに戦い続けてきた。だが、現在は違う。今のレイには守りたい人たちと、帰るべき場所がある。

 カナタやマナカ、シバマルやイオリたち仲間が、それを教えてくれた。

 罪人であるレイに正義を語る資格などないかもしれない。しかし、それでもレイは己の正義を貫き通すことを望む。

 もう二度と、過ちを繰り返さぬために。大切な人たちとのかけがえのない時間を、絶やさぬために。


 爆風が視界を遮り、『バエル』の姿が隠される。

 シバマルはきちんと着陸までぎ着けただろうか、とその数秒のなかレイは内心で呟いた。

 やがて、爆風と煙とが晴れて視野はクリアさを取り戻す。

 

「バエル……? やった、のでしょうか……?」


 そこに魔神はいなかった。あるのは空中に漂う微かな肉片と、ちぎれて舞う黒い襤褸ぼろ切れのみ。

 敵はこちらの攻撃を防ぎきれず、爆散した。目の前の状況を鑑みれば、そう判断できる。




『シバマルさんっ……!』


 落下予測地点を割り出し、そこに待機していたユイは【ラミエル】の光と力属性の併せ技で【ラジエル】を受け止めた。

 弾力で衝撃を軽減するクッションのごとき半透明の巨大なベールに機体を沈め込ませたシバマルは、腹にベルトを食い込ませつつ苦笑いを浮かべる。


『ごめん、ユイ……カッコ悪いとこ、見せちゃったな』

『そんなの……そんなことないですよ! わたし、あなたが生きていただけで、それで……』


 一度でもここを死に場所と定め、一緒に死のうと思ったことをユイは激しく悔いた。

 そして実感した。自分はこの少年と、共に生きていきたいのだと渇望しているのだと。いつの間にか彼が、隣になくてはならない存在になっていたのだと。


『シバマルさん……わたし、あなたのことが、大好きです』


 吐露されるありのままの少女の心情。

 それを聞いて、シバマルは「へへっ」と力なく笑みを漏らした。

 機体は既にまともに動かず、自らも大量の魔力消費による頭痛に苛まれつつも、少年の胸は嬉しさでいっぱいだった。



『勝った……早乙女くんが、バエルを討った』

 

 地上から上空の戦闘の行方を見守っていたカノンは、胸に手を当てて喜びを噛み締めるように囁く。

 地面に膝を突くアキトは彼女の言葉に、小さく頷きを返した。

 自分たちの奮闘は無駄にはならなかったのだ。第三の理智ある【異形】の討伐を成し遂げ、これでようやく『プラント』内での戦いは終結した。

 見渡せる『プラント』の畑の上には、墜落した巨大蝿が死屍累々と転がっている。それらが醸す死臭に顔をしかめながらも、カノンは今一度空を仰いだ。 


『良かった……これで、任務を果たせますね。アオイくんにもさっそく報告しないと』


 そう呟いた、その時だった。

 カノンの聴覚が後方からの羽音を捉えたのは。


『あれ、まだ……』


 撃ち漏らしたものが残っていたのだろうか、と彼女は振り返った。

 そこには男がいた。

 生き残った蝿の数匹が寄り集まり、黒炎のごときオーラに包まれながら変貌していく中で浮き上がった、青い肌の美男子の顔。

 ニタァッ、と下卑た笑顔を描くその顔面の下には、瞬く間にくびや胴体、四肢が生え揃っていった。

 

『バエル!? 倒したは――』


 女の言葉はそれ以上続かなかった。

【イスラーフィール】の胸部には光の槍が突き刺さり、『コア』を一瞬で葬り去った。

 自分に何が起こったのか正しく認識する猶予すら与えられず、爆砕される機体と共に宇多田カノン陸軍少佐は戦死した。

 襤褸すら纏わない裸体を晒す『バエル』は、投擲を済ませた腕を無気力に下げて、虚無的ニヒルな笑みを浮かべる。


『あーあ、死んじゃった。苦しむ声すら聞けなかったなんて、ちょっと勿体無かったかなァ?』


 誰もが勝ちを確信してしまっていた。

 誰もが安堵してしまっていた。

 誰もが、これまでの戦いで疲弊してしまっていた。

 そんな状況下で起こった掟破りの「復活」など、彼らに予感できるはずもなかったことだった。


『なん、で……宇多田、少佐……!?』


 アキトの機体は運良く『バエル』の光の槍のリーチの外にあった。

 爆風に乗って放散された光属性の魔力は『対光線塗装』で無効化できたため、彼はただ吹き飛ばされただけで済んだ。

 地面に転がり、這いつくばる少年は、『コア』の爆発によって上半身が消失した【イスラーフィール】の残骸を網膜に焼き付けた。


『あ、ああっ……ああああああああああああああああああああッッ……!!』


 絶望の慟哭が少年の喉を焦がす。

 蘇る悪夢が、残酷に再び彼らへ牙を剥いた。

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