第百五十三話 足掻き ―Fighter―
『あはっ、あはっ、あははっははははははははははははははは!!』
腹を抱えて身を捩り、操縦席に足を組んで座す銀髪の女性は哄笑した。
彼女が憎み、そして侮蔑する蒙昧な人間たちが殺し合い、死んでいく。
その様が何より愉快で堪らない。
「なっ、何が、おかしい……!?」
黒薔薇が繰り出す蔦を焼き切りながら、カナタは問いただした。
不可視の防壁を破るべくアスマが灼熱のドリルを回転させる中、それを歯牙にもかけずにカグヤは息子からの問いに答える。
『哀れな人間たちがよ。地上では今、私の分身が人々を狂わせ、邪魔する赤子を括っているの』
「なっ、何で……何で、母さんは人を殺すの!? なっ何で、みんなを苦しめるの!? 母さんは司令じゃないか、ひっ人々を守るのが仕事じゃないか! そ、それなのに何で!?」
カナタの声は女の心の壁を打ち壊すには至らなかった。
他者を拒む女の意思は魔力という形で具現化し、地上の人々と眼前の敵対者をいたぶっていく。
『何で、ですって? ゴミを掃除することに理由が必要なら教えてもらいたいものだわ、カナタ!』
伸び上がる蔦が根元から漆黒の炎に巻かれていき、その熱に撫でられたそばから黒い蛇の姿に変じていく。
咆哮する大蛇の吐き出す赤き水流が宙でうねる。
回頭してその血潮のごとき水流を躱すカナタ。地面へと降り注ぐ奔流はアスマをも巻き込まんとしたが、それはイオリが【破邪の防壁】で防いだ。
だが、しかし。
少年が展開した半透明の白い防壁は、腐食された金属のようにどろりと溶け出していた。
『なっ……!?』
『守りなど無駄よ。私の毒は全てを食むわ』
せせら笑うカグヤの言葉にイオリは顔を歪める。
それでも彼は、逃げはしなかった。
最後までアスマを守り、彼に防壁を突破させる――それが自らの譲れぬ使命だと、知っていたから。
『だったら、どうしたってんだ! そんくらいで止まるなら、わざわざここまで来ちゃいないぜ!』
強がりかもしれない。無茶を言っているのかもしれない。だが、それでもイオリは戦い続ける。
アスマ機の背後、覆いかぶさるように立った彼は、半ばまで溶けて崩壊寸前の防壁を盾に、信じた後輩を守った。
『イオリさん……!? 離れてください、アンタ死にますよ!?』
『馬鹿野郎、俺が離れたら……お前が、死ぬかもしれないじゃないか!』
紅の魔力の光を帯びた螺旋の機構が、不可視の防壁を穿孔せんと回転の速度を増していく。
額に玉の汗を浮かべ、肩を上下させながら右腕だけに魔力を注ぎ込んでいくアスマ。
彼は自分を守るイオリの存在に気づいて声を上げたが、いけ好かない先輩は退かなかった。
『俺のことは気にすんなよ、アスマ。お前は、お前のやるべきことをやれ』
アスマは唇を噛んだ。
気にするなと言われても無理な話だった。七瀬イオリはアスマにとって、唯一、心を許せた先輩だったから。
大財閥の御曹司として生まれたアスマの周りには、昔から権力に目がくらんだ大人と、彼の家が金持ちだからという理由だけでつるんでくる子供しかいなかった。誰もアスマ本人を真正面から見て、向き合ってくれる者はいなかった。
少年はやがて心を閉ざし、SAMに傾倒するようになった。それでも、彼の心が満たされることはなかった。何をしてもやはり、「九重会長の息子」の肩書きという呪縛から逃れられなかった。
アスマが『尊皇派』に協力したのは、そこに不破ミユキがいて自分の能力を活かせる場所を提供すると言われたから。確かにそこではアスマの能力は認められた。しかしそれは、「利用価値のある駒」として見られていたに過ぎなかった。
そんな中、九重アスマを純粋にアスマ個人として扱ってくれたのが、イオリだった。学園でも尊皇派のアジトでも、彼だけがアスマと他愛のない話をしてくれた。それが嬉しくて仕方なかった。
『そんなこと言われても……アンタがいなかったら、僕は……!』
『お前は弄れちゃいるけど、悪い奴じゃない。大丈夫さ、俺がついてなくても十分やっていける』
パイロットの感情を反映したかのように、螺旋の回転が弱まる。
イオリは弱気になってしまうアスマを励ますように、彼の肩に手を置いて言った。
『頑張れよ、アスマ! お前が絶対勝つって、俺、信じてるから!』
誰かから寄せられる、無条件の信頼。
理屈などないのだ。ただ、信じたいという純然たる感情だけがそこにあった。
肩に先輩の温度と重みを感じながら、アスマは眦を吊り上げる。
アスマにとって、それは初めて託された思いだった。
『――っ!』
荒ぶる大蛇の首はカナタの【マーシー・ソード】が切り伏せている。
降り注ぐ毒の雨はイオリが身を呈して守ってくれている。
今、防壁を突破できるのはアスマだけだ。二人はアスマを信じて、懸命に闘っている。
応えたい、とアスマは思った。義務感でも使命感でもない、単純に信頼に報いたいと心が叫んでいた。
『回れよ回れ、螺旋の機構! 【ドリルスマッシャー】ッッ!!』
雄叫びを上げた瞬間、触れていた肩を通して流れ込んでくる熱。
イオリが魔力を送ってきてくれているのだ。己を守るのに費やしてもいいリソースを、彼は全てアスマのために使っている。
視界がクリアになっていくのを感じる。身体の芯から熱が湧き上がってきて、鼓動は激しく肋骨を叩く。全ての感覚が研ぎ澄まされ、思考も冴え渡っていく。
刹那、脳裏に蘇ったのはイオリとの短い思い出だった。
初めて会った日に馴れ馴れしい奴だと思ったこと。工房にパンのカスをこぼされて子供っぽくキレてしまったこと。一緒に設計図を見てああだこうだとアイデアを出し合ったこと。学園への帰りの駅前で、いつもミユキと三人でラーメン屋に入ったこと。
振り返れば何でもないようなことだらけだったかもしれない。けれど、アスマにはその他愛なさが、愛おしいほどに大切なものだと思えた。
『無駄に足掻くのね、坊やたち? あなたたちも死にたいのかしら?』
『馬鹿、言えよ……生きるために、俺たちは戦ってんだ! 皆、そうだろう……!?』
ユキエたちも、地上の『レジスタンス』の者たちも、そしてイオリたちも。
皆が理不尽な運命の中で、懸命に生きようともがいている。大切な人との日常を終わらせないために、居場所を守るために、ただ生きるために……それぞれが異なる信念を一つに束ね、戦っている。
『か、母さんッ……は、話をしよう! 話せば分かる、ぼっ僕は、そう信じてる!』
『甘いことを――あなたもそう言うのね、月居ソウイチロウの息子!』
過去に銃を向けて葬った男が最期にこぼした台詞。
時を越えてその人の息子から浴びせられた同じ言葉を唾棄するように、カグヤは叫んだ。
『話す権利などないわ! 自由な文明が人から責任を、集団への帰属意識を奪った! 世界が危機に陥っているというのに、彼らは変わらずに個人の利己主義に呑まれたままだった! 私たちに守られているのだということすら忘れ、あまつさえ守護者である我々をバッシングする――そんな者どもと交わす言葉など、どこにもないのよ!』
月居カグヤは人に失望した。そして、人々の意識を形成した社会の風潮を、文化を、文明そのものさえも憎み、破壊せんとした。
「か、母さん……!」
カナタには母親の悲しみが、苦悩が理解できた。
人の悪意を浴びせられる痛みは彼も身を持って知っている。ただカグヤがカナタと違うのは、その苦しみが失望という形に変わり、破壊の意思へ転じてしまったこと。
『あの人も……同じなんだわ。あたしと』
【ラファエル】の『コア』に潜むマオの人格は、そう呟いた。
月居カグヤは悪意と殺意に呑み込まれ、歯止めが効かなくなった過去のマオそのものなのだと。
しかしその怒りは、悲嘆は、マオが抱えていた黒い炎よりずっと激しく燃え盛っている。
『全てを壊し、まっさらに返す。生まれた原始の姿こそ、人々があるべき美しい姿!』
「だっ、だとしても……そのために今ある何もかもを壊そうだなんて間違ってる! ひ、人は、対話することで分かり合うことが出来るんだ! ぼっ僕とマオさんがそうだったように――!」
意志と意志とがぶつかり合う。
噴き上がった女の黒い炎が少年を地面から狙い、幾つもの黒い柱を突き上げた。
【ラファエル】は高速旋回しながら噴射される魔力を直前で察知、躱していく。
『カナタ、魔力が……!』
「わ、わかってる、でももうちょっと耐えて!」
魔力残量が残り二割を切ったのを見たマオの警告に、カナタは脂汗を滲ませた。
自分の役割はカグヤから少しでも魔力を引き出すことだ。防壁に割ける魔力がその分減れば、アスマの突破は楽になる。
「【マーシー・ソード】!」
『無駄な足掻きを! 【絶対障壁】!』
両翼の砲口から伸びる光が二刀と化し、宙返りと共に斬撃を閃かせる。
空中に展開した黒い防壁でそれを受けるカグヤ。
直後――バキリ、と亀裂の入った障壁を目にして女は舌打ちした。
『チッ――!』
「ぼっ、僕らの足掻きは無駄なんかじゃなかった!」
いくらカグヤが【アポカリプス・レイ】の魔力を吸収したとはいえ、地上の分身と合わせてこれまでに多くのリソースを消費している。
カグヤの最大の弱点は、一人で戦っている故に支援が得られないこと。減った魔力を取り返す術は、カナタらから魔力を奪う以外にない。そして今更それをしたところで、カナタらから得られるそれは雀の涙だ。
「た、たとえ僕らがここで倒れようとも、次の誰かが来て母さんを倒す! SAMは、一機じゃ戦い続けられない!」
最後の力を振り絞り、カナタは光の刃で黒い防壁を打ち砕いた。
破片となって散っていくバリアを前に、カグヤは顔を歪める。
夥しい魔力消費による頭痛と動悸が酷くなる中、銀髪の女は操縦桿を握る手にぐっと力を込めた。
その指の関節は白く、手の甲には血管が青く浮かび上がる。
『強くなったわね、カナタ。あなたは立派よ。でもね……美しくないの』
防壁が壊れ、なおも自らを盾にして後輩を守るイオリ。
雄叫びを上げ、総力を決して敵の壁を穿ち抜かんとしているアスマ。
そして、自分たちの戦いを未来へ繋ごうとしているカナタ。
彼らが戦いに捧げる精神は、軍人の美徳といって良いものだろう。だがその美徳も、カグヤが描く原始の世界には不必要だ。
『【賽は投げられた。世界の盤が覆され、摂理は歪む】――』
詠唱。
月居カグヤが手にしていた、「奥の手」。
『うあああああああああああああああああッ!!』
螺旋を回す少年は吼える。
炎を纏って唸るドリルが轟音を立て、見えざる壁を一層ずつ突破していく。
『穿ち破れえぇぇぇぇぇぇッ!!』
一枚、二枚、砕ける。
迸る気合と全体重を乗せてアスマはドリルを突き込み、女を包む揺りかごを壊していく。
血涙を垂らしながら赤い視界の先にある黒薔薇を睨み据え、少年は遂に、全ての防壁に打ち勝った。
『月居さんッ――!』
不可視の防壁に穿たれた、一点の穴。そこから亀裂の広がる微かな音を、鋭敏になったアスマの耳は捉えていた。
頷くカナタはなけなしの魔力を燃やし、光の二刀を叩き込む。
「はあああああああああああああああああああああッ!!」
両断。
光の刃は守りを失った【輝夜】本体にまで達し、その機体の胴をも斬らんとした。
確かに届いた、とカナタが感じた瞬間。
しかし【輝夜】の突き出した左手の先で、その光輝は跡形もなく霧散していた。
「【絶空】」
短く告げられる魔法名は少年たちへの祝福であった。
月居カグヤが世界を変革する瞬間を見届け、そして散ることができるという栄誉。
「な、んで……」
カナタは絶句していた。
魔力を残り僅かとする【輝夜】に【マーシー・ソード】を完璧に無効化する術などあるはずがない。普通の防御魔法では不可能だ。何か別の……カナタも知らない根本的に異なる魔法、なのだろうか。
息子のそういった思考を読み取ったかのように、カグヤはくつくつと笑って言った。
『魔力の使用を封じる特殊な結界を生み出す……それが私の【絶空】。残念ね、止めが刺せなくて』
飛行形態を解除して地上に降り立ったカナタは、同じく地面に着地した【輝夜】を見据えて身構える。
魔力残量を示すメーターは黒く沈黙し、その使用不可を伝えてきていた。
『不味いよ、カナタ。【マーシー・ソード】が使えなきゃ、【ラファエル】は……!』
マオの囁きにカナタは歯噛みした。
こちらにあるのは対異形ミサイル数発と、さほど弾の残っていないライフルくらいだ。
カグヤがこの魔法を念頭に置いていたとしたら、相応の装備を用意しているはず。条件としてはカナタの不利である。
「……そ、それでもっ……!」
戦わなければ、平和は掴めない。
カナタは銃を構え、剣を執る【輝夜】とその背後の黒薔薇を見つめた。
魔力使用不可となっているはずであるのに爛々と輝く黒薔薇に、彼は瞠目する。
『何故、と思った? ふふふっ、ここまで頑張ったことに免じて教えてあげるわ。この結界はね、既に機体とは切り離された魔法には干渉しないの。あくまでもSAMの魔力液に作用するものだから』
今の【ラファエル】と【輝夜】は魔力液中の魔素――魔力を構成する最小単位――が運ばれない状態となっているのだとカグヤは語った。
魔力が使えない現在、両者が使えるのは非常用電源のみ。
戦いに使える時間は、ほんの数分だ。
『華々しく散らしてあげるわ。この太刀で』
兜から垂れる触角のような毛束を揺らし、薔薇が宿す紫紺の光を刃に瞬かせるカグヤ。
折り重なるように力尽きている二機を横目に、カナタは強ばる指をトリガーにかけた。




