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暁の機動天使《プシュコマキア》  作者: 憂木 ヒロ
第六章 覚醒・急

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第百五十五話 鉄血の戦士たち ―Mutual assistance and self-righteousness―

 肌をあわ立たせる羽音の重奏。

 迫り来る無数の巨大蝿がその複眼を赤く燃やし、眼下の鉄人形を食い荒らさんと舞い降りていく。


『さあ、喰らいなよ! 俺の可愛い下僕たちィ!』


 興奮に裏返った声で叫ぶのは、ドーム型の『プラント』天頂付近に浮遊している【異形】、『バエル』。

 闇夜を切り取ったかのような襤褸ぼろのローブとマントを揺らめかせる青い肌の魔神は、その整った顔にありのままの欲望を貼り付けていた。


『ごめんねぇ、俺はベリアルやパイモンのように賢くはないんだ。だから、君たち人類と俺たちの相補的な発展とか、そんなことに興味なんてない。俺が求めるのはただ一つ――』


 そこで言葉を切り、魔神は『巨蝿型異形』に呑まれていくSAMたちを見下ろす。

 黒い機体の一つが全身を蝿たちに食いつかれていく光景に、彼は目を弓なりに細めた。


『君たちの、恐怖』


 それこそがバエルを突き動かす欲望。

 ヒトの痛み。絶望。人々が苦しんでいるその様は、魔神にとっての最たる愉悦。


『うふふふっ……このバエルのもとに、恐れおののくがいいさ!』



 真紅の複眼から光線を放ってくる『巨蝿型』に対し、レイは【メタトロンmark.Ⅱ】の【太陽砲】での迎撃を行っていた。

 五つの円環型ユニットを総動員して空中の敵を撃ち落としていくレイ。

 離れたところにいる味方の支援機がたちまち蝿たちにまとわり付かれるのを横目に、金髪の少年は脂汗を滲ませた。


「っ、これでは……!」


 選りすぐった精鋭である支援機の『アイギスシールド』が、まるで通用しない。

【機動天使】や【七天使】ならばあの光線は防げるが、それもいつまで持つか分からない。

 ここまでの『ベリアル』戦、『パイモン』戦でレイたちは魔力のほとんどを使い果たしている。その後、支援機の魔力タンクからの補給を受けはしたが、十分な補充を済ませる前に『バエル』が現れてしまった。


(魔力量は心もとない……持ったとしても十五分、いや十分か……?)


『バエル』が出現時に放った衝撃波によって、レイたちはバラバラに吹き飛ばされてしまった。

【太陽砲】での迎撃をプログラムに任せ、彼は周囲を見回して仲間たちの位置を確認する。

 彼から数十メートル近いところにアキトとカノン、それから更に千メートルほど離れた場所にユイとシバマルの機体は飛ばされていた。


「単騎ではいずれ沈むだけ……誰かと合流するのが先決でしょうか」


 焦燥を押し殺し、努めて冷静な声色を作ってレイは独りつ。

 言うがいなやすぐに飛び出した彼は、最も精神的に消耗しているアキトの元へと急いだ。

 兄のように思っていたナツキを亡くしたアキトはもう、一人で戦える状態ではない。

 

『早乙女くん!』


 レイの名を呼んだのはカノンだ。彼女は既にアキトの側にいて、光のベールで自分たちを包んで蝿たちの光線を遮断していた。


「宇多田少佐! そちらの魔力量は!?」

『残り三割を切ったところです! あなたは!?』

「こちらも同程度です。しかし……【太陽砲】に頼っているぶん、減りはかなり早い」


 降下してくる蝿たちを光線の連射で掃討しながら、レイは【イスラーフィール】と【ドミニオン】のもとに辿り着いた。

 カノンと背中合わせに立つ彼は、膝をついて動けないアキト機を見下ろす。


「アキトくん、立てますか?」


 それが酷なことだとレイは自覚していた。

 彼も大切な人を失う苦しみは痛いほど味わっている。そのために心を折り、長い引きこもり生活も経験してきた。

 だが、それでも軍人ならば最後まで戦い続けることを選ばねばならない。

 どれだけ過酷で残酷な道のりだろうが、それが使命だからと身をなげうたねばならない。

 生きるために、死ぬ気で戦う。それが、『レジスタンス』の兵士の在り方だから。


「あなたにもパイロットになろうと決めた理由があるのでしょう? 今はそれを思い出して、立ち上がってください。ナツキくんもきっと、それを望むはずです」


 死者の思いを代弁するなど生者の傲慢だ。それでも、崩折れた少年を再起させるためにレイはナツキを利用する。

 ここで自分たちまで死んでしまったら、魂を賭して戦ったナツキやミツヒロを裏切ることになる。

 何としても生きて『新東京市』へと帰るのだ。そのために、ここで『バエル』を討つ。


『ナツキ……か、母さん……』


 アキトはモニター越しに空中で瞬く赤い光を見ていた。

 その輝きはかつてナツキやハル、フユカ、そしてカグヤと共に孤児院で見た、星空に似ていた。

 

『さそり座の……アンタレスの、炎』


 母と慕った女性が語っていた、燃える星の伝説。

 それを思い出すアキトは、手を伸ばしてその灯火を求める。

 戦いの果てに本当の幸いがあるのだとカグヤは言った。それを信じて、アキトはこれまでSAMに乗ってきた。

 その答えが何なのかは未だ知れていないが――諦めてはいけない、と彼は思った。

 死の淵で炎となったさそりのように、意志を強く持たねばと覚悟した。


『ご、ごめん、レイ。――俺、戦うよ』

「アキトくん……ありがとう」


 レイに手を引かれて立ち上がったアキトは、愛武器の死神の鎌デスサイズを構えて深呼吸する。

 生きて母のもとへと帰る――そう決意した少年は、信頼する友に指示を請うた。


『レイ。俺はどうすればいい?』


 複数人での戦いに加え、魔力量も残り少ない状況。方針を一つにまとめ、無駄を極力削らなければすぐに力尽きてしまう。

 アキトの問いにレイは数秒黙考し、そして言った。


「アキトくん、君の機体の『対光線塗装アンチマナコーティング』が命運を握ることになります。君が盾になり、敵の光線を防ぐ。その間、宇多田少佐は詠唱を。少佐の魔法であの蝿どもを無力化します」


 アキト、カノン両名が「了解」と答える。

 それからレイは上空の『バエル』を睨み据え、掠れた声で呟いた。


「しかし、蝿どもを片付けたところであの『バエル』とやらを倒さなくては意味がありません。『ベリアル』がワームホールを延々と生み出していたように、あの蝿も『バエル』がいる限り生まれ続けると見積もっていいでしょう。ボクは、あいつと戦います」


 蝿たちを一時でも片付けられれば、『バエル』に接近するための道が開ける。

 無謀な挑戦だと分かってはいたが、レイは自分が前に出て戦うのだと意志を固めていた。


『そんなの無茶です! あなた一人で理智ある【異形】に勝てるわけありません!』

「勝機の有無なんてもはや関係ないんですよ。戦うか、戦わないか……それだけです」


 悲観的なカノンをレイは封殺した。

 既にアキトはレイたちの頭上に飛び上がって、降り注ぐ光線を受けて跳ね返している。

 レイが唱えた作戦プランはもう始まっているのだ。カノンは反駁の言葉を飲み込み、少年の指示通り詠唱を開始する。

 

「【太陽砲】魔力チャージ開始。……必ず、勝ちます。勝って君のところに戻ります。だから――」


 信じていて、とレイはかけがえのない相棒へと胸中で願った。



「やめろっ、来るなっ!?」

「お、俺なんて食っても美味し――ぐああああッ!?」

「いやっ、いやっ!? お父さんっ、あたし死にたくない!」


 盾を破られた支援機イェーガーへ無尽の蝿たちがまとわりつき、口から染み出す溶解液でその装甲を見る影もない姿に変えていく。

 恐れから敵に背を向けて逃げ出した者、抵抗を諦めて両手を挙げる者、最期に親へ助けを求める者、どれも等しく食い散らかされた。

 鉄の臭いが溢れ出て充満し、大地を赤黒く染めていく。

 骨組みからコックピット内のパイロットまで余すことなく餌食とした蝿たちは、その捕食が終わると次なる獲物へと飛び移っていく。

 彼らに意思はない。あるのはただ一つ、遺伝子に刻まれた「全てを喰らう」というプログラムのみ。

 魂がないからこそ、それはどこまでも残酷になれた。SAMも『飛行型』を生み出していた肉塊の残骸も分け隔てなく、彼らは喰らおうとした。


「なんだよっ、こいつら!? こんなの……こんな、終わり方って……!」

「シバマルさん、落ち着いて! わたしたちはまだ、終わってなんかいません!」


 恐怖に身を竦めるシバマルを鼓舞するユイだったが、彼女自身、その言葉が真実になりうるとは思っていなかった。

 詭弁で仲間を戦わせて、そして散る。自分にそうするだけの資格などあるのかと、彼女は自問する。

 故郷では何人もの同期を守れなかった。『第一次プラント奪還作戦』でも、多くの部下を死なせた。刘雨萓リウ・ユィシュエンという軍人は、何十人もの兵士の死を代償に生き延びてきた人間だ。


「戦うんです、シバマルさん! 諦めないで!」


 無責任な台詞だ、とユイは自嘲の笑みを小さく浮かべた。

 

「ここが終わりではありません! だから一緒に足掻くんです! カナタさんなら絶対、そうするはずです!」


 終わりではない根拠などない。一緒に足掻きたいというのは、ユイの単なる我がままだ。

【ラミエル】の光の防壁で蝿たちの攻勢に抗う彼女をいま支配しているのは、傲慢な利己主義エゴイズム

 月居カナタというシバマルが決して裏切れない存在を引き合いに出し、挫けかけている少年を戦場に縛り付ける。


「だから……ね? あなたも剣を執って」


 笑顔の裏には仄暗い意思がある。

 ここが自分の死に場所で、どうせ死ぬなら安心して背中を預けられる少年と一緒がいいという、独りよがりな思い。


『ゆ、ユイ……ごめん、おれ、弱気になってた』


 スピーカーが伝えてくるシバマルの声はか細かったが、震えてはいなかった。

 お人好しなムードメーカーな少年はユイの言葉をそのまま受け取り、自らを奮起させていた。

 そんな彼に内心で謝罪しながら、ユイは背中合わせに立つシバマルへ言う。


「【ラミエル】の魔法で蝿たちの動きを止めます。その隙にあなたはあの【異形】のもとへ飛んでください」


 奇しくもユイの考えはレイと同様であった。

 異なるのは自分たちの生還を信じていないこと、ただ一点。

 刺し違えてでも敵を倒せればそれでいい――たとえ倒せなくとも、後からやって来るだろう増援が勝てるだけの打撃を敵に入れられれば十分。それがユイの考えだった。

 

「ねえ、シバマルさん……いま、あなたとキスできないことがもどかしくて仕方ないです」

『そ、それって……!』

「ふふっ、何でもないです。ごめんなさい、変なこと言って」


 言ってからユイは自分自身でも驚いていた。これから死ぬという状況でセンチメンタルになるなど、軍人として失格だ。

 

『あいつ倒して、生きて帰って、それからユイ――お前に、もう一回こくる! だからさ、絶対二人で勝とうぜ!』


 その言葉に、何故だかユイは笑ってしまった。そして自分の頬が少し熱を帯びていることも自覚した。

 詠唱を始めながら、彼女は気づいた。

 自分は軍人に向いていない。【異形】への復讐に取り憑かれて軍人になったユイは、自分のためだけに戦っていたに過ぎなかった。市民を守りたいという崇高な使命など、復讐の炎に心を焦がしたあの日に燃え尽きた。


 ――わたしは、愚かな軍人です。けれど……死なせてしまった者たちに恥じない戦いを、最後までやり抜きましょう。


 敵を討ち、その後にこれまで同志たちを死なせてきた咎を受ける。

 もしも天国と地獄が実在するなら、自分とシバマルの再会は二度と叶わなくなるだろう。

 一度振っても恋慕し続けてくれた彼の大きな愛を無碍にしてしまうことに心中で謝罪して、彼女は力強くその魔法名を叫ぶ。


「――【クリスタル・レイ】!!」

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